= ひぐらしだより・夏の反省 = シリーズ№25






大学受験のための個別な対策法・教授法を選ぶ際に、
その方法論にどれほどの効果があるのかを、合格実績や
合格者の声から実証的に証明できるかという問いに対する、
そう簡単ではない答え 】



 費やした勉強の労力とそのアウトカムとしての成果を評価する試みは、一般的にはあまりに総合的すぎて数値化できないのが普通です。

 特に文系科目における読解力とか、選択肢を選ぶ判断力といったものは、教師の指導があったにせよ、血肉化してしまえば、いつどんなふうにして身に付いたのか、本人にもわからないというのが普通です。

 時には経年積み重ねてきた総合的な思考力が、たまたま思春期の最後の時期に自主的に開花してきた、ちょうどその場所に国語教師が立っていただけといったケースもあるでしょう。

 そうなると教師の指導力といったものの評価はなおさら難しくなります。まして「あの先生の前では勉強のやる気が起こる」とか「勉強が楽しくなった」とか「元気をもらえる」といった心理療法士的効果に至っては、まったく客観的には評価できません。(これは、そのことに価値がないということではなく、客観的な評価の基準を示せないということです。)

 本人の恣意的(しいてき)な感想だけがすべてであって、何を以って勉強の効果と見なすかといった基準そのものが揺れてくるわけです。



 毎年、春の新学期には各大手予備校の難関大合格者の喜びの声が大々的に喧伝(けんでん)されます。しかし、それによって個別な教授システムや対策法、または有名講師による指導法の成果といったものを推し量ろうとする場合、実はその成果の証明は、それほど簡単ではありません。

 まず第一に、東京や大阪の都市部を中心とした中学受験の隆盛によって、すでに12歳の段階でかなりの割合で高学力保持者が、私立・国立などの中高一貫校に囲い込まれているという現状があります。

 そうした学生さんたちが、将来の難関大合格者予備軍としてプールされ、6年間の一貫教育ののちに現役合格していくといった場合、予備校に通ってくる段階で、すでにかなりの学力資産を備えていると考えられます。

 したがって、受験の約1年間の関わりしかない予備校側が、そうした学生たちの合格実績を根拠として、自らの指導の有効性を主張することへの評価というものは、そう簡単には下させないということになります。

 たとえば、今年の東大の現役合格者ランキング上位10校を見ますと、開成105人(東京)・灘71人(兵庫)・麻布45人(東京)・清光学園53人(神奈川)・桜蔭51人(東京)・駒場東邦46人(東京)・栄光学園44人(神奈川)・海城33人(東京)・渋谷教育学園幕張35人(千葉)・筑波大付属駒場31人(東京)といった具合に、ほぼ私立の中高一貫校によって上位は独占されています。
(2010・3・26『週間朝日』P149)

 さらに、この上位10校の現役早稲田合格者の累計は、10校分で1600名、慶応大学の現役合格者の累計は1225名、つまり合計で、早慶の現役合格者は2825人の多数にのぼります。

 たとえば、今年の海城高校の場合、卒業生の数が380人に対し、早稲田の合格者が210名となっていますから、約56%の割合で学年の半数以上が早稲田に合格しているといった結果になっています。

 女子高トップの桜蔭高校の場合でも、一般に成績上位者は東大や国立の医学部を志望し、成績中位以下の学生さんが早稲田や慶応などの私学に進学するといったパターンが多いようです。

 光文社新書の『名ばかり大学生』河本敏浩(かわもととしひろ)著のP124には、その私立桜蔭中学(女子校)の2006年度の国語の入試問題と、1995年度の国立和歌山大学の現代文の入試問題が比較されていて、興味深い考察を加えていますが、それをそのまま引用してみますと、こんなことが書かれています。

 
「一二五~一二七ページは一九九五年の和歌山大学の現代文の問題である。二〇〇六年の桜蔭中学の問題と、同一筆者、同一著書を引用した問題文が、大学入試でも極めて自然に出題されているという現状がある。
同じ著者の文章を12歳と18歳が試験で解くのみならず、問題を見ればわかるが、設問の難易度・制限時間に対する制約は、前者(桜蔭中学)の方がはるかに厳しいとも言える。(ほぼ同じ制限時間で、桜蔭の記述量は400字を越え、和歌山大は110字)和歌山大学は一般的な予備校の発表する偏差値で五四、普通より上位に位置する大学である。[中略]
ここで、早期教育の過激さを批判したいのではない。問題は12歳の段階で絶望的なほどの学力格差が広がっているという事実である。都市部の早期教育は、それにかかる費用の高額化と歩調を合わせ、バベルの塔のように学力を高く伸ばしているということを、まずは確認してほしい。」


とあって、ちなみに、この問題文の出典は、高階秀爾(たかしなしゅうじ)『日本美術を見る眼』であり、西洋と日本の文芸及び絵画の相違点を芸術家の視点に焦点をあてて述べた文章でした。ほぼ同趣旨の設問における桜蔭中学の模範解答例と、和歌山大学の解答を比べてみますと、驚くべきことに、以下のようになります。

○桜蔭中学 問四
 過古の記憶を受け継ぐことで先人との対話を重視したり、連歌、連句のように自己の個性を保ちつつ共同制作を行うことを求める日本の伝統的な創造活動は、他者から自己を切り離して自己完結的な世界を創ることを基本とする西洋の詩人にとって、眼新しくも新鮮なものであると同時に、
自らを支える西洋的な芸術創造の根幹を脅かすものとして見えるから。(前述掲載のP120に載せられた模範解答例)

一方の
和歌山大学の問二の模範解答は、
○西欧の画家の視点は、対象に対して固定されているが、日本の画家の視点は、対象ごとに自由に移動している。(旺文社の解答例)

 このような答案例を見ても、一見して12歳時点での(受験の時点ではまだ
小学生)桜蔭中学合格者の非常な優秀さが見てとれますし、その問題文の難度の高さに至っては本当に驚くばかりです

 ですから、こうした中高一貫校の元来「地アタマ」の良い成績優秀者を予備校に招聘(しょうへい)したことの当然の結果として合格実績が上がっているのであれば、特に予備校の受験指導自体が素晴らしいというわけではないといった「地アタマ」基準の予備校批判といった意見は根強くあるわけです。

 ここで招聘(=礼を尽くして人を招き呼ぶこと)という、やや場違いな用語を用いたのは、こうした成績優秀者の中にスカラシップ制度や特待生制度などの制度によって授業料全額免除といった優遇措置を受けている学生さんが、一定の数存在すると思われるからです。

 もともと実力のある中高一貫校などの成績優秀者を、授業料免除にして入塾させ、難関大合格者を確保するといった制度は、どの予備校にも見られる普遍的な制度です。しかし、その割合は、どの予備校も秘中の秘であり、我々末端の講師にもわかりません。

 したがって、毎年ずらりと並ぶ〝祝合格〟の早稲田合格者の中に、実際に正規で入塾して早稲田に合格していく学生さんが何名ぐらいいるのかは、我々にも正確にはわからないのです。



 2008年(H20年)に木山のもとに送られて来た学生さんの合格ハガキの分析から、木山の『サクセス!最強古文漢文』受講者及びLW①組、LE①組の私大トップクラスの合格率は、早稲田及び上智大学に拡大して言えば、およそ25%ぐらい(4人に1人くらい)ではないかと書きましたが(お便りシリーズ№4)、そのおおよその見通しは現在も変りません。したがって、早稲田のみに限定すれば25%よりも、やや厳しい数字になるかと思います。(ただし、この数字は正確なものではなく、ある程度の慨然性を示すものであり、また個別なクラスによってはもっと高い合格率を示すクラスもあります。)

 ともかく、結論として木山が最低限言えることは、〝仮に元来の高学力保持者であれ、偏差値50前後の中堅層の学生さんであれ、最も公正に教授法の効果をはかる方法は、これまでに何度も述べてきた四つのポイントをクリアできるか否かである〟というのが、最終的な木山の結論です。

 その4点をもう一度ここに挙げてみますと、

 
模試や本番入試の問題の解法に直接ダイレクトにつながる語彙や知識や方法論や資料を、教師は的確に教えているか。
 
それがしっかりと学生に理解されるほどの真迫力とくり返し(Repetition)のもとでなされているか。
 
狙われる語彙や文法や文学史や古典常識の全体を常に網羅しようとしているか。
 
それらを具体的に実証できる資料が存在するか。(資料的に実証できないものは効果ありとしないということ)

 このことを逆から言えば、単元的な90分1題~2題の個別な過去問演習に
おいて、たとえどれほど学生を唸らせるような絶妙な解法を披瀝(ひれき)し
たとしても、それが次に受ける模試や本番入試にダイレクトに出題されないのであれば、効果としてはゼロ評価である、というのが、木山方式のオペレーションズ・リサーチの哲学です。


 たとえば、2009年度の『早大上智大古文』テキストの1・2学期中の出
典が、実際のH22年の早稲田本番入試にダイレクトに寄与したと判断できる
ポイントは、法学部・政経学部・教育学部・人科・国際教養・文学部・スポ科・
文化構想の8学部の入試問題を分析してみても、結果的には、文学部の『に』の識別と、法学部の『なむ』の識別に2問のヒットがあったに過ぎません。

 その他の重要単語・文法・文学史・古典常識・和歌修辞などの出題に関しては、去年の2009年のテキスト中に載せられていた過去問からは何らヒットするものがありませんでした。

 木山が口を酸っぱくして、その年度の早上テキストの過去問のみをいくら詳
しく掘り下げても、実際の本番入試でダイレクトにヒットする確率は、極めて
僅少であり、したがって、対策法としては不効率であると言い続けているのも、こうした実証を経(へ)てのことです。

 元来の高偏差値保持者であれば、それでも積み上げてきた学力資産によって合格していくのかもしれませんが、総合偏差値が50台をうろうろしているような(かつ、それでも何とか早稲田・上智・立教に合格したいと願っているような)一般レベルの学生さんが、そうした過去問演習のみに没入してしまうのは、はっきり言って実り少ない行為ではないかと思います。

 もちろん、それでもじわじわと成績は伸びていくかもしれませんが、元来の
成績上位者を押しのけて自らが早稲田・上智・立教に合格するほどの大幅な成績の伸びを古典において発揮できるかどうか、かなり疑問と言わざるを得ません。

 ちなみに、木山は代々木本部校において、これまで一度もLW①組やLE
①組といった私大の上位クラスをレギュラーで担当したことがありません。ま
して、中高一貫校クラスなど、教室の敷居をまたいだことすらありません。木
山が担当するのは、毎年、大体私大の中堅から以下の学生さんたちのクラスです。(LGクラスやLHクラス、年度によってはLFクラスなど)

 しかし、そうした中堅クラスの学生さんの中からも、毎年、早稲田・上智・
立教の合格者が出ていますし、また、そうした合格者の多くが古文・漢文において、かなり高いアドバンテージを獲得しています。

 北海道の中標津町から上京してきて、LGクラスからスタートした去年のある男子学生は、のちにLFクラスにクラスを上げましたが、センター国語で189点の高得点をとり、最終的には早稲田・教育学部・国語国文学科に合格しました。

 LHクラスからスタートしたある男子学生は、念願の立教大学に進学し、現在は東京6大学野球で活躍しています。

 また、去年、LGクラスからスタートしたある女子学生は、早稲田の社会科学部に合格しました。その合格ハガキには、〝私は1学期と2学期でクラスは変りましたが、1年間先生の授業を一度も休まず、毎回きちんと準備をして受けたことが一番の自信になりました。先生の授業は一生忘れません。ありがとうございました。〟と書いてくれました。

 彼らは4月のスタート時点では、一様に低偏差値の学生さんたちでしたが、最終的には木山方式において高い完成度を示してくれた人たちです。

今年もこうしたレベルの学生さんたちの合格の声を聞けるようにと、心から期待しています。

※都合により、8月15日・第1回早大プレの分析及び8月29日・第1回総合模試の問題の分析は、次のお便り№26に載せることにいたします。


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