H22年度

速報!センターだより


         
シリーズ№27



【 古文は極めて平易な問題。漢文はプロットがとりにくく、
設問にもやや問題ありの悪問か?



 古文の問題は、軍記の『保元物語』からの出題でした。軍記特有の語り口は別として、文脈の内容は極めて取りやすく、特に戸惑うような設問は1題もなかったと思われます。
 
問1(ア)「すかしまゐらせ給へ」は、公式54②謙譲の補助動詞で、つねに代表四つの補助動詞を言ってもらっていたように、「~まゐらす」は謙譲の補助動詞なので、選択肢②の「お気持ちをなだめ申し上げなさいませ」か、選択肢④の「好きにお話し申し上げなさいませ」の二択であることは、一目瞭然。
 
 かつ、内容的に②の方が文脈に整合することも、簡単に見抜けたと思います。

問1(イ)の「すでに失ひ奉らん」は、副詞「すでに」の訳が「今まさに」といった感覚で使われており、「まさに命を失い申し上げよう」といった感覚に読めますから、答えは④の「いよいよ命を奪い申上げよう」

問1(ウ)の「いまだ知らせ給ひ候はずや」は、何の迷いもなく選択肢⑤「まだ事態がお分かりになっていないのですか」

問2の受身・打消・使役・の助動詞や、動詞の活用語尾というのは、極めて簡単な選びであったと思います。ちなみに、「その子にてましませば」の「ましませ」は、尊敬の補助動詞「まします」の一部。公式54の①に載っています。

以下、
問3問4問5については、解説の必要もないほど、文脈に書いてあるとおりのものが正解の選択肢になることは、本文の内容が読めていさえすれば、ほとんど時間をかけずに決めることができたと思います。

問6の〝この文章の特徴と内容についての説明として最も適当なものを選べ〟が少し迷うかもしれませんが、結局、消去法で、①(為義や波多野義通)二人からの義朝や鎌田正清への非難の気持ちが誤りであり、③の常に勇ましくあろうとする武士の価値観が端的に描かれているが誤り、④の親子の情愛がすれ違ってしまっている理由が明確に示されが誤り、⑤の義朝の仕打ちに対する武士としての為義の嘆きが深められが誤りであることは、本文の内容が読めていれば、簡単に把握できたことと思いますので、まったく問題のない選択肢の②が正解でした。
②為義や波多野義通の発言のなかに仏の教えや源氏の来歴が引用されることで、二人の主張に個人的見解の域を超えた根拠が加えられ、感慨を深めたり道義を重んじたりしている武士の姿が生き生きと描き出されている。
  
 以上、古文は近年出題されなかった軍記物語とはいえ、ある程度古文の勉強をきちんとしている学生にとっては、まったく難しくない問題であったと思います。

 ある意味では、古文をしっかりと勉強した人も、それほどやってない人も、このレベルの問題ですと、あまり差が出ないのではないか、という点は少し危惧されます。



 一方、漢文の方は、かなり全体のプロット(構成)が取りにくく、時間のない中で、本文の骨子に筋道をつけて読みぬけた学生がどれほどいただろうかと心配しています。
 また、設問の妥当性を疑いたくなるような問いも見られます。

まず、全体の内容を要約していきますと、

第一段落→儒教の古典である『六経』が、学問について言及するのは、武丁(ぶてい)が臣下の傅悦(ふえつ)に、徳を修める方法を答えるように命じた一節に見えているけれども、その際、学問を成すことを論じて、「謙遜さ」と「敏(自ら進んで学ぼうとする態度)」について述べられている。

 学問における「謙遜」というのは、自分は謙虚であろうとしているが、なおそれができないようだ、とさらに深く考えるような態度であり、「敏」とは、自分が進んで学ぼうとしているが、なおそれが不十分であるようだと深く考えるような態度でる。

 この二者は、もとよりどちらか片方に偏るべきものではなく、両者ともに学問を成す上で大事な態度である。

第二段落→孔子は偉大な聖人ではあるけれども、自ら聖人であると自認することはなかった。これは孔子の謙遜な態度である。
 
 しかしまた、一方では、孔子の言葉に「古を好み敏にして之を求めたる者なり」とあるように、孔子もまた「敏(自ら進んで学問を求める態度)」を尊んだのである。

 孔子の弟子の顔回(がんかい)と曾参(そうしん)は、自らは「敏」ではないと言っている。ここに彼らの謙遜さを見ることができる。

 というのも、顔回の仁や曾参の孝においては、孔子の他の三千の弟子たちも彼らを上回ることはできなかったのである。どうして「敏」でない者たちであろうか、いや、両者は「敏」なる者たちである。(つまり、孔子も弟子の顔回・曾参も、ともに謙遜さと敏なる態度を兼ね備えているということ)

第三段落→もし仮りに、自己卑下をなして、自ら力を尽くして努力することをしないとしたら、それは学問に対して退くことを知りて、進んで学ぶことを知らぬ態度であると言える。

 謙遜さというのは、確かに美徳ではあるけれども、必ず敏なる態度を持てば、学問において成功できる。
 というわけで、学問を成すときに、最も重んずべきものは、敏なる態度なのである。

 以上のような内容の漢文でした。

問1(1)の「偏」は、漢字を見ただけでも「偏り(かたより)」とか「偏る(かたよる)」と読めますから、答は⑤の「片方だけ」になることは簡単だったと思います。

問1(2)の「所以」は、どうも釈然としない問題です。本来は「ゆえん」と読み、意味的には「理由・わけ」となる単語ですが、選択肢は、①場所、②行為、③能力、④方法、⑤目的、となっていて、一見すると、一体問題としてどう成り立っているのかが見えません。

 おそらくこの問題は、文脈上、「所以(ゆえん)」を「理由・わけ」と直訳したのでは文意がうまく通らないので、仮りに「所以」の部分を空所補充問題にするとしたら、文脈上、どの言葉が最も文脈の意味に即すか、といった空所補充問題のような感覚で出されているようです。

 そこで、全体の文意を考えてみますと、最後の第三段落の筆者の主旨というのは、学問に対して自ら進んで学ぼうとする敏なる態度を良しとする主旨ですから、自らの能動的な努力の大切さを強調していると見ることができます。

 つまり、「学問における自己研鑽の(    )を思わないのであれば、それは退くことを知りて、進んで学ぶことを知らない、と言っているのである」といった文脈にとれます。

 そうすると、学問における自己研鑽の何を思わないことが、消極的な態度として非難されるのか、と考えるべきでしょう。

 自己研鑽の
場所行為を思わないというのは、文脈からかなりはずれていますから落とせます。能力目的という言葉にも若干迷いますが、「自己研鑽の能力や目的を思う」といった抽象的な観念ではなくて、自らの能動的な努力の強調ということは、やはりもっと具体的な行動に結び付くものと考えるべきでしょう。

 そうすると、結論的に「学問における自己研鑽の
方法を思わない(つまりどういう方法で自分を高めていくかということを考えないのであれば、)」という文意になり、この最終段落の主旨に最も近いものと判断されるようです。

 しかし、それにしても、どのような辞書を調べてみても、本来、「所以(ゆえん)」という言葉に、「手段・方法」というような意味・用法が書いてある辞書は一冊もありませんし、文脈上の意味に置き換える問いであれば、やはりその旨、きちんと説明した上で問わなければ、単純な語釈問題のように出してしまうと、学生は面食らってしまうのは当然だと思います。
悪問です。

問2の傍線部解釈が、選択肢の②になるのは文脈の整合性から察しても、すぐにとれたと思います。
②「遜」とは、自分が謙虚であろうとしているが、なおそれができていないようだと考えることである。「敏」とは、自分は進んで学ぼうとしているが、なおそれが不十分であるようだと考えることである。
 
 次に、私が極めて不適当な問題だと思うのが、
問3の白文問題です。

傍線B「則 其 求 之 也 、曷 嘗 不 於 敏 乎 」について、書き下し文、その解釈として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。

(ⅰ)書き下し文の解答が④の「則ち其の之を求むるや、曷(なん)ぞ嘗て敏を貴(とうと)ばざらんや」となっています。
 前後の文脈から、確かに「孔子は自ら敏なる者である」と言っているので、孔子もまた敏を貴んだのだ、という文意になることは、文脈の整合性からしても、そうですが、しかし、一方、一般に置き字の「於」の下にくるのは補語である、と考えるのが受験漢文の正道ですから、「於」の下の「敏」に、「ヲ」という目的格の送りを付けているのは、実に学生を迷わせる不適当な選択肢であると思います。

 確かに、他の選択肢を見ても、置き字の上の「貴」が動詞であり、一般に比較の構文では、置き字の上が形容詞・形容動詞になるというルールに合いませんから、ここは比較ではないという判断はできますし、また、選択肢⑤のように、「曷ぞ嘗て敏に貴ばれざらんや」と受身に読む読み方も、論理的には可能であっても、それでは前後の文意としての「孔子もまた敏を貴んだのである」という結論に結び付かないので、正解が④であることは、一応、消去法でも導けます。

 しかし、私としては、どうしてここの正解、選択肢④の読みを、わざわざ「敏
貴ばざらんや」と、意味を優先したような読み下しにしているのか、実に不可解です。

 ここは、むしろ正答を「則ち其の之を求むるや、曷ぞ嘗て敏
貴ばざらんや」と読み、解釈の方を「そうだとすると、孔子が古の教えを追及するにあたって、どうして敏において貴ばないことがあろうか」とするべきだと思います。
 そうすれば、置き字の「於」の下を補語の「ニ」で読む、ということと、意味的に「敏において貴ばないことがあろうか、いや、敏において貴んだのだ」という解釈に矛盾がなくなります。
 これもまた悪問です。

問4。傍線C「豈 真 不 敏 者 乎(豈に真に敏ならざる者ならんや)」とあるが、筆者がそのように述べる理由説明として最も適当なものを選べ。

 答は①の〝顔回は「仁」に対して、曾参は「孝」に対して、みずからは「敏」ではないと言いつつも、実際は他の三千の弟子たちよりも「敏」である態度で取り組んだから。〟
これは先程の説明でわかると思います。

問5もやや難ですが、とにかく第三段落の筆者の論調は「遜」よりも「敏」の方が学問を成すには大切だというのですから、空所のⅢに「敏ニ」という語句が入るというのが着眼点です。

 そうしますと、選択肢は②と⑤の二つに絞られます。あとはそれぞれ当てはめて読んでみれば、⑤の方が最終段落の論旨に合うことは、すぐに気付くと思います。

問6の、〝この文章の(ⅰ)構成、(ⅱ)筆者の意図についての説明として最も適当なものを選べ〟ですが、(ⅰ)の構成は①が正解。→第一段落は本論の主題となる語についての定義付け、第二段落はその言葉を具体的に実践した歴史上の人物の例、第三段落は筆者自身の見解という展開になっている。

(ⅱ)の筆者の意図は、④が正解。→学問をするには、みずから能動的に努力することが大切である。人の教えを受け入れているだけでは進歩しない。
 これは、先に書いた第一段落、第二段落、第三段落の要旨のまとめから見ても順当に納得されると思います。

 要は、こうした段落ごとの構成とプロットが時間内に正確に読み取れたかどうかによって点差が左右するわけで、先ほども言ったように、一見したときのわかりにくさから推察するに、学生はかなり漢文の内容がよくわからないまま選択肢を選らばざるを得なかったのではないかと心配としています。



 以上が、まず問題を見たときの第一報です。これから逐次、学生からの反応を聞いたり、予想得点の情報が入り次第、またホームページの記事を更新したいと思います。



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