= 菜の花だより =

        シリーズ№29


【 まったりとした帰属意識による承認を得ることは
              受験の合否にも優先することか?】


 社会学者の中西新太郎氏の著書『若者たちに何が起こっているのか』(花伝社2004年)の中で、著者は若者の自尊感情の拠(よ)り所として、サブカルチャーが与える社会的承認の可能性を模索しています。

 たとえば、コミックマーケットやインディーズバンドなどの「小さな社会」が、カルト的で閉鎖的になる危険性を一方でははらみながらも、若者にとって社会的承認の拠り所になると提言しています。

 その意味するところは、サブカルチャーが個人主義的な競争文化に没入できない若者たちに、いわば「仮りのアイデンティティー」を提供し、それによってフォーマルな日常で傷つけられた自尊感情を修復させる機能を持つというわけです。

 確かに、現代社会において、若者は労働市場の片隅に追いやられたり、または従来の日本社会が持っていた伝統的な共同体文化が解体していく中で、益々社会的承認を安定的に得ることが難しくなっているように見えます。

 そのことは「若者の貧困」といったありがちなテーマを論ずる際の、経済的な側面ではない、もう一つの側面――つまり承認の不足とか承認の格差といった問題、平たく言えば安定した帰属意識と社会的承認を与えてくれるような、根源的な意味での『自分の居場所探し』の問題と言いかえることもできます。

 そうした社会的承認の欠如を埋め合わせるための、いわばリスペクト・カウンターカルチャー(
尊敬の対抗文化)として、サブカル的なものがもてはやされているといった一面が、確かにあるのではないかと木山も率直にそう思います。

 特にネットやウェブの時代になってから、人から発信されたサブカル的情報をうまく受け取って、それにうまく対応していく(たとえばネットの中で共感を増幅していく)といったコミュニケーションのあり方が若者を動かす重要なカギとなっているように思われます。

そこには「共感しながら発信し」、と同時に「他者の反応も楽しむ」といった相互発信的イメージが浮かんできますし、また、他者の感情や情報が入り交じって共振していく過程で〝ゆるいつながり〟といった連帯感の中に身を置く安堵感といったものもほの見えてきます。

今、木山が〝ゆるいつながり〟といったのは、特にネット上のコミュニケーションなどがそうですが、相手の心の本音に踏み込まず、情報の表層のみで盛り上がる傾向があると思われるからです。中心の部分で触れ合わずに、個人の周縁のみで触れ合うコミュニケーションのあり方とでも言ったらいいのでしょうか。

複数の人間がそうした個人の周縁的情報を核にして「へぇ~、そうなの。すごいね!」とか「おもしろそう~」とか言葉を交わしているうちに、「そうだよね!いいよね!」と情動的な盛り上がりが上乗せられて〝共振〟現象が生まれてくるわけです。

 こうした個人の周縁的情報を核としたサブカル的「ノリ」による「小さな村(むら)社会=同調的なコミュニティ」に身を置こうとする態度は、現代の若者にとっては、かなり必須の処世術であるらしく、三浦 展(みうらあつし)・原田曜平著『情報病―なぜ若者は欲望を喪失したのか?』(角川oneテーマ21)の中には、次のようなインタビュー記事が載せられています。(P133)

 ちなみに、会話の相手の「草男(くさお)君」というのは、実在の早稲田大学の男子学生です。

     

草男 なんだろうな。同質化しようというか、みんなといっしょであろうみたいなところがたぶんすごい強くて。なおかつブログとかでばあーっと配信されるじゃないですか。それかすごい連鎖して、一つのライフスタイルができちゃってるというか、ライフスタイルを自分たちで作り上げちゃうんです。これが標準値、みんなと同じライフスタイルってのを。

三浦 俺はスタバ行ったけどまずいとは書かないんでしょ?

草男 っていうのは、だからあんま書けないですよね。

三浦 まずいと思ったのに、まずいと書けないのは言論統制でしょ。戦争に負けると思っても負けると言ったら非国民だと言われるのと同じでしょ。

草男 そうなんですよ。それがまたコミュニケーションの厄介なところで。

三浦 絶対そんなに褒(ほ)めたりおいしかったよとばっかりのはずはないじゃん。その負の気分をどこに持っていくの?

草男 言わないんですよ。

三浦 言わなくてもほんとは思うじゃん?

草男 はい。

原田 みんなでしゃべっててもブログでも、たとえばこのお茶まずかったとか、この映画つまんなかったって書いたら寒い奴になっちゃうってことなの?

草男 あ、それはでも違うんです。だからスタバをみんながいいよね、いいよねって言ってる中で、「スタバとかあり得ないだろ」って書いたらKY(空気読めない)ですけど、映画とかだったらいいんじゃないですか。
原田 じゃ、スタバも別にみんながその話をしていなければ、「いや、まずいと思う」と言ってもいいの?

草男 ですね。相対的なんですよ。絶対的にどうとかじゃなくて、周り、そういう流れがあって文脈に合わせるみたいな、難しいんですよ。すごい、何も考えないでやってるんです。

三浦 つまり自己決定できないんだ。

草男 別に、操作されてそうしてるっていうわけじゃないんですけど、でも、そうしてるみたいな、みんな。結果としてそうしてるみたいな、均衡取れちゃってるみたいな。

とあって、もちろん世代も考え方も違う木山の目には、なんとも苦笑を誘われるような会話です。

 ともかく、批判や対立を上手に避ける相互同調的コミュニティの中に身を置こうとする態度や、そこに居心地の良さを感じるメンタリティーは、近年注目される若者の地元(ジモト)意識――成人後も気のおけない地元の人間関係の閉じたネットワークの中に留まり続けようとする若者の増加――とも近いのかもしれません。

 ところで、予備校に入ってきた学生が、4月のスタート時から数週間の間、ある程度流動しつつ、結局、どの講座に落ち着き、どの講師に流れ着くかは、夏期講習会の講座選びも含めて、右に書いたような若者の『居場所探し』現象と一脈通じるところがあるのではないかと木山は考えています。

 入試対策の客観的な情報よりも、講師の個人的周縁情報(つまりサブカル的情報)の方に、ことさら感応して盛り上がってしまう一部の学生層や、一つのムーブメントが起こると実証性や検証性なしに、みなが〝我も遅れじ〟とその講座に殺到するといった傾向は、ネット上の情動的で共振的な盛り上がり現象とよく似ています。

 また、ある種の記号で自分たちの連帯を確認しつつ、村(ムラ)化している学生層も見受けられます。○○先生の○○解法は最高!といった価値観を共有するイケてる僕たちみたいな感じです。
 さらには、講師の言説にことさら人生の師を求めてしまうようなメルヘラー系の女子学生の存在など、さまざまです。

 ポップ心理学(軽いノリのなんちゃって心理学)や自己啓発セミナーの発するメッセージの根底にある考え方は、やや乱暴に極論してしまえば、すべて一緒です。一言で言ってしまえば、「思考は現実化する」「自分を変えれば世界も変る」、つまり何事も前向きに考え、成功することを願えば、必ず成功は訪れるというポジィティブシンキングであって、こうした考え方が受験という現場に換置され、さまざまに手を変え品を変え語られるわけです。

 木山はこうした傾向を全否定するものではありませんが、しかしながらやはり、受験において自分にとって居心地のいい〝同調的な地元ジモト探し〟をしている人は、やはり受験の実相からはるかに遠いと言わなければなりません。

 それは単なる精神論――受験というものはおのれの卑小さに向き合う厳しさが必要だといった精神論によるものではなく、もっと現実的な受験の実際上の弊害が生じると考えるからです。

 一般に講座選択の際に、自己承認や、親密性の充足や、ノリのよさや、目からウロコ的なことさら大向こう受けするような解法を求める学生層は、その学習法や授業のあり方がどの程度模試や本番入試に反映されうるのかといった実証的検証の視点をほとんど持たなくなってしまいます。好きでおもしろいことは論理を上回るという点で盲目的なのです。

 たとえば、去年LGクラスで、今年明治大学政経学部に合格したK・Yさんの合格ハガキに次のように書かれていました。

● 明治大学の政経学部に合格できて本当によかったです!!英語は全然できなかったので、国語がとても武器になりました。他のクラスで学んでいたら、ここまで細かく知識を手に入れることも、文学史の対策ができることもなかったと思います。まわりに流されずに木山方式を選んでよかったと思いました。

 この女子学生は去年のLGクラスに最後まで在籍していた学生の一人です。
今年の明治・政経の古文の出題は継子いじめをテーマとした物語であり、木山の古文公式から直接ダイレクトに正答に寄与する問いは、

【9問中5問!】


でした。

 その問いの一つに、『落窪物語』のような継子いじめをテーマとするもう一つの類似作品の作品名を問うものがありました。(実際は選択肢)

 これを読む皆さんは、その作品名が何であるか現時点でわかるでしょうか?―答は『住吉物語』です。(鎌倉時代の擬古物語で継子物の一作品。)直単の暗記や文法の暗記が一段落する夏から秋にかけて、毎年木山の古文公式のカナブン(必ず出る文学史)の内容を、直接学生に問いかけて、学生がそれに答えてもらうという訓練を綿密にくり返します。木山方式をこつこつと続けた学生さんならば、必ず即答できるレベルの文学史問題です。

 一方、去年の関東圏で用いられたすべての代ゼミ古文テキストにおいて、この『住吉物語』を文学史年表に載せているテキストがあったかといえば、オリジナルテキストを含めて1冊もありません!(もちろん古文公式以外では、という意味で。)

 これは誰もが検証できる単純な事実ですから、恣意的な要素はありません。各校舎のロビーに置いてある前年度の1学期のテキストなどを、自分の目で確かめてみて下さい。(各テキスト付録の文学史年表を見ればわかります。)

 とにかく、こうした必要な知識が載せられていないテキストを使っていては、たとえどんなにその講義が学生をあっと言わせるような斬新な解法を披瀝するものであったとしても、または講師との新密度を充足させる大変楽しいものであったとしても、またはポジィティブシンキングや希望や夢を与えてくれるものであったとしても、この文学史問題の得点化にはまったく何にも寄与しません。

 このことは――つまり資料の内容的優劣が得点化にどう結び付くかという点については――、去年のLGクラスの4月の授業でも随分くり返し話したつもりですが、しかしながら学生たちにとっては、かなり馬耳東風(ばじとうふう=人の意見や批評などを心に留めずに聞き流すこと)であったらしく、初回の出席人数を100%とすると、2回目は92%、3回目は81%、4回目は70%、5回目は53%、6回目は43%、7回目は41%、と計7回の講義で、なんと6割の減少率です!(ただし、すべてのクラスがこれほどの減少率を示すわけではなく、一般に私大の中堅クラスの減少率が最も高いと言えます。)

 しかも、一度木山方式を忌避した学生層は、ほとんど戻ってきませんから、こうした学生たちは、

★去年の5/30の第1回国公立記述模試において、古文漢文公式からの直接の得点寄与率が100点中53点あったことや(お便りシリーズ№21に詳しく分析)、
★7/18の第1回東大プレにおいて7設問中4問の得点寄与率があったことや(お便りシリーズ№24に詳しく分析)、
★8/15の第1回早大プレ全学部共通古文問題において9問中6問の得点寄与率があったこと、
★また8月下旬の第1回全国総合模試古文漢文問題において100点中63点の得点寄与率があったこと(以上二つの模試の解説はお便りシリーズ№26に詳しく分析)、
★または9/26の第3回全国センター模試の古文漢文問題において100点中44点の得点寄与率があったこと(お便りシリーズ№30に詳しく解説あり)

などを知る由もありません。

 おおむね他の古文講座に移った学生たちは、90分過去問1題のペースで満足し、テキストの内容がどの程度模試の問題の解法に直接ダイレクトに反映するかについて、それを検証する視点を持ちません。一種のムーブメントに乗ってしまった学生が、こうした検証の視点を持たずに受験の約10ヶ月間を過ごしてしまうということが問題なのです。

 ところで、なぜ木山方式はかくも効果がありながら、一方ではかくも学生に忌避されるのか――特に私大の中堅層において――といえば、やはりその最大の理由は、一人ひとりの学生に当てて知識の充足度を確認していくといった木山独特の授業スタイルにあるのだと思います。

 同じく私大クラスの学生さんで、最後まで出席してくれた男子学生からの今年の合格メッセージに、次のような感想がありました。

● 明治大学情報コミュニケーション学部合格・
法政大学社会学部メディア社会学科合格
 木山先生の授業はどんどん当てられるので、最初は出席するのが嫌で嫌で何度かやめようと思ったんですが、結局、1学期、2学期、3学期も含めて全部に出席してしまいました。お陰で古文に対する苦手意識が完全になくなり、入試も楽しんで受けることができました。一年間ありがとうございました。


とあって、木山としてはこの学生さんが、最初それほど嫌悪した木山方式を、なぜ3学期の最後まで受け続ける気になったのか、その心理的転換の理由について知りたく思います。

 とにかく、木山方式は常に当てられ続けることで、自分の裸の実力がまわりにも披瀝してしまうといったプレッシャーがある一方で、しっかりと向上した
い人には確実な手ごたえが実感できるといったプラス面があることも事実で、今年早稲田大学教育学部英語英文学科に合格したある女子学生からのメッセージには、次のように書かれていました。

● 木山先生一年間お世話になりました。代ゼミではたくさんの先生方に教えていただきましたが、〝自分ができるようになっている!!〟と確実に実感できたのは、木山先生の古文だけでした。当てられたときはすごーく緊張したけど、答えるたびごとにそれが自信につながりました。本当にありがとうございました。

(ちなみに、H23早稲田教育学部の古漢問題は、16問中10問のカバー率でした。近日中に分析を載せます。)

 また、冬期講習会の木山のオリジナルゼミ〝サクセス!最強古文漢文〟において、5日間中の大半を、過去問や予想問題ではなく、木山の古文公式・漢文公式の見直しと暗記の徹底にあてるといった、極端なまでの公式シフトに対し不安を覚えた学生もいたようで、次のようなメッセージも届きました。

● 早稲田大学政治経済学部合格・早稲田大学商学部合格・
  早稲田大学社会科学部合格
 正直なことを言うと、冬期の追い込みの時期になって、まわりの生徒が実戦的なことを数多くやっているのを見ると不安になりましたが、受験を終えた今の視点で思えば、木山方式について行って本当によかったと思います。ありがとうございます!!


 限られた時間内で最大の効果を上げるためには、本番での得点寄与率の低い単元的大問演習は、あえてやらないか、最小限に抑えるというのが、木山方式の割り切り方です。学生の不安はわかりますが、入試の実際上はこうしたやり方のほうが得点寄与率が高いと言えます。

 H23年の早稲田商学部の場合も、12問中9問のカバー率でした。(近日中
に分析を載せます。)

 また、以下に紹介するH23年早大政治経済学部の問八の文学史問題や、商学部の問十(3)の漢文白文問題など、まさに直前の冬期講習会で何度も何度もくり返し当てて答えてもらった箇所がぴったりと出題されていて、木山も思わず膝(ひざ)を打って喜んだものでした。

問八 問題文甲に引く『唐物語』中の一章段の典拠は、『源氏物語』にも大きな影響を与えたと考えられている。それでは、『唐物語』が成立した十二世紀に活躍した歌人で、勅撰和歌集の撰者となり、『源氏物語』を歌人が学ぶべき必須の古典と位置付けた人物とは誰か。次のイ~ホの中から選べ。

 イ 紀貫之   ロ 宗祇   ハ 二条良基
 ニ 藤原俊成  ホ 源実朝

問十(3) 傍線部9「 不 亦 善 乎 」の意味として最も適当なものを、次のイ~ホから一つ選べ。

 イ これまた善いことではないか。
 ロ 善いことだとはかぎらない。
 ハ はたして善いことだろうか。
 ニ なんと善いことではないか。
 ホ きっと善くないに違いない。

 こうした得点寄与率の分析が、牽強付会(けんきょうふかい=自分の都合のよいように無理に理屈をこじつけること)なものではないかと疑う人は、木山のホームページにすべての資料を開示し、解説していますので、どうぞ検証してみて下さい。

 またその際、他のテキストや資料や、他の方法論で、これほどの得点寄与率を示すことができるかどうか、去年のレギュラーテキストやオリジナルテキストと、去年の模試やH23本番入試との相関を具体的に実証できる資料が存在するか、調べてみて下さい。

 そうすれば、個別な過去問解説の分かりよさとか、テキスト自体の見た目の凄そうな感じとか、衆目を惹きつけるような授業展開の妙味といった評価の基準と、実際の模試や本番入試への得点寄与率の度合いというものは、まったく別次元なものであることがわかると思います。

 

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