= 柿喰えばだより =

   シリーズ№33



【 古漢公式の網羅が達成されたクラス 10月上旬で6クラス 】



木山方式の4月スタート時点からの目標は、秋のできるだけ早い時期に、次に挙げる6項目の要求をすべて達成してしまうことでした。あらためてその6項目を挙げてみると、

直単450に載せられた重要古文単語の意味・用法を、隠した状態で8割以上の正答ができること。

文法チェックリストまたは古文公式1~61の各文法事項について、隠した状態で8割以上の正答ができること。

古文公式62~64に載せられた和歌修辞のさまざまな知識・用法について、隠した状態で8割以上の正答ができること。

木山のカナブン(必ず出る文学史)に載せられた文学史事項について、隠した状態で8割以上の正答ができること。

漢単200(漢文公式)に載せられた字義・用法について、隠した状態で8割以上の正答ができること。

漢文公式1~25までの各句形について、隠した状態で8割以上の正答ができること。

以上が、古漢問題を自在に解くための知識的な根幹となるものです。

 右の6項目の目標が一応のレベルに達したクラスが、10月上旬~中旬までに6クラスとなりました。内分けは、代ゼミ本科の早大古文クラスが2クラス、古文文法クラスが1クラス、国立文系クラスが1クラス。それに3月からスタ
ートしたYサピックスの現役生のクラスが3クラスです。

 特に急いだのが本科の早大クラスで、かなり無理をしつつも、今年も達成一番乗りとなりました。その他のクラスも、それぞれの実情に応じてほぼ10月いっぱいで達成しそうです。

 この時期の達成が効果的なのは、特に本科の学生さんの場合、以後、2学期が終わる12月上旬までの約2ヶ月間に、十分に①~⑥の知識定着とその応用の訓練をくり返せる点です。

 というのも、木山の授業は最初の60分以上を、こうした古漢公式のチェッ
クに費やしていますから、これからは新規に教える項目はなく、みっちりと一
時間以上、古漢公式の、すでに履修済みの知識をただひたすらくり返しチェックし、不完全な穴をふさいでいくといった効果的な学習ができるわけです。

 もちろん当てるに際しては、実際の入試問題を念頭においた実戦的な問いかけをしていきますから、単純なオウム返しで済むわけではありませんが、とにかく、そうした訓練を10月中旬から12月上旬まで約2ヶ月間にわたって延々と地固めしていく意義は、非常に大きいものがあると思います。

 これは、言わば木山方式の実りの享受(きょうじゅ)なのですけど、この実り
の時期をみることもなく、一歩手前で姿を消してしまった学生さんたちについ
ては、本当に心底惜しまれてなりません。

 他の講座や他の方法論でも、右に挙げた①~⑥の確実な知識の獲得が期待できると考えている人がいるとすれば、例えば去年の11月23日に行われた代ゼミセンタープレテストの次のような問題を、時間をかけずに解けるかどうか試してみて下さい。これと同じレベルの問題を、今年も11月23日に皆さんは受けることになるのです。



《 2010年11月23日 センタープレテスト漢文問題 》

○ 奈 何 先 去 以 為 民 望 乎 。

問4 傍線部C「奈 何 先 去 以 為 民 望 乎」について、ⅰ書き下し文、ⅱその解釈として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから一つずつ選べ。

(ⅰ)
① 先ず去りて民と為るを以て望むは奈何ぞや
② 奈何ぞ先ず去りて民の為を以て望むか
③ 先ず去りて以て民の望みを為すは奈何せん
④ 先ず去るは奈何ぞ以て民の望みを為すか
⑤ 奈何ぞ先ず去りて以て民の望みと為さんや

 木山方式の訓練を受けている学生さんであれば、
「奈何」が文頭にあること、また文中に「以為」があることから、本文を見ることもなく、瞬時に正解の選択肢を見抜けるはずです。(「以為」は「以木山為天才」の、木山が省略された形。答はこの記事の文末にあります。)

 また、白文が正しく読めれば解釈を間違えることはまずありませんから、ここは読みで6点、解釈で6点、合計で12点(!)の得点となります。

 逆に白文の読みを間違えてしまえば、解釈の方も必然的に間違えますから、12点の失点となるわけです。この12点という得点率は、去年のセンタープレテスト主要3科目のうち、最も高い一問の配点でした。いうまでもなく、総合得点における12点分の得点は、どの教科で獲得しようとその価値は同じです。だとすれば、漢文は句形を覚えてさえいれば、必ず得点化できるという点で、労力対効果(Cost Performance)の度合いが、他教科に比べてもかなり効率がよいと思います。

 とにかく、そうした訓練を受けてさえいれば、すぐに答えられるポイントであっても、それを教えられておらず、また暗記のくり返しも受けず、単元的な過去問演習に終始しているような状態では、いつまでも覚えるべき全体量の網羅が達成されることはありません。したがって、どうしてもこうした問いに対し、文脈の勘(かん)に頼るしか方法がなくなってしまうわけです。

 しかし、そうなると、もともと高文脈の読解力といった、いわば教養資産的なものを兼ね備えた中高一貫校などの高偏差値保持者が順当に上位に立つといった結果になってしまうでしょう。読解力に頼るシステムというのは、実は、元来の地頭のよい偏差値上位者が、順当に上に立つシステムと言いかえることもできるのです。

 これは個人的な経験知ですが、偏差値70以上の極めて知的レベルの高い学生が、知識がなくても、いわば文脈のセンスだけで問題が解けてしまうといったことは、十分にあり得ることだと思います。しかし、偏差値が50台~60台を上下しているような、中位レベルの学生さんが、同様にセンスに頼った読解法のみに偏重すれば、結果として上位者には競り負けてしまい、一方でコツコツと覚えていけば必ず得点化できるはずのポイントでさえ失ってしまいます。彼らと同じ土俵に立たないことが肝要です。

 ちなみに、右の漢文の二つのポイント(「奈何」が白文の冒頭にくる場合の読み方と、文中の「以為」の読み方)を、1学期からずっと「センター私大漢文」や「国公立大漢文」を受講している学生に当ててみると、ほとんどの学生が正しい読み方を答えられません。(もちろん木山方式以外の学生さんという意味で。)

 
「奈何」が文頭にくる形は、H15年のセンターにも出ているのに、こうした重要句形でさえも学生に徹底されていないのは、実に問題だと思いますし、また、その内実なく空疎に費やした漢文のコマ数を木山方式の方に向けてくれたならば必ず達成できたのに!、と残念でなりません。木山方式をやらなくても通常のレギュラー漢文の講座をとっているから大丈夫、といった漫然とした裏づけのない期待(?)など、いい加減に捨てるべきではないでしょうか。
 問4の答は⑤。漢文公式14C④(注1)〝④「いかん」が冒頭に用いられた場合は「いかん~ぞ」とよむ〟と、公式8④の暗記例文「木山を以て天才と為(な)す」を参照。

 先日、ある学生が、今年の早稲田の最低合格点の一覧を持って来てくれました。それによると今年の早稲田の人間科学部の合格最低点は150点満点の86・8点(得点率57・79%)で合格者が出ています。
 彼はこの得点にわずか7・25点とどかない79・55点(調整後の得点)で不合格となりました。

 木山は今年の人間科学部の古漢融合問題を、彼の前に広げて、いくつかの問いについて、本番で解けたかどうか質(ただ)してみました。たとえば、次のような問題が出ています。

○ いつもただ神に頼みを木綿(ゆふ)だすきかくるかひなき身をぞ恨むる

問二十三 傍線部4の和歌ついての説明として最も適切なものを次のイ~ホの中から一つ選べ。

イ 本歌取りの技法を用いつつも、本来の古歌にはみられない愛情表現を詠み込んでいる。

ロ 通常であれば用いるべき枕詞をあえて用いず、神に祈る作者の心をより際立たせている。

ハ 「かくる」の縁語として、神事に使用するという「木綿だすき」の語を効果的に用いている。
ニ 比喩表現として「木綿だすき」の語を序詞に織り込みつつ、作者の出自をも暗示している。

ホ 係り結び以外には複雑な技法は一切用いておらず、神仏に捧げる和歌の典型となっている。

問二十五(白居易の詩)
○ 誰(た)が家の思婦(しふ)ぞ秋帛(きぬ)を打つ
  月苦しく風凄(さむ)くして砧杵(ちんしょ)悲し
  (C )月( D) 月正(まさ)に長夜(ちょうや)
  千声万声(せんせいばんせい)了(お)はる時無し


問 空欄C・Dに入る漢字の組み合わせとして最も適切なものを次のイ~ホの中から一つ選べ。

イ 五と十  ロ 三と九  ハ 八と九
ニ 九と十  ホ 十と百

 最初の問二十三は、木山の古文公式64掛詞の続き42の(たすきを)掛く
(る)と、(願いを)懸く(る)の掛詞の知識で解けます。歌の全体を訳してみます
と、「私はいつもただ神に頼みを(いふ)言って願いを懸けているが、その甲斐
もなき我が身を残念に思う。」といった内容で、その主なる文脈に、神事の際
に用いる木綿(ゆう)だすきを掛く(る)の意を二重写しに詠み込んでいるわけ
です。

 その点の理解さえあれば、「木綿(ゆう)だすき」と「かくる」が縁語である
ことは明白ですし、「木綿(ゆう)だすき→掛くる」の表現を仲立ちにして、神
に願いを懸くるの意を二重に響かせて詠んでいるわけですから、仮に他の選択肢の是非の検証ができないとしても、まずハの選択肢〝「かくる」の縁語として、神事に使用するという「木綿だすき」の語を効果的に用いている。〟が最も有力な正解候補となるはずです。

 ちなみにイは「本歌取りの技法」が、本歌を示されない状態では確証しよう
もなく、バツ。ロは「ちはやふる→神」と神を導く枕詞(まくらことば)を本来的に用いなければならないといった決まりはなく、バツ。ニは「いつもただ神に頼みを~」が、筆者の思いを主題として表している点で序詞ではないとみるべきであり、また比喩型・同音反復型・掛詞型のいずれとも言い表すことができないので、序詞ととることはできないと判断。(古文公式63を参照)。ホは「係り結び以外に複雑な技法は一切用いておらず」が、掛詞がある以上バツとなります。

 問二十五の白居易の漢詩の空所補充問題については、木山の古文公式陰暦月齢表の下、旧暦の月名と季節感をくり返し練習して覚えたことを思い出して下さい。

 旧暦の季節の区切りは、三ヶ月ごとの区切りですから、秋の三ヶ月とは七月・八月・九月となります。しかも、九月の旧名「長月」(ながつき)の覚え方は〝秋の夜長月(あきのよながつき)〟ですから、空所の「C月D月正に長夜」の「長夜」のフレーズにもぴったり符合します。正解の候補となる選択肢は、ハの「八と九」か、ニの「九と十」のいずれかとなりますが、「秋帛(きぬ)を打つ」とあって、あくまでも季節は秋のうちですから、十月(神無月=冬)を含めることはできず、答はハの「八と九」が正解です。

 これらの問題を本番で解けたかどうか、という木山の問いに対し、彼は「たぶんどちらも解けなかったと思う」と答えました。もし、仮にこの二問の得点が加点されていたら、人科の最低合格点との点差マイナス7・25点は、どの程度埋められたのか、今となっては誰にもわかりませんが、微妙な点差ではあります。

 
もしもこの大学に入っていたらとか、ここにいなかったはずの自分とか、かくもあり得た自分とかいったものを考えてみると、実はこうした紙一重の差が人生を全く違う方向へと誘(いざな)っていくのかもしれません。ちょっと怖い言い方かもしれませんが、やはり入試というものの厳しい現実の一面であると思います。

 ちなみに、漢文公式の充足も、旧の月名や季節感の訓練も、古文公式の直単・文法が一応のレベルに達成した夏期講習会から2学期初頭にかけて毎年やっています。木山方式の授業を途中で投げ出さずに、ずっと継続してほしいと切に願うのは、木山方式が決して単語の暗記のみに終始するのではなく、その先にも古漢のさまざまな知識的要件があり、それらをしっかりと充足してもらいたいと思うからです。このことは特に来年の2012年の学生さんに強くアドバイスしたいと思います。




《 2011年第3回 9/25全国センター模試 》

 四月のスタート時からコツコツと勉強を積み上げてきた学生にとって、その成果を最も期待するのは、夏期講習明けの第3回全国センター模試ではないでしょうか。夏の努力の成果を試すといった点で期待も大きく、また記述模試とのドッキング判定が12月上旬に出てくるという点でも、直前期の学生のメンタルな部分に大きな影響を与えます。そのH23年の第3回センター模試に次のような問題が出ていました。

○ (中納言は)いみじく心細げにて、そのよしをのたまへば、聖(ひじり)、おほきに驚き、「大殿の御心にたがひ参らせて、いかがし侍らん。その上、かくあたらしき御身を、いまやつし捨てさせ給はずとも、御心にてこそ侍らめ」とて、(ア)やつし奉るまじきよしを申せば、

問1(ア)
① 俗世を捨てなさってもいいことはない
② 決して賛成申し上げるつもりはない
③ これ以上は目立たなくなさるべきだという
④ 僧の姿に変え申し上げるわけにはいかない
⑤ 僧形におなりになっても似合うはずがない

(1) 訪(と)

問1(1)
① そそぐ
② くだく
③ なおす
④ つくす
⑤ きたえる

 直単B形62「やつす」の意味は「質素な身なりをする」ですが、ここでは他動詞的に用いられていて、前後を訳せば〝あなた様(中納言)を質素に身なりにし申し上げることはできないということを申し上げると~〟といった感じになります。出家者の衣服としての「墨染衣(すみぞめごろも)」D基27とか、「苔衣(こけごろも)」Eその他12が、一般に黒や灰色の地味で粗末な衣服であることを知っている木山方式の学生さんにとって、ここは中納言の出家を思いとどまらせようとする文脈であったことは、すぐに理解できたと思います。

 2行目下の「かくあたらしき御身を」といったフレーズも、出家を思いとどまらせようとする側の典型的な表現と言えます。(B形3あたらし)
 答は④。「僧の姿に変え申し上げるわけにはいかない」が正解。

 ところで、本部校ライブラリーで一番よく売れている単語集は、店長さんの弁では数研出版の『古文単語マスター333』という単語集であるそうですが、
残念ながら、この本の中に「やつす」・「墨染衣」・「苔衣」は項目として入っておりません。木山方式をやらなくても、市販の人気の単語集をやってるから安心だといった漫然とした裏づけのない期待(?)といったものは、もう少し実際の模試に即した検証を通して是正されるべきではないでしょうか。

 一方、漢文語彙については、そもそも木山の漢単に匹敵するようなものが、市販の参考書の類いに存在しません。これは決定的な差だと思います。夏期講習会から2学期初頭にかけて漢単ABCDの訓練を受けた学生さんならば、この第3回センター模試の漢文語釈問題は、迷わず即答できたはずです。漢単B15「悉」は、副詞読みは「ことごとク」、動詞読みが「つくス」ですから、覚えていれば一瞬で解けます。

 結局、9/25第3回全国センター模試に出題された問題に対する木山の古漢公式の得点寄与率は、古文が問1語釈問題2問で10点、問2文法問題で5点、問4和歌解釈問題中の重要古文単語「雲居(くもゐ)」の理解により8点の、計23点。漢文は問1語釈で4点、問2再読文字「宜=よろシク~べシ」の訳し方で7点、問3白文問題が、先に紹介した文中の「以為」の句形で10点の、計21点となり、古漢合計では100点中の44点の得点率でした。

 木山としては、決して悪くない数字だと思っています。手持ちの10数ページの資料集に載せられたポイントが、そのままの形で順当に模試の4割以上の得点化に寄与する例など、他教科では考えられないのではないでしょうか。

 ちなみに、ここ3年間の9月のセンター模試の木山方式の得点寄与率は、以下のようになります。

・H23 9/25 第3回全国センター模試→ 100点中44点

・H22 9/26 第3回全国センター模試→ 100点中48点
 *お頼りシリーズ№30の後半に詳しい解説あり。

・H21 9/下旬 第2回全国センター模試→ 50点中31点(古文のみ)
  *お頼りシリーズ№9の後半に詳しい解説あり。漢文は記録なし。
    H21は、第2回が9月下旬にあたりました。

 また、去年の11/23のセンター試験プレテストの得点寄与率は、次のとおりです。
・H22 11/23 センター試験プレテスト→ 100点中38点
  *お頼りシリーズに解説を載せていません。実証してほしい人は直接木    山まで。

 木山方式をやるだけの意義と効果があるのかという問いに対しては、かなり実証的な数字ではないかと思います。1学期から継続的にコツコツと木山方式の知識の積み上げを続けていけば、右にあげたベーシックな部分の得点化は必ず達成できると、木山は保証します。

  
 

【 なぜ学生は実証的な言説に感応しないのか?

 学生がなぜ聞く耳を持たないのかと言えば、「お互いに無視し合う自由」というニヒリズムを懐(ふところ)に隠し持っているからで、これらを盾にすれば大抵の批評は〝余計なお説教〟として無視できます。

 あるいは木山方式のような分析的な手法が、他の方法論への間接的な批判につながってしまうことへの、何かしら感覚的な忌避(きひ)の感受性、あるいは鼻白むような感じ、というものがあるのかもしれません。

 誰も否定せず、全体の流れの中に上手に乗って流れていくといった処世的態度が、ある種の洗練されたふるまいとして認識されるような感受性が、今の若い人たちを中心として広がり初めているのかもしれません。

 そうした状況の中でも、なおかつ言説に影響力を持たせようとすれば、分析も実証性も、むしろ必要なものではなく、語り手の「すごい自己」を認めさせること、語り手の自己(じこ)の影響力を強めることが、一番効果的な方法論であろうと思います。「実証はしないけれど、オレが思ってることはこういうことだ」といったメッセージの形式で、その「オレ」自体に説得力があれば、むしろそちらのほうが大衆に主張が通用したり、聞き手の共感を呼ぶといったことが確かにあると思います。

 予備校におけるプチ・カリスマイズムも、言い換えれば語り手の「自己」に何らかの説得力を持たせることで、迂回的(うかいてき)にその言説の影響力を強めていく方法論に拠っていると言えるのかもしれません。「あの人の言うことだから、私は信じたいと思う」といった意識の領域には、もはや客観的な実証性などは入り込む余地もありません。

 かくて、カリスマイズムやある種のムーブメントは、実証的な基盤がないにも関わらず、人々を強く惹き付けてしまいます。あるいはそうした情動は、結局のところ、それに結び付いていたいと願う人の、居場所の問題であるとすれば、そのイズムに駆動された学生に対し、それがいかに虚像で覆われているか、まったりとした居場所のツケが、いかに高くつくものなのかを一生懸命説(と)いたとしても、たいした効果は望めないのかもしれません。学生を強く惹きつけるものが、無意識の水準に達しているために、言語的な指導や啓蒙によってたやすく解消できるものではないということもよくわかっています。

 しかしながら、たとえば11/3の第3回全国総合模試(記述型)で、「
とりあへず」も、「かづき」も、「とうとう(疾く疾く)」も、「参らせ(謙譲の本動詞)」も、「承り(謙譲の本動詞)」も、縁語の「露・消ゆ」も、「菩提を弔ふ(とぶらふ)」も、「野辺送り」も、「さるべき(運命的文脈で=そうなるはずの)」も、「従何処来(いづこよりきたる)」の訓みも、七言律詩の韻の問題も、「凄然トシテ我ガ情ヲ傷マシム」とはとのような思いか(傷いたム=悲しく思う)にも、すべてにおいて明確に答えている学生たち、全体として8割以上の得点率が達成されている木山方式の生き残り(?)の学生さんたちを見ていると、やはり私は木山方式の意義と効果を主張したくなります。

 途中でやめていった学生さんたちの中にも、もう少し根気を持って継続してくれれば、こうした実りの達成を味わえた人もいたのではないだろうかと、つい思ってしまいます。これは特に2012年度の学生さんたちに伝えたい事柄です。ぜひとも2学期の後半まで木山方式を続けて下さい。


《天草のタコ漁(と)り爺やんの話》

 
舟ん上は、ほんによかとこばい。春のあおさがな、岩ん上で潮ん引いたあとにお陽さんにあぶらるる匂いは、ほんなこて懐かしか。春にゃタコ漁もよう漁(と)れちな、あんタコ奴(め)は、ほんにもぞらしか(可愛らしい)ばい。タコ壺ば、上ぐるでしょうが。足ばちゃんと壺の底に踏ん張って、上目づこうてな、いつまいでん、出ちこん。「こら、おまやは舟に上がったら出てくるもんたい、早う出てけえ、出てこんかい」ち言うても、なかなか出てこん。

壺ん底ば、カンカン叩いても駄々こねちな。仕方なしに熊手の柄で尻を抱えちやると、出たが最後、まぁその逃げ足の早さ早さ。ようも八本足のもつれもせずにぁ、交(まじわ)してつうつう走りよる。俺(おる)も舟ん引っくり返るくらいに追いかけち、ようやっと籠(かご)におさめて、また舟をやりおる。するとしゃがな、しばらくすっと、また籠ば出てきよって、籠の屋根にかしこまって座っとる。「こら、おまやはもううちげん舟に上がってからは、うちげんもんじゃけん、ちゃ~んと入っとれ」ち言うと、よそ向くような目つきしてな、我が食う魚(いお)にも、海のものにゃ煩悩の湧くこったい。
 
あん春ん頃はほんによかった。一舟に百匹以上も上がっとたかしらん。俺(おる)もがまださにゃならんと思うて、タコ奴(め)にいろいろ教ゆるとばってん、舟におろごつもなかったっじゃろなぁ、教え始むっとしゃがな、ボタボタ舟から逃げよる。「こら、逃ぐんな、こっちけえ、いざってけえ。こんタコ漁(と)りの爺やんが膝ん上まで登っちけ。お前どんな、海に戻ったっちゃよかこつはなかぞ」ち言うたっちゃ逃ぐる。なんさま逃げ足の早か。百匹もおったタコ奴(め)が、夏過ぎにゃ四十匹もおったかしらん。
 
思えばほんに切なかこったい。半分以上はみな逃げちしもた。そるばってん、俺(おる)はやっぱ海に行きたか。この世でああた、タコ奴(め)に教ゆっとが最上の楽しみですけん。海の上におれば、我が一人の天下じゃもね。
 雀ん涙んしこでしょばってん、舟に残ったタコ奴(め)は、ほんにもぞらしかですばい。
 姉(あね)さん、この生き残ったタコ奴(め)ば見てやってくだはり。世の中のタコにゃ、文学史も知らん、掛詞もよう言いやらんタコがいさぎおるち聞いとりますばってん、このタコ奴(め)は、よう訓練されとります。春から夏にゃ、おごられちばかりでな、いっぺんどま、わしどもに逆ろうたり、嫌ち言うたり、ひねくれたりしてよさそうなもんじゃが、ただただ健気に勉強して、仏さんのごと笑うとります。
 年が明けたら海に返そうち思うとります。海ん中でも頑張ってくりゅますど。来年の春にゃ、またタコ奴(め)が漁(と)るっどか。漁(と)れたっちゃ何匹生き残るどか。
 俺(おる)が船もだいぶおろようなったけん、いっちょん先のわからん渡世ですばい。そるばってん、やっぱ俺(おる)は海に行きとうごたる。タコ奴(め)に教えとうごたる。




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