=若草だより シリーズ№36=


                


【 H24早稲田・法学部古漢問題における
                      木山方式の検証 】

 今年の法学部の出典は、鎌倉初期の歌人であった源家長(みなもとのいえなが)の回想録『源家長日記』の一節でした。場面の状況や登場人物を説明するリード文などは一切付けられておらず、いきなり本文の内容に入らなければならない点で、かなり人物関係の把握に苦労するといった内容でした。

 さっそく解説をしてみましょう。(ちなみに以下の説明で用いる古文公式の番号は2012年度のものです。2011年度のものと内容は同一ですが、番号がずれている場合があります。)

○ 内裏の御階(みはし)の程に円居して、連歌などし侍りて、やがておのおの

歌を詠む。花一枝折りて、歌を置く。

  中将定家の詠まれたりし、

 
年を経てみゆきに慣れし花の陰ふりゆく身をもあはれとや思ふ

 〔中略〕

  さて帰りなむとするに、〔中略〕弥生の十日余りの月はなやかに差し出でて

、まかり帰る。「
たつ事やすき」と誰も誰も思へるに、かごとがましきまで、

花はこぼれ落つ。月花門のほとりに、笙の笛を吹き鳴らしたりしかば、笛を取

り出でて吹き合わす。少将雅経の篳篥吹き置く。唱歌して、建春門より出で

て、待賢門よりおのがじし名残惜しみてまかり帰りにき。

  かく花見に引き連れてまかりぬるよしを聞こしめして、夜更くる程に帰り参

りたりしかば、
召し寄せて、「誰れ誰れか、心とまる歌詠めりつる」など、問

はせ給ふ。この中将の「みゆきに慣れし」と詠めりつる歌を語り申す。「誘は

れざりけるこそ、口惜しけれ」とて、笑はせ給ふ。「うらやまし。明日行きて、

ご覧ず 〔 
 〕  」と仰せあれば、さも参りぬべききはの人々に、夢見せに

遣はす。

  次の日の午の時ばかり、御幸あり。忍びて仰せありつれど、こなたかなた

より、馬・車多く行き違ふは、追ひ追ひ人々の参るなるべし。げに、「軽軒

陌の塵
に馳す」と思ひ出づ。待建門より入らせ給ふ。心もとなげにおぼしめし

至れば、置路も遥かなる心地して、沓の声々もいそがはし。御幸なるを見て

、もとより女房ども逃げ騒ぎあへるを、「とどめよ」と仰せあれば、まかりて言

い掛く。「花ならばしばし 〔 
 〕  散りそ木の下を」、口に任せて指し事に

申したりしかば、「言はではありと効や無からむ」と言ひて、山吹を持たりし

賜びたりし。

  さて花下に人々近く召し寄せて、「むげに残り少なくなりにけり」とて、御硯

・紙など召し寄す。各々歌つかまつるべきよし仰せあれば、人々に紙など分

かち賜ぶ。花一枝折りて、文台にして、各々歌を置く。其のたびの御製、

  天つ風しばし吹き閉じよ花桜雪と散りまがふ雲の通ひ路

 かへらせ給ひしに、散りたる花を御硯の蓋に掻き集めて、摂政殿へ
参ら

させ給ひしに添へられたりし、

  今日だにも庭を盛りとうつる花消えずはありとも雪とかも見よ

 この花を持たせて、三条坊門に渡らせ給ひしかば、参る。「ただ今、御院参

る」とて、御前・御随身、庭に並み立ちて侍りしを、4分け参りてこのよしを仲

資朝臣もて啓し侍りしかば、出でさせ給ひて、御てづから取らせ給ふ。

問一ノ二 傍線部2「年を経てみゆきに慣れし花の陰ふりゆく身をもあはれとや思ふ」の解釈として最も適切なものを選べ。

ア…何年もみゆきにお供をすることはなかったが、かつて見慣れた花に久しぶりに会って、それをあわれと思わないことがあろうか。
イ…久しぶりにみゆきのお供をしたのだが、見慣れていた花が、すっかり老いた私のことをあれと思ってくれたことだよ。
ウ…幾年もみゆきをお迎えしている花よ、私もそのお供をして立ち慣れた花の陰であるが、このまま老いていく私のことを、気の毒に思ってくれるか。
エ…数年前にみゆきがあって以来、顔なじみのこの花の陰に立つのは久しぶりだが、花びらが雪のように降りかかるのを、気の毒に思っているだろろか。
オ…何年にもわたって毎年、みゆきの折には宮中の人々をお迎えするのに慣れた花よ、花びらが花陰に雪のように散るのを、残念に思わないことがあろう
か。

 「みゆき」は、天皇/院/上皇のお出まし・外出(直単D基48)の意ですが、
選択肢はすべて「みゆき」となっており、解法の基準とはならず、ポイントは
四句目の「ふりゆく身をも」の「ふり」が掛詞として二重の意をひびかせてい
る点と、五句目の「あはれとや思ふ」の「あはれ(なり)」の多義的意味のうち、
どれをここにあてるべきか、文脈上の意味を正しく規定できるかの二点にあると思われます。

 古文公式64⑧に「降る/古る」とあって、昨年も二学期以降何回もくり返し暗記のチェックをしたように、これらは必ず覚えておくべき代表的掛詞の一つです。「降る」と「古る」はそれぞれ四段と上二段で活用しますが、連用形はともに「降り/古り」となりますから、連用形の形でも掛詞となります。
 さらに公式64⑧の下に書かれているように、「古る」の意は「古びる・年老いる」であり、また直単C形動5の「あはれなり」の意は「①しみじみと趣深い ②物悲しい ③かわいそう ④いとしい(恋愛)」の四つであり、先走ってこの歌の大意を言ってしまえば、「年を経て天皇/院/上皇のお出ましに慣れている桜の花よ(降るようにこぼれ落ちる桜の花よ)、その花陰で
年老いていく我が身をかわいそうとでも思ってくれるか」となります。

 答はウの「幾年もみゆきをお迎えしている花よ、私もそのお供をして立ち慣れた花の陰であるが、このまま
老いていく私のことを、気の毒に思ってくれるか」であることは明らかです。

 ここで「ふりゆく身をも」の「ふり」に「降り」の意まで掛けられていると言えるのかどうか、いぶかしむ向きもあるかと思いますが、右の場面が弥生の十日余りのころであり、また本文7行目に出てくる「かごとがましき(直単B形29=恨みがましく思われる)までに花はこぼれ落つ」の表現からも、「降るようにこぼれ落つる花」の連関の意識は(つまり縁語的な意識は)、詠み手の定家にはあったと見るべきです。

 ちなみに、大手予備校の解答速報の中には、問一ノ二の答をオの「何年にもわたって毎年、みゆきの折には宮中の人々をお迎えするのに慣れた花よ、花びらが花陰に
雪のように散るのを、残念に思わないことがあろうか。」とするものが一例存在しますが、これも「ふりゆく」の「ふり」を「花が降るように散る=雪のように散る」の意として汲み取った結果の現れだと思われます。

 しかしながら、選択肢のオは、下句の「あはれとや思ふ」の解釈を「残念に思わないことがあろうか」としており、これは先に見た「あはれ(なり)」の語彙に照らせば、明らかにずれているというべきです。「あはれ」の語感は「口惜し(残念だ)」などとは異なりますし、一般に「あはれ(なり)」を「残念だ」と訳すような訳出の例を木山はこれまでに見たことがありません。
 また、上の句の「みゆきに慣れし」は、あくまで天皇・院・上皇のお出ましに慣れていると言っているわけで、〝宮中の人々をお迎えするのに慣れた〟という表現もややずれた表現だと言えます。

 木山方式の利点の一つは、
古漢公式の内容の暗記が9月中旬から10月上旬までに一応の完成を見たあと、2月の入試本番までくり返しくり返し全体の知識のチェックを反復できる点にあります。「降る/古る」の掛詞の知識など、大抵の参考書には載せられていることは、もちろん木山も承知しています。しかし、たとえば授業中にいきなりパッと当てられて、「ふる」の意味の二重性とそれぞれの正確な訳し方を口頭で説明できるかといえば、かなり心もとないものがあるのではないでしょうか。

 木山方式に充分に修練している学生ならば、「古る」の意が「古びる・年老いる」であり、「あはれなり」の意が「しみじみと趣深い/物悲しい/かわいそう/いとしい」の四つの意のいずれかであることを、その場で即座にそらで答えることができます。そういうレベルの学生にとって、この問いはそう難しいものではありませんし、またそれほど時間をかけることなくクリアできる問いです。





【 市販の単語集と木山の直単450は似て非なるもの 】

 ためしに市販の単語集に載せられた「あはれなり」の説明中に、「かわいそう/気の毒だ」の語彙が含まれているかどうか調べてみると、以下のようになります。(場所は世田谷区の成城学園前駅コルティ内の三省堂の受験参考書コーナー/2012年4月上旬)

★載せられていないか、またはコンセプト上これでは役に立たないと思われ るもの→13冊

○ 改訂版(売れ行き№1)マドンナ古文単語230 〔学研〕

○ 増補改訂版(売上№1)ゴロで覚える古文単語ゴロ565 〔アルス工房〕

○ 古文単語マスター333 〔数研出版〕(代ゼミライブラリーで売れ行き№1の単語集です。)

○ 今すぐ覚える古文単語300 〔駿台文庫〕

○ 文脈から理解する新読解古文単語 〔桐原書店〕

○ ビジュアルで直感的に理解する古文単語 〔学研〕

○ 読んで見て覚える重要古文単語315 〔桐原書店〕

○ 新版完全征服必修古文単語400 〔旺文社〕

○ 現代文の例文で覚える古文単語250 〔文英堂〕

○ 受かる古文単語パピルス325 〔学研〕

○ 読解古文単語 〔旺文社〕

○ 入試に出る古文単語が面白いほど記憶できる本 〔中経出版〕

○ 大学入試直前DASHかけこみ26レッスン古文単語・熟語 〔桐原書店〕

(注)ゴロで覚える古文単語ゴロ565には、下段の解説文中に「気の毒だ」の表現も見られますが、覚え方は「ああ晴れたとしみじみとする」のゴロに依拠するコンセプトなので、ゴロで覚えているかぎり入試の実際上では使えないと判断しました。
 他の12冊には用例そのものが載せられていません。

★載せられていて、コンセプト上も多義語として覚えさせようとしているもの→8冊

○ 入試古文単語速習コンパス400 〔桐原書店〕

○ 東進ブックス古文単語FORMULA600 〔東進ブックス〕

○ シグマ標準古文単語300+150 〔文英堂〕

○ 三省堂古文単語350 〔三省堂〕

○ ミラクル古文単語396 〔旺文社〕

○ シグマベストまめまめ古文単語300 〔文英堂〕

○ 二刀流古文単語634 〔旺文社〕

○ 大学JUKEN新書入試に出る古文単語300 〔旺文社〕

 ところで、右の本文の11行目に「かく花見に引き連れてまかりぬるよしを
聞こしめして(公式56尊⑤=お聞きになって)」と出てきますが、この作者たち一行の内裏での花見の様子を「お聞きになった」人物が誰なのか、リード文がない状況では判然としません。

 この最上敬語で遇される人物は、さらに作者に対し「誰れ誰れか、心とまる歌詠めりつる」とか、「誘はれざりけるこそ、口惜しけれ」とか、「うらやまし。明日行きて、ご覧ず 〔 B 〕 」などといった発言をしており、その次の段落の冒頭には、「次の日の午(うま)の時ばかり、御幸あり。」と続きます。

 ここで「御幸」の読み方は「みゆき」、「ごこう」、いずれでもかまいません。一般に
天皇のお出まし・外出は「行幸」の字をあて、「御幸」(ごこう)の字をあてるのは院・上皇のお出まし・外出ということになります。この知識も昨年木山方式において何度もくり返しチェックをしたポイントの一つです。

 この理解があってこそ、はじめて右の本文が、前段が=作者家長を含めた歌人たち一行の内裏での花見の様子を描いたものであり、そのことを伝え聞いた院・上皇と思われる人物が、家長を夜更けに「召し寄せて」(=呼び寄せて公56尊⑦)、明日は自ら内裏の花見にお出ましになる旨を告げるまでのくだりであること、さらに後段は=翌日の午(うま)の時ばかりの院・上皇と思われる人物の、内裏への花見御幸と、それにつき従う作者たち一行の様子を描いたものであることがわかります。

 この「行幸」と「御幸」の
使い分けについてしっかりと説明している市販の単語集をピックアップした上で、さらにその結果に先程の「あはれ(なり)」の用法の説明の是非を重ねてみますと、次のようになります。

★(1)「あはれなり」の用法の解説と、(2)「行幸」「御幸」の区別の説明がともにしっかりと明示されているもの→1冊

○ 入試古文単語速習コンパス400 〔桐原書店〕

(注)ゴロで覚える古文単語ゴロ565には、下段の解説中に小さく「行幸」「御幸」の説明がありますが、「みゆきのお出かけ!」で覚えるコンセプトなので、実際上は役に立たないと判断しました。また「行幸・御幸」=天皇や上皇のお出ましなどと、用法の区別を明示していないものは排除しました。

 さて、院・上皇と思われる人物は御製(ぎょせい)の歌「天つ風~」をお詠み
になったのち、散りたる花を硯(すずり)の蓋(ふた)に集めなさって、それを摂
政殿へ「参らせ」(=差し上げ 公56謙②)なさった折に、歌をお添えになった
とあり、これが最後の「今日だにも~」の歌です。

 「参らす」が謙譲の本動詞となった場合の訳し方は「差し上げる」であることを確認した上で、次の主語判定の問題を自力で解いてみて下さい。

問一ノ四 傍線部a・b・c・d・eはそれぞれ主語は誰か。適切な組み合わせを選べ。

ア…a‐宗安  b‐家長   c‐定家  d‐女房   e‐歌人たち
イ…a‐女房  b‐後鳥羽院 c‐家長  d‐女房   e‐後鳥羽院
ウ…a‐女房  b‐後鳥羽院 c‐女房  d‐後鳥羽院 e‐歌人たち
エ…a‐宗安  b‐後鳥羽院 c‐家長  d‐歌人たち e‐家長
オ…a‐女房  b‐摂政殿  c‐女房  d‐後鳥羽院 e‐歌人たち

(紹介した本文中に傍線aはありませんが、aは無視して結構です。また、cとdの主語判定に確信が持てなくても、最低限bとeをおさえれば正答は導けます。答は文末にあります。)

 入試古文単語速習コンパス400には、この「参らす」の謙譲の補助動詞・謙譲の本動詞の二つの用法もしっかりと載せられていて、よい単語集だと思います。しかしながら、全体としては結局、この問いの解釈に関するわずか三つのキーワード「あはれなり」「御幸」「参らす」の検索結果だけでも、三省堂の古単コーナーにうず高く平積みされた売上№1を含む21冊の古単本の中で、要求を満たすものはたった1冊だけということになります。(ちなみに木山の古単イメトレ399 中経出版には、もちろんすべてが載せられていますが、公正を期すために除外しています。)

 ところで、古単本の資料的な完璧さの度合いと、本番入試での有効性の有無というものはまた別次元なものです。木山方式に修練した学生が、右の三つの単語の意味・用法について、何を問われているかわからないランダムな状態で――つまり古文公式の全体のどこを聞いてくるかわからない状態で、すべて完全にそらんじて答えられるレベルになるということをいえば、木山方式の有効性への漠然とした懐疑といったものは、ほとんど姿を消すのではないでしょうか?!

 「古文単語の機械的暗記をしても実際の入試の訳出には役立たない」と批判する人がいたら、観念的にそう言うのではなく、木山の直単の訳出で不都合が生じるような
具体的な出題例があるかどうか、プラグマティズム的に実例を示すべきです。

 木山は毎年、新出の入試問題を70題~90題ほど見ますが、「あはれなり」の訳出を、現在の「しみじみと趣深い/物悲しい/かわいそう/いとしい」の四つに定めて以来、これで不都合が生じると判断される例を、今のところ過去15年間程見いだしていません。

問一ノ三 傍線部空欄Bに入る最も適切な語を選べ。

ア…からむ  イ…らむ  ウ…けれ  エ…なむ  オ…べし

 空欄Bの上の「ご覧ず」が「漢字・漢字+す・ず」の形で複合サ変の終止形である点(公23)から、空欄Bに入るのは終止形接続の助動詞であろうと見当をつけることができます。(公21終止形接続の欄を参照)

 しかも、ここは古文公式60自敬表現(天皇・院・上皇・法王などが会話文中で自己の動作に尊敬語を用いること)であり、訳すときは敬語ではなく、ふつうに訳すのがルールですから、前後の訳は「うらやましいことだ。明日(内裏に)行って(その桜の見事さを)
見てみよう」となります。

 さて、空欄Bにいれるべき答はどれでしょうか?(公44①の知識により「ウ音+らむ」は現在推量の助動詞。公40①②③の知識により「終止形」に付く「なむ」は存在しません。)答えは末尾。

問一ノ五 傍線部3「たつ事やすき」とは、ある古歌の一部であり、ここではその古歌をさしている。その古歌として最も適切なものを一つ選べ。

ア…今日のみと春を思はぬ時だにもたつ事やすき花のかげかは
イ…あしがものおりゐる池の水波のたつ事やすき我が名なりけり
ウ…吹く風にたつ事やすきあだなみもあさきうらにはよするものかは
エ…花ならぬならの木かげもなつくればたつ事やすき夕まぐれかは
オ…ちりはてて花のかげなき木のもとにたつ事やすきなつごろもかな

 傍線部3の直前にあるような「弥生の十日余りの月はなやかに差し出で」た内裏の見事な夜桜の風情をあとにして、この場を
立ち去りがたいの意で「たつ事やすき」と引き歌(直単E歌14)をしているのだろうと推察できることは、選択肢の中に反語を表わす「かは」(公31)を用いた和歌がア・ウ・エと三首もあることからもわかります。つまり本歌(もとうた)の趣旨として「立つことやすきことかは=立ち去ることがたやすいことであろうか、いや、たやすくはない」と反語を含む歌意とすれば、文脈上、場面と整合するわけです。

 反語の「かは」を含む和歌はアかウかエですが、文脈の内容に合致しないものを除去していくと、まず、ウの「なみ」「うら」「よす」は公64狙われる縁語の⑦で暗記したように、「波」「浦」「寄す」と読める海岸をイメージする縁語ですから、この場面には無関係となり×(バツ)。エの「なら(楢)の木かげ」「なつ(夏)くれば」は、春の季節に合致せず×(バツ)。

 したがって答はアとなります。歌の意味は「今日だけだと春を思わない時でさえも(つまり弥生の月末で明日からはもう夏になってしまうという春の最後の日ではない弥生十日余りの今日でさえも)立ち去るのがたやすい桜の花陰であろうか、いや、そうではない」となります。

問一ノ六 空欄Cにひらがな一字を入れよ。

 古文公式36参照。きわめて簡単。

問一ノ七 傍線部4「分け参りてこのよしを仲資朝臣もて啓し侍りしかば、出でさせ給ひて、御てづから取らせ給ふ」の解釈として最も適切なものを一つ選べ。

ア…随身が人々をかきわけて参り、これを仲資朝臣が持ってきて後鳥羽院に献上したところ、院が出ていらっしゃって、ご自身でお取りになった。
イ…摂政殿が後鳥羽院に参られて、仲資朝臣を介して院にお礼を申し上げたところ、院が出ていらっしゃって、摂政殿のお返事をご自身でお取りになった。
ウ…私(家長)は仲資朝臣を連れて、人々をかき分けて摂政殿にこのことをお知らせしたところ、すでに後鳥羽院のところへお出になっていて、ご自身でお取りになった。
エ…摂政殿が、後鳥羽院の御前の人々の間を通って参り、仲資朝臣が摂政殿にこの歌を献上した時、院が出ていらっしゃって、摂政殿の返歌をご自身でお取りになった。
オ…私(家長)は人々をかき分けて参上し、仲資朝臣を介して摂政殿にこのことを申し上げたところ、摂政殿が出ていらっしゃって、ご自身でお取りになった。

 傍線部4の前に「この花を持たせて、三条坊門に渡らせ給ひしかば、
参る」とあるように、院・上皇の摂政殿へのお渡りに作者の家長が同行していることは明らかです。「よし」は直単A名55④の形式名詞の「~こと」と考えられ、また「仲資朝臣(なかすけのあそん)もて」の「もて」は「~ヲ以テ」の短縮形であり、漢文公式8①で暗記したように、「~を手段・方法・材料・理由・条件にして~する」の文意を表わしますから、この知識だけでも「持ってきて」「連れて」などを含む選択肢が間違いであることがわかります。

 「啓し侍り」の「啓し」は古文公式56謙⑦にあるように、一般には「中宮に申し上げる」の意で用いますが、この場面には中宮は登場せず、破格な用法です。ともかくも、高貴な人へ申し上げるといった意味で用いられると考えて、さて、答はどうなるでしょうか?

問一ノ八 傍線部X「九陌の塵」は、都の喧騒や都市の生活を象徴する語である。都の生活をテーマに詠じた次の南宗・陸游の漢詩を読み、問いに答えよ。

   世 味 年 来 薄
キコト 似 タリ (注1)

 5 誰  令  騎   馬   客   京  華

 
*二聯(れん)
  三聯(れん)は省略


 7 素  衣   莫   起   風   塵  歎

   猶
 及 ビテ 清 明

  (注1)沙…うすぎぬ

(Ⅰ) 傍線部5「誰 令 騎 馬 客 京 華」の返り点の付け方として最も適当なものを選べ。

ア…誰 令
騎 馬 京 華
イ…誰 令
馬 客 京 華
ウ…誰 令
騎 馬 客 京 華
エ…誰 令
騎 馬 客 京 華
オ…誰 令
馬 客 京 華

 この問題については、紙面の関係で「漢文白文問題における連用中止法」の解説を全文載せることはできません。木山のホームページに常時公開している解説文を読んでみて下さい。
その上で(Ⅰ)の選択肢を吟味すれば簡単に解けると思います。

 一聯(れん)の文意は「世間の風潮が年来薄い(漢単B4*人情味が薄い)ことはうすぎぬのようなものだ/一体誰が人を騎(き)ス=馬に乗せて華やかな都に客(きゃく)ス=他所に身を寄せるようにさせるのか」といった文意です。
 答はオですが、どうしてそうなるのか解法のプロセスを示すことができるでしょうか?

 木山の漢文公式には、木山自身が定式化した句形がいくつか載せられていますが、右の連用中止法もその一つです。近年のセンター試験でもH18センター本試「胡祭酒集」問3・H19センター本試「竹葉亭雑記」問3・H20センター本試「衡盧精舎蔵稿」問2Bと三年連続出題されてしますし、H22年の第一回早大プレ・H23年筑波大学などで出題されています。

 コツがわかれば一瞬で解ける点が売りですが、もちろん市販されているどんな参考書にも、または各予備校で使われるテキスト資料の類いにも、同じようなアイデアが載せられているのを木山はこれまで見たことがありません。

問一ノ八(Ⅲ) 傍線部7は、ある古人が「白い衣服が都の土ぼこりで真っ黒になってしまった」と嘆いた故事を踏まえている。この句の書き下し文として最も適当なものを選べ。

ア…素衣 風に起こる塵を歎くこと莫かれ
イ…素衣 起こる莫く 風塵に歎く
ウ…素衣 風塵に起くるを歎くこと莫し
エ…素衣 莫として風塵起こるを歎く
オ…素衣 風塵の歎きを起こすこと莫かれ

 白文に「莫(な)シ」がある時には、単純な打消しよりも「~コト莫(な)カレ」の禁止の用法の方により注意するように常々言ってきたとおりです。(漢文公式12A④)
 アとオで迷いますが、アの「風に起こる塵(ちり)
歎く」の読み方を白文にあててみると、「起 」となり、「~ヲ」という送りの付く目的格の位置が、述部(動詞)の上にきてしまう点で漢文公式3基本6文形②のルールにそぐわず誤りであることがわかります。
 したがって、答はオです。

問一ノ八(Ⅴ) この詩の詩型を漢字四字で楷書によって記せ。

 漢文公式25にあるとおり「七言律詩」であることは明白。

 以上、木山の古文漢文公式がH24年早稲田法学部の古漢問題に得点寄与する割合は、

〔13問中8問!〕  (62%)

となります。
 今年の法学部の合格最低得点率はまだわかっていませんが、例年の基準ですと、65%前後ですから、かなり合格に近い得点率ということができます。

 またこのお便りシリーズの中では、シリーズ№18「サイパンだより」【H22早稲田法学部古典問題に見る受験対策の労力対効果コストパフォーマンスの検証】と題する分析記事があり、その結果は、

〔10問中7問!〕  (70%)

でしたから、年度により得点寄与率の高低差があったとしても、全般的にかなり高い割合で木山方式の効果を、早稲田法学部に関しては認め得るといっていいのではないかと思います。





【 2011年度一学期・二学期早大古文テキスト・冬期早大古文予想問題演習テキストの計3冊に載せられた全26題の過去問・予想問題演習が、H24年早稲田法学部問題に得点寄与した割合について 】

 調査するにあたってのチェックのポイントは以下の8項目としました。

(1)「ふり」が「降り」「古り」の掛詞であることを教えるチャンスが26題の本文中にあったか。

(2)「あはり(なり)」の用法で「かわいそう/気の毒だ」の意で出現する文章が26題の本文中にあったか。

(3)「行幸」と「御幸」の用法の違いを教えるチャンスが26題の本文中にあったか。

(4)「参らす」の謙譲の本動詞(差し上げる)の用例が26題中に出現するか。

(5) 自敬表現を説明できる用例が26題中に出現するか。

(6)「かは」の反語の説明ができる用例が26題中に出現するか。

(7)「な~そ」(柔らかい禁止)の用例が26題中に出現するか。

(8)「よし(由)」の訳出の中に形式名詞の「~こと」があることを教えるチャンスが26題中にあったか。

 結果は以下のとおり。

(3)→一学期第1回L8に「おほ
みゆきしたまひて」とあり。ただし、漢字で表記されておらず、ここでは帝のお出ましの意。
(4)→一学期第二回L13に
「参らせむ」(差し上げよう)とあり。ただし、設問化しされていない。
(6)→冬期早大予想問題演習第一回L2に「何
かはいなび聞こえむ」とあり。設問化はされていない。
(7)→一学期第二回L4に「
仰せられ給ひ」とあり、設問化もされている。(その他でも2ヶ所に出現)
(8)→二学期第五回L6に「尽きたる
(こと)申しければ」とあり。設問化はされていない。

 仮に(3)については、教師が漢字表記の「行幸」と「御幸」の用法の違いを
説明したと仮定し、(4)(6)(8)については、本文中に年間たった一回しか出
て来ず、設問化もされていない傍系的知識についても、学生がそれを2月の本番入試まで確実に覚えていたと仮定し、かつ同時にセンター・私大漢文も受講していたとすれば、「七言律詩」は書けたであろうと想像されることから、右の全26題(及びセンター・私大漢文)がH24早稲田法学部の古漢問題に得点寄与する割合は、

            
〔13問中4問〕 (31%)

となります。

問一ノ四→イ
問一ノ三→オ
問一ノ七→オ
                  
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