=  薫風だより  

        シリーズ№37 =




【 H24京都大学・文系古文問題における
                        木山方式の検証】



 文系の出典は、江戸後期の歌人香川景樹(かがわかげき)の『百首異見』の一節。周防内侍(すおうのないし)の和歌
○ 春の夜の/夢ばかりなる/手枕に/かひなくたたん/名こそ惜しけれ
の解釈をめぐり、賀茂真淵(かものまぶち)の『初学』の説を誤りとして批判するといった内容でした。

 ちなみに、景樹と真淵の対立の背景にあるものは、木山の古文背景知識№9〝歌論対策―近世〟に詳しく解説していますから、一読することをおすすめします。

○ (春の夜に若い女房たちが)(1)語らひ更かしてうち眠らるるわりなさを、こ

なたどち寄りかかりてうちささやけるを、忠家卿の御座(おまし)、かの御簾の

ほとりなれば、早く聞きとりて、「其の枕まゐらせんや、是(これ)をだに」とて、

肘(かひな)さし入れられし也。(2)みそかなるうちとけごとを聞きあらはしたる

を、したりがほなる座興也
。寝(ぬ)るにあかぬ若女房の春夜のまどひ見るここ

ちす。さて其の座興をすかさず恋のうへにとりなして、「春の夜の夢ばかりな

る手枕にかひなくたたん名こそ惜しけれ」と負惜しみによみ出せるがかへり

てをかしう、歌がらさへなつかしきには、(3)よその眠も覚めつべし。しかいは

れて後に、「いかがかひなき夢になすべき」などかなたざまの返しせられたる

は、中々おそしといふべき也。


問一 傍線部(1)(2)を現代語訳せよ。

 傍線部(1)については、「うち眠らるる」の「るる」が自発であることと、
また重要古文単語「わりなし」の訳出がポイントです。直単C形87「わりな
し」の訳出は、原義に近い「道理に合わない」の方はあまり用いられず、実際
の文脈では「どうしようもない」の方が多く用いられることは、昨年もくり返
しくり返し指摘したとおりです。

 したがって、答は「女房たちが語り合って夜更かしをして、つい眠気がさしてしまうことのどうしようもなさ(を)」といった感じになります。

 大手予備校の解答速報の中には、この答の末尾の部分を「~つい眠り込んでしまうことの、
物足りなくてつまらないこと」とするものが一例ありますが、これは「わりなし=どうしようもない」の具体的な内容として、傍線部(1)の4行後ろの「寝(ぬ)るにあかぬ若女房の~」の「あかぬ」を、D連1②の「名残惜しい」の意にとって結びつけたものと思われます。
 せっかくの春の夜の興趣が、眠たさによって中断されることが名残惜しくてつまらない、というわけです。

 しかし、この解釈は、深い意訳をねらった深慮のようで、実は短慮のようにも見えます。というのも、女房たちのささやきごとの内容を、つい眠気がさしてしまうことのどうしようもなさを言っていると解釈すればこそ、それを聞きつけた忠家の発言「其の枕まゐらせんや、是(これ)をだに=そのための枕を差し上げましょうか、せめてこれだけでも」がうまく整合するのですが、女房たちが「つい寝込んでしまうことが物足りなくてつまらない」と言っているとしたら、忠家の行為は女房たちのささやきの内容とはまったく
逆向きのおせっかいとなってしまい、文脈上うまく整合しません。

 女房たちの
言葉じりをとらえて「そんなに眠たいのならば、私の腕枕でもどうぞ(笑)」と忠家がからかったところが、この話のおもしろさであり、また周防内侍の側から言えば、自分の言葉じりをとらえられてからかわれたことに対する「負惜しみ」の気分も、そこから出てくるわけですから、その大筋のウイットを損なうような解釈はよろしくないのではないかと思います。やはり意訳に過ぎた勇み足というべきです。(勇み足…つい勢いにのってやりそこなってしまうこと)

 仮に「~つい眠り込んでしまうことの、物足りなくてつまらないこと」と書いた場合、減点の対象になるかという問題については、入試正解などのセカンドオピニオンが出揃った時点で、より細密な私の見解をここに添えたいと思いますが、現時点でもかなり危ういのではないかといった印象を持ちます。

 一般論として言えば、京大古文の傍線部解釈において、特に木山の直単が問われている場合、あまり先走った意訳をすることは危険です(あくまでもケースバイケースですが)。というのも、すでに木山の直単に載せられた訳し方そのものが、過去20数年来の過去問からの帰納法による意訳のレベルを充分に反映しているからです。

 たとえば、お便り№20【 H22京大古文の分析 】などを見ても、木山の直単に関するかぎり訳出は直単のとおりになっており(または授業中に書き添えた意訳の範囲におさまっており)、原義から極端に離れた意訳に変えられている部分はほとんどありません。

 問1の(2)「みそかなるうちとけごとを聞きあらはしたるを、したりがほなる座興也」を現代語訳せよ。→形容詞「みそかなり」と慣用句「したり顔」の正しい訳出を知っていることがポイントです。直単C形動23にあるように「みそかなり」の訳は「こっそりと」。「したり顔」は2010年度までの直単にはA名27として入れていましたが、ここ数年来主要大学の出題がなかったので、2011年度は直単から外してしまいました。残念ながら昨年2011年度の直単に関していえば木山方式のポイントとはなり得ません。訳は「してやったり顔」のイメージから「得意顔」となります。
さらに「うちとく」は、まさに緊張がうち解けてくつろいだ状態をいう表現です。

 したがって、答は「周防内侍がこっそりとくつろいだ状態で言った言葉を、忠家が興じて応じたのは、いかにも得意顔の戯れごとである」

問二 傍線部(3)「よその眠も覚めつべし」はどういうことか、簡潔に説明せよ。

 傍線部(3)自体の直訳は、「よその=他の女房たちの」「眠たかった眠気も」
きっと目が覚めたことであろう」となります。「つべし」の訳出は公式5日
の丸マーク①にあるように、「きっと~だろう」です。

 王朝的な場面で和歌が人々を感動させるのは、いかなる理由によるのか、その興趣の内容を説明させる設問は、京大入試において多いと思います。
木山方式が一応の完成を見る夏期から9月上旬の時期において、毎年必ずチェックするのが、ホームページ上に公開している古文の背景知識№1~№12の内容です。その№5〝古今調〟と題された文章の中に、
古今調的和歌の興趣をいかに記述答案上でうまく説明するかについてのポイントが、箇条書き的に書かれています。引用してみますと、たとえば、

  
古今調的和歌は、なによりも王朝的な場面に即した、言葉をめぐる機智ということができます。言いかえれば、言葉を介して本来異なる概念や意味や文脈を結びつけて、鮮やかな意味の転換をなす、これが古今調のレトリックの本質といえます。
〔中略〕
  以上のことを入試対策的にまとめると、古今調的な王朝サロンのやり取りが描かれたお話の中では、たとえば、なぜ人々は作者の歌に感動したのか、などという説明問題が出された場合、記述答案の方向ははっきりと二つになります。
 ① この歌の中にどのような表現上の機智が書かれているか(先程のポイントでいえば、どのような鮮やかな意味の転換がなされているか)。もし、ここでたとえば掛詞の二重性を見つけてしまえば「○○に○○の意を掛けて当意即妙(とういそくみょう)に歌を詠んだ」などと答えてしまえば終わりです。または場面に即した見立てがあれば、何を何に見立てたのかを説明することになります。(または文脈上の意味の転換があれば、何を何に転換したのかを説明することになります。/または表面上の情景歌の裏側に作者の心情などが並列的に重ねられている場合は、作者の○○な心情を○○な情景に託して当意即妙に詠んだといった説明をすることになります。)
 〔中略〕
  ② 多くの場合、そのような機智の歌は、相手の問いかけに間髪入れず即興的に返されることが多いものです。ですから、記述答案の中にたとえば「巧みに
即興で歌を返した」とか「その場ですぐに歌を詠んだ」とか「当意即妙に」などのフレーズを入れることを忘れないで下さい。

とあって、この周防内侍の和歌に込められた機智の内容――つまり当意即妙な鮮やかな意味の転換とは、どのようになされているのかと考えてみることにな
ります。
 上の本文中の5行目下から「さて其の座興をすかさず
恋のうへにとりなし
て」とある部分が、その鮮やかな意味の転換を最もよく説明した部分です。

 したがって、問二の答は「忠家のからかいの座興をすぐに
恋の事柄に転換して、当意即妙な歌で応酬した周防内侍の機智と心ひかれる歌柄に、まわりの女房たちもきっと目が覚める思いであっただろうということ。」
 右の答案の最後の語句「心ひかれる歌柄」とは、傍線部3の直前の「歌がらさへなつかしき」(B形58なつかし=心ひかれる)の訳を反映したものです。

問三は、全体の内容に関わる説明問題なのでパスします。

 以上、木山方式によるダイレクトな得点寄与率は、


【 5問中3問! 】


といった結果になります。

 これをいつものように、昨年2011年度の「京大古文」の全冊(一学期・夏期・二学期・冬期)の全30題の得点寄与率と比較してみるべく、以下のような基準を考えてみました。

① 形容詞「わりなし」を「どうしようもない」と訳す実例が、全30題の中に出てくるか。

② 形容動詞「みそかなり」、形容詞「なつかし」の訳出を解説できる実例が、全30題中に存在したか。

③ 「つべし」の訳出を解説できる実例が、全30題中に存在したか。

④ 古今調的和歌のレトリック〝当意即妙な〟とか〝意味の転換をなす場面に即した機智や即興性〟といった解答の方向性を教えるチャンスが、全30題中の和歌中に存在したか。

 結果は、①については、一学期第6回(P14・L1)/二学期第9回(P27・L7)に、共に「どうしようもない」の訳出で出てきます。ただし、設問化はされていません。
 ②「みそかなり」「なつかし」は、全30題の本文中に一度も登場しません。
 ③については、二学期第1回(P1・L7)/冬期第4回(P18・L3)に、共に「ぬべし」の用例として出てきて、前者の方は設問化もされています。
 ④については、昨年の全30題中、残念ながら古今調的和歌のレトリックを説明できる歌は一首も登場していません。

 したがって、テキストのみを単元的に全30題解説した場合の、H24京大文系古文に対する得点寄与率の割合は、問一の(1)のみとなり、


【 5問中1問 】


の得点寄与ということになります。





【 H24京都大学・理系古文問題における木山方式の検証 】

 出典は、中世の擬古物語『苔の衣』よりの出典。内大臣が北の方の死後に幼い娘の部屋を訪れると、そこに亡き北の方の姉君にあたる前斎宮(さきのさいぐう)から、内大臣の娘の姫君に手紙が届いていたといった場面でした。

○ 前斎宮より御文とてあるを見給へば、薄紫の色紙にいとこまやかに書き

給ひて、奥つ方に、
    (注)      (注)
植ゑおきし垣ほ荒れにしとこなつの花をあはれとたれか見るらん

とあり。(父の内大臣が)(1)「この返しとく」とそそのかしきこえ給へば、

(姫君は)いとどつつましげに思したれど
、(父の内大臣が)筆など取りまかな

ひて、御づし厨子なるうすにび薄鈍の色紙取り出でて書かせ奉り給ふ。御手

なども行く末思ひやられて、いと見まほしくうつくし。

  (3)垣ほ荒れてとふ人もなきとこなつは起き臥しごとに露ぞこぼるる

(注)垣ほ荒れにし=北の方が亡くなった事をたとえる。「垣ほ」は垣根のこと。
 とこなつ=なでしこの別名。

問一 傍線部(1)を主語を補って現代語訳せよ。

 「とく」C形59=早く・「いとど」C副2=ますます・「つつまし」B形39=遠慮/気後れ・「~げに」(公式45⑤*)の知識から、主語の補いに留意しつつ、答は『内大臣が「前斎宮様への返歌を早く」と催促し申し上げなさると、姫君はますます気後れしてしまうようにお思いになったが。』

 ちなみに、昨年の全30題の本文中に重要単語「つつまし」は一度も登場しません。

問三 傍線部(3)を現代語訳せよ。

 「とこなつ」は補注に「なでしこ」の別名とあり、D基37②にあるように「撫でるように可愛がっている子」の意を含みます。ここでは亡き北の方の子である姫君自身が歌を詠んでいるわけですから、一人称的なニュアンスとなって「撫でるように母に可愛がられた私は~」といったニュアンスになります。「露」はA名42①の「涙の暗示」。「起き」は公式64⑦にあるように、「露を
置き」=(露が降りる)と「起き=起きる」の掛詞であり、また公式64狙われる縁語②にあるように、「露・おき」で縁語にもなっています。

 したがって、答は、「垣根が荒れて訪れる人もないなでしこの花に
置く露がこぼれ落ちるように、あれほど私を可愛がってくれた母が亡くなって、言葉をかけてくれる人もいない私は、起きていても寝ていても涙がこぼれるばかりです。」

 木山方式の得点寄与率は、


【 3問中2問! 】


となります。
昨年の京大古文テキストの得点寄与率は、省略いたします。




【 H24 京大・総合人間学部(理系)合格者の得点開示情報 】

 京大・総合人間学部合格の○○です。二次試験の成績開示が届いたので、お伝えしたいと思います。

 国語 68/100→ 換算102/150
 数学 30/200
 理科 111/200
 英語 121/200→ 換算90.75/150
(センター社会 76/100)

 以上です。参考までに現役での得点を。

 国語 35/100→ 換算52.5/150
 数学 78/200
 理科 101/200
 英語 100/200→ 換算75/150
(センター社会 80/100)

 知識集約型の授業と教材は、理系にとって大変ありがたかったです。お世話になりました。

 右の学生の場合、現役時の得点率に比べ、国語の得点率の向上は約二倍の伸びです。今年の木山方式の学生さんも、どうぞこれに続いて下さい。(数学の点数が現役時よりも大幅に下がっているのは、大問で解答の方向をミスするなどの、何らかの原因があったのでしょうか?とにもかくにも数学はリスキーな教科です。)

 話を戻しますが、たとえどれほど昨年の全30題の添削指導を精密に受けたとしても、H24京大本番入試への得点寄与率は、木山方式には及びません。

 これはセンター古漢対策や、早上古漢対策や、京大古文対策などに共通して言える普遍的な傾向です。
単元的過去問演習の積み上げ方式では、かなり本番入試での効果が薄いと言わざるをえません。しかしながら、にも関わらず、代ゼミの一般的な傾向としては、こうした単元的過去問演習に安住し、それを好む学生がなんと多いことかと木山は思います。



                   
もどる