= 盛夏 那須だより  

        シリーズ№ 47 =





【 4月スタート時点から何をすれば7月の模試に間に合ったのか?木山方式におけるプラグマティズム的検証 】



 笠間書院・中世王朝物語全集『浅茅が露=あさぢがつゆ』の253ページには、中将(三位の中将)がふとしたことから親を求めてさすらう幼子を引き取り、自分のもとで育てようとしつつ、その一方で、その子が親の形見として持っていた笛を見て、その笛は中将の旧知の友である中納言が持っていたものだ、と気付く場面が描かれています。――つまりこの子の父親は実は中将の旧知の友である中納言なのではないか、と気付く場面が描かれています。

○ 中将は(この幼子を)「いか
なる人にか」とかわいがりなさるうちに、親

の形見として添えてあったものをご覧になると、白い色紙十枚ばかりに絵な

どのたいそうすばらしいのを描き集めたところに、しみじみと趣深い古歌や

新しい歌など同じような趣のものが、さりげなく興にまかせて書いてあった。

 〔中略〕

中将がしみじみと心動かされて涙もとどめがたくご覧になっていると、色紙の

奥に巻き込められているのは笛なのであった。

いったい誰の笛であろうとお思いになっていると、その笛は「中納言の朝夕

愛し持ち給ひし笛」なのであった。こはいかなることにか!?と「あやしく驚かれ

給ふに」、この子の顔が言いようもなく華やかで可愛らしく美しい色つやであ

ることも自然と「
(ア)いとよく思ひよそへられたるは、かくなりけり=こういう

ことであったのだなぁ!公4◆気づきのけり」いかなる隈(くま)にてこのような

形見の子をとどめおいて、知らん顔であちらこちらの女性のもとを歩きまわっ

ていらっしゃるのだろうと言い出でて、中納言の意向も「聞か
まほしく思せ

ど」、自分とこの子との前世の因縁も深く、「わがものにして(私の子として)や

生(お)ほしたてまし」→古文公式17「や」「か」疑問詞を受ける文末の「まし」

は迷いの意思(~したら
よいだろうか)、あるいはそれより先に「かくとや知ら

せ奉らまし」→こうして中納言の子を引き取っていることをお知らせ申し上げ

たらよいだろうかなど、中将はあれこれと
やすらひ給ふ


 仮に傍線部
(ア)いとよく思ひよそへられたるは」の解釈を次の三択の選択肢にした場合、正解はどれになるでしょうか。

① 中納言のことを思い出さずにはいられなかったのは

② 中納言にとてもよく似ていると重ね合わせられたのは

③ 中納言の美しさにも匹敵すると思われたのは

「よそふ」の意味は「なぞらえる/比べる」といった意。つまり、子供の美しく華やかな容貌がたいそうよく中納言のお顔になぞらえられて比べられるように自然と思われてしまう、というのが直訳です。

 しかも直後に「かく
なりけり」とあって、今初めてそのことに気づいてはっとする、つまりこの子の父親は実はあの中納言であったのだなぁ!と気づいたという文脈です。結局のところ、容貌の類似性をはっきりと言っているものが正解となります。(これで5点/答はすべて末尾)

 また、仮に傍線部X「
やすらひ給ふ」とあるが、この時の中将の気持ちを説明したものとして適当なものを選べ、といった問いがあった場合、その解法は「やすらふ」という単語の意味を知っているか否かにはよりません。

 先に紹介した古文公式17〝疑問の係助詞の「や」「か」または疑問詞を受ける文末の「まし」は迷いの意思である(~したらよいだろうか)〟という知識を知っているか否かによります。

 したがって、「やすらふ」の意味がわからなくても、その表現が「や~まし」の形を2回も受けて述べられている点からも、正答に至る選択肢の吟味が可能となるわけです。

 仮に次のような各選択肢の文末があった場合、迷っている感じがするものはどれでしょうか?

① ~すべきだろうかとためらう気持ち

② ~した方がよいと冷静に判断する気持ち

③ ~方がよいと思い直す気持ち

④ ~べきだろうかと思い悩む気持ち

⑤ ~することもないだろうと安堵する気持ち

ちなみに、迷いの意志の別名は
ためらいの意志とも言います。(これで7点)




本文の訳を続けます。


○ 一方の中納言ははかなく暮れゆく年を思し続くるに、あの垣間見をした方

違え(かたたがへ)の夜、はかなく契った姫君との男女の約束を思い続けてい

らっしゃると、こんなにも姫君のことが思われてしまうのも、思えば「口惜しか

りける(B形36残念な)我が身の宿世(すくせ)」A名30前世からの因縁・宿命・

宿業・宿縁であったのだなぁと
つくづくとながめ給ひて(ながめB形46→物

思いにふけりなさって)~


 仮に、傍線
つくづくとながめ給ひて」とあるが、中納言がここで物思いにふけった理由を説明したものとして、最も適当なものを選べ、という問いがあった場合、次の三択の選択肢のうちどれが正解となるでしょうか?

① 以前方違えをした夜に~~我ながら不幸な運命だと思い知らされたから

② 以前方違えをした短い夜に~~我ながら不本意な宿縁だと思ったから

③ 以前方違えをした夜に~~思えばはかない縁だったと思い知らされたから

 選択肢①の「我ながら
不幸な運命」とは直単C形53の「つたなし」(へただ・見苦しい・不運だ)の「不運だ」の意にあたりますから、そうであれば原文は「口惜しかりける~」ではなく、「つたなかりける身の宿世かな」となるべきであり、したがって①は×(バツ)。

 さて「口惜しかりける身の宿世」の原義に近いものは選択肢②の「我ながら不本意な宿縁」でしょうか、それとも選択肢③の「思えばはかない縁」の方でしょうか。

ヒント→ここでの訳出のポイントは「宿世」であって、「えに・えにし・ゆかりA名8」ではありませんよね。(これで7点)



さらに本文の続きです。


○ 池の氷閉じかさね、たちける鴛窵(をし)のつがひも下(した)安からぬ思ひ

すらんなんど、(中納言が)見出し給ふ(B形56→内から外を眺めていらっしゃ

る時に)そこへ三位の中将が訪ねていらっしゃった。

 中将は、この引き取った子供のことを中納言に言い出したらよいだろうか、

それともまた自分との宿縁も浅くないので、このまま(自分の子として育て

て)何も言わない方がよいだろうかなどとお思いになるけれど、あとで中納

言がこのことをお聞きになって、「忍びけるよ」(B形33①→こっそりと人目をさ

けて隠していたことよ)などと(中納言が自分に対して)
(ウ)心おき給はむもあ

いなし
などと思して、~〔以下省略〕


仮に傍線
(ウ)の解釈として次の四択の選択肢があった場合、正解はどれになるでしょうか。

① 冷淡に向かいあうのも残念だ

② ご不満に思われるのも残念だ

③ お恨みになるのもつまらない

④ 心を隔てなさるのもつまらない

 4月のスタート時から一学期中に直単チェックをすでに十数回受けている学生さんならば、「心置く」はB形22*の「心へだて」と同義であること、また「あいなし」はB形1で「気にいらない・感心しない・
つまらない」の意となることをそらで暗唱できるはずです。
 したがって、答は瞬殺で④。(これで5点)

 木山方式の利点は単にある知識が資料のどこかに載っているということにあるのではなく、公式全体をランダムに学生に当てながら、いきなり学生に「ところで心置くの意は?」と問うて即座に「心隔て!」と答えられる学生が、一学期のわずか十数回の授業で輩出するという、そのこと自体の有効性にあります。
 ですから、公式をゲットしてしまえば安心だとばかりに、地道に当てられる体験をオミットしてしまう学生層には、公式は何の効果もありません。

 また4月のスタート以降、「心置く」=「心隔て」、「あいなし」=「つまらない」と、解答にぴったり即応するような訳出をくり返し学生に当てて覚えさせる教授法や、テキスト・教授資料などが、木山方式以外で存在するのならば、どうぞ教えて下さい。

 少なくとも2013年度一学期の各テキスト「センター古文」「国公立大古文」「早大古文」「早大上智大古文」「古文文法」「私大古文」「ハイレベル古文」「京大古文」等のすべての問題文中のいずれにもこの二つの重要単語は登場しません。(1学期・国公立大古文の期テスト末尾に付けられた重要単語200一覧中にもこの2単語は載せられていません。一見して木山の直単にせよ、他のものであれ、同じような単語表であれば、同程度の効果が得られるのではないかといった安易な考えは捨てるべきです。)

 残念なことに木山方式を忌避し、他のクラスに移動していく学生たちのその向かう先は、結果としてこうした単元的大問演習のクラスとなります。しかも、そのようなクラスの方が安心して授業を受けられるという点で、または見かけ上のわかりやすさにおいて、または大問を解く実戦的テクニックの眩惑的アピールの度合いによって、学生の教師への評価が高くなるといった皮相な現象も見られます。

しかしながら、それは何のために模試対策をしているかといった目的合理性の欠如した、単に当面の感覚や印象の純粋性だけを自己目的化するような倒錯の論理にすぎません。

 くどいようですが、先の2単語に見られるように、「心置く」「あいなし」は、今学期の古文テキスト全8冊中のどこにも登場しません。一学期にやった古文テキストの全問をいくら精密に復習してみても、7月末の第2回模試で得点を上げるといった目的合理性に対しては、少なくともこの2単語については何の寄与もないわけです。

最後に文法問題を紹介しておきます。

問2 傍線部「こはいかなる人にか」「聞かまほしく思せど」「見候はばや」「かへすがへすゆかしくなん」の文法的組み合せとして正しいものを選べ、という文法問題があった場合、次の三択の選択肢のうちどれが正解となるでしょう。

① a 断定の助動詞  b 願望の助動詞  c 終助詞  d 係助詞

② a形容動詞の活用語尾  b 願望の助動詞  c 終助詞  d 係助詞

③ a 断定の助動詞  b 願望の助動詞  c 終助詞  
  d 完了の助動詞+推量の助動詞

 aの「なる」とdの「なん」をどう見るかがポイントです。古文公式45「なり」の識別の大枠左下に載せられているように、「我はいかなるにか」の「
いかなる」は形容動詞です。「いかなり」といった形容動詞が存在するのかどうか判断に迷いやすいので、この単語は特別に覚えておくことをすすめています。

 また、公式40「なむ(ん)」の識別の一番上に書かれているように、「なむ(ん)」が形容詞型活用に付いた場合の「美しくなむ」は自動的に強意の係助詞となります。そらで何度も当ててチェックをくり返した木山方式の学生で、これをしくじる学生はまずいないのではないかと私は思います。

 以上、第2回センター模試の古文問題における木山方式の直接ダイレクトな得点寄与率は問1語釈で5点、問2文法で6点、問3傍線Xの説明問題で7点、問4傍線Yの説明問題で7点の合計

【25点/50点中】


となります。

※傍線部(ア)=②  傍線部X=①  傍線部Y=②



 漢文問題の要旨は次のとおり。

 陳建が編纂した『皇明資治通紀』は明代初めから正徳年間までの事跡を掲

載している歴史書であるが、その記事は野史や伝説、噂話を拾い集めたも

ので誤りが多い。隆慶年間に李貴和が「歴史書は正規の儒学者が編纂し宮

廷内に収蔵されるものであり、民間人の陳建が歴史書を編纂するのは自用

自尊の罪を犯していることになる。まして人を惑わし先賢を論ずるのはなおさ

ら罪深く、だから禁書にして絶版に処し、歴史編纂に採用できないようにす

べきだ」と上奏すると、皇帝はそれに従った。

 しかしながら、『皇明資治通紀』は従来から俗儒浅学がこの書を勝手に引

用し、自分が博識であるかのように見せかけるために使われていたために、

原版も版本も焼き捨てられたが、記載内容はその後も伝承され続けられ、人

々の間に相変わらず流布し続けていた、といった内容。



 以上の全体の内容をふまえて、仮に傍線部「
若 不 禁 絶 国 是 害 非 」について、書き下し文と解釈の組み合せとして最も適当なものを選べ、といった問いがあった場合、次の三択の選択肢のうち、どれが正解となるでしょうか。

① 若(なんぢ)禁絶せざるは国の為(ため)に是(こ)の害浅きに非ず
  あなたがこんな悪書を禁書にし絶版に処さないことは、国家にとってこの弊害は浅くありません。

② 若(も)し禁絶せずんば国の為に是の害浅きに非ず
  もしもこんな悪書を禁書にし絶版に処さないならば、国家にとってこの書の弊害は浅くありません。

③ 若(も)し禁絶せず国に為(な)せば是の害浅きに非ず
  もしもこんな悪書を禁書にし絶版に処さず国内に流布させるならば、この書の弊害は浅くありません。

 「若」を人称代名詞としてよむよみ方は漢文公式13Aの「なんぢ」であり、訳は例文に〝お前をどうしようか〟とあるとおり、「お前」とか「あなた」。臣下が皇帝に奏上するといった文脈で、皇帝を臣下の立場で「お前・あなた」と呼ぶはずがなく、この点ですでに選択肢①は×(バツ)。

 また公式13「若」の訓み方のCには仮定形の「もシ」があり、木山方式では〝
白文の冒頭近く(冒頭か又は二文字目ぐらい)に「若」があったらまず仮定形を疑え!〟といった覚え方でくり返しチェックしています。

 しかも「若 不」と並んだ場合は、例文にもあるように、「不」の仮定形は「不(ず)ンバ」(公式6)であるので、これだけでも選択肢の②が正解と決まります。選択肢③の「国に為(な)せば」は意味不明であり、また「国内に流布させるならば」といった訳ともつながりません。

 こうした句形に対するレスポンスの速さを鍛えるには、たとえば「若 不」ならば「もシ~ずンバ」、「不 若」ならば「~ニしカズ」といった実践的な句形のチェックを何度も直接当てられてみることが大切であり、それがなければなかなか実践的なレベルの句形問題に対応できないと思います。(以上6点)

 さらに傍線部「
海 内 之 伝 誦 如 故 也 」の解釈として最も適当なものを選べ、といった問いがあった場合、次の五択の選択肢のうち正解はどれになるでしょうか。

① 国内において ~ 広まっていたことは相変わらずであった。

② 国内において ~ 貴重な資料として大切にされ続けた。

③ 国内におて ~ 役人たちにも高く評価されていた。

④ 天下において ~ 通説として対着するに至った。

⑤ 天下において ~ 途絶えることなく伝承されていった。

 「海内(かいだい)」の意は「国内・天下」の意ですから、すべての選択肢が該当します。ポイントは白文末尾の「如 レ 故 也 」の「如
故」の正しいよみ方を知っているか否かです。
 漢単D21の「固・素・故」は「
もとヨリ」とよみますが、その知識を土台とすれば、「如 レ 故」は「もとノごとシ」(漢単D35*)とよむことができます。たとえば、喧嘩して仲違いした夫婦がそののち仲直りをして、今では二人の仲は~如 故(もとノごとシ)=以前と同じようであった、などと解釈することができます。

 毎年、4月のスタート時からレギュラークラスや(木山の古文クラスでは漢文公式も同時にやります)または個人的に対応する15分チェックなどで漢単の暗記のチェックをしていますが、訓練しないうちはほとんどの学生が「如
故」をよめないか、または「ゆゑノごとシ」などと間違ってよんでしまいます。

毎度のことながら一学期中の「センター私大漢文」の付録を含めたテキスト中のどこにもこの表現は登場しません。
模試の対策として木山方式以外の有効な古漢資料が学生に与えられていないという表現は決して大げさな言い方ではないと私は真剣にそう思います。(以上6点) 答は①

 傍線部「
易 入 人 如 此 」について、返り点の付け方と書き下し文の組み合せとして最も適当なものを選べ、という問いがあったらどうでしょうか。次の三択で考えてみましょう。

① 易 入
人 如 此   易(やす)きこと人に入るは此(かく)のごときを

② 易
人 如 此  人に入り易きこと此のごときを

③ 易
入 人 如 此   入り易くして人此のごときを

 白文末尾の「如 此」が漢単A39で「かクノごとシ」であることは明白であり、その上の「易 入 人」が「易(やす)シ」漢単A12を含む、本来は一文構造の文章であるように見えます。このような場合、上の文章とその下の「如シ レ此クノ」をつなぐ訓(よ)み方に何か法則やルールがあるのでしょうか。

 漢文公式21比喩②にあるように、このような場合には一般に「V
スルコト ―― ヲ(ニ) クノ」と上部の述部を形式名詞の「~(連体形)コト」で受けて、その「~コト」を間に他の文章を入れずに、直接、下部の「如 クノ」につないでよむというのが一般的なルールです。

 結論を聞けば、なんだそれでいいのか、といった感じですが、句形として形式化されたよみ方を知っているか、暗記しているか否かは、実際の解法に大きく影響します。

 もちろん、一般の市販の句形集などには載せられていません。(簡単ですが、有効性のある句形として木山が独自に定式化したものです。)

 選択肢①は形式名詞の「~コト」が直接「此(かく)のごとし」につながっていない点で×(バツ)です。選択肢③はそもそも上の述部を受ける「~コト」の表示がありません。したがって答は②。

 今年、H25年早稲田大学の法学部の「聚 散 如 流 草」(聚散すること流草の如し)もこの句形の知識で安心して簡単に解けてしまいます。(以上6点)

 ところで、この「易 入 人 如 此」の直前の文章まで入れてつないでよんでみると、「乃ち知る蕪 陋(ぶろう) 之 談、人に入り易きこと此のごときを」となり、「蕪 陋(ぶろう)」の補注は〝粗雑で低俗なこと〟と載せられているので、したがって全体の文意は『
そこで私はわかった (知ることができた)、粗雑で低俗な談(話)は人にとって受け入れやすいことは、このようであるということを』となります。この「蕪 陋(ぶろう)」という言葉は、正式な歴史書としては俗説や誤りの多い『皇明資治通紀』を指して言われており、そうした俗説の方が人の耳に流布しやすいことを、筆者が皮肉交じりに慨嘆しているわけです。

 仮にこの文章全体から読み取れる筆者の主張を説明したものとして適当なものを選べ、といった問いがあった場合、答とされる選択肢はおよそ

「『皇明資治通紀』は、禁書になって焼却されたにもかかわらず、後には改めて刊行されて民間に流布した。このように不正確で低俗な情報は民間に受け入れられやすいものであるという主張」

といった感じになるものと思われます。

 この筆者の主張の理解も、先の白文「易
キコト クノ 也」を正しくよめていれば、自然と帰結される解答ですから、先の白文問題と連動しているとみることができます。(以上6点)

 というわけで、漢文問題における木山方式の直接ダイレクトな得点寄与率は、

【24点/50点中】


となり、古漢合計では

【49点/100点中】


となります。

 去年、2012年度の第2回センターの100点中67点と合わせて、二年分の平均値を示せば、

【58点/100点中】


の得点寄与率となります。(リニューアル再版入道雲だより お便りシリーズ№40参照)

 わずかB4サイズ十数枚の資料が、模試での5割~6割近くの直接ダイレクトな得点寄与に結びつくという現象は、古典以外の教科ではあり得ないのではないかと私は思います。

 さて、この記事の読後感として、4月のスタート時点からあなたは限られた労力と時間を前にして
何をすればよかったのでしょうか、また何をするべきではなかったのでしょうか?


【 再びプラグマティズム・功利主義・検証性の勧め 】


 
信念とは、人々が世界を意味づけながら生きていくうえでの「道具」に過ぎず、その絶対性や真正性を問うことは不毛であり、信念の意味や真正性は、それを行動に移した結果の有効性いかんを検証することによって明らかにされるという考え方があります。

 二十世紀前半のアメリカを代表する知識人ジョン・デューイ(John Dewy 1859~1952)が提唱したプラグマティズムの哲学がそれです。それは信念の無謬(むびゅう)性を伝統的に追い求めてきたヨーロッパ流の形而上学(メタフィジックス)とは、まったく一線を画す、いかにもアメリカ的な思想であるといえます。このブラグマティズムは、アメリカの教育・民主主義・自由・正義・寛容をめぐる解釈に大きな影響を与えてきました。また、アメリカ流の産業発展やライフスタイルを下支えする思想でもありました。

 たとえば、デューイはその初期の論文の中でこんなことを言っています。
「たとえ人間ならざる権威が我々に何かを言うとしても、言われたことが真であるかどうかがわかる唯一の方法は、それが我々の望むような結果を与えてくれるかどうかを調べてみることだ。(中略)その唯一の方法とは、提案されたものが信念であるかぎりにおいて『善いもの』と判明するかどうかを功利主義的にためすことである。」とあって、つまり一つの世界観や価値観や社会的選択の基準といったものは、――アメリカの場合、これらはとくに宗教とか宗派の対立、または保守かリベラルかといった形で影響を及ぼすことが多いのですが、――それ自体が根源的な意味において真であるか否かといった問いかけをすること自体意味をなさないというわけです。

 その真正性は、その世界観や価値観や選択の基準の中で、実際に生きてみて、日常生活の中でそれらを使い、それらが我々個人や家族をより幸福にするかどうかを調べる、という仕方で試すことによって初めて明らかにされるとデューイは主張します。



 現代のプラグマティストであったリチャード・ローティー(1931~2007)も、その著書「文化政治としての哲学」の中で、こんなことを言っています。
「真実であるというのは、物事や信念がうまくいき、採算がとれ、役に立つとわかり、そのために容認された社会的実践の中に組み込まれたとき、それらに対して我々がかける褒(ほ)め言葉であって、これらの実践が相争うとき、根源的な真理性がどちらの側に与(くみ)するか、と問うても無駄である。」といっています。

 デューイの認識論によれば、すべての観念は自然環境や社会に対する働きかけの実験的計画のようなものであり、それに基づく行動の有効性によってのみ、その真偽が検証されるというわけですから、それは伝統的なヨーロッパの哲学――たとえ現実がどうであれ、超越したすべてを支配する枠組みへの上昇という普遍主義的メタファーへの希求とは、まったく逆向きのベクトルといえるわけです。

 木山はこれまで見聞してきたアメリカの文化の中に、そうしたプラグマティズム的な、観念の無謬性に固執しない自由さや、または新たに正しいと認知したことに対しては素朴といえるほどに正直であり忠実であろうとする人々の態度を見いだしてハッとすることが度々ありました。

 そもそもアメリカという国家は、各宗派が形成する信仰共同体の契約的集合体という側面があります。ユナイテッド・ステイツという言葉は、そのことをよく表わしておりますし、たとえば、西部ユタ州を開いたのは、私が所属する末日聖徒イエスキリスト教会(通称モルモン教会)の初期の開拓移民たちでした。したがって、州の集まりが契約的に形成した連邦政府といえども、各州の共同体的自立を脅かすことはできないという前提があります。

 こうしてミシシッピ州やイリノイ州で追放令まで受けた初期のモルモン教徒たちは、西部の未開地であるユタ州に移住することで中央政府との間に信仰の自由を獲得するわけです。

 こうした民主制のダイナミックな働きを支えるのは、結局のところ個人の自立であり、そのことがより明示的な民主制への固執としてあらわれるというのが、アメリカ社会の特徴だと思います。

 たとえば、アメリカでは小学校の段階から自立した個人の意見を述べ、他者と意見を交わすといったリベート力を鍛えられますし、授業でもできるだけ他の人と違う意見を言うことが評価につながります。

 日本では先生が想定する答を言うことが期待されるのに対し、アメリカでは先生の想定外の発想が求められる点で、価値基準が日本とは対極であるわけです。
 一般にアメリカにおけるリベート教育のポイントは、意見(
Opinion)と人格(PersonalitY)を分ける訓練です。どんなに激しく議論を交わしても、それは決して人格のぶつかり合いではないという認識が、その根底にしっかりとあります。リベートはあくまでゲームであり、ゲームが終わればもとの人間関係に戻って笑顔を交わす、それが実に当たり前という世界です。

 それは上意下達を信条とするような軍事組織においてさえも同様であるというのは、驚くような話ですが、実際にアメリカ軍の意思決定に関わるある部分には、そうした民主制の名残りが見られます。

 少なくとも第二次世界大戦中のアメリカ兵たちは、命令が理不尽だと感じたり、無理だと思った場合は、率直に指揮官に反対したり、意見具申をしたり、あるいは無言の抵抗をしたりと、何らかの形で抗命の意思を表明することができました。(映画『プライベート・ライアン』には同様の場面が出てきます。)

 どんな無茶な命令にも盲目的に服従することは、アメリカ兵の美徳とはされませんでした。この傾向は特に州兵基幹部隊において顕著であり、民兵制の伝統を持つ州兵部隊では――アメリカ・メキシコ戦争の際にはユタ州からもモルモン大隊という州兵部隊が遠くカリフォルニアまで進軍しています。――指揮官もその初期にはあっては、民主的に選出されていましたし、したがって、話し合い、意見を聞き、率直に議論をすることが、彼らの意思決定や戦術決定の指針となっていたわけです。

 これに対して日本的な空間では、意見の対立はすぐさま人格的でプライベートな対立になってしまいがちです。たとえば、「批判」という言葉は、つねに「攻撃」という言葉と同義になってしまいます。
これは強烈な文化的傾向であって、このことが日本人をしてプラグマティズム的検証、または有効性への批判的な検証という視点に立たせにくくしてしまう大きな要因だと私は考えています。

 紛争や対立を最小化することを自己目的化する日本型デモクラシーは、同質で長期的に持続する閉じた社会でしか成立しません。逆にいえば変革や危機といったものに対しては、極めて弱いと言えます。

 こうした日本人の習性に対して、社会学者のナシーム・タレブは、「小さなポラビィリティ(変動)を避けようとして、大きな破滅を招く」と評しましたし、また「日本人は小さくてよく起こる失敗を減らすことに専念し、その逆に、大きくて稀な失敗を無視する」とも言っています。




 私は太平洋戦争の戦史を読むたびに、当時の日本の天皇制ファシズムを駆動していた軍官僚たちの中に、この日本的空気に縛られた非合理の愚かさ、または空気に縛られた思考の硬直性、悪しき権威主義といったものを、嫌というほど感じます。
 しかしながら、彼らが無能の徒であったかといえば、そうではなく、彼らは一様に陸軍士官学校や海軍兵学校、東京帝国大学などを優秀な成績で出たスーパーエリートたちでした。個々の評伝などを読めば人格的にも優れ、頭脳明晰な人が多いと感じます。

 しかしこのスーパーエリートたちが戦争指導の過程で、戦略的・戦術的な結果の有効性を追求せず、その場の空気や組織の論理や、盲目的な動機の純粋性だけを行動の規範としてしまうような、そしてその結果として悲惨極まりないほどの人的損失を伴う敗北を招くといった戦例を幾度となくくり返しています。

 たとえば昭和19年10月12日~13日にかけて戦われた「
台湾沖航空戦」と呼ばれる戦いがあります。海軍側は当初、この航空戦で大戦果をあげたと確信し、天皇への上奏まで行っていますが、しかしこの戦果が全くの誤報であったことはすぐにわかってきました。
 にも関わらず海軍側は、この戦果が誤報であったという事実を政府にも陸軍側にも伝えず、これを隠蔽(いんぺい)してしまいます。

 当初の日本軍の作戦計画では、あくまで陸上における「決戦」は、首都マニラのあるルソン島において行うものとされ、兵力配備およびその他一切の準備はこれを前提に進められていたにも関わらず、台湾沖航空戦の架空の大戦果を信じきった陸軍は、ルソン島のはるか南方にあるレイテ島において地上決戦を行っても日本軍に勝機はあると判断してしまいます。
 こうして大岡昇平の小説などでも有名なレイテ島決戦が戦われるわけですが、日本軍はこの戦いに完敗します。

結局、終戦までにフィリピン全土で52万人の日本軍、日本人軍属、その他の民間の日本人が死にました。一方的に戦場にされたフィリピン人は111万人が亡くなりました。これはフィリピン国民の16人に一人に当たります。

 昭和19年10月から翌20年8月までのわずか十ヵ月間のあいだに、なぜこれほどまでの膨大な人的損失があったのか、――中国大陸の日本人の戦死者が15年間で70万人だったことと比べてみても、わずか十ヵ月間で52万人という数字には慄然とせざるを得ません。

 戦後、この大誤報の隠蔽に関わった海軍軍人は一様に「海軍という組織の空気に抗えなかった」、「自分には流れを変える権限がなかった」、「薄々おかしいと気づいていたが、今さら言い出すことはできなかった」といった類いの証言をしています。
黙って状況をすくい上げ、なおかつその中で突出しない程度にベストな選択をする人材になれ、というのが日本的エリートの規範だとすれば、「空気が読めるか、読めないか」といった問題が強調される今日的状況は、組織のために誤報を隠蔽したかの海軍軍人と同じく、同質性へのプレッシャーの中で見事に協調的であるわけです。

 「同じであれ」、「強調的であれ」、「突出するな」という圧力の中で、「分析力」とか「思考力」といった考え方が導入されたとしても、それは今日風にいえば「空気をいかに読むか」、「どうやってその場に馴染み、自分のキャラをうまく操っていけるか」といった対面的な操作能力にしかなり得ません。

 異質であったり、反逆児であったり、既定方針と異なる方向性を認めようとしない土壌で、いくら東大のその先を見据える「分析力」「思考力」などといっても仕方がないのではないでしょうか。



 たとえば、今年度2013年度1学期の国公立大古文のテキスト65ページには、臨終の東宮にすがりつき、声も惜しまず泣き入る乳母の発言が「
かく残りなき身を御覧じ捨てては、えおはしましやらじ。いまひとたび、お声なりとも聞かせさせ給ひて、いづ方へも(あの世へも)御供に率ておはしてよ」の傍線部の模範解答が「こうして老い先短い私の身をお見捨てになっては、たやすく御昇天あそばすことはおできにならないでしょう。」と載せられていて、私はなんとも苦笑せざるを得ません。

 「昇天」とは、本来キリスト教で信者が死んで魂が天に昇ることの意であり、仏教的文脈では使いません(古典における「昇天」は死ぬの意ではなく、かぐや姫の昇天のように天上界に帰るの意です)。国文学専攻の学者であれば、採点の際に必ずチェックし、多少なりとも減点するものと思います。

 問題は、この程度の未熟な言語感覚の解答が、チェックされることもなくテキストとして全国何万部と配布されてしまう事実です。さらにこの問題は一昨年の東大古文テキストにもそのまま使われていましたから、東大を目指す俊英(?)たちが、あたかも思考停止のごとく何の違和感も持たず、せっせと有名講師から「御昇天~」なる解答を伝授されている姿は、まことに滑稽ですらあります。なぜ一言「おかしい」と言えないのでしょうか?

 人々が必ずしも内容的に正しくないことに自発的に服従を示す場合、そこには内容的な正しさとは無関係な別の契機が働いていると見るべきです。カリスマ性などはその最たるものであって、欺瞞(ぎまん)ときわどく隣接する人をあっと言わせるような豪胆な解法は、その手の信者さんにとっては無限の魅力(魔力?)とも感じられることでしょう。

 私としては帰結主義的な合理主義という意味での検証の視点を失わないこと――それが結局のところ、プラグマティズムの視点なんですけど、その視点をこれからもさまざまな入試問題の実証を通してくり返し主張していきたいと思います。







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