お便りシリーズ№58




= H28・2016 東京大学古典だより =


【 功利主義とブラグマティズム 】


 イギリスの功利主義の哲学者で、経済学者でもあったジョン・スチュアート・ミル(John,Stuart,mill 1806~1873)は、ベンサム流の「最大多数の最大幸福」の原理を、個人の自由と調和させることを試みたことで知られています。形而上学的原理ではなく、「効利性」を正義の原理にしようとする功利主義と、帰結的有用性を真理の基準とするブラグマティズムとは、発想が大変よく似ています。

 それは単にプラグマティズムの勃興期にあって、英語圏における最も影響力のある思想家がミルであったということ以上に、信念は初めから真理であるとわかっていなくても、実際の運用の過程を通じて「後ろ向きに」真理であることを確かめられる――つまり事後的な有用性の検証を通して確認できるという点で、両者は共通の考えを持っていると言えます。

 しかし、真理を有用性や帰結的功利性と見る考え方は、哲学の伝統的な真理概念から大きく外れるがゆえに、様々な批判や疑問が投げかけられてきました。 

まず、真理と有用性、つまり事実と価値という異なったレベルの事象を簡単に同一視できるのかという大きな問題があります。
また、何が有用であるかといった価値の領域については、万人共通の客観的基準があるわけではなく、むしろ価値的な判断の多くは、それを評価する人や地域・時代によって極めて異なる、互いにバラバラなものであり、したがって有用性の判断それ自体において議論百出するのであれば、結局、何も語っていないのと同じではないかといった類の批判です。

 こうした批判に対し、プラグマティズムはどう答えるのでしょうか?

私なりにジョン・デューイ(John,Dewey 1859~1952)の著作などから読み取った主張を述べてみたいと思います。参考にしたのは以下の書物です。

①「行動の倫理学」ジョン・デューイ 人間の科学社

②「プラグマティズム入門講義」仲正昌樹 作品社

③「ブラグマティズム入門」伊藤邦武 ちくま新書


 ただし、事実判断と価値判断を明確に区別しようとする古典的了解に対し、プラグマティズムがあえてそれを否定し、両者は連続的なものであると主張するその内容は、認識論の根幹に関わる大変複雑な議論です。素人である私にはちょっと手に負えないところがあります。興味ある方は直接参考文献にあたってみて下さい。

 ここでは有用性の価値判断における相対性(多元主義)を、デューイがどのように考えていたか、その点に焦点をあててみたいと思います。

 まず哲学思想としてのプラグマティズムは、ある特定のテーゼの正しさの主張というよりも、様々な意見や信念の交換のためのフォーマットを提供したいという性格を持っていると思います。

 つまり、プラグマティズムが問おうとするのは、真理を求めようとする場面にあって、我々人間が採用すべき対話の形式や、問答の枠組みのあり方自体であり、それは真理や価値の最終的な決定であるよりも、その追求のスタイルの反省である限りにおいて、開かれた柔軟な哲学であるという特徴を持っています。

 さらにそのことは、私たちの探究がつねに弾力的で、誤りを訂正し続ける可謬的(かびゅうてき)なものであるということを主張します。それは探究が絶対的な意味で確実な知識へと至らなければならないと主張してきた17世紀ヨーロッパ近代以降のデカルト的な知識観――超越的なすべてを支配する枠組みへと上昇し、信念の無謬性(むびゅうせい)を追及しようとする普遍主義的メタファーへの希求といった知識観と真っ向から衝突します。つまり、方法としてのプラグマティズムは、その意味でもともと『反デカルト主義』または『多元主義』という性格を強く持っているわけです。

 プラグマティズムの基本的スタンスは、すべての概念は自然環境や社会に対する働きかけの実験に過ぎないと割り切った上で、形而上学的な真理の探究や根源的本質の追及を最終目標としないという点です。また解決という形でその実現が目指される目標自体もアプリオリに決まっているのではなく、あくまで仮説的なものであり、探究の過程で修正されることもあり得るという立場です。

 私は以前、そのような社会領域への問題の把握の仕方と、その解決の模索のスタイルを、アメリカ社会に固有のものとし、それを一種の自由さだと書きました。

 たとえばお便り№54には次のように書きました。

「民主主義とは制度上の問題ではなく、民のエートスの問題だと思うのは、いつも頭の中でこのようなブラグマティズム的な観念の無謬(むびゅう)性に固執しない自由さを備えた人たち、他者との意見の交換の中で、あらたに正しいと認知したことに対しては、素朴といえるほど正直であり誠実であろうとてする人々の行為態度を見出してハッとした体験を思い出すからです。

 それは言い換えれば、討議の大切さを認識し、討議では自分の考えを訴えつつも、理に適ったことであれば『相手に説得されてもよい』という心的構えを持つ人々が有する、ある種の自由さとでもいうべきものです。」


 私はこの文章をこれまでにも呆れるほど何度もくり返し引用してきました。それほどに私にとっては、妻のローリーと過ごしたカリフォルニア・スタンフォード大学の学生や、その周辺のコミュニティーの人々から強い影響を受けたわけです。それは言葉を換えれば〝討議におけるスポーツマンシップ〟のようなもの、つまり〝勝ち負けにこだわらない態度〟あるいは〝議論のおもむく、その論理そのものに従順で素直であろうとする態度〟ということでもあります。

 このようなこだわりのない自由さが、なぜブラグマティズムに特有なものだと言えるのか、デューイの「個人」概念に即して説明してみましょう。

 デューイは「個人」を、すでに与えられた所与のもの、完結した動かしがたいものとは考えませんでした。もしそうであれば、民主化された社会の政策においては、結局のところ「最大多数の最大幸福」的な功利主義的な数の集計を行うしかないという味気ないことになります。そういう発想に対してデューイは「個人」はそれ自体として自己完結した実体ではないと主張します。

 『感覚的に一つ一つ別に見える肉体という物理的意味においてのみ、個性は根源的所与なのである。社会的道徳的意味の
個性は作り出すべきものである。それは、創意、工夫、豊かな着想、信念及び行為の選択における責任ある態度を意味する。これらは与えられたものではなく、獲得されるものである。獲得されるものとしても、絶対的なものではなく、その用途に相対的なものである。そして用途は環境によって異なる。』

 つまり、肉体は所与と見てよいけれど、社会的道徳的意味あいでの「個人」は、あくまで可変的であり、しかも「環境」とともに変化するというわけです。「個性」は作り出すべきものであるという一文が印象的ですが、ここにはプラグマティズムの独特な習慣論が背景にあります。

 「信念は経験によって検証され、最終的には習慣という形で定着する」というプラグマティズムの有名な定理がありますが、これは、逆に言えば人間の意志が問題になるのは、自らの習慣を自覚的にとらえ、これを何らかの仕方で変更しようとするときのみである、ともいえます。

 日本における習慣は、変革よりはむしろ持続性や保守性と結び付けられて理解される傾向が強いので、一般の日本人には、このようなプラグマティズムの習慣論は意外なものに映るかもしれません。

 しかし、この「社会変革の契機としての習慣」という考え方は、よく見ていけば極めてアメリカ社会の理に適ったものです。アメリカ社会は多様な文化的背景を持つ人々からなり、習慣もまた実に多様です。そして人々は自らのものとは異なる習慣を持つ人々の姿を、日々、直接的に目にし、さらにそこに経験における有効性が検証されれば、自身の習慣をも旧態にこだわらず変容させていきます。
 その意味でアメリカ社会全体が多様な習慣の実験場であり、かつ習慣の担い手は主体的個人に託されているわけです。

 教育学者としてスタートしたデューイは、各人が自らの運命の主人公となるための仕組みを模索しました。一人一人が自らの生を通じて多様な構想を実験することを可能にする社会を目指しました。そのようなデューイにとって「実験としての民主主義」のカギとなるのが習慣でした。「習慣は第二の天性であり、習慣の方が十倍も天性である」というイギリスの軍人ウェリントンの言葉を、プラグマティズムの先駆者であるウィルアム・ジェームスはよく引用しますが、それは前提として、個人が主体的な自らの運命の担い手として自らを変革する力を有するという理念を信じるからです。
その意味で主体的な変革への信頼は、まさにプラグマティズムの基盤といえるわけです。(後半に続く)





【 H28 東大古文問題の分析 】


○ 次の文章は、鎌倉時代成立とされる物語『あさぎり』の一節である。これを読んで、後の設問に答えよ。なお、本文中の「宰相」は姫君の「御乳母(めのと)」と同一人物であり、「少将」はその娘で、姫君の侍女である。

 (尼上ハ)まことに限りとおぼえ給へば、御乳母召して、「今は限りとおぼゆ

るに、この姫君のことのみ思ふを、
なからむあとにも、かまへて軽々しから

ずもてなし奉れ
。今は宰相よりほかは、誰をか頼み給はむ。我なくなるとも、

父君生きてましまさば、さりともと心安かるべきに、誰に見譲(ゆづ)るともな

く、消えなむのちのうしろめたさ」を返す返すも続けやり給はず、御涙もとど

めがたし。

 まして宰相はせきかねたる気色にて、しばしものも申さず。ややためらひて

「いかでかおろかなるべき。
おはします時こそ、おのづから立ち去ることも

侍らめ
、誰を頼みてか、かたときも世にながらへさせ給ふべき」とて、袖を顔

に押し当てて、たへがたげなり。姫君は、ましてただ同じさまなるにも、かく

嘆きをほのかに聞くにも、なほもののおぼゆるにやと、悲しさやらむかたなし。

げにただ今は限りと思(おぼ)して、念仏声高に申し給ひて、眠り給ふにやと見

るに、はや御息も絶えにけり。


〔現代語訳〕

 (尼上は)まことにこれが最期(臨終)と思われなさるので、御乳母をお呼びになって、「今はもう最期と思われるのに、この姫君のことばかり思ってしまうので、
なからむあとにも、かまへて軽々しからずもてなし奉れ。
今はあなた(宰相=乳母)のほかには(姫君は)誰を頼みになさることができましょう。私が亡くなったとしても、父君が生きていらっしゃれば、そうはいっても(=姫君が一人になるとはいっても)安心であるはずでしょうが、誰に姫君のお世話を譲るということもなく私が死んでしまう、その後のことが気がかりで心配なこと」とくり返しながらも、最後まで言い続けなさることもできず、御涙もとどめがたい様子である。

 (この尼上の発言を受けて)まして宰相の乳母は涙を止めることができない様子で、しばらくものも申し上げられない。ややためらって、「どうして(姫君のお世話を)いい加減にすることなどあるはずがありましょうか。

おはします時こそ、おのづから立ち去ることも侍らめ、
(これからは私以外の)誰を頼みとして(姫君は)片時もこの世に生きながらえなさることがおできになりましょうか」と言って、袖を顔に押し当てて、耐え切れない様子である。
姫君はましてただ同じさまである中にも(=同じ悲嘆のさまである中にも)、このような人々の嘆きをほのかに聞くにつけても、自分はなおもものを思われるのかと、悲しさを晴らすこともおできらならない。
(尼上は)なるほど本当に今は臨終だとお思いになって、念仏を声高に唱えなさり、お眠りなさったのであろうかと見るうちに、はやくも御息も絶えておしまいになった。

   


設問(二)
「なからむあとにも、かまへて軽々しからずもてなし奉れ」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。

 では解説します。前後の文脈から「なからむあと」が話し手である尼上自身の死後を示唆していることは明らかだと思います。つまり「私が亡くなったあとにも」と言っているわけです。
「かまへて」は木山の
直単A動21「かまふ」(準備する・用意する)が副詞的に述部にかかっていくときの用法で「何とかして~」。実際、直単チェックで学生に当てる際にも、年間を通して「かまふ」については、この副詞的用法ばかりを練習しています。

「もてなす」(B動61)は、近年の入試においては最重要単語の一つです。木山方式では年間25回~35回ぐらいそらで正確に二つの意味を答えてもらう練習をくり返しています。一つは自動詞として自分自身がそのように「ふるまう(態度)」。これは明るくふるまうとか、冷たくふるまうといった態度を表わす意であって、決して相手にご馳走するという意の「ふるまう」ではありませんから注意して下さい。

 たとえば、「涙もつつみあへず出づれど、つれなくもてなさせ給ひて」などとあれば、「涙もかくしきれずに流れ出るけれども、
平然と何事もないかのようにふるまいなさって」などと訳すわけです。

 もう一つの用法は「娘の三の君
いかにもてなし奉らん」などのように、他動詞として目的語の「を」を伴って「~もてなす」などの形になる場合、訳し方は「~とり扱う」となります。市販の単語集などでは、対象者をとり扱うの意から転じて「世話をする」という訳を載せているものもありますが、これもほぼ同義であり、今回の東大の設問にもうまく整合します。

 この「もてなす」の二つの用法は、入試問題ではどちらも同程度に頻出します。この文脈では「私が亡くなったあとにも(残された姫君
)~軽々しからずもてなし奉れ」と、姫君を目的語とする他動詞の用法ですから「とり扱う/世話をする」の意となります。

 つまり、傍線部の直訳は「私の亡きあとにも、姫君のことを何とかして軽々しくないように(=重々しく・丁重に・大切に)とり扱い申し上げよ」となり、それを説明風にまとめれば、答は次のようになります。


→尼上自身の死後も姫君を大切に取り扱ってほしいということ。


設問(三)「おはします時こそ、おのづから立ち去ることも侍らめ」(傍線部イ)を、主語を補って現代語訳せよ。

 まず、主語の補いが「おはします」と「おのづから立ち去る」の二ヶ所になる点に注意して下さい。「おはします」は敬語であり、「おのづから立ち去る」には敬語がありませんから、両者の主体の違いがわかります。

 また傍線の直前には「いかでかおろかなるべき」(どうして姫君のお世話を)いいかげんにすることなどあるはずがありましょうか。
公32③*)という乳母の発言があり、それに続く傍線部イは、その自らの発言への譲歩として、(ただしこれまでは)「(尼上の)おはします時こそおのづから(私が姫君のお側を)立ち去ることもございましょうが」とことわりを述べていると考えられます。

 ラ変動詞「あり」
(A動3)には「生きる」の意があり、それは「あり」の尊敬語「おはす・おはします」や、「あり」の丁寧語「侍り」などでも、それぞれ「生きていらっしゃる/生きております」などと訳出可能であることは、A動3*に記載されているとおりです。

 ここは尼上の死を念頭においている場面ですから、もちろん主語は尼上です。また「おのづから」が入試でわざわざ問われた場合は
C副4②の「たまたま(偶然)」の意が狙われやすく、さらに文構造の「こそ――已然形、~」(公33①)の形は逆接強調法ですから、文末を逆接にすることも忘れないで下さい。
 以上の点をふまえて、答は次のようになります。


→尼上がご存命の時には、たまたま私が姫君のお側を立ち離れることもございましょうが


    


さて、本文の続き。

○ 姫君は、
ただ同じさまにと、こがれ給へども、かひなし。誰も心も心な

らずながら、さてもあるべきことならねば、その御出で立ちし給ふにも、われ

さきにと絶え入り絶え入りし給ふを、「何事もしかるべき御ことこそまします

らめ。消え果て給ひぬるは、いかがせむ」とて、またこの君の御ありさまを嘆

きゐたり。大殿もやうやうに申し慰め給へども、生きたる人とも見え給はず。

 その夜、やがて阿弥陀(あみだ)の峰といふ所にをさめ奉る。むなしき煙と

立ち上り給ひぬ。
悲しとも、世の常なり

大殿は、こまごまものなどのたまへること、夢のやうにおぼえて、姫君の御心

地、さこそとおしはかられて、御乳母を召して、「かまへて申し慰め奉れ。御

忌み離れなば、
やがて迎え奉るべし。心ぼそからでおはしませ」など、頼

もしげにのたまひおき、帰り給ひぬ。

 中将は、かくと聞き給ひて、姫君の御嘆き思ひやり、心苦しくて、鳥辺野(と

りべの)の草とも、さこそ思し嘆くらめと、あはれなり。夜な夜なの通ひ路も、

今はあるまじきにやと思すぞ、いづれの御嘆きにも劣らざりける。少将のもと

まで、

鳥辺野の夜半(よは)の煙に立ちおくれさこそは君が悲しかるらめ

とあれども、
御覧じだに入れねば、かひなくてうち置きたり。


〔注〕

○ 御出で立ち――葬送の準備
○ しかるべき御こと――前世からの因縁
○ 阿弥陀の峰――現在の京都市東山区にある阿弥陀ヶ峰。古くは、広くこの一帯を鳥辺野と呼び、葬送の地であった。
○ 御忌み離れなば――喪が明けたら。
○ 中将――姫君のもとにひそかに通っている男性。

[人物関係図]


    

〔現代語訳〕

 姫君は
ただ同じさまに」と、(亡くなった尼上を)慕い焦がれなさるけれど、今となっては甲斐もない。誰しも気は動転しながらも、いつまでもそのままであってよいことでもないので、葬送の準備をなさるにつけても、自分こそが先に(死にたい)と何度も気を失いなさるのを、「何事もそうなるはずのこと(前世の因縁)がございましょう。消え果てなさったこと(尼上がお亡くなりになられたこと)はどうしようもありません。」と言って、またこの姫君の有様を皆人々は嘆いていた。大殿も姫君に色々と申し上げ慰めなさるけれど、(姫君は)生きている人のようにもお見えにならない。

 その夜、そのまま阿弥陀の峰というところにお納め申し上げる。空しい火葬の煙となって空にお上りになった。
悲しとも、世の常なり」
大殿はこまごまとものをおっしゃっていらっしゃることなど(葬送の指図などおっしゃることなど)、ご自分でも夢のように思われて、姫君のお気持ちはさぞかしと推し量られて、乳母をお呼びになって、「なんとかして(姫君を)お慰め申し上げよ。喪が明けたらすぐにお迎え申し上げよう。心細い思いをしないでいらっしゃい。」などと頼もしい様子で言い置きなさってお帰りになった。

 (姫君のもとに密かに通っていた)中将は、これこれとお聞きになって、姫君のお嘆きを思いやりなさり、お気の毒で「鳥辺野の草」とも歌にもあるが、今頃さぞかし思い嘆いていらっしゃることであろうと、しみじみと物悲しい。夜な夜なの通い路も、今はあってはならないことであろうかとお思いになる(そのお気持ちは)どなたのお嘆きにも劣らないのであった。(姫君の侍女である)少将のもとにまで(歌をお送りになる)

鳥辺野の夜半(よは)の煙に立ちおくれさこそは君が悲しかるらめ」

と歌があるけれど、
御覧じだに入れねば、」甲斐もなくてそのままとど

め置いていた。


   


 さて、語釈問題に入る前に、ここである問題を紹介しましょう。

*鎌倉時代に成った『海人(あま)の刈藻(かるも)』という物語の一節です。

 帝の后である女御(にょうご)は、父大納言が病気のために里に下がっていましたが、女御に思いを寄せる中納言は、恋の苦しさのあまり大納言邸に忍び込み、女御をかき抱いて御帳のうちに引き込んでしまいます。
 女御にお仕えする女房の〝大納言の君〟がふと目を覚ましてみると、女御様は近くにもいらっしゃらないといった状況。(以下、原文)

○ 「こはいかに」と思ふに、御帳のうちに人の気配するに、あやしくて参り

寄りたるに、馴れ顔なる男、添ひ臥して泣くなりけり。
あさましともおろかな



 傍線部「あさましともおろかなり」とあるが、この時の大納言の君の心情の説明として適当なものを一つ選べ。

① 自制心を失って言い寄る中納言を前にして、どんなに恐れおののいていらっしゃったことだろうかと女御の心中を察するにつけて、慰めようもなく、心苦しくつらいことに思っている。

② 見も知らない男が女御に添い寝をしているという並々でない事態であることが見てとれたが、うちひしがれてただ泣くばかりの男をおろかで情けないことに思っている。

③ 目を覚ましてみると女御の姿をなく、不審に思って御帳のうちをのぞくと、男が女御に添い寝して泣いていたので、あきれたなどというありふれた言葉では言い表せないくらい驚いている。

④ 側で眠っているはずの女御が見当たらず胸騒ぎがしたが、中納言と会っていたことを知って安堵するとともに、二人の逢瀬をあきれたことに思っている。

 一見すると大納言の君が、男を中納言と認識していたか否かが判断の分かれ目のようにも見えますが、実は関係ありません。結局は単語の知識の問題です。

 さて、いずれが正解でしょうか?

 木山の直単C形動10「おろかなり」の項目には、「言へばおろかなり」という連語が載せられています。これは原義的には、ある言葉を口に出して言ってしまうと、かえっていいかげんで、並み一通りで、うすっぺらいものになってしまうと言ったニュアンスの連語です。

 たとえば、愛する家族を事故で失った人が、悲しみの極みにあって胸も張り裂けんばかりの人が、「今のお気持ちは?」と人に聞かれて「はい、悲しいです」と答えるとしたら、あまりに変哲なさすぎて、かえってうすっぺらい表現に聞こえてしまいますよね。本当は「悲しい」などという言葉ではとても言い尽くせないはずなのに、それを言葉にしてしまうと何かが抜け落ちたような感じがしてしまうといった感覚は、我々の日常の体験の中でもあり得ることだと思います。つまり感情や思いの度合いが強すぎて、ありきたりの表現ではとても表現できないといった場合に、この表現が用いられるわけです。

 連語の持つニュアンスの説明としては以上のとおりですが、
一般的な訳し方は「~という言葉では言い尽くせない」とするのが入試上の通例ですから、しっかりとこちらの訳を覚えて下さい。

 ところで、この「言へばおろかなり」は慣用の度合いが進んでくると「言へば」の部分が省略されて、上にくる形容(感覚や心情を表すものが多い)と直接つながってしまうことがあります。
 たとえば「らうたしと言へばおろかなり」(可愛らしいという言葉では言い尽くせない)とまったく同じ意味合いで、「言へば」を省略して「らうたしとはおろかなり」と書かれたりすることもあります。

 プリント資料の№1
「木山の直単450」のA3デカ版を持っている人は、C形動10の欄に「らうたしとはおろかにて」と手書きの書き込みがあるのを見ると思いますが、それは実際に早稲田の文学部に出題されたものです。
 もちろん前後の文脈を考慮して、ここは「らうたしと言へばおろかにて」と同じ意味合いで言っているのだろうと判断することになります。

 以上の説明で『海人の刈藻』の「あさましともおろかなり」の問いの答がわかるはずです。「
あさまし」(B形2)の訳は「驚きあきれる」ですから、「驚きあきれるという言葉では言い尽くせない(ほどだ)」という表現を含む選択肢は③しかありません。答は③です
 
 わかってしまうと、いとも簡単ですが、知識がない状態では学生は「あさまし」と「おろかなり」をそのままつないで、選択肢の②を選んでしまう学生も結構出てくるものです。

 ところで、直単C形動10の枠下から右外枠の米印に傍線がつないであるのは、この「言へばおろかなり」と同類の表現を紹介するためです。たとえば*「
~と言へば世の常なり」の原義は、「~という言葉を言ってしまうと世間の並み一通りのこと(=世間並みのこと)になってしまう」というわけですから、いわんとする意味合いは「言へばおろかなり」と同じです。つまり入試上要請される訳は「~という言葉では言い尽くせない」となります。

 これも同じように「言へば」の省略が起こりますから、たとえば「悲しとは世の常なり」とあれば「悲しいという言葉では言い尽くせない/言い尽くせないほどだ」などと訳せば正解となります。





設問(一) エ・オ・キを現代語訳せよ。

=悲しいという言葉では言い尽くせないほどだ。

   
=すぐに姫君をお迎え申し上げよう。(やがて C副17②)

   
=姫君は中将の歌を御覧にさえならないので(だに 公38②~さへ)
  
   *「見入る」は「注意してじっくり見る」の意ですが、ここでは特に訳出の   必要はありません。

設問(四)「ただ同じさまにと」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

 姫君が「はや御息も絶えにけり」となった尼上と「同じさま」になりたいと願っているわけですから、自分も死んでしまいたいという解答の方向以外に答はあり得ません。

→姫君も尼上の後を追って死にたいと思っているということ。


設問(五)「鳥辺野の夜半(よは)の煙に立ちおくれさこそは君が悲しかるらめ」(傍線部カ)の和歌の大意をわかりやすく説明せよ。

 鳥辺野の夜半の煙」は本文中の「むなしき煙と立ち上り給ひぬ」及び補注「阿弥陀の峰」の内容から、尼上を火葬にした煙を指すことがわかります。「立ちおくれ」は
A動8「おくる」の知識から「先立たれる/死に遅れる」の意。「さこそ~らめ」は現在推量の「らむ」の訳に、「さぞかし」を補って、「さぞかし(今頃は)~しているだろう」。もちろん視覚外の現在推量としての相手の心中推量(公13)ですから、歌の詠み手である中将が姫君の心中を思いやって詠んでいる歌です。
 以上の三点、「
火葬の煙先立たれる姫君はさぞかし~しているだろう」の三点を簡潔に説明風にまとめると、答は次のようになります。

→母である尼上に先立たれ、火葬も見届けた姫君は、さぞ悲しんでいることだろう。

   

 結局、今回の東大古文のポイントは、重要単語の正確な暗記と、その応用に拠ると断言できます。解釈上の難点はほとんどありませんし、木山の直単に載せられた単語の意味をそのままつないでいけば、ほぼ正答を導けることは、以上見てきたとおりです。

 受験の一年間または十ヶ月間に、どんなに学生をうならせるほどの絶妙な対策授業を展開したとしても、それはあくまで個別な当該問題における解説の分かりやすさ、妙味であって、東大古文対策と銘打たれたそれらの対策講座が、本番の東大古文にどう役立ったのかについては、それだけでは事後的な効果を証明したことにはなりません。

 プラグマティズム的な考えでは、入試対策の内容と本番での得点寄与が、因果的に直接ダイレクトに結びつくのでなければ、その価値はゼロということになります。この点については多くの受験生、また失礼ながら教える側の先生方も含めて極めて無頓着であるように見えます。

 一例を挙げましょう。たとえば今回の東大古文の解法に得点寄与した6項目の知識、

(1)「かまへて~」の副詞的用法
(2)「もてなす」の他動詞としての訳
(3)「おはします」→生きていらっしゃる
(4)「おのづから」→たまたま
(5)「~とも世の常なり」の訳し方
(6)「おくる」→死に遅れる/先立たれる


の6項目について、多くの予備校・塾・高校の課外授業・高校配信の映像授業などで行われている単元的過去問演習の積上げ方式でどの程度カバーできるのか、2015年度の年間のYサピックスの古典テキストを一例として調べてみました。


 年間での演習量は全体で28題、そのうちの9割が東大・京大の過去問、残り1割が旧帝大系の問題でした。このうち先の6項目を教える機会があるのは、2015年2学期第4講の2008年京大文系古文「石清水物語」の中の「この世におはせぬこそ力なきことならめ、」(この世に生きていらっしゃらないのならば仕方のないことだろうが)の部分が、「おはす」→生きていらっしゃるの意となるという点、この一例のみであり、他の5項目については設問化されているか否かに関わらず、本文中のどこにも出現していません。

 東大古典対策であるから、東大の過去問を演習するという一見真っ当なやり方が、実は設問形式に慣れるということ以上の直接的な効果を生んでいないという事実に注目すべきです。

 これに対しては、次のような反論があるかもしれません。
 大問演習の積上げ方式が必ずしも本番入試のポイントを直接的にカバーしないことは最初からわかっていることであり、我々は東大・京大の出題のスタイルに慣れることを目的として大問演習にたずさわっているのである。個別な単語の知識の充足は、市販の単語集などで十分カバーできるのだから、木山の指摘は当たらないといった反論は、たしかにあり得る反論です。

 ではその市販の単語集を調べてみましょう。





【市販の古文単語集は、H28東大古文の問題解法において、どの程度得点寄与したか?】

 チェック項目は以下の通りです。

→「構(かま)へて~」という副詞的用法において「何とかして・必ず・きっと」などの訳出のあり方を載せているか。

→「もてなす」が自動詞の「ふるまう(態度)」の意ではなく、目的語をとって「何々をもてなす」などのような他動詞となった場合の正しい訳「取り扱う/世話をする」などの訳し方をきちんと紹介しているか。

→ラ変動詞の「あり」または、その尊敬語である「おはします」などが、「生きる/生きていらっしゃる」などと訳出できることを紹介しているか。

→「おのずから」という副詞の「たまたま・偶然」という訳を載せているか。

→「~とも世の常なり」の正しい訳出を載せているか。

→「おくる」に「死に遅れる/先立たれる」の意を正しく紹介しているか。


  調査対象は以下の19冊とし、効果の低い方から高い方に順に並べて図表化してみました。


(1)古文単語ゴルゴ(赤色の表紙)  スタディーカンパニー 900円

(2)新版完全征服必修古文単語400  桐原書店 780円

(3)マドンナ古文単語230パワーアップ版  学研 900円

(4)新読解古文単語  桐原書店 800円

(5)望月光の古文単語333  旺文社 900円

(6)吉野式ピタリと当たる古文単語完璧バージョン  学研 900円

(7)まめまめ古文単語300  文英堂 800円

(8)一分間古文単語240  水王社 950円

(9)覚えやすく忘れにくい精選古文単語300  PLUS 860円

(10)ゴロ覚え古文単語600  学研 1100円

(11)完全征服標準古文単語650  桐原書店 777円

(12)解法古文単語350  数研出版 820円

(13)古文単語マスター333  数研出版 743円

(14)古文単語早わかり  中経出版 1300円

(15)ビジュアル図解古文単語  学研 1000円

(16)二刀流古文単語634  旺文社 900円

(17)合格古文単語380  桐原書店 800円

(18)入試古文単語速習コンパス400  桐原書店 820円

(19)古文単語FORMULA600  東進ブックス


     A    B        D    E   F   得点寄与の    ポイン
 木山の直単
450A~E面
   〇                      
 古文単語集(1)        ×
  注1
  
 注2 
      ×    ×     2.5
 古文単語集(2)        ×           ×    ×     2.5 
 古文単語集(3)        ×    ×   〇    ×           
 古文単語集(4)        ×    ×       ×          
 古文単語集(5)    ×       ×        ×          
 古文単語集(6)        ×
   ×        ×    ×      
 古文単語集(7)    ×        ×        ×          
 古文単語集(8)        ×
 
注3
   ×        ×          
 古文単語集(9)        ×
   ×       ×              
 古文単語集(10)        ×    ×        ×             
 古文単語集(11)        ×            ×         3.5
 古文単語集(12)        ×            ×         3.5
 古文単語集(13)            
       ×         3.5
 古文単語集(14)            ×        ×
          
 古文単語集(15)            ×       
 注4
        4.5
 古文単語集(16)                   ×        4.5
 古文単語集(17)                    ×         4.5
 古文単語集(18)                   ×          4.5
 古文単語集(19)                    ×         4.5


注1
……『持てな(い)イカをみんなにふるまう』というゴロで覚えるコンセプトであり、これでは「ふるまう」のニュアンスが〝人にごちそうをする〟の意と誤解されやすく、古語として問われる意味、たとえば「つれなくもてなさせ給ふ」=「平然と何事もなかったかのようにふるまいなさる」のような態度表明としての「ふるまう」のニュアンスから離れてしまい、危険です。
 「もてなす」の自動詞の訳が「ふるまう」であることを覚えている学生の中にも、それが態度表明の意ではなく「相手にごちそうする/相手をもてなす」の意だと勘違いをしている人は多く、その点をつねに是正していく必要があることは、現場で直接指導する教師にとっては常識のレベルです。
 もしかしたらこの本の作成者は現場に立ったことがない人なのかもしれません。ページの下段の囲みのコラムの中には〝世話をする〟の意もごく小さく載せられていますが、ゴロで覚えるコンセプトである以上、「とり扱う・世話をする」の意は無効だと判断しました。

注2……ラ変動詞「あり」=(生きる)の項目があれば、「おはします」=(生きていらっしゃる)の記載がなくても、勘のいい学生ならば「あり」の尊敬語としての「おはします」にも〝生きる〟のニュアンスがあるのではないかと推察できると思いますから、そういう場合、△としました。以下の△も同様です。

注3……『持てナス!これから儀式を執り行う』とゴロで覚えるコンセプトですが、(儀式を)「執り行う」では、今回の東大の文脈「とり扱う・世話をする」といったニュアンスとは微妙に食い違ってしまうので×としました。
 ちなみに「もてなす」には「執り行う」の意もありますから間違いではありませんが、入試の有効の度合いから言えば、他動詞の訳は「~をとり扱う」がベストだと思います。

注4……「よのつね」(世の常)=〝月並みな表現〟と紹介されており、今回の東大の設問エ「悲しとも、世の常なり」を「悲しいという言葉では月並みな表現になってしまう」と書く可能性があり、「~と言へば世の常なり」(=~という言葉では言い尽くせない)に近い解答となります。
ただし、本来の形「~と言へば世の常なり」といった慣用句を載せていないので△としました。ちなみに19冊中、Eのチェックポイントに触れるのはこの単語集一冊のみです。

 現在、書店に並べられている代表的な古文単語集においても、以上のごとくピンからキリまで得点寄与率のバラつきがあり、かつ、19冊すべてにおいて木山の直単450に及びません。
 東大の古典対策に本気で実効性を期待するのならば、市販の単語集に1000円前後のお金を費やすよりは、82円の切手代金で私の公式資料を要請し、ホームページ上の音声解説をくり返し聴き続けるほうが、より効果的だと私は思います。




〔学生の声〕

東大古文は今年は特に木山方式の直単から多く出題されたなぁと感じました。設問(1)アは授業で強調されていたので、試験場では安心して記述の答案を書くことができました。東大漢文は過去問で漢詩を直前に自習していたので(2011年度)、左遷パターンだと気付くとわかり易かったです。
最初は正直なところ木山方式を胡散臭いと思っていましたが、今となっては本当に出会えてよかったと思っています!ありがとうございました!!!
                     
[東京大学 文Ⅰ 合格]

お久しぶりです。〇〇〇〇高校高3の〇〇です。東大理系の古典については、古文では直単が非常に役立ちました!試験前にいつもながめていましたが、精神安定剤にもなりました。漢文は漢詩だったので漢単が役立ったのかどうかは微妙です。
先生の授業のお陰で国語全体の成績が上がったと実感しています。進学先は東京大学です。1年間ありがとうございました。
                      
[東京大学 理Ⅱ 合格]





【H28 東大漢文問題の分析】




○ 次の詩は、北宋の蘇軾(そしょく 1037~1101)が朝廷を誹謗した罪で黄州(湖北省)に流されていた時期に作ったものである。これを読んで、後の問いに答えよ。

 このリード文に示されたように、以下の七言詩は、作者の蘇軾が流謫の身として地方にあったときの作です。流人として異郷の地での孤独な生活を余儀なくされた作者が、同じように原産地を遠く離れて一人咲く海棠(かいどう)という花に共感を覚えるといった趣向です。

 以下、書き下し文の形で本文を載せます。読みが付いている箇所については、入試問題と同様です。

○ 寓居(ぐうきょ)定恵院(じょうえいん)の東、雑花山に満つ、海棠(かいどう

)一株有り、土人は貴きを知らざるなり。

江城地は瘴(しゅう)にして草木蕃(しげ)し

只だ名花の苦(はなは)だ幽独なる有り

嫣然(えんぜん)として一笑す竹籬の間

桃李山に漫(み)つるも総(すべ)て粗俗

也(ま)た知る造物深意有るを

故(ことさら)に佳人をして
空谷に在らしむ

自然の富貴天姿より出づ

金盤もて華屋に薦むるを待たず

朱 唇 得 暈(うん) 生 臉(ほほ)

翠袖(すいしゅう)紗(さ)を巻きて紅肉に映ず

林深く霧暗くして暁光遅く

日暖かく風軽くして春睡足る

雨中涙有り亦凄惨

月下人無く更に静淑

先生食飽きて
一事無し

散歩逍遥(しょうよう)して自ら腹を捫(な)づ

人家と僧舎とを問はず

杖を拄(つ)き門を敲(たた)き修竹を看る

忽ち絶艶(ぜつえん)の衰朽を照(て)らすに逢ひ

嘆息無言病目を揩(ぬぐ)ふ

陋邦(ろうほう)何(いづ)れの処にか此の花を得たる

無乃(むしろ)好事(こうず)の西蜀(せいしょく)より移せるか

寸根千里致し易からず

子(し)を銜(ふく)みて飛来せるは定めし鴻鵠(コウコク)ならん

天 涯 流 落 倶
念(おも)

為(ため)に一樽(いっそん)を飲み此の曲を歌ふ

明朝酒醒(さ)めて還(ま)た独り来らば

雪落ちて紛紛
那ぞ触(ふ)るるに忍(しの)びん


〔注〕

○ 定恵院――黄州にあった寺。
○ 海棠――バラ科の木。春に濃淡のある紅色の花を咲かせる。
○ 土人――土地の人。
○ 江城――黄州が長江に面した町であることを言う。
○ 瘴――湿気が多いこと。
○ 嫣然――にっこりするさま。
○ 華屋――きらびやかな宮殿。
○ 紗――薄絹。
○ 西蜀――現在の四川省。海棠の原産地とされていた。
○ 鴻鵠――大きな渡り鳥。
○ 紛紛――乱れ落ちるさま。


(1)傍線部a、c、fを現代語訳せよ。

   答 →人気のない何もない谷間
 
      
→一つとして何もすることがない

     
→海棠の花には触れるには忍びない
       (別解)どうして触れることができようか

(2)「朱 唇 得 レ 酒 暈 生 レ 臉」(傍線部b)とあるが、何をどのように表現したものか説明せよ。

→海棠の紅色の花を、美人の赤い唇と酔いに染まる頬に例えている。
(佳人=美人・美女 漢単A38)

(3)「陋 邦 何 処 得 此 花 (傍線部d)について、作者はどのような考えに至ったか説明せよ。

→鴻鵠が(大きな渡り鳥が)種を口に含んで西蜀から黄州に運んできたのだろうという考え。

(4)「為 飲 一 樽 此 曲 (傍線部e)とあるが、なぜそうするのか説明せよ。

→黄州に流された自らの孤独な境遇を、異郷の地に独り咲く海棠の花に重ね合わせて共感したから。



 まず漢詩の主題を問う
設問(4)の解説から始めましょう。

「為 飲 一 樽 歌 此 曲」
(傍線部e)とあるが、なぜそうするのか説明せよ。
本来「為」は下から返読して目的・理由を表す前置詞ですから(公8①)、ここは下にくる目的語の「海棠」が省略された形です。その点を補えば、傍線部eの訳は「(
私は)海棠のために一樽(の酒)を飲み、この曲(この七言古詩)を歌おう」となります。

 設問の要求は「なぜそうするのか」ですから、つまりこの七言古詩を蘇軾が作った動機と主題は何かというわけです。リードの文の内容から蘇軾がこの地に流された流人の身であること、また詩の内容からも何一つすることもない孤独で無聊な日々であることがわかります。

 また傍線部eの四句前の「無乃(むしろ)好事(こうず)の西蜀(せいしょく)より移せるか」(むしろ物好きな好事家が海棠を原産地の西蜀から移したのか)からも、原産地から遠く運ばれて独り咲く海棠の花=流された蘇軾の孤独な境遇という共通点が見てとれます。
 つまり同じような不遇な身の上だというわけですが、おそらくそのような感慨が最も強く込められた一句が傍線部eのすぐ直前の「天 涯 流 落 倶 可 念 」であろうと思います。

 ところで昨年あるセンター模試の中に次のような問題が出ていました。

正しい読みを一つ選べ。

(2) 倶  ① つひに
      ② にはかに
      ③ つぶさに
      ④ ひそかに
      ⑤ ともに

さて、この漢字の正しい読み方はどれでしょう?

 実は「具」という漢字と「倶」という漢字は、一見字体が似ているために、一度読みを覚えた人でもしばらくするとどちらが「ともニ」であったか?「つぶさニ」であったか?つい混乱してしまいがちです。(詳しい覚え方はホームページの
木山の漢単200!音声ダウンロードC面の下段あたりに解説がありますから、そちらを聴いて下さい。)

 答は⑤の「ともニ」です。「つぶさニ」と読むのは「具」の漢字の方です。
この「惧」(ともニ)の字義を正しく理解して、直前の一句を「天 涯 流 (てんがいりゅうらく)惧(
とも)に念(おも)ふべし」と読めていれば、蘇軾が海棠の花に寄せる同類相憐れむといった感慨、共感の気分というものはすぐに把握できたものと思います。





 全体として東大漢文における解答の方向性は駿台・河合・東進については、ほぼ同一です。
 代ゼミの解答だけが設問(1)傍線部f「那ぞ触(ふ)るるに忍(しの)びん」の解答を「どうして海棠を見ることに耐えられようか、いや耐えられない」としており、これは要するに「雪が乱れ落ちて凍える海棠を見るに忍びない」の意であろうと思われますが、しかし「触」の字自体に「見る」の意はなく、模範解答として示すにはやや危ういのではないかというのが私の印象です。

 ところで「明朝酒醒(さ)めて還(ま)た独り来らば/雪落ちて紛紛」の部分は文字通り
小雪が舞い散る寒の戻りの情景と解してよいと思います。日本でもよく目にする園芸種の花海棠(はなかいどう)も、古くは海棠といえば実海棠(みかいどう)のことをいったという、その実海棠も共に開花の時期は四月~五月ですから、四月上旬の早咲きであれば、寒の戻りの雪にさらされることもあり得ることだと思います。(内陸の湖北省襄陽市の今年4月12日の最低気温は5度とネット上に出ています。)

 しかも「日暖かく風軽くして春睡足る」といった春爛漫の描写のあとに、翌朝、酒の酔いが醒めて独り訪ねてみると、一転して、寒風吹きすさぶ小雪の中に海棠の赤い花を見るといった、急転の結びとするところに結句としての味わいがあるように思います。

 「雪落ちて紛紛」を実際の雪ではなく海棠の花びらが粉粉と風に舞い散る情景とみる解釈はどうもいただけません。そもそも落花の風情であれば、それは愛(め)でられるものであって、「酒醒(さ)めて還(ま)た独り来らば」といった春爛漫の夢から醒めて厳しい現実を直視してみると、といったニュアンスにつながりにくくなります。

 ではなぜ雪に凍える海棠の花に〝触れるに忍びない〟と「触れる」という表現が使われたのでしょうか?それについては蘇軾は海棠の花を擬人的に美女と見ているわけですから、〝女性に触れる〟といった艶(つや)っぽいニュアンスを含ませながら、雪に凍えるお前に触れるには忍びないと詠んだのではないかと私は思います。

 ところで、今年の東大漢文で最も珍妙な解答を載せたのは旺文社全国大学入試問題正解/国語/国立大編です。設問(1)傍線部fの答は「触れずにはいられない」と、諸解答とはまったく逆の答になっています。
 これは「~スルニ忍ビナイ」の文意を「~スルノヲ忍バン(ヤ)」(反語)の文意に取り違えて誤解したものです。

 さらに設問(2)何をどのように表現したものか、という問いに対しては「海棠が濃淡のある紅色の花を咲かせている様子」と答えており、設問の主旨そのものがくみ取られていません。先に示した解答と比べてみて下さい。じわじわとおかしさがこみ上げてくるはずです。

 また結句の解釈を「雪のように散らばった花びらにどうして触れずにいられようか」としており、これは先に挙げた理由により、雪を落花の比喩とみるのは正しくないと私は思います。





(前半の続き)

 帰結主義とは、結果の有効性を重視する考え方です。帰結主義の反対は規範主義で、これは「帰結の有効性はどうであれ、ダメなものはダメ」又は、「帰結の有効性いかんに関わらず、こうすべきものはこうすべき」という立場です。

 プラグマティズムが自己の知的枠組みをたえず作り替えようとする活力を有するのに対し、規範主義にはそのような自己の刷新といった力動的要素がありません。さらに官僚主義にみられるような、形式主義・権威主義・画一主義・先例踏襲主義・わずらわしい手続き主義・派閥意識・縄張り根性・役得の利用による傲慢性などが、この規範主義と結びつくとさらに強固で一筋縄ではいかないものになります。

 事務官僚組織のコミュニケーションの作法は、自分が属する内集団にいかにうまく適応するかが最大の関心事ですから、そういう近傍への適応のプライオリティーが非常に高い集団内では集団的規範圧力の方が真っ当な論理を圧倒してしまいます。
 仮に討議という形が取られたとしても、『あなたが何を考えようと、何をどう判断しようと、それは我々の判断にはまったく関与しない』というのが事務官僚的コミュニケーションの内奥にひそんだ本質的なマナーであるように私には感じられます。
   






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