お便りシリーズ№59



= H28・2016 早稲田・法学部古典だより =



【プラグマティズムと日本人の心性】



 今から15年くらい前のことです。当時の私は代ゼミの古文講師として毎週一週間で東京本部校、名古屋校、福岡校、熊本校の各校舎を一回りするという超多忙な日々を送っていました。

 ある時、福岡校で5コマの授業を終えて大急ぎで福岡空港に駆けつけてみると、手荷物検査のゲートの前に長蛇の列が出来ています。何だろう?今までにない事だと思って見ていると、どうやら、グランドクルーの女性の方々が列の中に分け入って、乗客の名前の確認を一人づつおこなっているのでした。

 私の前にも感じのよい女性がやってきて、「搭乗券を拝見いたします」というので渡すと、それを私には見えない角度に手に持って、「お名前を言って下さい」と言います。私が「木山一男です」と答えると「ご協力ありがとうございました」と言って、また次の乗客に移る、これを延々と繰り返しているのでした。おかげで手荷物検査のゲートの前は恐ろしく渋滞し、コンコースから人があふれんばかりです。

 どうやらアメリカの9・11同時多発航空機テロを受けて、保安上の警備を強化したらしいことはすぐに察しがつきましたが、一方で、こんな事をして何の効果があるのだろうか?という素朴な疑念が湧いてきました。

 仮に私がテロリストであり「木山一男」が偽名であったとしても、たった今まで手にしていた搭乗券に書いてある偽名をその場で答えるのはいとも簡単なことであるはずです。そこで思わず本当の名前を答えてしまうとしたら、よっぽど間抜けなテロリストということになるでしょう。

 私は何人かのグランドクルーの女性たちに「このやり方はどういう意味でテロ抑止の効果があるのですか?」と聞いてみましたが、彼女たちは私が詰問していると勘違いして、謝罪と協力のお願いをするばかりでちっとも埒があきません。

 最後には空港事務所の責任者のような男性が現れて、これも初めにはひたすらご協力をお願いしますみたいなことを言っていましたが、しかし最後には私の質問に「本人確認のためなんですが、実は我々もこれがどういう意味で実効性があるかについてはよくわかっておりません・・」と正直に言ってくれたので私の胸のつかえもおりたのでした。私はその男性の答えに実に大いに納得したのです。



 一般に日本人には「律儀さ」と呼ぶ、両義的に働く倫理感覚があります。律儀さとは一面では社会に対する美徳であり、なんであれ、世間の決まりごとには従うという心情にも通じますし、悪くすると盲目の服従に見える弊害も引き起こします。

 しかも、律儀さの発露は他人に対する体面から生じるというよりも、つまり、R・ベネディクトの『恥の文化』というよりも、自己の内面を律しようとする内発的動機の方が強いように私には感じられます。律儀な人間にとっては外部の声がどうであれ、そのように振る舞わなければ自分自身が気がすまない、というようなところがあるからです。

 こうした価値観と行動様式は長く日本人を支配し、危機にあっても平時にあっても、正直に日々の務めを果たし、身辺の管理、秩序、整理整頓、時間厳守を守るといったような心性を育てあげて来ました。

この日本人の心性が最大の効果を発揮したのが、東日本大震災における罹災した人々の忍耐強さ、モラルの高さでした。
 私の義理の母メリリーンをして、「日本人の礼儀正しさや忍耐の深さを見ていると、カトリーヌ(アメリカ南部を襲った大型ハリケーンの名前)の時のアメリカ人の対応がホントに恥ずかしくなるわね」と言わしめたのも、日本人の律儀さに対するあの当時のアメリカ人全般の感慨であったと思います。ですから律儀さという倫理感覚には賞賛すべき点が多々ありますし、それは今後も日本人の特性として有用な美徳であり続けるでしょう。

 しかし、この心性にはマイナスの面があることも忘れてはなりません。当面の身辺的問題に集中し過ぎて視野狭窄(きょうさく)になりがちである点、その行為の妥当性を判断するための帰結的有用性のいかんを考慮に入れず、盲目の服従におちいりやすい点、また、律義者は秩序を重んじるあまり大胆な変革や投機的な冒険に消極的である点などです。

 つまり、プラグマティズム的視点を持ちにくくしてしまうのもこの日本人の「律儀さ」ゆえの現象であろうと私は思います。

ジェイムズの『プラグマティズム』という本の中に真理についての簡潔な次のような説明がなされています。

――「真理」とは、きわめて端的にいえば、ただわれわれの思考という方法において、有用であるということである。「それは真理であるから有用である」ともいえるし、また「それは有用であるから真理である」ともいえる。これらの言い方は正確に同じことを、すなわち、これこそが充足化されうる観念だ、ということを意味している。――

 結果の有用性を重視するのがプラグマティズムの考えですから、少なくとも何かを主張しようとする際には、その有用性の評価基準と、どこまでを評価のスパンとするかといった射程の問題は、常に人々の意識の上にあるべき要件となります。

 何か事が起った時に、謝罪よりも説明を――相手がなにを考えているのか、その主張や行動の根拠を――求めたがるアメリカ人の心性の内には、こうしたプラグマティズム的な考え方が土台にあるのだと思います。

 というのも歴史的に見れば、プラグマティズムはアメリカの風土や歴史と密接に結びつく形で発展してきました。ある意味では、プラグマティズムを理解することがアメリカを理解することに繋がるという面もあります。

 私が福岡空港で体験した出来事と同じことが、あの当時私がよく利用していたサンフランシスコ国際空港で起ったとしたら、恐らくほとんどの人が同じような疑問を持ち、何のためにこれをやるのか?とその理由を求めたことでしょう。理由が説明されないことに対し、彼らが盲目の服従をするとは考えられません。

 これはカリフォルニアンという要素も絡むのですが、空港内のアナウンスでも、例えば、ラスベガス行きの乗客に対し『皆様は一文無しになる準備が出来ました。どうぞ10番ゲートにお進み下さい』
(カジノで大負けするという皮肉!)などというブラックジョークが堂々と流されるようなフランクな雰囲気ですから、乗客の方も無意味な要請に対しては文句を言ったり呆れて見せたりして、結局受け入れないのではないかと想像します。

 これに対し、日本では、何が合理的なのか、何が有用性の上で妥当なのか、あるいは有用性が無く無意味なのか、そうした議論にコミットしようとすると、「空気を読めないヤツ」という烙印を押され、コミュニケーションから外される結果、一切の影響力を行使できなくなるケースが多いような気がします。
結局、日本の社会では、皆が前提としてなんとなく受け入れているのだろうなぁと皆が互いに忖度(そんたく)して思い合っているような事柄に対しては、どうしても抗えない〈心の習慣〉があります。

 ところで、皆さんは裁判所の傍聴席で静かにメモを取る行為は許される行為だと思いますか?それとも禁止されている行為だと思いますか?

 じつは傍聴席での自由なメモが認められたのは1989年以降のことです。それ以前はずっと禁止されていました。メモを取れば公正で静かであるべき裁判の進行を妨げるというのが、長い間、裁判所が示してきた理屈です。どうしてペンとメモ帳の使用が裁判の妨害になるのか?プラグマティズム的有用性の視点からは、即座にはその理屈が見えません。

 しかし、この法廷内の閉鎖性を訴えた裁判は1審、2審とも敗訴してしまいます。ようやく最高裁で「メモは原則自由」とする判決が下されたのが1989年のことでした。

「配慮を欠いていたことを認めなければならない」。

 これが最高裁が姿勢を180度変えて、表明した反省の言葉でした。

 誰かが、長年続いていて、何となく皆が受け入れていた裁判所の慣行に異議を唱えていなければ、「メモ禁止」条項は今も日本の法廷で続いていたかもしれません。

 この裁判を起こしたのは実は日本人ではありません。傍聴席でメモを認められなかった一人のアメリカ人弁護士です。彼がカリフォルニアンであったかどうかは私は知りませんが、有用性のないルールが、有用性がないにもかかわらず動かし難い権威的慣行となってしまっている事実に対し、素朴な疑念を持つ気持ちは私にも実によくわかります。

〔後半に続く〕





〔一〕  次の文章は『源氏物語』の一節である。鬚黒大将は光源氏の養女である玉鬘に通い始め、鬚黒大将の北の方はそれを悲しんでいる。これは鬚黒大将がこれから玉鬘のもとへ行こうとしている場面である。これ読んであとの問いに答えよ。

暮れぬれば、心も空に浮きたちて、いかで出でなんと思ほすに、雪かきたれ

て降る。かかる空にふり出でむも、人目いとほしう、この御気色も、憎げにふ

すべ恨みなどし給はば、我もむかへ火つくりてあるべきを、

いとおいらかにつれなうもてなしたまへるさまの、いと心苦しければ、いか

にせむと思ひ乱れつつ、格子などもさながら、端近ううちながめてゐたまへり。

北の方気色を見て、「あやにくなめる雪を、いかで分け給はむとすらむ。夜も

更けぬめりや」とそそのかし給ふ。今は限り、とどむともと思ひめぐらし給へ

る気色、いとあはれなり。「
かかるには、いかでか」とのたまふものから、「

なほこのころばかり。心のほどを知らで、とかく人の言ひなし、大臣たちも左

右に聞き思さんことをはばかりてなん、とだえあらむはいとほしき。思ししづ

めてなほ見はて給へ。ここになど渡しては、心やすくはべりなむ。かく世の常

なる御気色見えたまふ時は、外ざまに分くる心も失せて 〔 
 〕、あはれに

思ひきこゆる」など語らひたまへば、「立ちとまりたまひても、御心の外ならん

は、なかなか苦しうこそあるべけれ。
よそにても、思ひだにおこせたまはば

、袖の氷もとけなんかし
」など、なごやかに言ひたまへり。

(注1)御火取召して、いよいよたきしめさせたてまつりたまふ。みづからは、

なえたる御衣(おんぞ)どもに、うちとけたる御姿、いとど細うか弱げなり。

しめりておはする、いと心苦し。御目のいたう泣き腫(は)れたるぞ、少しもの

しけれど、いとあはれと見るときは、罪なう思して、いかで過ぐしつる年月ぞ

と、なごりなううつろふ心のいと軽きぞやとは思ふ思ふ、なほ心げさうは進み

て、そら嘆きをうちしつつ、なほ装束したまひて、小さき火取とり寄せて、袖に

ひき入れてしめゐたまへり。

侍所に人々声して、「雪少し暇あり。夜は更けぬらんかし」など、さすがに

まほにはあらで、そそのかしきこえて、声づくりあへり。
(注2)中将、木工(も

く)など、「あはれの世や」などとうち嘆きつつ、語らひて臥したるに、正身(さ

うじみ)はいみじう思ひしづめて、らうたげに寄り臥したまへり、と見るほど

に、にはかに起き上がりて、大きなる籠(こ)の下なりつる火取を取り寄せて、

殿のうしろに寄りて、さといかけたまふほど、人のやや見あふるほどもなう、

あさましきに、あきれてものしたまふ。さるこまかなる灰の、目鼻にも入りて、

おぼほれてものもおぼえず。払ひ捨てたまへど、立ち満ちたれば、御衣ども

脱ぎたまひつ。うつし心にてかくしたまふぞと思はば、またかへり見すべくも

あらずあさましけれど、例の御物の怪の、人にうとませむとする事と、御前な

る人々も 〔 
 〕  見たてまつる。立ち騒ぎて、御衣なども奉り換へなどす

れど、そこらの灰の、鬢(びん)のわたりにも立ちのぼり、よろづの所に満ちた

る心地すれば、きよらを尽くしたまふわたりに、さながらまうで給ふべきにも

あらず。心違ひとは言ひながら、なほめづらしう見知らぬ人の御有様なりやと

爪はじきせられ、うとましうなりて、あはれと思ひつる心も残らねど、このころ

荒だてては、いみじきこと出で来なむと思ししづめて、夜半になりぬれど、僧

など召して加持まゐり騒ぐ。

(注1) 御火取…衣服に香をたきしめるための香炉。

(注2) 中将、木工…女房たちの名。


 


〈全文訳〉

 日も暮れてしまったので、(鬚黒大将は)心も上の空に浮き立って、何とかして(玉鬘のもとへ)きっと出掛けようとお思いになるが、(あいにくなことに)雪があたりを暗くして降る。このような空模様に強いて出掛けようとするのも(北の方にとって)人目も気の毒で、この北の方のご様子も憎らしそうに〝ふすべ〟恨んだりしなさるのならば、かえってそれに事つけて(=それを口実にして)、〝我もむかへ火つくりてあるべきを〟、(北の方は)

いとおいらかにつれなうもてなしたまへるさまの、いと心苦しければ
(鬚黒大将は)どうしたらよかろうかと思い迷いつつ、格子などもそのままにして(=上げたままにして)、端近くで物思いにふけりながら座っていらっしゃった。

 北の方が(その鬚黒大将の)様子を見て、「あいにくであるような雪の中を、どうやって分け行きなさろうとするのでしょうか。夜も更けてしまったようですねぇ」と(外出を)そそのかしなさる。今となってはすべて、引きとどめたとしても(無駄であろう)と思いめぐらしなさっている様子は、(鬚黒大将の目には)たいそうかわいそうである。

 (鬚黒大将は)「
かかるには、いかでか」とおっしゃるものの、「やはりこのころばかり。私の心の程度も知らずに、とかく人が言いなしたり、大臣たちも左右に聞いてお思いになることなども遠慮されることであり、(玉鬘への通いが)途絶えるとしたら、それも気の毒だ。(ここは)心を静めてやはり(私の心を)最後まで見届けて下さい。(玉鬘を)この邸などに移したらきっと気も楽でございましょう。(あなたが)このように世の常(=ふつうの)ご様子をお見せなさるときは、外ざまの女性に(愛情を)振り分ける心も失せて 〔  〕 、(あなたを)いとおしく思い申し上げます」などと語らいなさると、

(北の方は)「ここに立ち止まりなさってもお心が外の女性に向いているとしたら、(私は)かえって苦しいに違いありません。
よそにても、思ひだにおこせたまはば、袖の氷もとけなんかし」などと、なごやかに言って座っていらっしゃった。

 (北の方は)衣服に香をたきしめるための香炉をお取り寄せになって、(鬚黒大将の衣服を)いよいよ焚きしめさせ申し上げなさる。(北の方)ご自身は糊が落ちてなよなよとしたお召し物を着て、くつろいでいるお姿は、(心労のためか)ますますやせ細ってか弱げである。

 気持ちが沈んでいらっしゃる様子は、たいそう気の毒だ。御目をひどく泣き腫らしているのが、少し不快ではあるけれど、(鬚黒大将が)いとおしいと思って見る時は、それも罪無きこととお思いになって、(これまで夫婦として)どうやって過ごしてきた年月なのかと、名残惜しさもなく、すっかり心変わりした(自分の)心がとても軽々しいことよと思いつつも、やはり(玉鬘への)〝心化粧は進みて〟、(北の方の手前)嘘の嘆きをしながら、やはり装束を身に付けなさって、小さな香炉を引き寄せて、袖の中に入れて焚きしめなさっている。

 侍所(=侍の詰め所)で人々の声がして、「雪が少し絶え間となっている。(これ以上出発が遅くなると)夜は更けてしまうだろうよ」などと、さすがに完全にはっきりと言うのではなく、(小声で)そそのかし申し上げて、咳払いなどしあっている。

 (女房の)中将、木工(もく)などが「しみじみと物悲しい夫婦の仲だこと・・・」などとうち嘆きつつ、語り合って横になっているが、〝正身(しょうじみ)は〟=その当人は=北の方当人は、たいそう物思いに沈んで、かわいらしい様子で物に寄り臥していらっしゃると見るうちに、急に突然起き上がって、大きな籠の下にあった香炉を取り寄せて、殿(=鬚黒大将)の後ろに近寄って、さっと(灰を)そそぎかけた時は、〝人のやや見あふるほどもなく〟驚きあきれたことで、(鬚黒大将は)呆然としていらっしゃる。その細かな灰が鬚黒大将の目鼻にも入って、ぼんやりとして物も思われない。灰を振り捨てなさるけれど、(全身に)立ち満ちているので、お召し物をお脱ぎになった。

 北の方が正気のさまでこんなことをなさったと思うのならば、またかえり見るはずもない程にあきれたことだけれど、例によって(北の方に取り憑いた)物の怪が人に嫌われるように仕向けてしていることと、御前に仕える人々も(北の方を) 〔
 B 〕と見申し上げる。

 立ち騒いでお召し物などをお召し替えなどするけれど、たくさんの灰が鬢(びん)のあたりにも立ちのぼって、すべてのところに充満している気持ちがするので、清らかな美しさを極めたあたり(=玉鬘のいる源氏のお邸)へ、そのまま参上なさってよいことでもない。
〝心違ひとは言ひながら〟やはり珍しく見知らぬ人のような北の方のご様子であるよと、(鬚黒大将は)忌み嫌うときの仕草である爪はじきをせずにはいられず、疎ましくなって、いとおしいと思っていた心も残らず失せたけれど、この頃は事を荒立ててはきっとひどいことが出で来るだろうと思いを静めて、夜半(よわ)になってしまったけれど、僧などを呼び寄せなさって(北の方のために)加持祈祷して差し上げる騒ぎとなった。





問一ノ一 傍線部「いとおいらかにつれなうもてなしたまへるさまの、いと心苦しければ」の解釈として最も適切なものを一つ選べ。

 ア…とてものんびりとして気にしないふうで、誠に愛くるしい様子なので

 イ…とても大人びて薄情なご様子が、大変心にかかって苦しく思われるので

 ウ…非常に老成していてさりげない返答のご様子が、とてもつらく思われるので、

 エ…大変おっとりと平静にしていらっしゃるご様子が、誠に不憫に思われるので

 オ…誠に平静で無表情なご様子で、こちらのほうがひどく気を遣ってしまうので、

 では解説しましょう。

 玉鬘に一刻もはやく逢いたくて心もうわの空な鬚黒大将ですが、一方では、玉鬘訪問の姿が人目に立ってしまうことが北の方に対し気の毒だといった思いも生じています。いっそ嫉妬でもしてくれればそれをきっかけに、とも考えますが、北の方は嫉妬するでもなく、意外に穏やかな態度であって、鬚黒大将はかえって当惑してしまうといった場面です。

 傍線部に該当する木山の直単は、「
おいらかなり」(C形動8)=おっとりしている /「つれなし」(C形54①)=平然として何事もないさま /「もてなす」(B動61①)=ふるまう /「心ぐるし」(B形37①)=気の毒だ、の4単語。

 これらをつないだ逐語訳は「(北の方は)たいそうおっとりとして平然とふるまっていらっしゃる様子が、たいそう気の毒なので」となり、これだけで答えはエに決まります。もちろん不憫(ふびん)の意は「かわいそうなこと」です。
大将の目に、なぜ不憫なものに映るのかといえば、北の方が内心の悲嘆を隠して無理に平静を装っている姿が哀れでならないからです。

 形容動詞の「おいらかなり」を載せている市販の単語集の割合を調べてみました。結果は28冊中、記載がないものが21冊、載せている単語集が7冊でした。(都内三省堂書店)
 語彙を正確に知らなければ「おいらかなり」の語感から、選択肢エ「老成してさりげないご様子」などに引かれる可能性があります。加えて「つれなし」の意まで知らなければ、選択肢イ「とても大人びて薄情なご様子」などに引かれるかもしれません。

 大学受験の結果は――それがすべてではないにしても――受験者のその後の人生をかなり左右します。少しでも実効性のある資料と方法論を選ぶべきです。古文単語の習得に千数百円かける必要はありません。要請してもらえば、古文公式の資料セットは誰にでも郵送していますし、内容の解説も暗記のチェック練習もホームページ上の 〝音声ダウンロード〟 に数時間分録音してあります。又、著作権などはありませんから、高校の先生がどのように利用なさってもご自由です。ぜひ活用して下さい。


《 学生の声 》

●お久しぶりです。〇〇〇〇高校の〇〇プログラムで教えていただいた者です。御蔭様で早稲田大学・法学部に合格しました。法学部の古文は『源氏物語』でしたが、「おいらかなり」「つれなし」「もてなす」など、直単で学んでしっかり暗記していた単語がそのまま得点につながり、直前まで見ていて本当によかったと思いました。ありがとうございました。
                 〔早稲田大学・法学部 合格〕


問一ノ二 傍線部「かかるには、いかでか」は誰の言葉か。最も適切なものを一つ選べ。

  ア…鬚黒大将   イ…北の方   ウ…大臣たち

  エ…玉鬘   オ…女房たち


 公式資料NO.2『助動詞・敬語法・文法チェックリスト』の一問一答の55には〝「いかで・いかでか」の用法を三つ答えよ!〟という問いがあり、木山方式の学生は『①なんとかして~ 意志・願望 ②どうして~ 推量・疑問  ③反語!』と即座に答えます。さらに、音声解説にはこの三つの用法のうち、入試には特に③反語の用法が最も狙われやすいことが説明されています。

 「いかで・いかでか」が問題に関わった場合、まず反語から考えてみる!というのがセオリーであり、中でも「~いかでか。」とそこで言いさしになっている場合にはほとんどが反語であると考えたても間違いありません。

 直前の文脈は、「あやにくなめる雪を、いかで分けたまはんとすらむ。」と、雪を踏み分けて外出する髭黒の難儀に北の方が表向き同情している場面です。髭黒はその発言に対し「かかるには、いかでか」と返答するわけですが、「かかるには、いかでか、とのたまふものから」(D連語31)まで含めて、反語の訳を考えてみますと、「このような雪降りの状態では、どうして~できようか、いやできはしない、とおっしゃる
ものの(逆接)」となり、逆接で以下の会話文につながっていることになります。

 さてその会話文中には「とだえあらむはいとほしき」(途絶えてしまっては気の毒だ)とか「思ひしづめてなほ見はてたまへ」(思いを静めて最後まで見届けて下さい)などの表現がありますから、ここはどうやら髭黒が玉鬘訪問の正当性を言い訳がましく北の方に主張している場面と推察すべきです。

 すると先ほどの反語の内容は「どうしてこんな雪降りの状態では、(玉鬘のもとに)でかけることなどできようか、いや、できはしない、とおっしゃる
ものの~」(以下、やっぱり玉鬘を訪問したいという髭黒の言い訳)と解釈することが出来ます。
したがって答えはアの髭黒大将が正解です。

 要はこうした前後の文脈を総合的に推察した上で主語判定をすることが肝要であるわけです。したがって私の解説がすでに髭黒を主語として、それを前提にしてしまっているではないか、といった批判はあたりません。上述のような場面と文脈を総合的に推察できなければ、それに代わる何か単純な判断法があるわけではありません。


問一ノ三 空欄に入る最も適切な語句を一つ選べ。

  ア…なほ  イ…やは  ウ…だに  エ…なん  オ…こそ

  空欄Aを含む一文は、「かく世の常なる御気色見えたまふ時は、外ざまに分くる心も失せて[空欄A]、あはれに思ひきこゆる」であり、文末の「~きこゆる」(謙譲の補助動詞『きこゆ』の連体形)の形から、係り結びの問題であることは明らかです。公式27にある通り、文末が連体形になる係助詞は「ぞ」「なむ」「や」「か」の4つ

 選択肢イの「やは」(公式31)でも文末は連体形になりますが、文末を疑問・反語に解釈することになり、ここでの文意にあいません。髭黒は「あなたが発作を起こさず正常でいらっしゃる時は、あなたのことをいとおしく思い申し上げます」と言っているのであって、文末を疑問・反語に解釈する余地はありません。したがって、答えはエの「なん」(=なむ)です。

 ところで選択肢に係助詞の「ぞ」があった場合には、答えは「ぞ」でしょうか? それとも「なむ」でしょうか? 早稲田の問題が非常に難問化した全盛期には、そのような設問もありました。答えはやはり「なむ」です。公式27の下段の丸注には、「なむ」は主に会話文・「ぞ」は主に地の文!とあり、これが解法の根拠となります。


問一ノ四 傍線部「よそにても、思ひだにおこせたまはば、袖の氷もとけなんかし」の解釈として最も適切なものを一つ選べ。

 ア…離れた世界にいても、お互いに夫婦の愛情さえあれば、このように嘆くこともなくなるでしょう。

 イ…離れていても、あなたが子供達のことさえ心配してくださるなら、私が嘆いて流す袖の涙の氷もとけるでしょう。

 ウ…あなたのことをよその方が思っていらっしゃるのならば、あなたが嘆いて流す袖の涙の氷もとけることでしょうね。

 エ…あなたがよそながらでも、玉鬘のことさえ大切に思っておられるなら、玉鬘が嘆いている袖の涙の氷もとけるに違いありません。

 オ…あなたがよそにいらっしゃっても、せめて私のことを思い出してくださるなら、私が嘆いて流す袖の涙の氷もとけることでしょう。

 解法上のポイントは「思ひだにおこせたまへば」の「だに」が、仮定文中に用いられていることから、公式38① 最小限の条件『せめて、~だけでも』の文意になるというルールに従って、それに近い選択肢を選ぶということになります。選択肢オの「せめて私のことを思い出(すことだけでも)してくださるならば」がもっとも近く、これが正解です。

 プリント資料№2『助動詞・敬語法・文法チェックリスト』の一問一答の65には〝「だに」の最小限の用法はどんな場合に使われることが多いか? 〟という問いがあり、これに対し、即座に「希望文、仮定文!」と答える練習を何回も昨年度も繰り返しましたが、この手の暗記の瞬発力は時間の節約という点で非常に有効です。

 「袖の氷もとけなん」の部分は実は「引き歌」(E歌12)となっていて、『思ひつつ寝なくに明くる冬の夜の袖の氷はとけずもあるかな」(後撰集・冬・詠み人しらず)の一首全体の意をこめて、夫婦間の凍結した心情をほのめかして効果的です。北の方の口から発せられると、よけいに複雑な陰影をかもしだし、なごやかに言っているにもかかわらず、どこか凄味のある皮肉のようにも聞こえます。

 この段の前半、玉鬘訪問に心急ぐ髭黒に表面的にはむしろ協力し、その衣装を整える北の方の哀れさは、若菜上の、女三の宮を六条院に迎える源氏のために尽力する紫の上の哀切さに酷似しますが、一転、北の方が火取の灰をあびせかける事件を境にして、場面は多分にカリカチュア的(=戯画的)なものになり果てるところが、この場面のドラマツルギーの面白さです。


問一ノ七 空欄に入る最も適切な語句を一つ選べ。

 ア…あさましう  イ…いとほしう  ウ…うとましう

 エ…なごりなう  オ…つれなう

 [ 空欄B ]を含む一文は「(北の方が)うつし心にてかくしたまふぞと思はば、またかへり見すべくもあらずあさましけれど、例の御物の怪の、人にうとませむとする事と、御前なる人々も[ 空欄B ]見たてまつる。」
物の怪のしわざなのだから北の方を責めるわけにはいかず、「御前なる人々も」むしろ北の方を~と見申し上げるというふうに、北の方に憐憫を寄せる女房たちの感想と見れば、選択肢の選びは簡単であるはずです。

 アの「
あさまし」は「驚きあきれる」(B形2)・イの「いとほし」は「気の毒だ」(B形11)・ウの「うとまし」はそのまま「疎ましい」の意・エの「なごりなし」はD連1②=名残惜しいの打ち消しですから、「名残惜しくはない」の意・オの「つれなし」は「平然として何事もないさま」(C形54①)

 物の怪に憑かれた北の方がお気の毒というわけですから、答えはイの「いとほしう」が正解。前後の文脈から女房たちの同情の方向と解されるので、アの「あさまし(=驚きあきれる)」にはならないという点に注意して下さい。そもそも反実仮想としての「もし北の方が正気の様でそのようになさったのならば、驚きあきれることでもあろうが」と、反実の条件文の中にすでに「あさまし」が使われているわけですから、[ 空欄B ]に「あさまし」を繰り返すとおかしなことになります。


問一ノ八 本文の内容と合致するものを一つ選べ。

 ア…鬚黒大将は雪がひどいので、玉鬘のもとに出かけるかどうか迷っていた。

 イ…北の方は鬚黒大将の裏切りを非難し、怒りのあまり灰を鬚黒大将に浴びせた。

 ウ…北の方の女房たちは、失敗したふりをして火取りの灰を鬚黒大将に浴びせた。

 エ…北の方は物の怪のせいで感情を抑えられなくなり、常軌を逸する行動に出た。

 オ…鬚黒大将は、北の方が物の怪のふりをして灰を浴びせたのではないかと疑った。

 アは「雪がひどいので、玉鬘のもとへ出かけるかどうか迷っていた」が間違い。髭黒大将の戸惑いは、北の方の意外に穏やかな表情にかえって当惑したからです。
イは「非難し、怒りのあまり灰を浴びせた」が間違い。北の方は「非難」をしていませんし、灰を浴びせかけた実行者は北の方であっても、それは北の方が自分の意志で怒りにまかせてそうしたのではなく、あくまで物の怪のしわざであるとするのが本文中の解釈です。
ウは「女房たちは、灰を浴びせた」が間違い。灰を浴びせかけた実行者は北の方。
エの内容は適当。
オは「北の方が物の怪のふりをして」が間違い。また髭黒がそれを「疑った」とも書かれていません。

【灰神楽】
 火の気のある灰の中に湯や水をこぼしたとき、ぱっと舞い上がる灰けむりのことを「はいかぐら」と言います。私が小学生の頃、それは昭和40年代の初め頃ですが、九州山地の山奥にあった私のおじいさんの家はわらぶき屋根で、居間には囲炉裏が切ってありました。食事は普段はお膳も用いず、直接いろり端に、お碗やお皿を置いて食べていました。

 ある時、私は汁物の碗をひっくり返してしまい、盛大な灰神楽を立ち昇らせたことがあります。その時私は、灰神楽とは灰が充満するだけでなく、炭火の熱がこもって、かなり熱いものだということを知りました。ですから髭黒大将もきっとかなり熱かったに違いありません。









〔二〕  次の漢文を読んで、あとの問いに答えよ。

  (白文問題以外は書き下し文の形で表記しています。)

 長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)耦(ぐう)して〔=並んで〕耕(たがや)す。

孔子之を過(す)ぐ。子路(しろ)をして津(つ)〔=川の渡し場〕を問はしむ。

長沮曰はく、その輿(くつわ)〔=馬の口につける馬具〕を執(と)る者は誰と為

すと。子路曰はく、孔丘と為すと。曰はく、

孔 丘

対(こた)へて曰はく、是(ぜ)なりと。(長沮)曰はく、


ラント 〔=各地を遊説している孔丘ならば川の渡し場の

場所も知っているだろうと
〕。

(そこで子路は)桀溺に問ふ。桀溺曰はく、子は誰と為すと。曰はく、仲由(ちゅ

うゆ)〔=子路のこと〕と為すと。(桀溺)曰はく、

孔 丘 之 徒

対(こたへて)曰はく、然りと。曰はく、滔滔(たうたう)たる者は、天下皆是(これ

)なり。而(しか)して誰か以て之を易(か)へん。

リハ 辟(さ)クル 之 士 也 、
〔且(か)つ而(なんぢ)其(そ)の人を辟(さ)くるの士に従ふよりは〕

豈 若 従 辟 世 之 士 哉 。

耰(いう)して輟(や)めず〔=そう言っただけで桀溺はまいた種を土で覆うのを

止めなかった〕。子路行きて以て(孔子に)告ぐ。夫子〔=先生…孔子〕憮然

(ぶぜん)として曰はく、鳥獣は

カラ 一レ ジクス 也 。
〔与(とも)に群(むれ)を同じくすべからざるなり〕

吾 非
ズシテ 斯 人 之 徒ニスルニ 而 誰 ニセン
〔吾(われ)其(そ)の人の徒と与(とも)にするに非(あら)ずして誰と与(とも)にせん。〕

天 下 有
ラバ 道 、不 易(か) 也 。
〔天下道有らば与(とも)に易(か)へざるなり。〕


【 通釈 】

 長沮と傑溺が並んで畑を耕していた。孔子がそこを通り過ぎた。(そこで孔子は)子路に川の渡し場を尋ねさせた。長沮曰く、「その、馬のくつわを執っている者は誰か」と。子路曰く、「孔丘(孔子)です」(長沮)曰く、「それは魯の孔丘か」と。
(子路)答えて曰く、「正しくその通りです」と。
(長沮)曰く、「(各地を遊説している)孔丘ならば川の渡し場を知っているだろう」と。
(子路は、長沮に教えてもらえなかったので)傑溺に尋ねた。傑溺曰く、「あなたは誰であるか」と。
(子路)曰く、「(私は仲由=子路です」と。(傑溺)曰く、「魯の孔丘の弟子か?」(子路)答えて曰く、「そうです」と。(傑溺)曰く、「とうとうと水が盛んに流れるさまは、天下は皆どこでも同じだ。そういうわけで、いったい誰が天下を変えることなど出来ようか。かつ、あなたは人を避けてばかりいる士(B21=儒教などの徳学を修めたりっぱな男子→ここでは孔子のこと) である孔子に従うよりは、どうして(超然と)世を避けて生きている士(=自分たちのような隠者)に付き従うことに及ぶことがあろうか、いや、及ぶことはない→自分たちのような隠者に付き従うのが一番だ」と。
そう言っただけで、傑溺は蒔いた種を土で覆うのを止めなかった。(そこで)子路は孔子のもとへ戻って(彼らの言葉を)孔子に告げた。

孔子先生が憮然として言ったことには、「(長沮や傑溺のように世を避けたところで) 鳥や獣と群れを同じくするわけにはいかないのだ。私は人間の仲間と共にする(=人々と共に世を変える)のでなくして、いったい誰と共にすることが出来ようか。天下にすでに道がそなわっているのならば、私は人々と共に世を変えようとはしないのだ」と。





問二ノ二 傍線部2「而」と同じ意味として用いられている文字を含む文を一つ選べ。

 ア…子 曰 、参 乎 、吾 道 一 以 賞 之 。

 イ…子 曰 、学 而 不
思 則 罔 。思 而 不 学 則 殆 。

 ウ…子 曰 、学 而 時 習
之 、不 亦 説 乎 。

 エ…子 曰 、由 、誨
一レ 之 乎 。

 オ…子 在
川 上 曰 、逝 者 如 斯 夫 。不 レ 舎 昼 夜


 「而」を扱った出題としては、木山の漢文公式10②の順接・逆接の置き字の用法、または、公式10③の順接・逆接の接続詞として読む用法の二つがよく狙われますが、それ以外に、人称代名詞として「而」(=なんぢ)と読む用法もあります。

 じつは、2016年度版 漢単C38には「なんぢ」と読ませる漢字として「汝・若・爾・乃」の四つしか載せておらず、この設問への得点寄与を逃してしまいました。 数年前までは載せていたのですが久しく出題されないので割愛してしまいました。2016年度版の公式を持っている人は、C38の項目に「而」(=なんぢ)を書き足しておいて下さい!

 さて、傍線部2の「而」は、傑溺が子路に対して「而=なんぢハ~」と呼びかけている場面ですから、同じように「なんぢ」と読める選択肢を探すことになります。答えはエの選択肢中の「女 知 之」の部分が「なんぢこれを知る」と読めるので、エが正解です。「汝」と「女」は字体が似ているので共に「なんぢ」と読むことができます。(漢単C39)


 ちなみに、各選択肢の書き下しは以下の通り。(すべて論語からの引用です)

ア=子曰く、参(しん)や、吾が道は一以て之を貫く。

イ=子曰く、学びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則ち殆(あやふ)し。

ウ=子曰く、学びて時に之を習ふ、亦た説(よろこ)ばしからずや。

エ=子曰く、由(いう)、女(なんぢ)に之を知るを誨(をし)へんか。

オ=子川の上(ほとり)に在りて曰く、逝(ゆ)く者は斯(か)くのごときか。昼夜を舎(や)めず。


問二ノ三 傍線部3の書き下し文として適切なものを一つ選べ。

 ア…豈に世を辟くるの士に従ふに若かんや。

 イ…豈に従ふ辟世の士の若きや。

 ウ…豈に世を辟くるの士より若かんことあらんや。

 エ…豈に荷を辟くるの士に従ふが若きか。

 オ…豈に若し世を辟けんの士に従はんや。

 傍線部3の直前は、『その人を避くるの士に從ふよりは~』(漢単8⑥/公式16C)と、比較選択の句形になっていますから、当然、それに続く傍線部3の内容は「(~するよりも)~する方がよい・~する方がましだ・~するにこしたことはない・~するのが一番だ)といった内容になるはずです。

 「若」を「しク=及ぶ」(四段活用)と読む比較選択の句形には、「~ニしカず」と「~ニしクハなシ」の二通りありますが(公式16参照)、ここは「しク」を直接打ち消さず、「豈」の反語で打ち消そうというわけですから、少し工夫が必要です。

 例えば『富士山にしクハなシ』と読めば、「富士山に及ぶ山は無い→富士山が一番だ」となります。では、同じ内容を「豈」の反語形で表現してみると、『豈に富士山にしカンヤ」(=どうして富士山に及ぶということがあろうか、いや、富士山に及ぶということは無い→富士山が一番だ)となります。
この説明で、選択肢のア「豈に世を辟くるの士に従ふに若かんや→どうして世を避くる士に従うに及ぶことがあろうか、いや、それに及ぶことはない。(~するのが一番だ。)」が正解になることが理解出来ると思います。

ウの「士より若かんことあらんや。」は「士より」と読んでいる点で間違いです。「若=しク」に上がるときの下の送りはかならず「~ニ」でなければなりません。たとえ「世を避くるの士(=隠者)」の意味がわからなくても、句形上の着眼さえあれば、正答が得られる点がポイントです。


問二ノ五 本文で二重線を付けた「」と異なった使い方を含む文として、最も適切なものを一つ選べ。

 ア…子 曰、道 不
行 、乗 桴 泙 于 海 。従 我 者 其 由 与 。

 イ…子 曰 、吾 不
祭 、如 祭 。

 ウ…子 謂
顔 淵 曰、用 之 則 行 、舎 之 則 蔵 。

   唯 我 与
爾 有 是 夫 。

 エ…子 路 曰 、子 行
三 軍 、則 誰 与 。

 オ…太 宰 問
於 子 貢 曰 、夫 子 聖 者 与 。

 「与」の字義については、木山の漢単には7つの用法を載せています。(→以下漢単A8を参照しながら読んで下さい)

 まず、「与」を
本動詞で読む用法が「あたフ・あづかル・くみス」の3つ。さらに、副詞助詞として読む用法が「と・ともニ・よりハ・か」の4つです。
木山方式では漢単チェックの際、口頭試問の形で暗記内容を正解に空で答えてもらっています。

 Yサピックスの場合、新年度のスタートはその年度の1月上旬、つまり入試の本番までは1年以上も演習を繰り返すことになりますから、漢単チェックも延々と10ヶ月以上も繰り返しますと、学生も非常に素早く答えるようになります。時には速すぎて聞き取れない程です。

 しかし、逆に言えば、それほど身体的に暗記が染み着くようでなければ、実際上の入試の本番では有効に活用できないと思います。こちらも、同じ質問の繰り返しにならぬよう、実際の入試問題を踏まえて、様々な角度からの質問を投げかけるようにしていますが、だいたいにおいて、一度暗記が完成してしまった学生はどう変化球を投げても、概ね正答を答えてくれます。
ですから、木山方式の学生にとって、この問はいわゆる〝壺にはまった〟問題として解きやすかったはずです。

 本文中の7箇所の二重傍線のついた「与」は、順に「
与=か」 「与=か」 「与(よ)リハ」 「与(とも)ニ」 「与(とも)ニスルニ」 「与(とも)ニセン」 「与(とも)ニ」ですから、それ以外の異なった用法としては、本動詞の「与=あたフ」・「与=あづかル」・「与=くみス」、さらに助詞の「与=と」などが考えられます。そのことを念頭に置いたうえで、選択肢のすべてを吟味する必要はなく、結局、選択肢イの「吾 不 与 祭 」の部分が「われ まつりごとに あづからず」と読めそうだとわかれば、それが正解です。

 [実際は下の文章との関係で仮定形に読むのが正しく、「われ まつりごとに あづからずんば(ざれば)」となります]「与(あづか)ル」とは「関わる・関与する」の意です。

 ただし、先に選択肢ウの「唯 我 与 爾 有 是」の部分が「ただ われ なんぢ と これ あり」と読めそうだ、つまり「与」を下からの返読で助詞の「と」と読めそうだと気付けば、これも答えの候補となってしまいます。しかし、〝異なった使い方として最も適切なもの〟という問いの条件に照らせば、「与」を助詞の「と」と読んでも、副詞の「ともニ」と読んでも、またそれから派生したサ変動詞「ともニス」と読んでも、大きく見ればすべて【並列の用法】ですから、選択肢のウはやはり排除されるというわけです。

 読者はこのような解説が問題発表後に事後的になされたのではなく、既に10ヶ月以上の暗記の繰り返しによって対策化されていたという事実に注目すべきです!

各選択肢の書き下しは以下の通り。

ア=子曰く、道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に泙(う)かばん。我に従う者は其れ由か。

イ=子曰く、吾まつりごとに与(あづか)らずんば、祭らざるがごとし。

ウ=子顔淵に謂ひて曰く、之を用ふれば則ち行ひ、之を舎(す)つれば則ち蔵(かく)る。唯(た)だ我と爾(なんぢ)と是有るかな。

エ=子路曰く、子三軍を行(や)らば、則ち誰と与(とめも)にせん。

オ=太宰子貢に問ひて曰く、夫子は聖者か。









〔前半の続き〕


 もちろん、プラグマティストも過去の膨大な経験の蓄積の中から、いわば巨大な歴史的弁証法のようにして形成された伝統規範については、より真理性の高いものとして承認する義務があると思います。しかし、それは、そのような規範を利用した方が有利になるとはっきりしている場合だけです。
つまり、経験の中で役に立つと検証された規範は認めなければなりませんが、そうでない規範は無意味なものでしかありません。

 プラグマティズムの哲学者であり教育学者でもあったジョン・デューイ(1859~1952)は民主主義を、厳密な意味で、たとえば法の執行にもっぱら関わるといった政治体制の一種とは理解していませんでした。デューイによれば、民主主義とは体制であるよりもむしろ、一つの「生のスタイル( a way of life )」でした。それは人間の知的で探究的な問題追求の姿勢そのものであり、暫定的な提言の模索と、よりよい改訂への努力の継続に他ならないとデューイは言っています。

 こうした、デューイの考える「生のスタイル」としての民主主義に求められることは、これらのプロセスに関わる人々がそれぞれの段階に積極的に参与すること、つまり民主的な対話への率先した参加、それぞれの主張や意見に関して、その根拠や理由を充分に開示しようとする姿勢、さらに自分とは異なる意見を提起する人々に対し自由な発言の場を確保しようとする態度などです。

 これを私なりの経験に基づいた表現に置き換えてみると、毎度持ち出すあの文章――スタンフォード大学の学生やコミュニティの人々から受けた強い印象――になるわけです。

 『民主主義とは制度上の問題ではなく、民のエートスの問題だと思うのは、いつも頭の中でこのようなプラグマティズム的な観念の無謬(むびゅう)性に固執しない自由さを備えた人たち、他者との意見の交換の中で、あらたに正しいと認知したことに対しては、素朴といえるほど正直であり誠実であろうとする人々の行為態度を見出してハッとした体験を思い出すからです。

 それは言い換えれば、討議の大切さを認識し、討議では自分の考えを訴えつつも、理にかなったことであれば『相手に説得されてもよい』という心的構えを持つ人々が有する、ある種の自由さとでもいうべきものです」

 民主主義がうまく機能しない社会があるとすれば、民がこのようなエートスを失った社会といえるのではないでしょうか。
 イデオロギー的な観念の無謬性を振りかざして、「理非の判断はあなたに代わって私がすでに済ませた。だから、あなたが何を言おうと、それによって私の主張の真理性には何の影響も及ぼさない」といったスタンスで討議に参加する人は、結局、相手をいかに論破するか、いかに相手を黙らせるかそれ以外に関心はありません。

 また、組織の論理に絡め取られた、いわゆる「組織の人間」――それは巨大組織の閉鎖性や官僚体質のみを言うのではなく、いわゆる「一家一村水入らず」的な村落共同体的心理の中に生きる人々も含めて――そうした人々を相手に、いくら制度上は整った民主的な討議をしようとしても、率直な意見は望むべくもありません。
 日本の社会で、皆が前提としてなんとなく受け入れているのだろうなぁと皆が互いに忖度(そんたく)して思い合っているような事柄に対し、異議を唱えても誰の関心も引きません。

 意見の対立がすぐさま人格的でプライベートな対立になってしまうとか、または「批判」という言葉が「攻撃」という言葉とまったく同義なものとして受け止められてしまうようなメンタリティーのもとでは、健全なディベートは起こりにくくなります。
 その逆に、ネット上でくり広げられるような極めて感情的・攻撃的エキセントリックな言説については、いかに衆目の関心を惹こうとも、民主的な討議には程遠いものです。

 どれだけ真摯なものであれ、または善意であれ、一つのパターンのユートピアだけを押し付ける社会は帝国主義的ユートピアというそしりを免れません。ユートピアがあるとすれば、それは複数であるべきです。

 デューイの教育思想は戦後の日本にそれなりに広く浸透しました。それはマルクス主義のような観念的な理屈を振り回さず、現実的に社会を改革する方向性を呈示したという点で、アメリカ固有の現実主義的なリベラル左派としての評価があったからだと思います。しかし、それ以後の日本にデューイの影響がどのように継続したのかについては私にはよくわかりません。一時全く消えていたようにも感じられます。

 私はアメリカ滞在中に感じた――といっても現在でも行ったり来たりしているのですけど――人々の会話や行動の背景にある、日本とは異なったエートスの正体をしばらくの間は考えあぐねていました。しかし、デューイについて書かれた解説書の幾つかを読んだ時、はじめてその正体が納得できたような気がしました。ですから、この文章はことさら主張めいたものというよりも、むしろ私の体験的随想とでもいうべきものです。










                 もどる