お便りシリーズNo.67


= H31年・2019年早稲田・法学部古典(古文漢文)だより =



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【2019年早稲田・法学部古典において問三/問七/問十/問十二の解答速報がなぜ割れたのか?】

 H31年・2019年早稲田入試において、最も木山方式の得点寄与率が高かった問題は、政経の古漢融合問題でした。古文は上田秋成の『藤簍冊子(つづらぶみ)』、漢文は古文の出典となる西晋の魯褒(ろほう)の『銭神論』の一節であり、直接ダイレクトな得点寄与の割合は、15問中8問(53.3%)という結果でした。

 本来であれば、この早稲田・政経の分析記事を最初に書くべきところですが、今回、早稲田・法学部の古漢問題において、駿台・河合・代ゼミ・東進の各解答速報が、4設問で割れている点に私は非常に興味があり、その点について、私なりの分析と見解を述べてみたいと思うようになりました。
 
そういうわけで、以下、H31年・2019年早稲田・法学部の古漢問題を紹介しつつ、当該設問についての詳しい解説を述べてみたいと思います。

【2019年法学部・古文の分析】

(一)次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。

 このころの左大臣と聞ゆるは、関白殿の御弟にこそおはすれ。御身の才など

も賢く、何ごとも兄の殿にはたちまさり給へれば、帝もいみじく重きものに

思ひ 1 聞こえ給へり。

 北の方は先帝の四の宮になんおはすれば、いとやんごとなき御身なれど、

いといたうもの怨じをし給ふ。御心さがなくぞおはしける。

 宰相の君とて、兵衛督にて a 失せにしが娘、心ざまなどゆゑありて、見る目

もなべてにはあらざりけるを、b 御覧じはなたずやありけん、ただならずなり

にけるを、この 女宮いとど心づきなきことに思して、さまざまはしたな

め、堪へ忍ぶ X べくもあらぬに思ひわづらひて、むつましく行き交ふ所なども

なく、親たちもうちつづき失せにしかば、むげによるべなき人にて、西の京と

いふ所に、乳母なる者の家に行き隠れにけれど、

 殿の御心ざし深きことなれば、あはれにのみ思されて、2 心苦しきことさへ

御覧じ知りにければ、そこにも訪れ、忍びて c 渡りなどし給ひけるを、やすか

らぬことに宣(のたま)ひて、かの西の京をも、おどろおどろしく d いましめ

れければ、すべき方なく悲しきままに、明け暮れは音(ね)をのみ泣きて過ぐるほど

に、姉なる人、常陸の守が妻にてなんありけるが、折しも上りてある、

 いとうれしくて、世の憂き時の隠れ家にもやと、e 尋ね寄りたれば、

都の内にはまた知る人もなく、昔ながらの住みかも跡絶えにしたつきなさに、

この宰相の君ばかりを頼みて、道の果てなるかことをも語り合わせんと思ひ立

ちけるに、「かく 殿の内をさへあくがれて、立ちゐる雲の跡なきもの思ひ

に沈まむことも、あぢきなきわざなめれば、何か、なかなか同じ雲居ならで

も、心み給へかし」とて、かの常陸へいざなひければ、

 「げに、かくのみはしたなめられ奉りて、憂き目も見る Y べかめる世の憂き

よりは、わが身一つをなきになしても、都に跡絶えなむも心やすかりぬべく」

思ひ乱るるには、「 3 まづたひらかにも出でものし給はば、遥かなる世界に

て、いかになり給はむずらむ。
などしもかかる憂き身に宿る Z べく、結び置

きけん」など思ひ乱るれど、止まりても、はかばかしかるべきならねば、下り

にけり。
         (『岩清水物語』による)


《現代語訳》

 近頃、左大臣と申し上げる方は、関白殿の弟でいらっしゃる。ご自身の学問の才能なども賢くいらっしゃって、何ごとも兄である関白殿にまさっていらっしゃったので、帝もたいそう重く扱うべきものと思い申し上げなさっていた。

 その左大臣の北の方(=正妻)は、先の帝の四の君(=四女)でいらっしゃるので、たいそう高貴で尊いご身分でいらっしゃるけれど、たいそう怨(うら)みごとをなさる。

【怨ず=うらむ・うらみごとを言う/以下の文脈によれば嫉妬心からくるうらみごとの意】

ご性格が意地の悪いところがおありになった。

 宰相の君といって、兵衛督(=官職名)として(公式49②D「にて」の識別〜として) a 失せなさった、(その兵部卿→公52準体法〜その人物)娘が、気立て性質なども趣きがあり、見た目も並一通りではなくすぐれていらっしゃったのを、(左大臣は) b 御覧じはなたず

 【御覧ず→「見る」の最上敬語→B動58③「見る=世話をする・放たず=見放さず】

(左大臣は兵衛督の死後も)お世話して見放さずにいらっしゃったのだろうか、(やがて)

【ただならず=⑴ふつうではない/並々でない ⑵懐妊・妊娠している】

なってしまったのを、この 女宮(=宮は皇族を表すので先帝の四の宮である左大臣の北の方)は、ますます不満で気に入らないとお思いになって、さまざまに(宰相の君に)きまりの悪い思いをさせて、

【はしたなめ /端なむ=きまりの悪い思いをさせる・困らせる】

(そのことに宰相の君は)我慢しこらえることができずに思い悩んでいたが、(誰かに相談しようにも)仲睦まじく行き交う所などもなく、両親も立て続けに亡くなってしまったので、ひどく寄る辺なき人であって、西の京というところにいる乳母(めのと)の家に行き、そこに隠れ住むようになったけれども、

 殿(=左大臣)のご愛情が深いこともあったので、しみじみとかわいそう【B形動5③=かわいそう】とばかりお思いになって、(また、それとは別に) 2 心苦しきこと 【B形37①(相手が)気の毒な状態にあること】までも、左大臣は見知っていらっしゃったので、その西の京へもお手紙をお出しになり(B動45*訪れ=②手紙を出す)、こっそり人目を避けて c 渡り などなさっていたのを、(北の方はそれを知って)心中おだやかではないこととおっしゃって、その西の京についても、仰々しい程に強く d いましめ

【いましむ=禁止してしないように注意する】

なさったので、(宰相の君は)どうしようもなく悲しいままに、明けても暮れても声をあげて泣いてばかりでお過ごしになっているうちに、
(宰相の君の)姉である人は、常陸(ひたち)の国守の妻であったが、ちょうどその頃(常陸から)上京してきた。

(姉が上京してきたことが)たいそう嬉しくて、世の中がつらい時の隠れ家にでもなろうかと、(姉のもとを) e 尋ね寄り 尋ね寄りなさったところ、その姉もまた都のうちに知る人もなく、昔のままの住みか(父兵衛督の旧邸か?)も跡形もなくなってしまったよりどころの無さに、

【A名33「たつき」=生活手段・方法・よりどころ】

この宰相の君ばかりを頼りにして、道の果てなる(=遥かなる東国の常陸の国の)愚痴や恨みをも語り合いたいと思い決めていたので、(会って妹の話を聞くと)

【B形28かごとがまし=恨みがましい・愚痴っぽい→「かこと」=愚痴・恨み】

(以下姉の発言⇒)『このように 殿 (=左大臣)の(庇護)の内からまでもさまよい出て、立ち漂う雲のように跡なくはかないもの思いに沈んでいることも、つまらないことであるようなので、どうであろうか、かえって同じ雲居ではなくても、(一緒に東国の常陸に下ることを)試みなさいませよ』と言って、(宰相の君を)あの常陸の国へと誘ってみたところ、

(以下宰相の君の思い⇒)『なるほど本当に、このようにきまりの悪い思いをさせられ申し上げて、

《憂き目も見る Y べか める世の憂きよりは》

解釈1 【現世でのつらい目を見るはずの宿命(前世の因縁)としてあるようなこの世のつらさよりは】「べか」=当然

解釈2 【(今後も)つらい目を見るであろう/見るにちがいないようなこの世のつらさよりは】「べか」=推量


いっそ我身一つをなきものとして、都に跡絶えてしまうのもきっと安心で気楽なことであるに違いない」と、思い乱れるにつけては、「(産まれてくる我が子が) まず、無事に産まれ出ていらっしゃったならば、遥かな東国の世界(常陸の国)で、どのようにおなりになるというのだろうか、(=遥かな東国の地でどのように成長なさるのだろうか)。
なぜ、よりによって、こともあろうに

【公式43③♦︎「しも」=よりによって・こともあろうに】

このようなつらい我身に宿るはずの宿命(前世の因縁)として、我身に結び置かれたのだろうか。」などと思い乱れるけれど、このまま京にとどまっても、しっかりとした暮らしも期待できないので、姉と一緒に常陸へ下ったのだった。

  


問三 次の和歌にある助動詞「べし」は、傍線部X・Y・Zの助動詞「べし」のうちどれと同じ意味用法か。最も適切なものを一つ選べ。

心にもあらでこの世に長らへばこひしかるべき夜半の月かな

イ X
ロ Y
ハ Z
二 XとZ
ホ YとZ

[解答速報]代ゼミ・河合→ロ  駿台・東進→ホ
        木山→ロ


「べし」の基本義は、周囲の事情や前後の状況、あるいは従来の経験(常識)などから考えて、どうしてもこのようにあるだろうと推察する意であり、当然・必然の気持ちが強い助動詞です。意味は推量・意志・可能・当然・命令・適当など六つくらいに分類するのが一般ですが、あくまで便宜的なものであり、実際の用例が、そのどれに当たるのかは判定しにくい場合もあります。

 ここは話を絞って、「べし」の『推量』の用法と、『当然』の用法について考えてみましょう。

◆べし の 推量の訳⇒〜だろう。
◆べし の 当然の訳⇒(当然)〜はずだ/〜ねばならない/〜ちがいない。


 これは私の公式に載せられている訳し方ですが、もともと「べし」は、必然の意を含む '' 強い推量 '' ですから、仮に「べし」の推量の訳を「〜だろう」ではなく、「〜ちがいない」と訳出しても '' 強い推量 " を表す表現としては許容されますし、その場合の意味は『推量』となります。

 しかし、そうなると、(強い)『推量』の意としての「〜ちがいない」と、『当然』の意としての「(当然)〜ちがいない」が、訳の上では同じような表現になってしまい、どういう場合が(強い)『推量』であり、どういう場合が『当然』と言えるのか、区別が判然としなくなってしまいます。ここは、もう一つ別の視点が必要です。

 一般に、「べし」の用法を大きく二つに分別すると、『推量』『意志』などの表現主体の情意の表現となるものと、『当然』『可能』などの客体的表現にあずかるものに二分されると言われています。
まとめてみるとこんな感じです。

◆表現主体の情意の表現=『推量』『意志』など
◆主情を離れた客体的表現=『当然』『可能』など


 [例1]昔、男、わづらひて、心地死ぬべく覚えければ、(伊勢・125段)
〔昔、男が病を患って、自分は死ぬだろうと思われたので〕

[例2]月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらん。(土佐・一月二十日)
〔(中国でも日本でも)月の光は同じであるはずなので/同じにちがいないので、(それを眺める)人の心もまた同じであろうか〕

 例 1 では、自分は死ぬだろうと思ったのは、表現主体としての男の情意ですから、「べく」の意味は『推量』と判断できます。仮にこの文の訳出を「自分は死ぬにちがいないと思われたので」と訳したとしても、文法的意味としては『推量』になります。

 これに対し、例 2 では、個々人の思いや情意がどうであれ、それとは無関係な客体として「月の光は万国共通であるはずだ/共通であるにちがいない」と述べている点で『当然』の用法と言えます。

 つまり、「べし」の『当然』の用法には、個々人の主体的情意を超えた必然的な成り行きとして、'' 当然そうなるにちがいない/そうなるはずだ/そうでなければならない '' といった気分が含まれているわけです。

 なんだか難しいなぁ、と思うかもしれませが、この 『個々の主体的情意を超えた必然的成り行き』という考え方の代表が、古典作品に横溢する宿世(すくせ)思想の考え方であって、これは入試に頻出する大事な知識ですから、しっかり押さえておく必要があります。以下、私の古文背景知識No.7から、宿世思想について紹介しましょう。




《 古文の背景知識 № 7 》

宿世思想と追善供養について教えてくださ~い!

  
 宿世(すくせ)とは、簡単に言って前世から決まっている宿命的な運命の意です。伝統的な仏教の生死観では、人間は得度(とくど)して自ら仏に生まれ変わらないかぎり、天道・人道・修羅道(しゅらどう)・餓鬼道(がきどう)・畜生道・地獄道の六つの世界を永遠に輪廻転生(りんねてんしょう)するという認識があります。

 つまり、我々はこの現世に生きる前に前世があったわけで、来世で仏に生まれ変わらないかぎりは、六道のうちのいずれかの世界に生まれ変わるわけです。(ここで、天道=天国、なんて考えないようにね。天人の五衰(ごすい)といわれるように、たとえ天人に生まれ変わっても死の苦しみは存在するのです。)

 ところで、また一方、仏教には
因果応報(いんがおうほう)という概念があります。前世で何をしたかによって現世が決まる、という因果律です。
 ということは、前世の行いを現世に生まれた我々が変えることはできませんから、必然的にその考え方は
宿命論になってしまいます。

 つまり、現世で起こることのすべては
前世の縁によって決められているわけで(これを契りともいいます)、それを変えることはできないのだ、というわけです。

 宿命論というとなんだか、消極的で否定的な考えのようにも思えますが、つらいことが起こってもそれを自分のせいにしなくてもよい、という点ではかえって健康的なのかもしれません。

 光源氏に言い寄られた姫君が、光源氏のプレーボーイとしての頼みがたさを憂慮しつつも、結局押し切られてしまったときなど、あきらめ半分に「これも前の世の契りにや」などとつぶやくのですが、これなどがまさに宿世思想です。

 この
宿世思想は、注意してみていけば、王朝物語や日記文学・説話などに極めて頻繁に登場します。時には男性の求愛の文句として用いられ、「君とこうなるのは前世から決められていた運命なんだ」なんて都合よく説得する例も見受けられます。

 また、政治的な挫折や失脚に直面したとき、それを運命として受け入れよう、などという文脈もよく「
さるべきなんめり」とか「さるべきにや」とか「これも前の世の」とか「いかなる宿世ありけむ」などのようなフレーズで頻出します。

 又は、神社仏閣の建立譚(こんりゅうたん)などにも、因縁めいた機縁として語られることもあります。たとえば、「ここに伽藍が建てられるのも、前世からの定められた宿縁によって導かれたのだ」という考え方です。(H18年早大・一文にまったく同一内容が出題)

 この手の問題は、センター試験では全体の正誤問題として文脈をどうとらえるかといった問題で、選択肢に文章化されることも多いので、ちょっとした背景知識を知っているか知らないかで7点~8点を左右することにもなる、結構大切なポイントです。





 引用文の中に出てきた「さるべき」の意味については、私の直単には次のように載せられています。

①(運命的文脈で)そうなるはずの(前世からの因縁)
②それ相応な・適当な

 ①の解釈では、運命や宿命というものは、まさに『個々の主情を超えた必然の成り行き』ですから、「べき」を『当然』の意と見ているわけです。一般に、入試問題において「べし」の意を問われた場合、それが仏教的因果応報に基づく宿命論の文脈であれば、間違いなく「べき」は『当然』の意となります。

 さて、ここで話を戻して、早稲田の問題文の末尾にある傍線部Zを 見てみましょう。

などしもかかる憂き身に宿るべく、結び置きけん

「なぜこのようなつらい我が身に宿る子供の命として、我が身に結び置かれたのだろうか」とは、まさに主情を離れた運命宿命の必然を慨嘆しているわけですから、Zの「べく」の意味は『当然』です。

では、傍線部Yはどうでしょうか?

げに、かくのみはしたなめられ奉りて、憂き目も見るべか める世の憂きよりは、

《現代語訳》で解釈1 ・解釈2 と二通りの訳を示したように、「べか」を『当然』にとるか『推量』にとるかで判断に迷います。

ちなみに、「べかめる」は、助動詞『べし』の連体形補助活用「べかる」に、視覚推量の助動詞『めり』の連体形が付いたもので、さらに、「べかる」の撥音化「べかん」が無表記になった形です。

 「めり」は視覚推量の助動詞で、視覚に基づいて推定する意を表します。訳は『〜のように見える/〜のように思われる』

【例】簾少し上げて、花奉るめり。[源氏・若紫]
(尼君は)簾を少し上げて、(仏に)花をお供えしているようだ。

 例文は、光源氏が垣間見をしている場面ですが、自らの視覚に基づいて推定の判断をしている点で、話し手の主観性を表す助動詞であるといえます。先に、私は '' 表現主体の情意を主体的に表現する文脈では、「べし」は「当然」の意ではなく、「推量」の意に解すべき '' と書きましたが、この原則に従えば、今回の問題文中の傍線部Yのように「べし」と「めり」が直接合体し、一体となって働く「べかめり」の形に於いては、「べし」は「推量」の意に解するのが妥当という結論に至ります。
 多くの「べかめり」の例文を見ても、表現主体の推定判断を主観的に表現する、というポイントにおいて例外はないように見えます。例えば、

【例】いとど忍びがたく思すべかめり。[源氏・匂宮]
(源氏の君は)ますます堪え難くお思いになっているにちがいないようだ。

とあった場面、観察者の主体的判断として相手の心中を推量しているわけですから、仮に「ちがいない」と訳出したとしても、それは '' 個々の情意を超えた必然の成り行き ” としての「ちがいない=当然」の意ではなく、「(強い)推量としての=ちがいない」の範疇に入ります。
 以上のことから、問題文中の『憂き目も見るべかめる世の憂き』の「べか」は「推量」と判断すべきです。

 駿台と東進の解答速報は、Y「べか」とZ「べく」を共に「当然」の意に解したように見えますが、私は誤りだと思います。Yが当然であれば、「浮き目も見るべき世」のように、直接体言に接続する『〜べき+体言』の形になるのが一般的です。おそらく、「めり」の働きを見落として、一般的な宿世思想の文脈と見誤ったのではないか、と推察しています。

 一方、問三に挙げられた和歌は、藤原道長に退位を迫られた三条院が、その圧力に疲れ果てて、ついに退位を決意した夜に詠まれた歌です。

【訳】これから心ならずもこの世に生きながらえたならば、(今宵退位の決意をした時に眺めた)この夜半の月のことが、恋しく思い出されるだろうなぁ。
《三条院は目を患い失明しつつあり、もうこの先、月を眺めることもあるまい、という感慨も込められています》

「後にこの夜半の月を恋しく思出だすだろう/思い出すにちがいない」というのは、三条院自身の思いであり、個々の主情を超えた必然の成り行きとして恋しくなるというわけではありませんから、この場合の「べき」は『当然』の意ではなく、『推量』(または強い推量としての=ちがいない)の意と解釈すべきです。

 したがって、Y「べか」も和歌中の「べき」も、共に『推量』となり、問三は選択肢のロが正解となります。
 傍線部Xの「堪へ忍ぶべくもあらぬ」は、公10「べし」が打消し反語を伴う場合は『可能』が多いという原則に従って『可能』の意となります。

[注意]以上の説明は「べし」と「めり」が直接繋がった『べかめり』の形に限って解説をしたものであり、文末に「めり」が付く場合、その同じ文中の「べし」を必ず『推量』にとるべきだと主張しているわけではないので、注意して下さい。
 例えば、平成8年センター国語本試『栄花物語』の問4では、本文の「さるべきなめり」の説明として「それは運命としてあきらめようと決意した(=当然の解釈/直訳・そうなるはずであるようだ)」が正解となっており、「さるべきなり」と一旦言い切った上で、視覚推量「めり」を付ける場合は話は別です。


問五 傍線部2「心苦しきこと」とは、本文中のどの部分をさすか。最も適切なものを一つ選べ。

イ なべてにてはあらざりける
ロ ただならずなりにける
ハ さまざまはしたなめ
二 むげによるべなき人にて
ホ 行き隠れにけれ

答→ロ

 まず、文法的アプローチから説明しましょう。傍線部2を含む前後の文は、『この女君、いとど心づきなきことに思して、さまざまはしたなめ、堪へ忍ぶべくもあらぬに思ひわづらひて、むつましく行き交ふ所などもなく、親たちもうちつづき失せにしかば、むげによるべなき人にて、西の京といふ所に、乳母なる者の家に行き隠れにけれど、殿の御心ざし深きことなれば、あはれにのみ思されて、心苦しきことさへ御覧じ知りにければ』ですが、ここで着眼すべきは「心苦しきことさへ」の『さへ』です。

 『さへ』は公式38③にあるように '' 添加の副助詞 '' と言い、訳し方は「〜までも」。『添加』とは、すでにあるものの上に、さらに別な何かを付け加える意を表します。例えば「風吹き出づるのみならず、雨さへ降りて」のように、同じ方向性の上に、さらに別な何かがつけ加わる感じです。

 同じ方向性ではあるもの、何か別の事象がつけ加えられるという感覚が大切で、例えば、「さらでだに憂き世の中に、人の死さへ重なりて」とあった場合、前半の「憂き世の中=つらい世の中」の感慨の中に人の死は含まれません。順番的にいえば、前提として世のつらさを感じていた人の身の上に、さらに人の死の無常までもが追い打ちをかけた、といった解釈になります。

 「さへ」の前後では同じ方向性であるものの、何か別な事象が付け加えられているという原則を、今回の問題文に応用してみますと、ただちに選択肢のハ 二 ホを消去することができます。

 つまり、「 さまざまはしたなめ」られて「 むげによるべなき人」として「 行き隠れ」てしまった宰相の君のことを、左大臣は『あはれにのみ思されて』いたわけですが、その上さらに、何か別な事象として「心苦しきこと(=相手が気の毒な状況)」までもが付け加えられたと解釈できますから、「心苦しきこと」の内容は ハ 二 ホ と同一ではありません。

 また、同じ方向性という観点からは、選択肢のイも落とせます。イを含む文は、「宰相の君とて、兵衛督にて失せしが娘、心ざまなどゆゑありて、見る目もなべてにはあらざりける」ですが、これは宰相の君に対する肯定的な評価ですから、方向性が違います。マイナスの状況が重なっているところに、さらに別のマイナスの状況が重なるとはいえますが、マイナスの状況に、さらにプラスの評価が重なるとは言えません。

 すると消去法的に、残った選択肢 ロ 「ただならずなりにける」だけが、北の方の嫉妬心によって生起した宰相の君の困窮状態以外の、何か別の事象を表しているということになります。実は「ただならず」にはある意味があるのですが、直接の知識がなければ、文脈や設問の選択肢から推察するしかありません。

 (宰相の君が)「ただならずなりにけるを、この女宮(=北の方は)、いとど心づきなきことに思して(=ますます気に入らないことにお思いになって)」と書かれてあり、また、問六「まづたひらかにも出でものし給はば、」の選択肢イに『まず無事にお子がお生まれになったら、』とある点からも、「ただならず」は妊娠・懐妊の意味ではないかと推察できます。

 つまり、左大臣は、父君を亡くした宰相の君の面倒をみるうちに男女の関係となり、宰相の君は懐妊し、一方、その事実を知った北の方はますます嫉妬して宰相の君に意地悪をしたが、左大臣は自分の子を宿した宰相の君にいっそう愛情を募らせた、という文脈です。
 「ただならず」に妊娠の意も含まれることを明示する市販の単語集が存在するのか、調べてみるつもりです。2018年度の木山の直単には載せていません。ただ、木山方式の学生さんであれば、『さへ』の文法的アプローチから消去法で ロ を選択できたのではないか、とも推察しています。


問六 傍線部3「まづたひらかにも出でものし給はば、遥かなる世界にて、いかになり給はむずらむ」の解釈として、最も適切なものを一つ選べ。

イ まず無事にお子がお生まれになったら、遠く離れた田舎の地では、どんなふうにお育ちになるのだろう。
ロ まず姫君が無事に都を出発なさったら、遥かな田舎では、最後はどんな境遇になってしまわれるだろう。
ハ まずは平穏に旅をお続けになったとしても、都から離れた田舎では、どんなにお困りになることだろう。
二 最初は乳母の私が付いて無事に出産なさったとしても、遠い地方では、どのように子育てをなさるのだろう。
ホ 最初に歩まれる道が平坦であったとしても、その後の長い道中では、どのような困難を体験なさるのだろう。

答→イ

 形容動詞の『たひらかなり』は、直単E他32にあるように「無事だ・おだやかだ」の意。「ものし給はば」の『ものし』(直単B62)は、さまざまな動詞の代わりに用いられる代動詞で、文脈に合わせた行為・動作を当てることができます。

 着眼点は、その「ものし給はば」が〔未然形+ば〕で順接仮定条件になっている点で、これだけで選択肢は イ ロ に絞れます。ハ 二 ホ の「〜としても」は逆説仮定の用法であり、そうであれば原文は「ものして出で給ふとも」とか「ものし出で給はんも」(公式9逆説仮定)などとあるべきです。

 傍線部3の直後の文「などしもかかる憂き身に宿るべく、結び置きけん」の「身」とは『我が身』と解釈するのが通例です。一般に「御身」であれば他者、「身」であれば「我が身」ですが、特に「憂き身」といったフレーズでは『つらい我が身』と自身の立場を表すことが圧倒的に多いのです。
 このことはつまり、傍線部3と直後の文は、すべてひと続きの宰相の君の心内文であることを示しています。〔心内文とは登場人物が心の中で思ったことを独白的に語る文章

 心内文であれば、選択肢 ロのように「まず姫君が無事に都を出発なさったら〜」などと自身の行為を尊敬語で表すのはおかしく、従ってロは消去されて、答えはイに決まります。
 イで 生まれ出る我が子に尊敬語を用いるのは、左大臣の子供としての意識が働くからであり、いくら左大臣のお子とはいえ、遠い地方で成長したら将来どうなっていくのだろうか、と将来を案じている、といった文意です。


問七 本文の内容と合致するものを次の中から一つ選べ。

イ 宰相の君は美しく人柄の良い女性であり、帝に愛されて懐妊した。
ロ 左大臣は親を失った娘が不憫で放っておけず、面倒を見ることにした。
ハ 常陸に住む姉は地方で暮らしているのが寂しく、妹に会いたく思った。
二 左大臣の北の方は嫉妬深い人柄で、左大臣が寵愛する女性たちを放逐した。
ホ 姉妹は両親を失って、邸にも住めなくなったので、常陸に下向することにした。

[解答速報]代ゼミ・東進→ロ  駿台→ハ  河合→ホ
        木山→ロ


 イの「帝に愛されて懐妊」は事実に反し、二の「北の方が女性たちを放逐(ほうちく=その場所から追い払うこと)」したわけでもありません。

 駿台はハを正答としていますが、文中の『道の果てなるかこと(=愚痴)をも語り合はせんと思ひ立ちける』は、愚痴や不満の内容が何であるのか書かれておらず不明である以上、そのことが そのまま '' 地方で暮らすことの寂しさ '' と言い換え可能なのか?といった疑念が残ります。『地方暮らしの不満や愚痴を聞いてもらいたくて妹に会いたくなった』というのであれば、もちろん正解ですが、それがそのまま『寂しさ』という気分に転ずる根拠はどこにあるのでしょうか?

 ひょっとして、問題作成者は『寂しさ』の意味合いを、(1)物悲しくて心細い心情の意ではなく、⑵満たされず物足りない気分の意に解しているのかもしれません。そうであれば、用語の二面性により解釈も分かれるわけですから、解答者の読み様によって正誤が決まるといったよろしくないことになります。ハが作成者の意図する正答であるとするならば、選択肢の設定が用語の意味において曖昧なままに詰めきれていない拙い設問と言うべきでしょう。

 ホについては、姉はたまたま上京しているだけであり、生活の基盤は常陸にあるように読めますし、また、「昔の住居も跡絶たる寄る辺なさ」は姉の立場であり、妹の宰相の君まで乳母の家に居ることができなくなったとは書かれていません。

 ロ を落とす諸解答の根拠は、'' 左大臣が宰相の君を寵愛したのは、親を失って不憫だったためではなく、気立ても容貌もよかったためなので、不適 '' とするものですが、傍線部b『御覧じはなたず』の直前の「心ざまなどゆゑありて、見る目もなべてにはあらざりけるを、」の末尾の「を」は格助詞であり、これを理由の条件句として順接の接続助詞にとるのは無理があるように思います。
 中世王朝物語全集5 岩清水物語P8の現代語訳でも「見た目も並々ならず美しかったのを、」と対象を規定する格助詞の解釈であり、「美しかったので、」といった理由付けの解釈にはなっておりません。
 確かに「不憫で放っておけず」の『不憫』という表現を根拠付ける語句は前後にありませんが、本文中ほどに出てくる「あはれにのみ思されて」と通底する感情として、また、『お世話して見放さずにいらっしゃった』との続き具合からも、これを認めてもよいのではないか感じます。
 もともと、作問的に不備な、詰めきれていない設問ですから、どの選択肢にも難があり、確定的なことは言えません。しかし、私が受験生ならば、やはり ロを選ぶだろうと思います。





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【法学部・漢文の分析】

(二)次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。(便宜上、問題の箇所以外は書き下し文の形で載せています)

 予(よ)少(わか)き時、金陵〔きんりょう…今の江蘇省南京〕に客遊し、浮屠

〔ふと…仏僧のこと〕慧礼(えれい)なる者予(よ)に従ひて遊ぶ。


 予(よ)既に淮南〔わいなん…今の江蘇省揚州〕に吏(り)たり。而(しか)して

慧礼(えれい)龍興仏舎をえて、其の徒(と)と日に其の師の説を講ず。嘗(かつ)

て出でて焉(ここ)に過(よぎ)る。


 痺屋〔ひおく…屋根の低い粗末な建物〕数十椽(てん)〔…数十本のたる

き〕、上破れて傍ら穿(うが)つ。側(かたわら)に出でて後を視れば、則ち榛棘

〔しんきょく…雑木やいばら〕人を出で、垣端を見ず。


 指さして以て予(よ)に語りて曰く、「吾は将に此れを除きて之を宮にせんと

。然りと雖も、其の成れるや、以て吾が後に私(わたくし)せしめず。必ず時

の能く吾が道を行ふ者を求めて之に付せん。

2 ハクハ シテ 後 之 人使メヨト

スルヲ 焉(これ)ヲ」。


《願はくは記して以て後の人に示し、焉(これ)を私(わたくし)するを得ざらしめよと》

 是の時に当たりて、礼方(まさ)に食飲を丐(こ)ひ、以て日を卒(お)ふ。其の

居を視るに朽然〔きょうぜん…がらんとして何もないさま〕たり。予(よ)特(た)だ戯れて曰く、

3 「(しばら)ク ヲ、  記 シト   」。

《姑(しばら)く之を成(な)せ、吾が記難(かた)き者(こと)無しと》

後(のち)四年、来たりて曰く、「昔の為(つく)らんと欲する所、凡そ百二十楹

〔えい…百二十軒〕、州人蒋氏(しょうし)の力に頼(よ)りて、既に皆成れり。

4 盍 有 述 焉 」。

噫(ああ)、何ぞ其の能(よ)くするや。蓋(けだ)し慧礼なる者、予(よ)之を知

る。其の行ひ謹潔(きんけつ)、学博(ひろ)くして才は敏なり。而(しか)して又

之を卒(お)ふるに私(わたくし)せざるを以てす。

5 (むべ)ナリ スコト カラ

《宜(むべ)なり此れを成すこと難からざるや》


[現代語訳]

私(=王安石)が若い時、金陵に遊学していた。(修学や仕官の為に他国に行くこと) その時、僧侶の慧礼(えれい)という者が、私について学んでいた。私は既に淮南において官吏であった。そして慧礼は龍興仏舎を得て、その門徒と共に日に自分たちの師の説を講義していた。

嘗て(ある時)、私は出かけてこの龍興仏舎を過ぎった。寺は屋根の低い粗末な建物で、数十本のたるきを渡してあり、上の方は破れて側面には穴が開いている。建物の横に出て後ろの方を見てみると、雑木やいばらが人の背丈を越えて生い茂り、垣根の上端は隠れて見えなかった。

(慧礼は、この荒れ寺を)指差して私に語ったことには、

「1  吾  将  除  此  而  宮  之。

しかし、そうだとはいっても、それが完成するについては、私の後継者に好き勝手にさせず(=私物化させず)、必ずその時の私の信仰する仏道を行なう者を探し求めて、この人物にこの寺を付託しよう。

2 ハクハ シテ 後 之 人使メヨト スルヲ (これ)ヲ」。

この当時、慧礼はまさに人に飲食を乞い求め、それを以って日を終わっていた(=日を送っていた)。その住まいを見ると、がらんとして何もなかった。私はただ戯れて言った、

3 (しばらく)ク ヲ、 記 無シト 」。

その後四年たって、(慧礼が)やって来て「以前の作ろうと欲した所、およそ百二十軒の建物が、州人蒋氏の助力によって、既に皆完成した。

4 盍 有 述 焉 」。

ああ、なんと能(よ)い働きであることよ。思えば、慧礼なる者を私は知っている。その行いは謹厳潔白で、学問は幅広く才能は鋭敏だ。しかもまた、この寺の建立を終えるのに、これを好き勝手に私物化させなかった。

5 (むべ)ナリ スコト カラ (や)。



問九 傍線部2「 願 記 以 示 後 之 人、使 不 得 私 焉」の意味として最も適切なものを一つ選べ。

イ 記に詳細を書いてもらうことで、私の死後も、背後で画策する者たちの好き勝手にさせないようはっきり示してください。

ロ どうか記を書き残して私の思いをはっきり示し、後世の人々がこの寺を好き勝手に私有化できないようにさせてください。

ハ あなたの手でこの事業の全てを記録して後世の人々に誇示し、寺の復興に私欲が少しもなかったことを知らしめてください。

ニ 名文家であるあなたに記を書いてもらい、私の偉業を後世に伝え、寺の歴史を好き勝手に書き換えぬようにさせてください。

ホ 事実重視の記録で事業の困難さを正確に伝えてもらい、後世この寺を訪れた人々が勝手に遊興の場に変えぬようにさせてください。

答→ロ


問十 傍線部3「姑 成 之、吾 記 無 難 者」という発言の裏に隠された心情の説明として、最も適切なものを一つ選べ。

イ 寺の復興を目指す慧礼のこれからの困難と比べれば、記を書くことなど造作もないことだと感じ、場を和ませるつもりで軽口をたたいた。

ロ あきらめなさいと他人が忠告するのではなく、現実不能な難業だと自ら気づかせるため、納得するまで頑張るように親切ごかしの言葉をかけた。

ハ 記を書くつもりはまったくなかったが、慧礼のあまりに真っ直ぐな思いに圧倒されたため、気まずいその場を取り繕おうとしてこう発言した。

ニ 慧礼の優秀さを十分に知っているため、この人ならば必ずや有言実行すると思ったが、勢い込んでいる彼の頭を少し冷やす目的であえてからかった。

ホ 寺の現状からすると、慧礼の目標はあまりに高すぎるとかんじたので、正直な気持ちではとうてい無理と思いながらもそれを押し隠してこう発言した。

[解答速報]東進→当初イ その後 ホ に改訂   代ゼミ・駿台・河合→ホ
        木山→ホ


*東進が当初イを正答としたのは、本文中の『予(よ)特(た)だ戯れて曰く』に引っぱられて、冗談ごとの軽口と見たものと推察しますが、「発言の裏に隠された心情」としてはホが正解であることは言うまでもありません。


問十一 傍線部4「盍 有 述 焉」の解釈として最も適切なものを一つ選べ。

イ 思うに誰かが必ず記を書くべきである。

ロ おそらく記を書くことになるであろう。

ハ どうして記を書かないことなどありましょうか。

ニ はたして記を書くことなどありえたでしょうか。

ホ いったいどのように記を書いたら良いでしょうか。

答→ハ

 *読み方は『盍(なん)ぞ焉(これ)を述ぶること有(あ)らざる』⇒《訳》どうして記を述べることがないのでしょうか=記を述べて(書いて)頂くのはどうでしょうか。


問十二 傍線部5「宜 成 此 不 難 也」は、四年という短期間で偉業を完成させた慧礼に対するある種の賛辞である。筆者が「宜なり」と考えた理由の説明として、本文の内容とは合致しないものを次の中から一つ選べ。

イ 慧礼はかつて自分につき従って遊学したことがあり、彼が博学ですぐれた才覚をもつ人物であることを深く理解していたから。

ロ 慧礼は日々托鉢の行に明け暮れるなど純粋な思いで仏道修行に励んで功徳を積み、宗教者として清廉潔白な人であったから。

ハ 慧礼の日々の行いや振る舞いが周囲の人々の信頼を呼び寄せ、その結果多くの支援が集まるのは至極自然な成り行きだったから。

ニ 慧礼はただ宗教者としてすぐれていただけでなく、世俗の有力者と親密に社交するなど世故に長けた理財の術をも心得ていたから。

ホ 慧礼は荒廃した寺院を見事に復興させたにもかかわらず、決しておごり高ぶらず、冷静沈着に己の死後のことまでも慮っていたから。

[解答速報]代ゼミ→ハ   河合・駿台・東進→二
        木山→ニ


 筆者は慧礼(えれい)の人となりを「其 行 謹 潔」(=その行いは謹厳で潔白な人物)と述べており、それが故に、慧礼が寺院の私有化をも禁じたことをあげています。
 一方、選択肢 二 の『世故(せこ)に長(た)け理財の術をも心得』の「世故に長け」は '' 世間の裏表を熟知して世渡りや世間づきあいに長じている '' 意を表す慣用句ですが、この表現は謹厳潔白な慧礼の人物像とは、むしろ対極的な方向です。

 また、どういう経緯で慧礼が蒋氏の援助を得たのか書かれておらず、世情に通じていたが故とする根拠がありません。むしろ、文面を素直に読めば、慧礼の謹厳実直な性格を見込んで蒋氏が援助した、と解釈する方が自然です。

 ハ を合致しないとみる根拠は、「人々の信頼を呼び寄せ、多くの支援が集まる」の部分が、蒋氏以外の複数の支援があったことになり、本文内容に反するという見方だと思いますが、漢文における『氏』は血族の集団を意味しますから、'' 蒋氏一族の多くの人々からの支援 '' という解釈は可能だと思います。





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