お便りシリーズNo.69

【令和2年・2020年
センター試験古典(古文漢文)】




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《古文漢文の背景知識・日本と中国の隠

者》

仏教の「空」の概念と老荘思想の「無為自然」の概念について教えて下さーい!

  
 有名な空論のお経に『般若心経(はんにゃしんぎょう)』があります。わずか266文字の短いお経ですが、仏教徒でなくても、そこに書かれた透徹な認識論には深遠な印象を受ける人が多いと思います。私の勝手な妙訳で紹介すればこんな感じでしょうか。

シャーリプトラよ、あらゆる存在に実体はない。これを名付ければ「空(くう)」である。

また、あらゆる存在は変化を繰り返す。これを名付ければ「無常」である。

存在には「変化」があるだけで、生まれもしなければ死にもせず、増えもしなければ減りもしない。

「自分」という存在もまた空である。自我にとらわれるな。

あらゆるものは有るようで無いのだ。

存在の真実を見抜きなさい。

この存在の真理を深く悟る者だけが、自由で心安らかでいられる。

世界と自分を隔てていた虚構が崩れ去る認識は、なんとすがすがしいことか。

しかし、その真理を知ろうとせず、不変を求め、不変なるものが存在すると錯覚するところに苦が生じるのだ。


 仏教的な「空(くう)」の概念では、この世界の一切は因縁(いんねん)によって仮に存在しているに過ぎないと考えます。つまり、すべては固有の本質をもたず、変化しうる存在なのであり、固定的な実体はなく、そのような仮象の幻にとらわれるところに人間の苦があると説きます。

 例えば、30年前に『あなた』はどこに存在していたのでしょうか? 若い人であれば、30年前の『あなた』は存在していなかったでしょう。
しかし、今の『あなた』の体を構成する分子や原子に印を付けることが出来て、その来歴を遡ることが出来れば、その微細な粒子は30年前には、ロッキー山脈を流れる渓流の水の分子であったかもしれません。それがこの世界で生々流転を繰り返して、今、『あなた』という個体を形作っている。

 そのように考えれば、確かにこの世界は、自身も含めて変転する仮象の相にほかなりません。その仮象の世界を実体があるもののごとく追求するのは、虚しく、その執着心から苦が生じると仏教はおしえます。


 従って、すべての執着を捨て去さることが究極の目的となるわけですが、この執着を離れた諦観の態度は、老荘思想の「無為自然」とも一脈通ずるようにも感じられないでしょうか?

 「無為自然」とは、「老子」に見られる語で、老子はことさらに知や欲をはたらかせず、自然に生きることをよしとしました。何もせずにぶらぶらするという意味ではなく、「宇宙のありかたに従って、自然のままであること」といった意味です。
何事にも争(あらが)わず、人為を配して手を加えず、水が高いところから低いところへ自然に流れるように、ありのままに生きる生き方といった意味合いもあります。

 「自分」などというものをすべて忘れて、天地自然のままに生きられたら、それは人間にとって最も幸せな生き方なのだ、という老子の教えです。 老子はこの原理原則を『道(tao)』という言葉で表しました。英語ではタオイズムと呼ばれます。

 この「無為自然」の反俗性、自我を放擲するような態度には、仏教的な「空」の概念による執着を離れた諦観のありかたと一脈通ずるものがあるように感じられませんか?

 実は、中国の歴史でも、三国時代・晋・南北朝時代には仏教が中国に流入してくるのですが、その時代には、格義(かくぎ)仏教と呼ばれる老荘思想を媒介とした仏教解釈が広まりました。
 格義とは仏教用語を老荘思想の言葉に置き換えて解釈することです。例えば、悟りの境地を意味する仏教の「涅槃(ねはん)」は老荘思想の「無為」、悟りを求める者を意味する仏教の「菩提(ぼだい)」は老荘思想の「道(tao)」と同じものとして解釈されました。

 やはり、当時の人々にとっても両者の概念は非常に似通ったものとして捉えられていたようです。

では、両者は正確にはどう違うのでしょうか?

 端的に言えば「空論」は世界をどう認識するかの認識論であって、その論理的帰結は現世の否定です。'' 仮そめの世への執着を捨てよ '' という教えはまさに現世の否定ですし、例えば「諸行無常」と並んで仏教が標榜する根本命題の一つに「一切皆苦」があります。この世は苦しみに満ちており、心に平穏を得るためには一刻も早くそのような苦から逃れなければならないというわけです。これもまた現世を否定します。

 一方の「無為自然」は世界でどう生きるかを論じる処世論であって、処世とは「この世で生きてゆくこと」の意ですから、決して現世の生を否定しません。むしろ、あるがままの現実を絶対的に肯定しようとする達観主義にほかなりません。 中国由来の禅宗なども、現実を絶対的に肯定しようとする点で、実は仏教の皮をかぶった老荘思想の達観主義なのではないか、と私は密かに感じることがあります。

 だとすれば、仏教的隠者と老荘思想的隠者の違いも、現世否定の立場に立つか、現世肯定の立場に立つか、の違いであると言えるのではないでしょうか。

老荘思想的隠者の場合、確かに禁欲的な単独生活を送りますが、無常観に拠ってそうするのではなく、むしろ外物に左右されず自由に生きるために隠遁しているようなところがあり、無為を旨(むね)としながらも、詩文などを楽しみつつ、酒も飲めば、友を迎えて清談を交わしたりと、気ままに生きる自由人的隠者といった趣きです。
その根底にあるのは、 あるがままの現実を絶対的に肯定して生きる達観主義です。

 これに対して、日本の古典作品に多くみられる仏教的隠者の場合、程度の差はあれ、より現世否定の色あいが強くなります。山林に籠って念仏修行し聖(ひじり)と崇められたような出家者の中には、極楽往生の様を見せるため信者の目前で焼身したり入水したりする者まで現れます。
つまり即身成仏という究極の現世否定まで進んでしまう場合もあるわけです。その根底にあるのは、仏教的無常観による現世よりも来世を期待する態度です。

 一般に、仏教的隠者の清閑の暮らしぶりは清澄な宗教的精神の現れとして好ましく描かれますが、それでさえも現世が肯定されているわけではありません。「後の世もいと頼もしき」といった具合に、来世での極楽往生が期待されるという点で好ましいわけです。隠者として清閑の暮らしをしていても、現世は「諸行無常・一切皆苦」であることに変わりはありませんし、現世でそのまま極楽浄土のような暮らしができるというわけではないのです。〔この説明が今回のセンター古文 問3①に関連します〕

 ただし、「般若心経」が空の讃歌であったように、空の概念は虚無主義(ニヒリズム)ではありませんから、現世の否定とはいっても彼らが自身の生に絶望しているわけでありません。
仏道修行の専念の中に極楽往生への確かな希望を持ち、それによってはかない現世での生に充実を感じるという一面もあるのです。
〔この説明が今回のセンター古文問3③に関連〕

 ところで、老荘思想的な達観主義をよく伝えていると私が考える夏目漱石の文章を紹介しておきます。漱石晩年の『則天去私(そくてんきょし)』の境地を陶淵明の漢詩を引き合いに語ったものです。

廬(いおり)を結んで人境(じんきょう)に在り
而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
君に問ふ何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと
心遠ければ地自ら偏(へん)なり
菊を東籬(とうり)の下に采(と)り
悠然として南山を見る
山気(さんき)日夕(にっせき)に佳(よ)く
飛鳥(ひちょう)相与(とも)に還る
此の中に真意有り
弁ぜんと欲すれど已に言を忘る


 《ことに西洋の詩になると、人事が根本になるから、所謂(いわゆる)詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。〔中略〕
うれしい事に東洋の詩歌にはそこを解脱したのがある。『菊を東籬の下に采り、悠然として南山を見る』只(ただ)それぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景がでてくる。垣の向こうに隣の娘が覗いている訳でもなければ、南山に親友が奉職しているわけでもない。超然と出世間的に利害得失のあせを流し去った心地になれる。》


 2020年センター漢文の漢詩の一節、『靡迤(びい)として下田に趨(おもむ)き、迢逓(てうてい)として高峰を瞰(み)る』に込められた気分は、この陶淵明の詩の「悠然として南山を見る」の気分に重なるものだと、私は思います。〔この説明が今回のセンター漢文問6の解法に関連〕


【軽井沢や八ヶ岳の別荘で薪を割るのは世俗の営みか? それとも世俗を超えた風情ある野趣か?】


 禅宗のお寺では、庭掃除から軽い農耕作業まで、寺の維持に必要な一切の仕事を修行僧が行います。この作業を作務(さむ)と言います。
作務は世間で言う労働とは少し違って、生活のためではなく、あくまで修行のためにするものです。

 ところで、定年でリタイアした人が、喧騒に満ちた都会を離れて、例えば、軽井沢や八ヶ岳の麓にログハウスなど建てて、自然の中で無心に薪を割ったりなどしながら余生を送るといった行為の裏側には、伝統的な隠棲思想が反映しているように見えます。

 それは、生活の糧を得るために迫られてする労役ではなく、むしろ、その行為自体の中に安寧の境地を見出す点で、禅宗の作務に近いものではないでしょうか。
先に私は、禅宗には老荘思想的な匂いがすると書きましたが、老荘思想においては人為的な作為は否定されますから、労役に対しても、あるがままの自然体でなければなりません。
菊を東籬の下に采り、悠然として南山を見る」の境地も、効率優先の必死の労働であっては成立しませんし、がんばって来年は菊の作付けを2倍にしよう、などと気負ってはいけないのです。

 そういう意味では、田園生活の清貧に甘んじた陶淵明とはいっても、あくまで貴族社会の相対的な清貧であって、大地に這いつくばって必死に生きる赤貧の農民とは立場が違います。

 今回のセンター漢文に出題された五言詩においても農耕を描く部分がありますが、『欲を寡(すくな)くして労を期せず、事に即して人の巧(こう)罕(まれ)なり。…(注)人の手をかけ過ぎない 』とあるのは、老荘思想的な作為の否定と読めます。
つまり、この五言詩の作者においては、農耕は生活に窮してなすものではなく、むしろ、田園の自然美の中での晴耕雨読的な脱俗の営みの一つであるというふうに解釈できます。

 今回のセンター漢文の問5 ⑤には、「田畑を耕作する世俗のいとなみが」と書かれており、作者の農耕を俗事と見なしている点で、私はすぐに違和感を覚えました。
結局、'' 適当でないもの '' として、この⑤が正解なのですが、それは私に老荘思想的隠者の背景イメージがあるからであり、そうした知識のない一般の受験生が、与えられた詩句のみを手掛かりにして、はたしてこの違和感に行き着くものだろうか?という疑問は残ります。

欲を寡(すくな)くして労を期せず、事に即して人の巧(こう)罕(まれ)なり」から、労務に執着しない態度は読み取れても、それをもとに『作者にとっての農耕は世俗のいとなみとは言えない』と、キッパリ断ずるには、やはり、前提としての ''老荘思想的隠者 '' のイメージが必要であるようにも感じます。

 というわけで、諸解説がこの問5をどう説明するのか、私は大変興味があるのです。〔以上の説明が今回のセンター漢文問5の解法に関連〕






  現代文 古 文 漢 文 合 計 全教科(得点率)
70 31 50 151 752(83.6%)
90 43 34 167 746(82.9%)
91 38 38 167 744(82.8%)
84 34 34 152 772(85.8%)
89 26 46 161 747(83.0%)
74 25 42 141 753(83.8%)
84 28 42 154 765(85.0%)
81 43 50 174 793(88.1%)
78 37 34 149 736(81.8%)
76 43 42 161 698(78.0%)


A→国際福祉医療大学 合格   B→杏林大学医学部 合格
C→日大医学部 合格      D→順天堂大学医学部 合格
E→杏林大学医学部 合格    F→金沢大学医学部 合格
G→旭川医科大学 合格     H→北海道大学工学部 合格
I→早稲田国際教養 合格    J→お茶の水女子大学 合格



第3問(古文)

次の文章は『小夜衣(さよごろも)』の一節である。寂しい山里に祖母の尼上と暮らす姫君の噂(うわさ)を耳にした宮は、そこに通う宰相という女房に、姫君との仲を取り持ってほしいとうったえていた。本文は、偶然その山里を通りかかった宮が、ある庵に目をとめた場面から始まる。傍線部以外は現代語訳で載せています

  (宮が)「ここはどこか」と、お供の人々にお尋ねになると、(お供の人々は)「雲林院(うりんいん)と申す所でございます」と申し上げるので、(宮は)ふとお耳にとめて、宰相が通っている所であろうかと(お思いになり)、この頃は宰相はここにいると聞いているが、(宰相が通う姫君の住う庵は)どこであろうか、と

(ア) ゆかしくおぼしめして、直単C形79③ ゆかし…知りたい

 お車をとどめて(牛車の窓から)外を眺めていらっしゃると、どこも同じ卯の花の咲く初夏の景色とはいいながら、卯の花の垣根が続く様子なども、あの卯の花の名所の玉川を見る心地がして、ほととぎすの初音にも心尽くさぬ辺りであろうか(=ほととぎすの初音を聞くにも今か今かと待ち焦がれたりしないで済む自然豊かな土地であろうか)と、自然と心ひかれるようにお思いになって、夕暮れの時なので、

(イ) やをら直単C副18 やをら…そっと静かに

 葦(あし)の垣根の隙間から、格子など見えるのをのぞいていらっしゃると、こちら側は仏の安置された仏前と見えて、水や花を置く閼伽棚(あかだな)がささやかにあり、妻戸や格子なども開け放って、樒(しきみ)の花が青やかに散っていたり、花をお供えして(その花皿が)からからと風に鳴る様子を見ても、この方面の営みも、この世にても所在ないこともなく(きちんと仏道修行がなされているので)、来世については、またたいそう頼もしいことであるよ(と宮はお思いになる)。

このかたは(この方面のことは=仏道の方面のことは)心にとどまることなれば、

 うらやましく見給へり。


 つまらない現世にあっても、このように仏事を務めて住みたいものだと、目をとめてご覧になっていると、童部(わらわべ)の姿もたくさん見える中に、あの宰相のもとにいた童もいるのは、(宰相の通う姫君の住まいは)ここであろうか、とお思いになるので、お供の兵衛督(ひょうえのかみ)という者を(取り次ぎとして)お呼びになって、
「宰相の君はここにおりますでしょうか」と、対面したい意向を申し上げなさる。


(宰相の君は)驚いて、「どうしたらよいでしょうか。宮様がここまで尋ね入りなさっているのであろう。恐れ多いことでございます。」と言って、急いで応対に出た。仏間の傍にある南側の部屋に、御座所をしつらえて(宮を)お入れ申し上げる。

(宮は)うち笑みなさって、「このほど尋ね探し申し上げると、(あなたが)この辺りにいらっしゃると聞きまして。ここまで分入ってきた私の心ざしを(=宰相を通じて姫君を想う私の愛情の程度を)思いやって下さい。」などとおっしゃるので、

(宰相は)「なるほど本当に、恐れ多くもここまで尋ね入りなさったお心ざしは、(あまりにもったいなくて、こちらとしては)きまり悪い程でございます。年老いた尼上が、寿命で病にわずらっておりますので、最後まで見届けたいと思い、(このような山里に)籠もっておりまして」などと申し上げると、

(宮は)「尼上がそのようでいらっしゃるのは、お気の毒でございます。その尼上のご病気のご様子も承りたく、こうしてわざわざやって参りましたのに。」などとおっしゃるので、 (宰相は)庵の奥へ入って、
「このような宮様の仰せごとがございます。」と(尼上)に申し上げると、

(尼上は)「そのような者(=尼上自身)がいると宮様のお耳に入って、老いの果てにこのような(=宮様に見舞ってもらうという)素晴らしい恵みをいただいたのは、生き長らえた命も今は嬉しく、この世の面目と思われます。


B つてならでこそ申すべく侍るに、

なにぶんにもこのような弱々しい病状でして」などと、絶え絶えに申し上げるのも、たいそう理想的で好ましいと(宮は)お聞きになる。 [庵の奥からかすかに聞こえてくる尼上の語り口調に対する宮の感想]

(庵にいる)人々がのぞいて見申し上げると、月もはなやかにさし出た夕月夜に、(宮の)振る舞いなさっている様子は、他に似るものもないほどすばらしい。山の端から月の光が輝き出るような(宮の)ご様子は、目も及ばないほどである。 艶(つや)も色もこぼれ溢れるばかりのお召し物である上に、直衣(なほし)のちょっとした


(ウ) 重なれるあはひ


も、どこに加わっている清らかな美しさであろうかと(思われて)、この世の人が染め出したものとも見えず、ふつうの色とも見えない様子で、文目(あやめ=文様)も本当に立派なものである。

(山里暮らしで)それ程でない男でさえ見慣れていらっしゃらない心地であるのに、(このようなすばらしい宮様の姿を見て、人々は)「この世にはこれ程の人もいらっしゃったのだなぁ」と、ひどく感心なさっていた。 なるほど本当に(この宮様を)姫君と並べてみたく、(そのすばらしいお二人の姿を想像しながら姫君付きの女房たちは)


笑みゐたり。


 宮は、この場所の有り様などご覧になるにつけても、他と様子が変わって(ひどくさびれている様に)お見えになる。人も少なくしんみりとして、このような所に、もの思いがちであるような人(=姫君)が住んでいる心細さなど、しみじみとお思いになって、むやみに物悲しく、(涙で)袖を濡らしなさりつつ、宰相にも「何とかして、甲斐があるように(姫君との仲を)取りなし申し上げて下さい」などと語らってお帰りになるのを、(庵の)人々も名残惜しく思われる。

(「小夜衣」による)



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 以下、設問を解説していきますが、傍線部(ア)(イ)の語釈は容易だと思いますので省きます。 また、問3・問4・問5・問6については、迷いそうな選択肢に絞って解説をしてみましょう。

問1 (ウ) 重なれるあはひ」の解釈として最も適当なものを選べ。

① 重なる様子
② 重ねた風情
③ 重なった瞬間
④ 重なっている色合い
⑤ 重ねている着こなし

 『あはひ』のここでの意味は、「色の配合・取り合わせ」といった意味合いです。前後の文脈でも、「艶(つや)も色もこぼるばかりなる御衣に」「この世の人の染め出だしたるとも見えず」などと、色彩に焦点を当てた表現が見えます。
また、意味合いが重なり明瞭に区別出来ない複数の選択肢があった場合、それらは正答ではないはず、といった受験テクニックに従えば、①②⑤は排除出来るはずです



問3 傍線部Aうらやましく見給へり」とあるが、宮は何に対してうらやましく思っているのか。最も適当なものを選べ。

① 味気ない俗世から離れ、極楽浄土のように楽しく暮らすことのできるこの山里の日常をうらやましく思っている。

③ 仏事にいそしむことで現世でも充実感があり来世にも希望が持てる、この庵での生活をうらやましく思っている。

 先に説明した通り、現世において極楽浄土のような生活が体現できるという考えは、仏教の理念に反します。宇治の平等院などは極楽浄土への希求であって、あれを建立した藤原頼通も生老病死の苦から逃れられたわけではありません。人は仏にならない限り、たとえ天道に生まれても苦しみを味わうというのが、仏教の基本理念です。



問4 傍線部Bつてならでこそ申すべく侍るに」とあるが、尼上はどのような思いからこのように述べたのか。最も適当なものを選べ。

② 長生きしたおかげで、幸いにも高貴な宮の来訪を受ける機会に恵まれたので、この折に姫君のことを直接ご相談申し上げたい、という思い。

⑤ 宮が自分のような者を気にとめて見舞いに来られたことは実に恐れ多いことであり、直接ご挨拶申し上げるべきだ、という思い。

 『つて』のここでの意味は、「相手に伝えるための手段や方法・仲立ち」といった意味合いで、例えば、現代語でも「連絡するつてがない」などと用います。
 尼君のいう『つて=仲立ち』とは、もちろん、取り次ぎをしている宰相のことですから、宰相を介して宮様とお話し申し上げるのでなく、本来であれば直接対面して申すべきところを、病の床でそれも叶わず、と言っているわけです。
傍線部Bの直前には、「さる者ありと御耳に入りて、老いの果てに、かかる御恵みをうけたまはるこそ、ながらへ侍る命も、今はうれしく」とあり、これが⑤の「宮が自分のような者を気にとめて見舞いに来られた」と符合することは明白だと思います。



問5 傍線部C笑みゐたり」とあるが、この時の女房たちの心情についての説明として最も適当なものを選べ。

② 月光に照らされた宮の美しさを目の当たりにし、姫君が宮と結婚したらどんなにすばらしいだろうと期待している。

③ 宮が想像以上の美しさであったことに圧倒され、姫君が宮を見たらきっとおどろくだろうと想像して心おどらせている。

 傍線部Cの直前には、宮様の貴公子としての美しさに感嘆する女房たちの描写の後に、「げに、姫君にならべまほしく」とありますが、この場合の『ならぶ(下二段)』は、一対の男女として宮様と姫君を並べてみたい、つまり、お似合いのカップルとしての結婚の期待を言っているわけです。(王朝的文章の中では比較的よく見る慣用的表現)
また、『ならぶ』には、'' 二つのものの程度が優劣なく対等である・匹敵する '' といったニュアンスもありますから、宮様の素晴らしさに並び立つのは姫君をおいて他にない、といった期待も込められています。



問6 この文章の内容に関する説明として最も適当なものを選べ。

② 宮の突然の来訪に驚いた宰相は、兵衛督を呼んで、どのように対応すればよいか尋ねた。そして大急ぎで出迎えて、宮に失礼のないように席などを整え、尼上と姫君がいる南向きの部屋に案内した。

④ 宮の美しさはあたかも山里を照らす月のようで、周囲の女房たちは、これまでに見たことがないほどだと驚嘆した。一方宮はこの静かな山里で出家し、姫君とともに暮らしたいと思うようになった。

⑤ 宮は山里を去るにあたり、このような寂しい場所で暮らしている姫君に同情し、必ず姫君に引き合わせてほしいと宰相に言い残した。女房たちは宮のすばらしさを思い、その余韻にひたっていた。


②は、「兵衛監に対応を尋ねた」や「尼上と姫君がいる部屋」が間違い。
④の「出家して姫君とともに暮らしたい」は出家の理念としてあり得ず、背景知識があれば見ただけで間違いと気づきます。(古文背景知識No.1参照)
⑤は本文末尾の内容と合致。






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第4問(漢文)

 次に挙げるのは、六朝時代の詩人謝霊運(しゃれいうん)の五言詩である。名門貴族の出身でありながら、都で志を果たせなかった彼は、疲れた心身を癒すため故郷に帰り、自分が暮らす住居を建てた。これはその住居の様子を読んだ詩である。


【木山:注 中国古代の伝統的社会においては、文人は一般に『隠逸』への強い志向を持っていました。ただし、日本古典に登場する『隠者』がほぼ仏教出家者であるに対して、中国古代の隠者は、世俗から超越した農村世界で、気ままに悠々自適の生活を送り、友と清談を交わすといった老荘思想的な無為自然の境地を語るものが多く、その点で、仏教的無常観の中に生きる日本的隠者とはかなり趣が異なる点に注意して下さい。】


樵 隠 倶 在 山
樵(せう)隠(いん)倶(とも)に山に在(あ)るも
木こりと隠者はともに山に在るものだが


注1 樵隠…木こりと隠者

由 来 事 不 同
由来(ゆらい)事(こと)同じからず
その理由は同じことではない


注2 由来…理由

不 同 非 一 事
同じからざるは一事に非(あら)ず
木こりと隠者が同じでないことは一事のことではない(様々に違いがあるのだが例えば隠者の場合)

養 痾 亦 園 中
痾(やま)ひを養(やしな)ふも亦た園中(えんちゅう)
都の生活で疲れた心身を癒(いや)すのもまた庭園のある住居である

注3 養痾…都の生活で疲れた心身を癒す。
注4 園中…庭園のある住居

園 中 屏 氛 雑
園中(えんちゅう)氛雑(ふんざつ)を屏(しりぞ)け
その庭園のある住まいでは、俗世のわずらわしさをしりぞけ

注5 氛雑…俗世のわずらわしさ

清 嚝 招 遠 風
清嚝(せいこう)遠風(えんぷう)を招(まね)く
清らかで広々とした空間が、遠くから吹く風を招く

注6 清嚝…清らかで広々とした空間

卜 室 倚 北 阜
室(しつ)を卜(ぼく)して北の阜(おか)に倚(よ)り
土地の吉凶を占い建てる場所を決め、北の丘に倚(よ)りかかるようにして住居を建て

注7 卜室…土地の吉凶を占い住居を建てる場所の決めること

啓 扉 面 南 江
扉(とびら)を啓(ひら)きて南の江(かは)に面す
門扉(もんぴ)を開いて、南側の川に面する


激 潤 代 汲 井
潤(たにがは)を激(せきと)めて井を汲むに代へ
谷川を堰き止めて(水を引き)、それを井戸の水を汲む代わりにし

挿 槿 当 列 墉
槿(むくげ)を挿(う)えて墉(かき)に列(つら)なるに当(あ)つ
槿(むくげ)の木を植えて、それを家の周りに列(つら)なる垣根に当てる

群 木 既 羅 戸
群木(ぐんもく)既(すで)に戸に羅(つらな)り
木々はすでに戸口に連(つら)なり

衆 山 亦 対 窓
衆山(しゅうざん)亦た窓に対す
山々もまた窓に相対している

D靡 迤 趨 下 田
靡迤(びい)として下田(かでん)に趨(おもむ)き
うねうねと連なり続く下田に赴(おもむ)き

注8 靡迤…うねうねと連なり続くさま。

迢 逓 瞰 高 峰
迢逓(ちょうてい)として高峰(こうほう)を瞰(み)る
はるか遠くに連なる高峰を仰ぎ見る

注9 迢逓…はるか遠いさま。

寡 欲 不 期 労
欲を寡(すくな)くして労(ろう)を期せず
物欲を少なくして労することを期待せず

即 事 罕 人 功
事に即して人の功(こう)罕(まれ)なり
物事のありのままに即して、人の手をかけすぎない

注10 罕人功…人の手をかけ過ぎない。

唯 開 蔣 生 径
唯(た)だ蔣生(しょうせい)の径(みち)を開き
ただ、自宅の庭に小道を作り友を招いた蔣生(しょうせい)の故事をまねて、私も友を招く小道を開き

注11 蔣生…漢の蔣詡(しょうく)のこと。自宅の庭に小道を作って友を招いた。

永 懐 求 羊 蹤
永(なが)く求羊(きゅうよう)の蹤(あと)を懐(おも)ふ
永く蔣生(しょうせい)の友であった求仲や羊仲のことを思い、(私も友の訪れを待つことにしよう)

注12 求羊…求仲と羊仲のこと。二人は蔣詡の親友であった。

賞 心 不 可 忘
賞心(しょうしん)忘るべからず
美しい風景をめでる心を忘れてはならない

注13 賞心…美しい風景をめでる心。

妙 善 冀 能 同
妙善(みょうぜん)冀(こひねが)はくは能(よ)く同(とも)にせんことを
この上ない幸福として乞い願うことには、よく(この風雅の時を)友人たちと共にせんことを

注14 妙善…この上ない幸福。



問5 傍線部D靡 迤 趨 下 田、迢 逓 瞰 高 峰」の表現に関する説明としている適当でないものを、一つ選べ。。

① 「靡迤(びい)」という音の響きの近い語の連続が、「下田に趨(おもむ)く」という動作とつながることによって、山のふもとの田園風景がどこまでも続いていることが強調されている。

② 「靡迤として」続いている田園風景と「迢逓(てうてい)として」はるか遠くに見える山々とが対句として構成されることによって、住居の周辺が俗世を離れた清らかな場所であることが表現されている。

③ 「迢逓」という音の響きの近い語の連続が、「高峰を瞰(み)る」という動作とつながることによって、山々がはるか遠くのすがすがしい存在であることが強調されている。

④ 山のふもとに広がる「下田」とはるか遠くの「高峰」が対句として構成されることによって、この詩の風景が、垂直方向だけでなく水平方向にものびやかに表現されている。

⑤ 「趨く」と「瞰る」という二つの動詞が対句として構成されることによって、田畑を耕作する世俗のいとなみが、作者にとって高い山々をながめやるように遠いものとなったことが強調されている。


 適当でないものをという条件であれば、やはり、選択肢⑤の『田畑を耕作する世俗のいとなみが、作者にとって~遠いものになった』に最も違和感を感じます。
 老荘思想的隠者の労役は決して俗事ではなく、むしろ脱俗の営みであり、住居周辺の耕作地を含めて、選択肢②にあるように『俗世を離れた清らかな場所』として捉えるべきでしょう。
選択肢③の『山々がはるか遠くのすがすがしい存在』であることも、漱石の言う「悠然として南山を見る。只(ただ)それぎりの裏に暑苦しい世を丸で忘れた光景がでてくる 」の気分に重なります。

 ただこれは漢詩の中から論拠付けられる解法というより、伝統的なこの手の漢詩の味わい方や教養に依拠する部分が大きいとも言えますから、入試の解法としてはどうなのか、という疑問が無きにしもあらずです。



 *同じような感想は、問6の正答、選択肢の④にも感じます。作者が詩の結びに込めた心情はどのようなものか? という問いに対する答は、

④ 美しい風景は、漢の蒋生と求仲・羊仲のように、親しい仲間と一緒にながめてこそ、その楽しさがしみじみと味わえるものなので、立派な人格者である我が友人たちよ、どうか我が家においでください。

 古文でいう『同じくは心あらん人と見ばや』の心ですが、「立派な人格者である友人」を論拠づける漢詩中の語句はなく、中国の隠者が清談を交わすのは教養ある文人であるという前提に立って作問しているように見えます。



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