《 古文の背景知識 bR 》


王朝物の求愛と結婚について教えてくださ〜い!


 まず、上流貴族においては
一夫多妻と通い婚(夫が妻の実家に通う結婚の形態。夫の装束や食事の世話などは妻の実家でまかなう)という制度がベースにあります。一人の男性貴族が、社会的に認められた複数の妻を持ちながら(ということは妻と認められないながらも、愛人的な立場の女性はもっといるわけですけど)、女の家に男の方が通っていくという結婚の形態です。

 適齢期になった男性貴族は、昼間からあちらこちら歩き回ってのぞき見をしたり、姫君の噂に夢中になったり、何かのはずみに本当に女性の姿を見てしまったり、そういうことがきっかけになって恋愛がはじまります。

 こののぞき見のことを国文学的には
垣間見(かいまみ)といいます。垣間見によって貴公子が恋に落ちるという話でよく出てくるのが、姫君の参籠(さんろう)です。参籠とは、ある一定の期間神社仏閣におこもりをして祈願することを言います。ふだんは御簾(みす)や几帳(きちょう)の奥深くに身を隠している姫君も、参籠の際にはお付きの女房も数少なく、人目にさらされる機会も多くなってしまいます。

 そんな時にたまたま同じ場所に参籠していた貴公子の目に姫君の姿が何かのはずみで(たとえば思いがけぬ風に御簾がまくり上げられたりとか…)見えてしまったりするわけですが、こうした場合、男性貴族は色好みを発揮してすぐに和歌を贈るのが常です。

 とにかく噂にしろ垣間見にしろ、女性に気のある男性貴族はまず
取り次ぎ役の女房にあたりをつけて歌を詠みかけます。
 
 ですから、侍女や女房と懇意になり、時には擬似恋愛的な和歌のやりとりを交わしたり、また本当に愛人的立場においたりして、その上で姫君との逢瀬の手引きを頼んだりすることもあります。この
求愛の時期の男女の贈答歌については、次の背景知識bSで詳しく説明しますが、とにかく一言で言えば求愛の時期の男の歌はひたすら低姿勢で女のご機嫌をとりつつ、ストレートな愛情表現や恋の嘆きをくり返します。
 
 姫君はそれを軽くあしらったり、
からかったり、切り返したり、皮肉を言ったり、上げ足をとったりしながら、相手の男の想いがどれほど真剣なものであるかを探ります。こうして二人の気持ちも高まって頃合もよいころになると、女房の手引きなどでいよいよ御簾(みす)ごしのご対面ということになります。

 もちろん、夜暗くなってから女のもとを訪れるのが礼儀です。男は女のいる御簾の外側の廂(ひさし)の間に通されて、そこでまた例によってあ〜いえばこ〜いう≠ンたいな和歌の揚げ足取り合戦が始まって、いよいよ気持ちが高じてくると、男の側が御簾をかきあげて強行突破に及びますが、このへんはなかなか難しいところで、姫君がショックを受けているように見えてもすぐに相思相愛になったりしますから、男だけがひどい、ともいえないようです。



 
ところで、こんな時の男の求愛のセリフにちょっとパターン化できそうなものがあって、現代の口説き文句にもなりそうなものがあります。
 
それは、宿世思想(背景知識bV)と言われるもので、たとえば「さるべきにてこそ」(こうしてあなたと会うのはそうなるはずであったのだ)と、人の出会いを運命的フレーズの中にとりこんでいく、というなかなか説得力のある口説き文句です。
 
 
昔も今も、女性は男性から強く運命的フレーズを訴えられると、なんとなく「そうなのかなぁ」なんて思ってしまって、ふと心が揺らいでしまいますよね。口説き文句の中に「さるべきにこそ」とか「さるべくして」とか「いかなるさきの世の契りにや」とか、そんなフレーズが出てきたら「きたっ!」と思ってください。

 たとえば、平成12年センター国語TU本試『宇津保物語』には、「さるべきにこそ、かく見奉り初めぬらめ」(そうなるはずの運命としてこのようにあなたとお会いできたのでしょう)なんていう一節が出てきます。
 ということは、逆に、女が男の求愛を受け入れる際にも「あの人と深い関係になったのも、前世から定められた因縁なのだわ」といった一種の宿命的諦念(ていねん)として語られることもあります。


 
さて、伝統的な結婚儀礼では、男は初夜から三日間、女のもとに通い、三日目の朝に親族を集めて披露宴、ということになり、これで結婚成立です。これをところあらわしの儀といいます。
 
 それからは男君は昼間も女君のところに通うようになり、妻の実家で食事や衣装などのお世話を受けることになります。こうした妻の実家の側の、婿君に対する衣食のもてなしといった場面が、王朝物語の中にはしばしば登場しますので、背景知識として知っておくべきです。

 さて、基本的に求愛時の男は夜になって人目をしのびつつ女のもとに通い、夜明け前に帰るというのが原則です。
 したがって、
夜明け前に鳴く鳥(鶏=にわとり)の声は男女の朝の別れを暗喩しますし、一方、夜のはじまりのころ女が男の訪れをひたすら待つ時間帯のことを待宵(まつよい)といったりします。

 暁(あかつき=夜明け前)の
鶏の鳴く声を聞くつらさ(男との別れのつらさ)と、ひたすら男の訪れを待ち続ける待宵のつらさのどちらが女にとってよけいにつらいものであるかといったモチーフの和歌もよく詠まれます。

 また、男が女のもとを立ち去る時に、西の山の端に白々とかかって見えるのが
有明の月で、この有明月に託して別れのつらさを歌に詠むといった例もよくみられます。

 男が夜だけ通うということは、女の顔をまじまじと明るい場所で見ているわけではありません。闇の中での女の気配、話し声、髪の手触り、しめやかな香の匂いなどを通して女の存在を知るわけです。

 したがって、だんだん通い慣れてきた男が、あたりが明るくなっても帰らない時など、初めて女の顔を見て感動したり(または失望したり)といったことが起きます。一般に女の側は明るい日の光のもとで男に顔を見られることをひどく恥らいます。(王朝女性の顔は、とくに姫君のような高貴な女性の場合、今でいえば裸体に近いといった感覚があったようです。)
 これは新参の女房などの場合も同様で、貴人に顔を見られるのを恥じて、夜だけ参上しお仕えするなどといった話もよくみかけます。

 ところで、男が足しげく通ってくるかどうかは、単純に女に対する愛情の度合いだけとも言い切れない一面があります。それは、婿入りという制度に原因があるのですが、
権勢家の家の婿として遇されるか否かが男君の出世を左右したり、経済的支援が期待できるか否かを左右する一面もありますから、女君の親の権勢というものに、男が逆に神経質にならざるをえないわけです。今でいえば、逆玉の輿的発想ですね。

 そうした高家との縁談が祝福されることもあれば、時には悪評の的になったりします。つまり妻の経済力をあてに、あまり評判もよろしくない女性と結婚した男性貴族は「徳につきたまへる」なんて悪口言われるわけです。

 ですから、たとえひどい妻でも、権勢家の娘であれば第一夫人としての待遇を得ることができますし、逆にどんな美しい妻であっても、すでに両親もなく身よりもないような立場では、立派な貴公子の正妻として遇される望みは薄いというのが当時の常識です。

 平成12年センター国語TU本試『宇津保物語』で、女が太政大臣の息子の若小君に対してなかなか素性を明かさないのも、すでに女の二親が亡くなっており、太政大臣の御曹司(おんぞうし)との恋に期待をもてない、というところに理由があります。こういう場合、やはり女君の方としては、どうしても気後れしてしまうわけです。

 そういう薄幸な美しい女君に対し、「権勢なんかいらない!愛こそが大事なんだ!」と言ってくれる貴公子は、たいてい物語の主人公格の立派な青年ということになり、美しい女君は「こんな私でいいの?」みたいな感じで愛が盛り上がっていくわけです。

 また、それとは逆に、男君が幸薄い後見もないような女君への愛情を純粋に貫こうとする場合、まわりの老獪(ろうかい)な古女房や、また時には男君の両親までもが、『本当に好きな女性は愛人や召人(めしうど)としてかこえばよいではありませんか。あなたはやはり権勢家の娘を正妻としてむかえて世間体をつくろって、その上で好きな女性のもとに通えばよいではありませんか』という説得がなされることもあります。

 ときには息子の立身を気遣う親の側の意向によって、薄幸な姫君との仲を引き裂かれてしまったり、権勢家の娘との結婚を強いられてしまうような、貴公子の話も出てきます。
 「我を世にあらせんとし給ふことなれど」(私をこの世に一人前の者としてあらせようとしてなさることではあるが)などと、子供の立身を気遣う親心を理解ながらも、男君はやはり心に想う姫君のことを諦めきれず、結果として悲しい結末(たとえば出家遁世など)になったりしますが、そんなときの親の嘆きの言葉の中にも「いかにも世にあれかしと思ふによりてこそせしことなれど」(一人前の者として世にあってほしいと思ってしたことなのに)などといった後悔の言葉が書かれることもあります。

 ここらへんの文脈は、王朝物の結婚をめぐる一つのパターン化されたプロットとしてよく出てきますから、少しでも知っていれば、そのような文脈に当たったときにすぐピンとくるはずです。

 ところで、では一夫多妻はどのように解消されるのかといえば、現代の離婚にあたるような格別なことはなく、夫君が自然と通わなくなってしまえばそのまま自然消滅ということになってしまいます。
 ですから、社会的に認知された正妻の座を勝ち得なかった女性にとって、一夫多妻という制度はかなり厳しく残酷なものであったのです。

 最後に、一般的な通い婚の形態とは違った、いわば
略奪結婚といった形の男女の結び付きについて述べておきます。
 これも幸薄い女性に多いのですが、想いをかけた女性を幸せにするために、ひそかに連れ出して自分の妻とするいった形の結婚もあります。

 十歳の若紫を二条の邸に強引に移し置いた光源氏などは、その代表です。浮舟を宇治の山荘に隠れ住まわせて通い続けた薫(かおる)などの例もあります。
 今でいえば、誘拐犯にあたる大変な罪ですが、物語の中の主人公格の美しい貴公子が、姫君の将来を思って盗み出すという行為は、いわば白馬の王子様がとらわれの姫君を救い出すといった感覚で、肯定的に描かれることが多いのです。

 
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