《 古文の背景知識 bT 》


古今調について教えてくださ〜い!


 古今調というのは、一般的には勅撰集の古今和歌集にみられるような和歌の詠みぶりをさして用いられる言葉です。研究者によれば、古今調の特徴にはさまざな要件がありますが、ここではあくまで受験対策的に広く普遍化できるパターンとしてとらえたいと思います。

 古今調的和歌は、平安前期の宇多天皇や醍醐天皇の王朝サロンで醸成されたと言われています。そこには天皇を中心とした貴族たちの
があり、その場面や会話のやり取りの中から喚起されるさまざまな、言葉を巡るウイットが王朝的な機智としてもとはやされました。
 
 そんな雰囲気の中から、漢詩文全盛期であった平安前期の文学の中に、和歌による雅び(みやび)が確立していったわけです。

 そういう成立の過程を通して生まれた古今調的和歌は、なによりも王朝的な
場面に即した、言葉をめぐる機智ということができます。言いかえれば、言葉を介して本来異なる概念や意味や文脈を結びつけて、鮮やかな意味の転換をなす、これが古今調のレトリックの本質といえます。

 最近、どんどん目がよくなる!なんていうキャッチフレーズで、極彩色のわけのわからない3Dの絵が流行っていますよね。遠くを見るような視点でぼんやりそれを見ていると、突然ある物体がワッという感じで見えてくるそうです(木山は一度も見えたことがありませんが…)。とかにく、話に聞くところによれば、じわじわ見えてくる、といった感じではなくて、ある瞬間にパッと見えるらしいのですが、古今調の時代の人の言葉をめぐる感動というものは、これに近いのじゃないかと思います。
 もちろん、それは視覚的なものではなく言葉の技法によるイメージの転換なんですけど。

 このような古今調のレトリックに、たとえば
掛詞があり、序詞があり、見立て(みたて)などがあるわけです。プリント資料bS「和歌修辞のチェック」(カラー版)には、掛詞・序詞・縁語の具体的な用例が載せられており、また木山のホームページ上には、そのプリント資料を解説した「古文公式62・63・64和歌修辞解説音声ダウンロード」もありますから、合わせて聴いてみて下さい。

 見立てという表現技法にはあまり馴染みがないかもしれません。見立て
とは、歌の中であるものを別な何かになぞらえることで、たとえば使い古されたものには遠山(とおやま)の桜を白雲に見立てたり、山のもみじを錦(にしき)に見立てたり、なんていうのがあって、わざわざ見立てと意識するほどのこともありませんが、では、次のような歌はどうでしょう。これなどは、本来の見立ての技法が持っていたダイナミズムを如実に伝えています。

  
さくら花ちるぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける (紀貫之)

 青く晴れ渡った春の空に、舞い上がる桜の花びらの濃淡。それを「水なき空の波」と言い切ったイメージの飛躍と幻想力にハッとさせられてしまいます。

 当時の人は、このような鮮やかなイメージの転換に強く感動したようで、宮廷サロン的なお話の中には、まわりの人々が感動して泣いたり、帝が感動のあまり褒美として衣服を与えたりなど、現代人の我々には「わかるけど、何もそこまで…」といった話がたくさん出てきます。

 たとえば『大和物語』の中には、宇多天皇のおそば近くに召し上げられた遊女が次のような歌を詠んでいます。

  
あさみどりかひある春にあひぬれば霞(かすみ)ならねど立ちのぼりけり

 この歌を聞いて宇多天皇は大いに感動するわけですが、ここで用いられている技法が
場に即した見立てです。
 「あさみどり色の甲斐ある春になったので」と、春の到来を喜びつつ、一方下の句では「霞ではないけれども、私までもが帝のおそば近くに立ちのぼったことだなぁ」と、帝のおそば近くに召し上げられた
遊女の立場を霞に見立てて詠んだわけです。



 掛詞については和歌の修辞法の代表中の代表ですし、「歌に込められた修辞や技法を答えよ」という設問の大部分は掛詞を見抜く問題と考えてよいでしょう。これらについては各年度の古文公式・公式64に、55パターン程度載せていますから、それらを一個ずつ声に出して読むような感覚で頭に入れてみてください。

 また述部であるはずの部分が不自然に他の品詞に転化するパターンも、掛詞をさがす時の発想法としてきわめて有効です。そちらも古文公式の例題も含めてしっかり理解してください。

 また、和歌に込められたアイデアそのもののおもしろさ(趣向)といった点も古今調の特徴です。たとえば、次の歌は成尋阿闍梨(じょうじんあじゃり)の母が、息子の成尋が渡宋する際に詠んだ歌ですが、息子と別れる母の悲嘆を痛切に詠みながらも、その裏側では言葉の上のおもしろい対応が見られます。

  
淀みなく涙の川はながるれどおもひぞ胸をやくとこがるる
 
 (淀むことなく私の涙の川は流れているが、あなたへの想いの火が私の胸を   焼いて焦がれていることだ)
 
 
涙の川は流れているけれども、思いの火は胸を焦がしていますというところが、洪水と火事がいっぺんにきたみたいで、ちょっとおもしろくありませんか?こうした歌に込められたアイデアの面白さを歌の趣向と言うのです。

 ところで、古今調のもうひとつの特徴に
即興性というポイントがあります。古今調の時代の歌はいわば、宮廷サロンにおける挨拶や会話としての機能を担っています。
 誰かが「こんにちは。お元気ですか」と挨拶したときに、すぐ答えなければ会話が成り立たないように、古今調的なやり取りも即興であってこそ価値を持ちます。

 (和歌をそのような場の即興性から解放し、和歌自身で完結した芸術性を持たせようとしたのがポスト古今の時代、つまり新古今和歌集の理念です。ですから、新古今集の時代になると、題詠による創作歌が重視されるようになり、場の即興性は次第にうすれていきます。中世の歌の考え方については背景知識bWにあります。)

 以上のことを、入試対策的にまとめると、古今調的な王朝サロンのやり取りが描かれたお話の中で、たとえば、
なぜ人々は作者の歌に感動したのか、などという説明問題が出された場合、記述の解答の方向ははっきりと二つになります。

 @この歌の中にどのような表現上の機智が書かれているか。(前述のポイントでいえば、どのような意味の転換がなされているか。)
 A もし、ここでたとえば掛詞の二重性を見つけて しまえば、「○○に○○の意をかけて、当意即妙(とういそくみょう)に歌を詠んだ」などと答えてしまえば終わりです。
 B または場面に即した見立てがあれば、何を何に見立てたのか、を説明することになります。
 C または、文脈上の意味の転換があれば、何を何に転換したのかを説明することになります。たとえば「〜といった表現を恋の想いに転換して」などと説明します。
 D または表面上の情景歌の裏側に作者の心情などが並列的に重ねられている場合は、作者の○○な心情を○○な情景に託して当意即妙に詠んだなどと説明します。

 とにかく、いずれの場合にも
その場に即した機智≠ニいうポイントを忘れないでください。

 A多くの場合、そのような機智の歌は、相手の問いかけに間髪入れず、即興的に返されることが多いものです。ですから、記述の答案の中に、たとえば「
巧みに即興で歌を返した」とか「その場ですぐに歌を詠んだ」とか「当意即妙に」などのフレーズを入れることを忘れないで下さい。

 この手のやり取りがよく出てくる作品について述べておきましょう。

 まず、『伊勢物語』や『大和物語』などの歌物語の話には、このような古今調的発想が多いと思います。
 それから『枕草子』の中に出てくる清少納言の機智はほとんど徹頭徹尾、古今調だといっていいくらいです。○○を○○に見立てて、または○○の意を掛けて、当意即妙に返歌をした、などといった解答の方向がすぐに成り立ちます。

 あと『源氏物語』の中の歌なども、一見すると何気なく庭の景色を詠んでいるように見えながら、実は登場人物の思いをさりげなく込めた歌が多く、また相手はその歌に込められた意を汲み取った上で再び叙景歌風の歌で返す、といったかなり高等なやり取りが続きますから、何を象徴的に言わんとしているのかをよく考えなければなりません。

 ところで、王朝人の愛でた自然美には「
」と「」と「」があり、これを「雪月花(せつげつか)」とまとめて言い表したりします。この三つの自然美の中で「月=美しい満月」や「花=桜の開花」は、ある程度時期の予測が可能ですから、前もってその興趣を共にする、それ相応な人物をこちらから訪ねたり、または招いたりすることもできます。

 しかし、「雪」だけはその予測がつきませんから不意打ちをくらうわけです。目を覚ますと雪の朝であった場合、その感興を共に味わう人が近くにはいません。そうした場合、「この雪をご覧になりましたか?」といった感じの和歌を、風流を解する人物に適時贈るのが当時の風流人のたしなみであったらしく、逆にそうした対応のできない人を「雪降りの朝に歌もよこさないのは無風流な人ですね」といった機智ある非難で相手をやり込めるという歌の贈答も見受けられます。

 補足として
花と風の関係について一言述べておきます。歌の中に「花」(=桜の花)と「風」が同時に詠まれるような場合、風は美しい桜の花びらを吹き散らしてしまう嫌われ者として忌まれることが多いものです。
 たとえば古今和歌集春下には次のような歌が載せられています。

吹く風にあつらえつくるものならばこの一本(ひともと)はよきよと言はまし(吹く風に注文が付けられるものならば、この花盛りの桜の一本は避けてくれというだろうに)

花散らす風のやどりは誰か知る我にをしへよ行きて恨みむ

 




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