《 古文の背景知識  11 》


近世の国学者の文章をどう読んだらいいんですか?


 そもそも
国学(こくがく)とか何かというと、江戸時代に入ってそれまでの花鳥風月的な趣味性の強い古典研究から、もっと実証的な古典研究の機運が高まったのですが、そのような学問研究の総称を国学とよびます。

 江戸の初期には
、『万葉代匠記』(まんようだいしょうき)を著した契沖(けいちゅぅ)、中期には『歌意考』(うたいこう)賀茂真淵(かものまぶち)、後期には賀茂真淵の弟子であった本居宣長(もとおりのりなが)などが代表的な国学者です。
 
 彼らは一様に上代の万葉集の研究からスタートしたわけですが、万葉ぶりという言葉によっても知られているように、万葉集の理念は人間性あふれる純粋素朴な
まことという理念に表わされます。

 ところで、江戸時代は徳川封建体制のもとで、儒教、中でも朱子学が重んじられた時代です。また、中世以来の
仏教的因果応報思想無常観が色濃く時代の空気として残っていた時代です。

 そんな中で江戸期の国学者たちは、日本に仏教や儒教が伝来する以前の上代のおおらかさ・純粋さを、日本固有の精神として、驚きとともに再発見したわけです。というのも、その時代には万葉集や古事記などの上代の作品は読めなくなっており、彼らの研究により少しずつ明らかにされていったのでした。(ディスカバー上代!)

 そのような経緯で発展してきた江戸の国学思想は、必然的に江戸期の支配的思想であった儒教を中心とした漢学的規範や仏教に対して厳しく対立することになります。
 一言でまとめれば、江戸の国学者に共通して見られるイデオロギーは
儒教や仏教の抑圧から人間性の真実を解放し、上代のまことの心に帰れ!というものです。その意味で江戸国学思想は、日本におけるルネッサンス的古典回帰運動だととらえれば(受験対策上の便宜としては)わかりやすいと思いますし、そのことはまた同時に、中国や天竺(インド)の儒教や仏教などの外来思想に対して、それらを排斥し日本固有の精神に立ち戻れといった点で、国粋主義的な傾向が強いイデオロギーであるともいえます。
 
 また、国学者の文章では、「
からごころ」(漢意を「からごころ」と読む)と「やまとごころ」の対比がよく語られますが、この「からごころ」とは漢籍を学んで中国の国風に心酔・感化された心のことで、それに対する「やまとごころ」とは、日本人の持つ優しくやわらいだ心を言います。そうした「やまとごころ」のやわらいだ情緒性がことさら賞賛される反面、一方の「からごころ」は論理をもてあそぶさかしら心の偽りとしてひたすら批判的に書かれるのが常です。

 中でも国学の大成者である本居宣長などは、徹頭徹尾この主張で一貫しますので、
宣長=からごころ批判(アンチanti漢学アンチanti儒教)と覚えておくと内容がつかみやすくなると思います。この論調は宣長の師であった賀茂真淵などの歌論などにも同様にあらわれてきます。


 ところで、江戸国学思想の対立思想としての仏教の空の概念(背景知識bP)があるわけですが、空論では、この世の現象のすべては仮象のものであり、仮そめのものでしかないから、人間の生死などにとらわれるのは煩悩でしかない、と切り捨てるわけですが、江戸の国学者に言わせれば、そのような悟り澄ました態度そのものが人間性の真実を無視した暴論なのだというわけです。

 この上代の理念を賀茂真淵は「まこと」という言葉で表わし、さらにその理念を発展させた本居宣長は
源氏物語の文学的価値を、仏教理念や儒教道徳による曲解から解放し、『源氏物語』は人間の揺れ動く心理を描いたところに価値があるのであって、社会的な道徳の書として読むべきではない、と唱えたのですが、これが有名な「もののあはれ論」です。

 「もののあはれ」とは、折りにふれて感じるしみじみとした感情の意で、これを感受性豊かに感じられることが、人間的に優れた人の条件であり、その理想像が光源氏だというわけです。

 『源氏物語』や『和歌』に恋愛が主として扱われているのは、人間が「もののあはれ」を最も強く感じるのは恋をしている時であるから、「もののあはれ」を描くためには恋愛が素材として適しているからであり、善悪の判断を超えた「感ずる心」としての「もののあはれ」の自律的な展開こそが文芸の本質である、というのが「もののあはれ」論の骨子です。

 一概に宣長の文体はくどいほど同じ論をくり返しますから、受験生にとっては論旨を把握する上では助かります。江戸国学者のイデオロギー的方向性は、どこを切っても金太郎飴みたいに同じですから、古文を読むときの背景知識としては、かなり有効だと思いますよ。
 
 平成11年センター国語TU本試『井関隆子日記』の問6の正答にも、「夫が死に臨んで生に執着したように、人間はさまざまな感情をそのまま表にあらわすのが自然なことであり、感情をごまかしたり、いつわったりするのは、おろかであると考えている」とあって、これなどはまさに江戸国学思想の定番イデオロギーって感じです。




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