=お便りシリーズ№50


H25・2014年・センター本番


            だより =






 古文は『源氏物語』(夕霧の巻)の一節ということで、全文訳や注釈書の類いも簡単に入手可能ですから、全文訳を入試正解などの発刊まで待たなければならない(例年六月上旬)、漢文問題の解説の方を優先したいと思います。

 ぼんやりと論旨の要点は把握できても、今ひとつ文意が判然としなかったといった感想を持った人も多かったのではないでしょうか。この解説記事を通してより明確な文脈と問いの解法をしっかりと学んで下さい。


【 漢 文 陸樹声『陸文定公集』によるの全文訳 】

○ 江南の地域には竹が多い。その江南の人は筍(タケノコ)を食べることを習

慣としている。春になるごとに、筍(タケノコ)の身を包む一番外側の皮が土よ

り出てきて、子牛の生えたばかりの角(つの)のような筍(タケノコ)の若芽は、

おおむね食用に供する(適する)。

 あるいは蒸したり煮たりしてスープとなし、筍(タケノコ)の柔らかい皮やお

茶を食卓に並べて、そうして食事にあてるのである。
好 事 物 目 以

清 嗜不 靳 方 長


 ゆえに幾重のも垣根や門扉(もんぴ)をしつらえた美しい庭園で、庭の主人

がこれを愛護しているような場合でも、その庭園に生える筍(タケノコ)をうまい

と知るに及んでは、(剪伐せんばつ→木の枝や竹などをはさみ切ること)筍(タ

ケノコ)をはさみ切って庭を顧みることがないのである。

問2 傍線部好 事 物 目 以 清 嗜 不 靳 方 長」の返り点の付け方とその読み方として適当なものを一つ選べ。

① 好
事 物 目 以 清 嗜

 事を好む者以て清嗜(せいし)なるを目し長きに方(なら)ぶを靳(と)らず

② 好
事 物 目 以 清 嗜 不 方 長

 事を好む者目して以て清嗜なるも方(まさ)に長ずるを靳らず

③ 好
事 物 目 清 嗜 上レ 方 長

 事を好む者清嗜を以て方に長ずるを靳らずと目す

④ 好
事 物 目 以 清 嗜 方 長

 事を好む者目するに清嗜を以てし方に長ずるを靳らず

 この問いは漢文公式8〝「以」の訓み方①②③〟のしっかりとした理解がポイントです。ポイントさえふまえていれば、本文を見なくても正答を導ける可能性が高いと思います。



 以前、お便りシリーズ№49「もみじ葉だより」に詳しく解説した、この句形についての文章を、もう一度ここに紹介してみます。

――まず木山の漢文公式8〝「以」の訓み方の①②③〟を順追って解説しましょう。手元に漢文公式を持っている人は、そのページを開いてみて下さい。

 まず、基本形は前置詞として「以 テ
―― ヲ 」(と下から上へ返読して)~を手段・方法・材料・理由・目的・条件として~するという具合に、下の用言を修飾します。つまり「以 テ ―― ヲ 」と一度返読して上へあがったら、次に修飾関係としては下へ下がるというのが基本です。

 つまり、『以 テ
―― ヲ Vスル』などのようになるわけで、決して『Vスル 以 テ ―― ヲ 』などのように下から上への修飾関係にはなりません。

 ただし、「不
Vスルニ 以 テセ ―― ヲ 」(Vスルニ~ヲ以テセズ)のように否定詞に上がる例はありますが、それはあくまで否定であって、修飾関係の用言が「以」の上にくるわけではありません。(この句形については公8③でま
た詳しく説明します。)

 とにかく、基本形では「以 テ
―― ヲ 」と返読して上へあがったら、修飾関係としては次に下の用言にかかるという点を覚えていて下さい。

 次に公式8の②ですが、下から返読せずに単純に「~以 テ ~」とよんで、そのまま下へつないでいく用法です。この場合、上の文章を受けて①「そして・そこで」と接続詞のような働きをするか、または②副詞や助詞の下について語調を整える働きをするか、の二つの働きがあります。
 この用法は入試問題の設問化されない本文中にはよく出てきますが、いわば合の手(歌や踊りの調子に合わせて間に入れる掛け声)みたいなものですから、
構文的なロジックを解法として示しづらく、入試の本番での白文問題に出題されることは比較的まれだと思います

 さて、公式8③、この句形は重要です!たとえば、

【例】 勉 強 以 参 考 書 。

という白文があった場合、「以 テ
参 考 書 ヲ 」と返読して「参考書を手段・方法として」の意となることはすぐにわかると思います。しかし、「参考書を以て勉強す」のように、修飾関係の用言を「以」の上に返読してよんでしまっては、先ほどの〝修飾関係としては下の用言にかかる〟というルールに反します。このような場合、どうするかというと、漢文公式8③には次のように書かれています。

 「以 テ
―― ヲ 」は修飾語で下の被修飾語にかかるが、下に被修飾語がない場合は「~スルニ 以 テス ―― ヲ 」と「以テ」自体をサ変動詞としてよむとあります。つまり、

【例】 勉 強 スルニ 以 テス 参 考 書 ヲ

とよむわけです。これは「以 テ
参 考 書 ヲ 勉 強 ス」といった本来のノーマルな文の倒置形として、用言の動詞が「以」の先に出てしまった形です。
「以 テ
―― ヲ 」と返読してみてもそこで文が終わっていたり、読点で区切られていたりした場合、下にかかるべき用言がないわけですから、その場合は倒置形として「以」の上に述部のVがあると考えて、その述部を必ず「連体形+ニ」でよむというのがこの句形のルールです。

 木山方式ではとにかく「以 テ
―― ヲ 」とあがっても下へ下げられない場合には、この暗記例文「勉 強 スルニ 以 テス 参 考 書 ヲ 」を思い出して、その句形に合わせてよめ!と教えています。

 また公式8③には、「以テス」の「ス」の内容は、上の「~連体形+ニ」と同一であり、いわば述部が先に出る形とありますから、この例文でいえば、〝勉強するのに参考書を手段・方法として
勉強する〟という文意になるわけです。構文が複雑化して、たとえば「Vスルニ――ヲ以テスルニ非ザルハ無シ」のような形になっても、落ち着いて「以テスル」の内容は、最初によんだ「Vスル」の意がそこに当たるのだと考えて下さい。

 さらに、公式8*「~スルニ~ヲ以テス」はひと続きであり、「~スルニ」とよんだらすぐに「~ヲ以テス」に続けることとあるように、「~スルニ」と「~ヲ以テス」の間に他の語句をはさみ込んでよむことはできません。

 ちなみに、「不
勉 強 スルニ 以 テセ 参 考 書 ヲ 」(勉強スルニ参考書ヲ以テセズ)のように、この構文の句形どおりに一度よんだうえで、その文の全体を否定詞で打ち消す場合には「以テ」から上の否定詞へあがりますが、先ほども言ったようにこれは否定であって、用言の修飾関係として上へあがっているわけではありませんから、「以」から上への修飾はないという話とは区別して下さい。

 さて、H22の早稲田の人間科学部に次のような問題が出題されていました。

○ ある人が荘子(そうじ)を高位高官に就けようと招いた。しかし荘子は使者

に答えて次のようなたとえ話を語った。

「あなたはあのいけにえの子牛を見たことがあるか。いけにえにされるまで



衣 以 文 繍 、食 以 蒭 菽

しかし、その子牛が連れられていけにえとして殺される瞬間になって、身寄

りのないもとの子牛にもどろうとしても、いまさらそんなことができようか、

いや、できはしない。たとえ高位高官になったとしても、いけにえの子牛が

いけにえに処せられるまではちやほやされるのと同じく、一時的ではかない

ものにすぎないのだよ」

(注)文繍(ぶんしゅう)……文様を描いたり刺繍をした美しい布。
  蒭菽(すうばく)……上質な飼料。

○問 傍線部の返り点の付け方として最も適当なものを選べ。

イ… 衣
文 繍 、食 以 蒭 菽

ロ… 衣 以
文 繍 、食 以 蒭 菽

ハ… 衣
以 文 繍 、食 以 蒭 菽

 白文中の読点の上の三文字を「以 テ
文 繍 ヲ 」と返読しても下が読点で区切れていますから、下の用言にかけることができません(読点をまたぐ修飾関係はありません)。

 この場合、例の暗記例文を思い出して「勉強スルニ参考書ヲ以テス」の形に合わせてよめばいいのですから、「衣(ころも)スルニ文繍ヲ以テシ、食(しょく)スルニ蒭菽ヲ以テス」とよめるはずです。

 したがって、答はロです。

 選択肢イの「~ヲ以テ衣スル」のように「以」から上の用言への修飾関係はできませんから、すぐに誤りであることがわかります。

 さて、以上の知識を持って、H25・2013年代ゼミ第3回センター模試の次の問題を考えてみましょう。

問5 傍線部C「不 仮 以 権、権 将 安 施 哉」の返り点の付け方と書き下し文の組み合わせとして最も適当なものを選べ。

① 不
仮 以 権 、権 将 安 施 哉 

仮(か)して以て権ならざれば、権将(は)た安くんぞ施さんや

② 不
権、権 将 安 施 哉

  権を以て仮さざれば、権将た安くに施さんや

③ 不
権、権 将 安 施 哉

  権を以て仮さざれば、権将た安くんぞ施さんや

④ 不
仮 以 一レ 権、権 将 安 施 哉

  仮すに権を以てせざれば、権将た安くに施さんや

 白文の最初の四文字を見ると、「以
権」→権(力)ヲ以テ→〝権力を手段・方法として〟とよめることはすぐにわかりますが、直後に読点があるので下への修飾ができず、かつ選択肢は二文字目の「仮」をすべて「仮(か)ス」と四段動詞によんでいる点からも、これは例の「勉 強 スルニ 以 テス 参 考 書 ヲ 」の句形であるとピンとくるはずです。
 上の動詞を「連体形+ニ」でよんでいるものは一つしかないので、解答は瞬殺で決まります。

 さらにここでは「Vスルニ 以 テス
―― ヲ 」の句形を一度完成させたうえで、その文の全体を上の否定詞「不」で打ち消しており、「不」の仮定形は公式9にあるとおり「(ず)ンバ・(ざ)レバ」のどちらでもよいわけですから、構文的にも問題がありません。
 
 全体の文意は「(宰相に)仮託するのに権力を手段・方法として仮託しなかったならば、権力というものは、はたまたどこに施(ほどこ)すべきであろうか→要するに宰相にこそ権力を施すべきだ」の意となります。
 さて、正解はどれでしょうか?。この問いがクリアできて7点です。

 この句形の用法をどこかで教わったという学生さんがいたら、どうぞ私に教えて下さい。偶然に同じアイデアを保持する先生がいらっしゃるのかもしれません。
 実はこの句形はH16センター追試の白文問題に出題された際に、木山が定式化した句形です。私の漢文公式にはオリジナル句形がいくつかありますが、これもそのうちの一つです。――以上、お便り№49より



 さて、H26・2014年センター漢文の問2にもどりますが、まず、①~④のすべての選択肢が「以」の一字上の「目」を「(もく)ス」と
動詞でよんでいる点、また清嗜(せいし)は補注6に「清雅なものへの嗜好(しこう)」と紹介される名詞ですから、「清嗜(せいし)ヲ以テ」(清雅なものへの嗜好を目的・条件として)と返読できそうな点、さらにその述部と考えられる「目(もく)ス」という字が「以」の一字上にある点などから考えれば、これは例の暗記例文「勉強以参考書」(勉強スルニ参考書ヲ以テス)の応用形ではないか、とピンとくるはずです。

 選択肢①「事を好む者以て清嗜(せいし)なるを目し長きに方(なら)ぶを靳(と)らず」のような語調を整える「以テ」は、入試の本番に出題されることはまれですし、かつ副詞や助詞の下に付くのがルールですから、「事を好む者」という名詞の下に付くのはおかしく、さらに後述する「以木山為天才」(木山を以て天才と為す)の目的語の省略形「以 テ 為 ス
天才 ト 」の形でもありませんから、まず消去すべき選択肢と見るべきです。

 とにかく「勉強
スルニ参考書以テ」の句形ではないかと目をつけてしまえば答はいとも簡単なのではないでしょうか。というのも、選択肢中に「~するに以て」の形を含むものは一つしかありません。
答は④。
 好
事 者 目 以 清 嗜 方 長
 事を好む者目するに清嗜を以てし方に長ずるを靳らず

 訳せば「事を好む者は『目(もく)スルニ』→注目するのに、または評価するのに、清雅なものへの嗜好(しこう)を目的・条件として評価し、方(まさ)に『長ズル』(C24①成長する②まさる・すぐれる)ことを靳(と)らない」。文末の意味がやや不明ですが、以下、だからこそどんなに美しい庭園であっても、その庭園に生える筍(タケノコ)をうまいと知るに及んでは筍(タケノコ)をはさみ切ってしまい庭をかえりみることがない、と続く文脈の流れそのものは理解できると思います。

 要するに、嗜好品とは栄養摂取を目的とせず、香味や味わいなどを得るた
めの飲食物のことであって、つまりここでは筍を食することが、そのような意味での清雅な嗜好とされていて、それは美しい庭園の愛護にもまさるといった文意が理解できれば、それで入試問題としては事足りるわけです。




 さて、本文を続けます。

○ 「独リ」(公式17A③限定)→ただ、その味がにがくて食用に適さない筍(タ

ケノコ)だけが常に(人にとられることもなく)「全(まった)シ」D15①→完全

な状態で残るのである。(一方で管理された庭園に生える筍ではなく)つねに

渓谷や山中の間にあって、地面に散漫として(散らばり広がって)とりとめもな

く生えていて収穫されることもない筍(タケノコ)は、必ず味が
【 Ⅰ 】である

ことを理由にうち捨てられているものである。

「而(しか)ルニ」しかし(山野に生える筍でも)
【 Ⅱ 】であるものはこれを収

穫して、あるいはその(嗜好の)類いを尽くして味わい尽くす。「然(しか)ラバ」

→そういうことであるならば、
【 Ⅲ 】な筍(タケノコ)は、自らの味の良さで

自らを損(そこ)なっているということにも「近シ」(似ているといえるのだ。)

 「而(しか)ルニ」それに対して、
【 Ⅳ 】な筍(タケノコ)は、たとえうち捨

てられているといっても、「
於 剪 伐

問3 空欄が Ⅰ ・ Ⅱ ・ Ⅲ ・ Ⅳ に入る語の組合せとして適当なものを一つ選べ。

① Ⅰ 苦キニ  Ⅱ 甘キ  Ⅲ 甘キ  Ⅳ 苦キ

② Ⅰ 苦キニ  Ⅱ 苦キ  Ⅲ 甘キ  Ⅳ 苦キ

③ Ⅰ 苦キニ  Ⅱ 甘キ  Ⅲ 苦キ  Ⅳ 甘キ

 空欄の前後の文脈がはっきりとした段階では答はいとも簡単ですが、とにかくうちすてられるのだから「苦」いのだろうとか、「甘」い(美味)だから収穫されて味わい尽くされるに違いないといった単純な考察でも正答に至ります。
 さて①~③のどれが正解でしょうか?

問4 傍線部 於 剪 伐 」の解釈として適当なものを一つ選べ。

① きっと切り取られるのを避けるにちがいない

② 依然として切り取られることには変わりない

③ 切り取られることから逃れようとするだろう

④ 切り取られずにすんだのと同じようなことだ

 木山方式に習熟している学生ならば、漢文公式7の再読文字のコーナーで私がよく〝再読文字の中で唯一比喩を表わすものは何ですか?〟と質問し、学生がそらで答えていたのを覚えていると思います。比喩を表わす再読文字は公式7⑤の「猶
―― 」(なホ――ノ・ガごとシ)=「ちょうど~のようなものだ」です。ちなみに「免」は漢単D17で「まぬがル…まぬがれる」
 さて、答はどれでしょうか。

続き。

○ 夫 レ 物 類 ハ
(2) 甘 キヲ、 而 苦 キ 者 ハ 得 タリ 全 キヲ 。

 そもそも物の類(たぐい)は、「甘キヲ」尊び、「苦キ」ものは(実利がないことをもって棄ておかれ)完全なまま残ることができる。

と、ここでこれまで筍についての「甘キ」が甘きがゆえに切り取られ、「苦キ」がゆえに全(まった)キをなすといった、いわば〝筍の自己矛盾的な状況〟を述べたくだりであったものが、「夫レ」漢単C4→「そもそも」と切り出すことによって、
物類全般の話題へと一段普遍化した論が展開されています。

 しかも、以下、さらにその考察を人の世の栄達に普遍化していえば、どうなるのかいった、一種の処世訓へとつながっていくわけですから、この「夫レ」(そもそも)と切り出した部分で、論旨展開上の段落分けがなされていると見るべきです。

 またこの文章の冒頭の部分で、「江南の人が筍を食することを好む」といった一般的な風習を述べたくだり(つまり筍の自己矛盾的な状況を説明する前の部分)でも、段落を区切ることができますから、この文章の全体は、以上のごとく三つの段落に分かれていると判断できます。

問1 (2)「尚」の意味として適当なものを一つ選べ。

① 誇示する
② 思慕する
③ 尊重する
④ 保全する
⑤ 崇拝する

 答は③です。「尚」の字義は「①なホ ②
たっとブ(尊ぶ) ③たかシ」の三つであり、入試に問われるものとしては、抑揚句形でないかぎりは、②の「たっとブ」が多いと思います。

 昨年度までの漢文公式には漢単D51として十年来載せていたものを、昨年の改定時に何を魔がさしたのか排除してしまいました。資料と訓練なしに「たっとブ」と読める学生はほとんどおりません。例年どおりこれを漢単に残しておけば、木山方式の学生さんが確実に5点ゲットできたのに…と思うと実に痛恨の極みです!

 さて、本文の続き。

○ (先に述べた物類の傾向を人の世の栄達に普遍化していえばどうなるの

か)
世 莫 不 貴 取 賤 棄 也 。然れども亦た取らるる者幸(さいわ)ひなら

ずして、たまたま棄てらるる者に幸(さいわ)ひなるを知る。

問5 傍線部Cの書き下し文として適当なものを一つ選べ。

① 世の貴を取り賤(せん)を棄てざること莫(な)かれ
② 世に貴は取られ賤は棄てられざるは莫し
③ 世の貴を取らず賤を棄つること莫かれ
④ 世に貴は取られず賤は棄てらるること莫し

 漢文公式11
連用中止法Aの「否定詞の場合」と着眼すれば、瞬殺で解ける問題です。これまでの連用中止法のセンター出題回数は10回、これで11回目となります。連用中止法の解説については、ホームページ上に解説コーナーを設けていますから、そちらの方を見て下さい。(画面で見るのではなく、プリントアウトした上でしっかりと読み進めていかなければなかなか頭に入りません。)

 それを読んだ上で答となる選択肢②の「世に貴は取られ賤は棄てられざるは莫し」をみれば納得できると思います。(連用中止にあたるのは「取られ」の部分です。)

 訳せば「この世に貴人で取り立てられないような者は一人もおらず、賤(いや)しい者でうち棄てられないような者は一人もいない。」つまり貴人は必ず取り立てられ、賤しい者は必ずうち棄てられる。「しかしながら、取り立てられる者が不幸であって、たまたまうち棄てられた者に幸(さいわ)いがあるという逆の現象があることも知っているのである」といった感じです。

 ここで述べられていることの背景として、たとえば高位高官に召されたばかりに、政変などに巻き込まれて、結果として左遷の憂き目にあうといった不遇な境遇、または逆に官位は低くても安寧(あんねい)の日々を保つ下級役人や在野の境遇などを想起してみれば、言っていることの内実がわかると思います。

○ (さて以上述べてきたことは)
豈 荘 子 所 謂 以 無 用 為 用 者 比



これが結論です。

問7 傍線部D「豈 荘 子 所 謂 以 無 用 為 用 者 比 邪」の読み方と筆者
の主張の説明として適当なものを一つ選べ。

① この文は、「豈に荘子の所謂無用たる者を以て比(たと)ふるか」と訓読し、「これこそ『荘子』のいわゆる『無用ノ用タル』ことによって喩えたものであることよ」と述べる筆者は、この苦いタケノコが、役に立たないことを自覚してこそ世間の役に立つという『荘子』の考え方を体現したものだとたとえている。

② この文は、「豈に荘子の所謂以て無用の用を為す者の比(たぐ)ひなるか」と訓読し、「これがどうして『荘子』のいわゆる『以テ無用ノ用ヲ為ス』もののたぐいであるだろうか」と述べる筆者は、この事例を根拠に、無用のものを摂取しないことが天寿をまっとうする秘訣(ひけつ)だという『荘子』の考え方に反論している。

③ この文は、「豈に荘子の所謂無用を以て用を為す者を比(くら)べんや」と訓読し、「これがどうして『荘子』のいわゆる『無用ヲ以テ用ヲ為ス』ものの比較にすることができようか」と述べる筆者は、この事例から、無用のようにみえるものこそ役に立つという『荘子』の考え方が見失われがちなことをなげいている。

④ この文は、「豈に荘子の所謂無用
者の比(たぐ)ひなるか」と訓読し、「これこそ『荘子』のいわゆる『無用ヲ以テ用ト為ス』もののたぐいではなかろうか」と述べる筆者は、この苦いタケノコのなかに、世間で無用とされるものこそ天寿をまっとうするのだという『荘子』の考え方を見いだしている。


 まず漢文公式8〝「以」の訓み方④〟について解説してみましょう。

【 例文 】以 木 山 為 天 才 。

 白文中に「以」と「為」が間に目的語をはさむ程度の間隔で、上に「以」、下に「為」の字があった場合は、ある種の認識を表わす句形として「~
以テ~為(な)ス」とよむことができます。訳し方は「~を~と判断する・~を~と思う」です。したがって、【例文】の場合、「木山を以て天才と為(な)す」(木山を天才だと判断する・天才だと思う)といった感じになります。

 木山方式で何回もくり返し句形の練習をする際に、よく私が〝木山で始まる例文を言ってみて!〟と言っていたあの暗記例文です。一見おふざけのようですが、この暗記例文を使うとなぜか学生の方も送り仮名を含めて間違えずに正確に答えてくれます。つまり「木山
天才と為(な)す」と正確に言ってくれます。

 結局、木山方式の眼目とは、こうした暗記の精密さにあるといえます。まさに精密さこそが命です。
 というのも、先走って解法を言ってしまえば、実は白文中に「○○○○○以○○為○○○○」とあるのを見て、これはとにかく「~ヲ以テ~ト為(な)ス」の句形ではないか?と着眼してしまえば、そのようになっている選択肢は一つしかありませんから、答はすぐに決まります。

 たとえば、選択肢の③は該当箇所を「無用
以て用為す」と「ヲ」とよんでいますから×(バツ)です。「ヲ」ではありません。「~為(な)ス」です。

 さらに漢文公式14A④にあるように、「豈ニ―――連体形や・か」の形は、「豈ニ」を「どうして~」とよまず、「
きっと確かに~ではありませんか」と事実を確認するようなニュアンスで用いらるのがルールであり、また「所謂」は漢単A19で「いわゆる」の意ですから、以上の知識を合わせると、選択肢④の「豈に荘子の所謂無用を以て用と為す者の比(たぐ)ひなるか」の訳は、「これはきっと確かに荘子のいわゆる無用なものを有用なものと判断するという教えに類するものではありませんか。」(事実の確認)となり、選択肢④の以下の説明「この苦いタケノコのなかに、世間で無用とされるものこそ天寿をまっとうするのだという『荘子』の考え方を見いだしている。」と合致します。

 また選択肢③のように全体を「豈ニ~ンヤ」と反語によんでしまっては、筍(タケノコ)の寓意が真性の処世訓としても通底するという筆者の主張にそぐわなくなってしまうことは明らかでしょう。

 以上で木山方式(漢文)に習熟している学生が、直接ダイレクトに得点化を期待できるのは、問2(6点)、問4(7点)、問5(6点)、問7(8点)の合計

【50点中27点!】

となります。

 「尚」が漢単に残っていればさらに5点プラスで32点となったはずなのに、実に残念です。




【 古 文 『源氏物語』(夕霧の巻)の一節の全文訳 】

*リード文=三条殿(通称「雲居雁(くもいのかり)」)の夫である大将殿(通称「夕霧」)は、妻子を愛する実直な人物で知られていたが、別の女性(通称「落葉宮(おちばのみや)」)に心うばわれ、その女性の意に反して深い仲となってしまった。
以下はそのことに衝撃を受けた三条殿が、数人いる子供たちのうち姫君と幼い弟・妹たちを連れて実家へ帰る場面から始まっている。

○ 三条殿(雲居雁)は「限り(A名13①)なめり」→「(もう夫婦の関係も)これ

最後であるようだ」と思い、「『さしもやは』と一方では今まで夫のことを頼

みに思っていたのだが、『まじめで誠実な人が心変わりするとすっかり名残り

もなくなってしまう』と聞いていたのはまことのことであったのだなぁ(公式

4◆気づきの「けり」)」と夫婦の仲を試みてしまった気持ちがして、「
(ア)

かさまにしてこのなめげさを見じ
」とお思いになったので、父の大殿の邸(や

しき)へ「方違(かたたが)へに行く」といってお行きになったところ、(たまた

ま)三条殿の妹で、入内して宮中に住む女御(にょうご)が里下がりして実家の

大殿の邸に行っていらっしゃるときでもあり、(三条殿は女御と)対面なさって、
少しはつらい物思いも気が晴れる居場所だとお思いになり、いつものように

急いで夫のもとに(大将殿のもとに)もどりなさることもない。

 (妻の家出を)夫の大将殿もお聞きになって、「
さればよ(D連24)→やっぱり

思った通りだ、たいそう性急でいらっしゃるあの人のご性分である。この大殿

(三条殿の父君)もまた大人びて落ち着いてのどやかなところがなく、やはり

(同じように)たいそうせっかちで派手にふるまって事を荒立てなさる人々(三

条殿もその父君も)であって、『
めざまし(C形72①)→めざわりで気にくわな

い、(顔も)見たくない、(声も)聞くまい』などと「ひがひがしきことどもも


にも
し出かしてしまいそうだ(つべし…公式5日の丸③)」と驚かれ給うて、

大将殿夫妻の本宅である邸(やしき)にお帰りになったところ、子供たちの一

部は本宅の邸にとどまりなさっていたので、それでは妻の三条殿は姫君たち

と、それからたいそう幼い子供を連れて出ていらっしゃったのであった。父君

を見つけて(残された子供たちは)喜び睦(むつ)れ、あるいは母の三条殿を恋

しく思い申し上げてうれい泣きをなさるのを、
「心苦し」と思す


問1 傍線部(ア)の解釈として適当なものを一つ選べ。

(ア)いかさまにしてこのなめげさを見じ

 ① いかなる手段を用いても私はみじめな目に会うまい
② どうすれば私への失礼な態度を見ずにすむだろう
③ どうしてこの冷淡な振る舞いを見ていられよう
④ だましてまでも夫にひどい目を見せずにおくまい
⑤ 何としても夫の無礼なしうちを目にするまい

 ポイントは二つ。まず「なめげさ」は形容詞C形59「
なめし」の語幹に「~げなり」という接尾語がついて形容動詞に転じたものが、さらにその語幹部に「さ」がついて名詞化したものであること。
 また、文末の「じ」が、三条殿はこの発言で自らの家出の決意を述べていると解釈できる点で、打消し推量(~ないだろう)ではなく、打消し意志「まい」となるはずだという二点がポイントとなります。
 さて答はどれでしょう?

問3 傍線部X「『心苦し』と思す」とあるが、誰が、どのように思っているのか。その説明として適当なものを一つ選べ。

 ① 三条殿が、姫君と幼い子どもたちを実家に連れてきたものの、両親の不和に動揺する子どもたちを目にして、愚かなことをしたと思っている。

② 三条殿が、我が子を家に置いて出てきてしまったものの、子どもたちが母を恋い慕って泣いていると耳にして、すまないことをしたと思っている。

③ 大将殿が、三条殿に取り残されてしまった我が子の、父の姿を見つけて喜んだり母を求めて泣いたりする様子に心を痛め、
かわいそうだと思っている

④ 大将殿が、置き去りにされた子の、母に連れて行かれた姉妹や弟をうらやんで泣く姿を見て、我が子の扱いに差をつける三条殿をひどいと思っている。

⑤ 姫君たちが、父母の仲たがいをどうすることもできないまま、母三条殿の実家に連れてこられ、父のもとに残された兄弟たちを
気の毒だと思っている。

 すでに傍線部Xにいたる文脈が明確になった現時点では、本宅に残された子どもたちの「喜び睦(むつ)れ、あるは上を恋ひ奉りて愁へ泣き給ふ姿を見て、『心苦し』とお思いになる」主体が、父の大将殿であることは明白でしょう。ただし、今回の古文は読解そのものが難しかったと聞いていますので、仮に傍線部Xにいたる文脈が判然としない場合は、どうやって解けるのでしょうか?

 直単B形38「心苦し」は、木山方式では99%①の「(相手が)気の毒だ」の意であり、②の「(自分が)つらく切ない」の訳はとらないというのが共通の理解です。この理解だけでも選択肢①の「~愚かなことをしたと思っている」、②の「すまないことをしたと思っている」の二つを排除することができます。どちらも自分自身を責める〝うしろめたさ〟を基調としているからです。

「心苦し」=「気の毒だ」に合致するのは、選択肢③の「心を痛め
かわいそうだと思っている」と、選択肢⑤の「父のもとに残された兄弟たちを気の毒だと思っている」の二択ですが、リード文にあるように「姫君たち」は三条殿の実家に連れていかれているわけですから、本宅に残された子どもたちの姿を見る立場にないことはあきらかです。

 仮に文脈が判然としなくても、直単の意味から③・⑤の二択にしぼることさえできれば、直前の「見つけて喜び睦(むつ)れ、あるは上を恋ひ奉りて愁ひ泣き給ふ」という表現からも、自然と③を選べるのではないかと思います。

 ちなみにお便りシリーズ№44「梅の花だより」にも書いたように、標準的な木山方式の10ヶ月間で、直単を一人一人の学生に当てる回数は6960回~8700回、これを直単450単語で均等に割ってみると、一単語につき10ヶ月間まを空けながら19回~25回、さらにこの「心苦し」のような重要単語の場合、25回~35回程度、一人一人の学生に当てて、直単そのままの意味を正確に答えられるかどうかチェックし続けています。(詳しい条件設定は№44をご覧下さい。)

 
木山方式の理解されにくい一つの点は、こうした膨大なチェックのくり返しの量感が、実感をもって把握されにくい点です。「古文単語のチェックならば、わが校でも1冊の単語集を年間で2回程度、小テストの形でチェックを実施しております」と平然とおっしゃる高校の先生方を何度も見てきました。わずか2回のチェックでものになるのなら、はじめからかなり地頭のよい学生であろうと思います。逆にいえば、多くの標準的な学生には、それでは効果がないはずです。

 さて、本文の続き。

○ 大将は(実家に帰ってしまった妻の三条殿に)お手紙をたびたび差し上げ

て三条殿を迎えに(使者など)差し上げなさるけれど、ご返事さえもない。「こ

のようにかたくなで軽々しい『世』A名56→
夫婦の仲であるよ」と「ものしう」

C形75→不快にお思いになるけれど、三条殿の父の大殿が見聞きなさるとこ

ろもあるので、日が暮れてから(大殿の邸に)自ら参上なさった。「三条殿は寝

殿造りの中央の建物にいらっしゃる」というので、三条殿が実家でいつも使っ

ていらっしゃるお部屋には女房たちだけがお仕えしている。(幼い)若君たちは

乳母に寄り添っていらっしゃる。

「今さらに若々しの御まじらひや。かかる人を、ここかしこに落とし給

ひて、など寝殿の御まじらひは。ふさはしからぬ御心の筋とは年ごろ見知り

たれど、さるべきにや、昔より心に離れがたう思ひ聞こえて、今はかくくだくだ

しき人の数々あはれなるを、『かたみに見棄つべきやは』と頼み聞こえける。

はかなき一ふしに、かうはもてなし給ふべくや」

と、いみじうあはめ恨み申し給へば、

 
「何ごとも、『今は』と見飽き給ひにける身なれば、今、はた、直るべき

もあらぬを、『何かは』とて。あやしき人々は、思し棄てずは嬉しうこそはあ

らめ」

と聞こえ給へり。

 
「なだらかの御答(いら)へや。言ひもていけば、誰(た)が名か惜しき」

とて、強ひて「渡り給へ」ともなくて、その夜は独り臥(ふ)し給へり。

 さて、A・B・Cの会話は、当然夫の大将と妻の三条殿のやり取りと考えられますが、交互の会話だとして、A(大将の発言)→B(三条殿の返事)→C(さらに大将の発言)なのか、逆にA(三条殿の発言)→B(大将殿の返事)→C(さらに三条殿の発言)なのか、判断に迷います。

 解法の視点はいろいろありますが、直単で攻めようと思えば、Aの発言の最後「はかなき一ふしに、かうはもてなし給ふべくや」でしょうか。「はかなき」C形62②つまらない ③ちょっとした→一ふしのために、このように「もてなす」B動61①
ふるまう(態度)→「このようにふるまいなさってよい(公式10「べし」適当~するのがよい)ものでしょうか。」という表現は、落葉宮(おちばのみや)と大将の関係に衝撃を受けて、子どもたちを連れて実家に帰ってしまった三条殿の軽はずみな行動を大将が詰問している言葉と見れば、しっくり合点がいきます。

 またはCの発言のあとの地の文において〝強ひて「渡り給へ」ともなくて、その夜は独り臥し給へり。〟と書かれているのも、三条殿に対して無理に『本宅へお帰りなさい』ともおっしゃらず、夫の大将はその夜、妻の実家で独りでお休みになったととれそうですから、Cが大将の発言だとすれば、会話の交互性からして、A(大将)→B(三条殿)→C(大将)のラインが見えるというのも解法の一つです。

 訳せば、
(大将は)「今さら若々しい御まじらいですね。このような子どもたちをあちらこちらに放り出しおきなさって、どうして寝殿の(女御様の)御まじらいなどできるのですか。(私とは)ふさわしくないあなたのご気性だとは長年見知っていましたが、『さるべき』D連23①→そうなるはずの前世の因縁であったのでしょうか、昔より心に離れがたく思い申し上げて、今はこのように『くだくだしき』子どもたちの数々も『あはれなる』C形動5③→かわいそうなので、『お互いに見棄ててよい仲であろうか』と頼みに思い申し上げていました。(このような)ちょっとしたつまらない一ふしのために、このように(軽々しく)ふるまいなさってよいものでしょうか。」と、たいそう三条殿を恨み申し上げなさると、

(三条殿は)「何事も今はあなたが見飽きていらっしゃる我身ですから、今となってはまた直るはずの(私の気性)でもありませんので、『何が不都合なことがあろか、何もない』と思いまして。「あやしき人々」B形7②→粗末でみっとみない子どもたち(本宅に残してきた子どもたち)については、あなたが思い棄てにならないのなら嬉しいことでありましょう。」と申し上げなさった。

(大将は)「おだやかなご返事ですな。(サーカスティックsarcasticな皮肉・事実は険悪な三条殿の発言)こんなふうに言い続けていけば、(結局)誰の『名』公57下段*→名声が惜しいということになるのでしょうか。(結局あなたの名声に傷がつくのですよ)」といって、無理に三条殿に「(本宅に)お帰りなさい」ともおっしゃらずに、その夜は大将は独りでお休みになった。

○ (大将の独白)「妙なことに(補注12)→落葉宮(おちばのみや)には疎まれ、

妻には家出されるという身の置き所のない様であるよ。」と思ひつつ、子ども

たちを横に寝かせなさって、「かしこに、またいかに思し乱るらんさま思ひや

り聞こえ、やすからぬ心づくし(A名23→物思い)なれば」

 
「かしこ」は遠称の指示代名詞、訳は「あちら」。「いかに思し乱るらん」の「らん」は公式13視覚外の現在推量(今頃は~しているだろう)なので、たった今同じ邸内で大人気ない痴話げんかを交わしたばかりの三条殿の心中を推し量っているととるには無理があります。

 というのも、同じ邸内でたった今けんか別れしたばかりの相手に〝遠くにいるあの人は今頃~と思っているだろうか〟と思いやるのは不自然です。この場合の「かしこ」は大将が心をうばわれている落葉宮(おちばのみや)のこと。今頃あのお方もどんなに心乱れていることだろうと、そのさまを思いやり申し上げて心中おだやかでない物思いであるので、の意。

 その後、夜明けとなり、大将は再び三条殿との間で皮肉・嫌味・おどしの応酬を交わしつつ、そこに居合わせたまだ幼い姫君に対し、「母君の言うことを聞かず本宅の方に帰りなさい」と言い聞かせるところで本文は終わりです。

問1 傍線部(イ)・(ウ)の解釈として適当なものを一つ選べ。

(イ) らうたげに恋ひ聞こゆめりしを

① いじらしい様子でお慕い申し上げているようだったが
② いじらしげに恋い焦がれているらしいと聞いていたが
③ かわいらしげに慕う人の様子を聞いていたようだが
④ かわいらしいことに恋しいと申し上げていたようだが
⑤ かわいそうなことに恋しくお思い申し上げているようだったが

(ウ) いざ、給へかし

① まあ、あれをご覧なさいよ
② まあ、そこにおすわりなさいよ
③ まあ、あなたの好きになさいよ
④ さあ、こちらへおいでなさいな
⑤ さあ、わたしにお渡しなさいな

 (イ)は「らうたし」C形83→「かわいらしい」。「げなり」→「げに」公式45枠外側の*「~げなり」の訳は「~な様子だ」。「めり」公16視覚推量の訳は「~ようだ」。以上の三点を満足するものが正解です。

 (ウ)は「いざ、たまへ」D連6→「さぁ、いらっしゃい」。「かし」E他7→(念押しの終助詞)「~よ」の意味が両方出ているものが正解です。

問2 傍線部a~dの文法的説明の組み合せとして正しいものを一つ選べ。

・ 「限り
めり」

・ 驚か
給ふて、

・ 『限り』とのたまひは
ば、

・ 言ひ知ら
奉り給ふ。

 aは公16黒いハートマーク「なめり」の説明にあるように、断定『なり』の連体形『なる』の撥音便の無表記。

 bは公2「ア音+れ」で、自発・受身・可能・尊敬のうち、心情動詞に付くという理由で自発の『る』の連用形。

 cは「~果つ」(すっかり~してしまう)の意を添える補助動詞で、下二段活用の未然形の一部。

 dは公1の「す」が謙譲の補助動詞に下接している点で、尊敬とはなりえず、使役の助動詞「す」の連用形。

 以上、木山方式(古文)の直接ダイレクトな得点寄与率は、問1の語釈問題で15点、問2の文法5点、さらに問3の7点で、

【50点中27点!】


さらに古文・漢文の合計では、


【100点中54点!】


となります。

 ちなみに、過去4年分のセンター古漢の得点寄与率は、

※H25 (昨年) 47点/100点 

※H24 (一昨年) 60点/100点
 

※H23  43点/100点 

※H21  40点/100点 


 ホームページ上に分析記事を載せているこれらの得点寄与率にH26の結果を加味すれば、

【100点中48.8点!】


となります。

 わずかB4サイズ裏表9枚程度の薄っぺらい冊子資料の中から、センターの得点の5割近くに直接ダイレクトに出題されるというのは、他教科ではまったく考えられない現象ではないでしょうか。








【 国立医学部志望者における木山方式受講者と
           木山方式ではない学生との得点比較 】



 
図表―1 木山方式のみ受講した国立医学部志望者 (浪人生)

    古 文   漢 文    国 語   すべての科目の得点率
 データ(1)         139       85.5
 データ(2)         152      89.3
 データ(3)        159      89.2
 データ(4)        136      90.2
 データ(5)        180      93.0
 データ(6)        144      90.0
 データ(7)        135      78.6
 データ(8)        144      84.0
 データ(9)        132      84.3
 データ(10)    30   38    160      87.0
 データ(11)    37   36    153      87.1
                   平均値148.5点  平均値87.0%


図表―2
 ○○校 国立医学部志望者 (現役高3生)

    古 文   漢 文    国 語   すべての科目の得点率
 データ(1)         100       82.8
 データ(2)        120       79.9
 データ(3)   29   18    122       87.3
 データ(4)    8   31    111       79.8
 データ(5)   24   36    120       81.6
                   平均値114.6点  平均値82.28%


 
図表1に示したサンプルは、昨年4月から12月まで、90分×30回(夏期・冬期含む)直接木山方式で対面授業を行ったグループのセンター試験の結果です。(古漢のみの得点サンプルは2例のみ入手。)

 一方、
図表2は、同一地域の教室に通う現役高3生の国立医学部志望者の結果を示したものです。(授業時間は120分×22回ぐらい。木山方式ではなく毎回1~2題の過去問/オリジナル問題の演習・解説と小テストを併用。)(古文漢文のみの得点は三つのサンプルのみ入手)

 
図表1の全体の得点率の平均値を100としますと、図表2の全体の得点率の平均値はその95.5%となり、全体得点におけるその差はマイナス4.5%となります。

 
図表2の現役高3生たちが通っている高校名を見るかぎり、地域トップクラスの進学校であり、一般的な現役高3生と浪人生の得点率の差を加味しても、浪人生の全体得点にかなり接近しており、現役生としては充分健闘しているといえます。

 しかしながら、全体得点では4.5%の差であるものが、図表1グループの国語の平均値を100とする図表2の国語の得点の平均値の割合を求めると、77.2%となり、マイナス22.8%と大幅にその差は拡大します。実際に現役高3生の古漢のみの得点率は三データを見るかぎり、100点中47点・39点・60点と、かなりふるいません。

 浪人生の全体の古漢得点のデータが入手できればもっと比較がはっきりするのですが、ともかく150点近くの得点化がなされるためには、古漢も相応に得点化されていると考えざるをえないのではないでしょうか。

 国立医学部浪人生のみの集団における木山方式と非木山方式のサンプル比較ができればベストですが、現状入手する手立てがありません。この記事を読む高校・予備校・塾関係の先生方で、そうしたデータをお持ちの方は図表1と比較してみて下さい。





【 同一地域の教室に通う7名の現役高3生の
                英語/古文/漢文の得点比較 】

図表3
 ○○校 ハイクラス(現役高3生)

    英  語   古 文   漢 文   (計)    国 語
 データ(1)   114    28    29    57    115
 データ(2)   192    32    31    63    117
      平均値153点              平均値60点


図表4 
○○校 東大クラス(現役高3生)

    英 語   古 文   漢 文    (計)    国 語
 データ(1)   168    25    30    55    110
 データ(2)   186    37    38    75    163
 データ(3)   171     8    31    39    111
 データ(4)   172    25    17    42     90
 データ(5)   186    24    36    60    120
      平均値176.6点             平均値54.2点


 
図表3は私大志望者のグループであり、MARCH系大学を中心に、うまくいけば早稲田の社学や文化構想もねらいたいといった、ある意味東京・神奈川地域の典型的な私大受験者のタイプです。(木山方式)

 一方の
図表4は、データ(1) (2) (3)が東大志望の学生、データ(4) (5)が国立医学部志望の学生であり、総合的な学力は前者より相当高いと考えられるグループです。(非木山方式)

 両者ともに同一地域の同じ教室に通う現役高3生であり、古文・漢文に費やした時間数は、ともに120分×22回程度。図表3のサンプルが2名と極端に少ないのは、推薦等でセンター受験をしなかった者や、センター利用の私大型受験で漢文を解いていない学生などがいて、同一条件での比較ができなかったからです。

 私大型センター利用と国立型の比較ということで、全体科目の得点率の比較ができないので、センター英語で何点得点しているかを学力の指標としてみました。
 図表4の英語の平均得点は176.6点、図表3は153点ですから、23.6点の圧倒的な得点差となり、さすが東大・国立医学部志望者としての学力の高さを感じさせます。

 しかしながら、古文・漢文のみの得点合計の比較では、図表3のグループの方が5.8点上回っており、昨年の同じような2クラスの比較(昨年は5名対5名)でも、やはり図表3のグループが10.4点上回っていましたから(お便り№43)、この傾向は2年連続続いていることになります。

 
同じ時間数を古漢に費やすなら、単元的問題演習を年間で30~40題程度積上げる方式よりも、問題としてテキストに登場するか否かにかかわらず、最初から必要とされる知識の全量を網羅しようとする木山方式のほうがコストパフォーマンスにすぐれるという結論は、二年間にまたがる合計17サンプルの結果からも、おぼろげながらも言えるのではないかと思います。






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