= さくらんぼだより  シリーズ№46 =


【 H25京都大学・文系古文問題における木山方式の検証 】



 次の文は『源氏物語』宿木の巻の一節である。中の君(女君)を妻としていた匂宮(宮)は、時の権力者である右大臣(=右大殿みぎのおほいどの)の娘との縁談を断り切れず、しぶしぶながら承諾した。その婚儀は八月十六夜の夜に予定されている。これを読んで、後の問に答えよ。(五〇点)

〇 右大殿(みぎのおほいどの)におかれましては、六条院の東の対の屋を磨

きしつらえて、この上なくすべてを整えて匂宮(におうのみや)のお越しをお待

ち申し上げなさっているのに、十六夜(いざよい)の月がだんだんと空にさし

昇るまで(宮が姿を現さないので)『心もとなければ』B形41①→待ち遠し

くじれったいので、『たいしてお心にも入らぬことにて』→宮はわが娘との

婚儀にあまり気乗りしないことで、どうなっているのだろうと、右大臣は『安

からず』D連34→心中穏やかではなくお思いになって、人を遣わして宮様

の事情を探らせなさったところ、「この夕方に宮中を退出なさって、(中の君

の住んでいる)二条院にいらっしゃったそうです」と人が申し上げる。
(1)

思(おぼ)す人持(も)たまへればと心やましけれど
、今宵を過ごしてしまうの

も人に笑われることにちがいないので、御子息の頭中将をつかって申し上げなさった。

 大空の月だにやどるわが宿に待つ宵すぎて見えぬ君かな
(大空の月でさえも宿っているわが宿に、待っている宵が過ぎても姿が見えないあなた様であるなぁ)

 匂宮は、「かえってなまじっか今日が婚儀の日であると中の君に知られな

いようにしよう、気の毒なことだ」とお思いになって、(最初は)宮中にいらっ

しゃったのを、匂宮から中の君にお手紙を差し上げなさったのだが、それに

対する中の君からのご返事がどのようなものであったのだろうか、『なほい

とあはれに思されければ』C形動5④→やはりこの中の君のことがいとおし

くお思いになったので、こっそりと人目をさけて中の君のいる二条院にお渡

りになったのであった。『らうたげなるありさまを見棄てて』C形83→可愛

らしい様子の中の君の有様を見捨ててお出かけになる心地もせず、
いとほ

しければ
、いろいろと男女の約束を交わし慰めて、一緒に月を眺めていら

っしゃるときであった。女君(中の君)は、日ごろもいろいろと思い悩むこと

が多いのだけれど、
(2)いかで気色に出ださじと念じ返しつつ、つれなく冷

(さ)ましたまふことなれば
、格別に匂宮の縁談を気にもとめない様子に『お

ほどかに』C形動8→おっとりとふるまっていらっしゃる様子はたいそうい

とおしい。

匂宮は(右大臣が使者として遣わした)頭中将がこちらに参上なさったとお

聞きになって、そうはいってもやはり、あちらに対しても
いとほしければ

右大臣邸にお出かけになろうとして、中の君に
(3)今いととく参り来ん。

ひとり月な見たまひそ。心そらなればいと苦し
」と申しおきなさって、それ

でもやはりきまりが悪いので、隠れの方より寝殿の方へお行きになる。その

匂宮の後姿を見送るにつけても、
中の君はともかくも思はねど、ただ枕の浮

きぬべき心地すれば、「心憂きものは人の心なりけり」と我ながら思ひ知ら

る。






問一 傍線部(1)「思(おぼ)す人持(も)たまへればと心やましけれど」を、主語を明らかにして現代語訳せよ。

 「思(おぼ)す人持(も)たまへれば」が二条院にいる中の君のことを指しているのはあきらかだと思います。リード文にもあるように、匂宮は時の権力者である右大臣の娘との縁談を断りきれず、しぶしぶながら承諾したとあるので、匂宮としてもこの婚儀はあまり『御心に入らぬこと』→気乗りしないことであって、それもすべては匂宮が想い人を持っていらっしゃるからそうなのだ、と右大臣側ではおもしろからず思っているという文脈です。

 「心やまし」の訳は直単E他14の「不快でおもしろくない」ですが、この言葉の意訳に仮に迷った場合は、すぐ直前に出ている「安からず思ほして」D連34→心中穏やかでなくお思いになっているという訳に置き換えても、ほぼ同主旨の解答になります。

 答は、主語を補い、また想い人をもっていらっしゃるので~以下どうなのかといった言外のニュアンスも書き添えて、

「匂宮は大切にお思いになる女性を持っていらっしゃるので、我が娘との婚儀には気乗りしないのだろうと、右大臣は不快でおもしろくないとお思いになっているけれど(心中穏やかでなくお思いになっているけれど)」


問二 傍線部(2)「いかで気色に出ださじと念じ返しつつ、つれなく冷(さ)ましたまふことなれば」を現代語訳せよ。

 「いかで」は文末の「じ」(打消し意志)と呼応しているので、古文公式32①の「なんとかして~するまい」の構文。
「気色(けしき)」は直単A名19①の「様子」でも文意は通じますが、ベターな解答はA名5③の「色(に出づ)」の知識を優先させて、「なんとかして顔色・表情に出すまい」の方がよく、また「念ず」はB動51①の「我慢する・こらえる」、「つれなし」はC形54①の「平然として何事もないさま」なので、あとは中の君が何を顔色・表情に出すまいと我慢しているのかを書き添えれば完答となります。

 直前に書かれた「女君は、日ごろもよろづに思ふこと多かれど」の内容が、自分と匂宮との関係を思い悩んでいることは明らかですから、答は、

「なんとかして日ごろ宮様について悩んでいることを顔色・表情に出すまいとこらえ続けて、平然と何事もないさまに冷静にふるまっていらっしゃることなので」といった感じになります。

 ところで、「つれなし」のチェックの回数は、受験の十ヶ月間のモデルパターンをお便り№44で示したように、およそ間を空けながら25回くらいか、または最重要単語なので、さらに当てているとしたら30回~35回ぐらいになるのではないかと思います。昨年も常に①の「平然として何事もないさま」の訳の方が問われやすいこと!!、②の「冷淡でそっけない」は現代語的なニュアンスであり、設問化された場合には絶対に②の訳を解答しないように言い続けていました。
 しかも、最終的には古文公式を伏せた状態で、まったくランダムに「つれなく~する」はどう訳すか?と学生に質問して、学生の方も即座に「平然として何事もなさま」とそらで答えていましたから、昨年の京大古文受講者でこの問いを失点した学生はまずいないのではないかと思います。

 ちなみに、昨年(2012年度)1・2学期、夏期、冬期の京大古文テキスト全30題中に「つれなし」の訳出に触れる機会は、2学期京大古文第1回「今物語」中の「いまさら、待ちよろこび顔ならんもいたうつれなく」の一回限りであり、しかもこの部分は特に設問化されていたわけではなく、傍系的な文脈の一部でした。

 
仮に京大古文テキストの大問の解説と、学生の答案の添削指導という形式で十ヶ月間を過ごした場合、設問化もされていない傍系的文章の一単語の意味を、2月の京大入試まで正確に覚え続けていることは、かなり難しいのではないかというのが木山方式の考えです。

 にも関わらず、「古文単語の意味を機械的に覚えるだけでは、京大レベルの高度な記述問題には対応できない。深い読解力が必要だ」といったステレオタイプな言説がいつまでも幅を利かせているのはなぜでしょうか。
 第一資料の検証といった
裏取りをせずに、自らの主張を信じ込む理念先行型のロマンチシストがいかに多いことかと思わざるをえません。

 受験の十ヶ月間で間をおきながら25回~35回程度、そらで正確に意味を言ってもらう木山方式との圧倒的なリピテーションの差を思いやってみて下さい。コストパフォーマンス(cost performance)的にどちらがより有効か明白ではないでしょうか?


問二 傍線部(3)「今いととく参り来ん。ひとり月な見たまひそ。心そらなればいと苦し」を現代語訳せよ。

 月の光のもとに一人残される中の君の悲嘆を不憫(ふびん)に思い、『どうか一人で月をご覧にならないで下さい』(公式36な~そ)と、半ばは諫め、半ばは慰めているような匂宮の発言です。
 以下の「心そらなり」はC形動17で「うわの空だ」の意ですから、「あなた一人を残していく私の心もうわの空なので、たいそうつらいのです」といった感じになります。

 もし、「心そらなれば」を、一人月を見ることになる中の君の心理状態を、匂宮が推察して言っていると解釈するのであれば、「御心もそらなればいと苦しからん」などと推量的表現になるはずですから、この部分の主語が中の君になるとは考えられません。「とく」はC形56「早く」。したがって、答は、

「たいそう早く今すぐにもこちらへ帰り参上いたしましょう。一人で月をご覧にならないで下さい。あなた一人を残して行く私の心もうわの空でたいそうつらいのです」

――補足として、ここで月の縁語として「そらなれば=空なれば」とした縁語的意図(つまり月と空が縁語であるということ)は確かにあると思いますが、主なる文章中に出てくる縁語をすべて二重に表現し訳出しなければならないわけではなく、とくに主なる文脈を不自然にしてしまうような場合は、縁語の認識はありつつも、それを訳出には反映させないという判断もありえます。
 仮に「空に浮かぶ月ではないが~」などといった、講談調のちょっとわざとらしい挿入句がいずれかの模範解答集に出ていたとしても、それが得点化されるポイントにまでなるとは私には思えません。

 というのも、縁語の判定は微妙なものが多く、月と空というような、これまでの入試問題で縁語として要請された実績がほとんど見当たらないようなレベルの微妙な出題が、「掛詞や縁語的表現に留意しつつ~」といった設問上の誘導も何もなくて、いきなりポイント化されているとは考えにくいからです。もしそうした模範解答があるとすれば、解答作成者が小学館日本古典集成P391上段二四「月の縁で空とした」の補注を見て、事後的にポイント化したものだと思われます。

 したがって、「月―空」の縁語表現については、書いてもよいが書かなくても特段減点はされないといった類(たぐ)いであると考えるべきです。


問三 傍線部A「いとほしければ」、B「いとほしければ」は、いずれも匂宮の気持ちを述べたものである。それぞれどのような気持ちか説明せよ。

 B形11「いとほし」の意を学生に当てるに際しては、古文中に「いとほし」が出てきた場合、直感的に99%①の「気の毒だ」と解釈してよく、②の「かわいい・いとしい」となることは極めてまれである!!と昨年中も何回も何回も言い続けてきました。市販の単語集のように「いとほし」の二つの訳語をベタに併記して覚えさせるようなやり方では、この問三のような設問に対して、A・Bのどちらか一方が「気の毒だ」の意であり、他の一方は「かわいい・いとしい」の意ではないかと、結果的には誤った推測を許してしまうことになります。

 この本文の場合、文脈的にも傍線A・Bの訳は、ともに「気の毒なので」であり、したがってそれぞれ「何が気の毒なので」といっているのか、その対象内容の違いを説明すればよいわけです。

 傍線A「
いとほしければ」の直前の文章は『中の君からのご返事がどのようなものであったのだろうか、やはり中の君のことが「いとあはれに思されければ」C形動5④→たいそういとおしく思われたので、匂宮はこっそりと人目をさけて中の君のもとへお渡りになっていたのであった。「らうたげなる有様」C形83/公45⑤→かわいらしい様子の中の君の有様を見捨ててお出かけになる心地もせず』→Aいとほしければ(気の毒なので)、といった文脈の流れですから、前文中の重要単語「いとあはれに」「らうたげなる有様」等の的確な訳語を反映させつつ、前文内容をコンパクトに要約したものが解答となります。答は、

「Aは、自分がいとおしく思う中の君のかわいらしい様子を見捨てて、右大臣の娘との婚儀に出かけることについて、中の君を気の毒に思う気持ち」

 傍線Bの「
いとほしければ」の直前は、『匂宮は(右大臣が使者として遣わした)頭中将がこちらに参上なさったとお聞きになって、「さすがに」C副10→そうはいってもやはり「彼も」→遠称の指示語で「あちらに対しても」』→B気の毒なことなので、といった文脈の流れなので、重要単語の「さすがに」の訳出もふまえたうえで、答は、

「Bは、婚儀を整えて迎えの使者の中将まで寄こしてきた右大臣家に対して、いつまでも出向かないのもやはり気の毒だと思う気持ち」


問四 波線部『ともかくも思はねど、ただ枕の浮きぬべき心地すれば、「心憂きものは人の心なりけり」と我ながら思ひ知らる。』における中の君の心理を説明せよ。

 大きなポイントは、中の君の独白部「心憂きものは人の心なりけり」の「~なりけり」の部分が、公式4◆にあるとおり、「なり」は断定・「けり」は詠嘆であり、かつ、この文脈では、今初めてそのことに気付いたという意味での気付きの「けり」になっている点です。訳は公式4にあるとおり(~であったことだなぁ)。

 この気付きの「けり」の用法は、私大やセンターよりも比較的国公立古文の記述問題として出題されやすく、ポイントさえわかってしまえば記述答案の方向性は「~ということに今初めて気付いた」とか「そのことにはっと気付かされた」いった感じに書けば、大枠としては正答となります。

 波線部の末尾が「我ながら思ひ知らる(る=自発)」となっている点からも、自分の心の有様について我ながら今初めて思い知った=気付かされた、といった文意に読むことができます。つまり、自らの心の有様(ありよう)について、今まではこうだと思っていたのに、そうではない自分の心の有様(ありよう)に今あらためて気付いたというわけで、その上で、それこそが人の心というものであったのだなぁ、と嘆息しているわけです。

 冒頭の「ともかくも思はねど」は、匂宮の後姿を見送りながらの中の君の独白ですから、当然、「匂宮のことをとやかく思うつもりはないけれど」の意となります。しかし、「枕の浮きぬべき心地すれば」→今にも涙で枕が浮いてしまうほどの気持ちがするので(比喩表現ですから、公式5日の丸マーク③今にも~してしまう)→心憂きものは人の心というものであったのだなぁ、とあらためて気付かされたという文脈です。

 ちなみに、ここでの「心憂く」B形18は「つらい」と訳すよりも「情けない」と訳す方が、意のままにならない我が心といったニュアンスにより適合します。答は以上のポイントをまとめて、

 自分は匂宮の態度をどうこう思うつもりはないが、それなのに枕も浮いてしまうほどに涙が流れてしまうのは、我ながら情けないことに、これも人の心の弱さであるのだなぁと自らの心の有様(ありよう)に、今さらながらはっと気付いたという心情。


 
これで全問の解説は終了です。H25年度京大文系古文問題における木山方式の得点寄与率は、問三のA・Bの説明を各1問と数えて、


〔6問中/6問!〕


となります。得点寄与の割合としては、近年の平均値よりもよかったと思います。(お便り№37H24京大古文を参照)



 去年、最後まで木山の直単チェックを続けた京大文系志望の学生であれば、かなりの高得点が狙えたのではないかと思います。昨年2012年度の1学期・夏期講習会・二学期・冬期講習会のすべての京大古文・京大国語に載せられた全30題の古文問題中に、

(1)「心やまし」、(2)「いとほし」、(3)「色」に出づ、(4)「いかでか(なんとかして)」、(5)「念づ」、(6)「つれなし」、(7)「そらなり」、(8)「~なりけり」(気付きのけり)等の語句が、問題文中に一回でも登場し、その意味・用法を教える機会があったか?といえば、先にも書いたように、2学期京大古文第1回「今物語」中に「つれなく~」と設問化されない傍系的文脈の一部として出ているのみであり、他の語句については、一切登場しません。

 京大対策と銘打たれたシステムが、京大の問題形式に慣れるということ以上の実際的な効果を持たないという事実に、学生はいい加減に気付くべきだと思います。京大古文は講師による答案の添削指導を受けなければ絶対にダメだといったステレオタイプの言説も、そもそもテキスト中に本番にヒットするものがないのであれば、それも無意味なのではないでしょうか。





【 サテライン京大古文受講者へ 】

 木山の古文公式・漢文公式を手に入れたい人は、本部校講師室の木山宛てに、手紙(封書)を送って下さい。その際、返信用の封筒や切手などは不要です。
〒151―8559
東京都渋谷区代々木2―25―7
講師室 木山一男

と書いて下さい。木山方式のさまざまな資料を付けて直接本人のもとへ送ります。

 あくまで個人的な勉強の相談に対して資料を送るというイレギュラーな対応ですから、教務を通したり、教務の方に相談したりしないようにお願いします。教務の方が混乱しますので。
 また、サテライン等で木山の古文漢文のオリジナルゼミの視聴を希望するのであれば、各校舎備え付けの意見箱等に、その旨の希望書を書いて投函して下さい。もしかすれば冬期講習会には実現するかもしれません。




                   もどる