= もみじ葉だより 

     シリーズ№49 =








【 H25年 第3回全国センター模試の検証・今年で5回目です 】

 近年のセンター古文の傾向にあわせて、今回もまた笠間書院王朝物語全集からの出題でした。出典の『風に紅葉(もみぢ)』は擬古物語風の王朝恋愛物語。主人公の内大臣には正妻の一品の宮(いっぽんのみや)がいたが、ある時偶然に出会った女性(本文中では「姫君」)のすばらしさにすっかり心を奪われてしまい、二夜続けてその姫君のもとに通うといった内容でした。

 以下適時、現代語訳しつつ設問の解法を紹介していきます。

○ 十一月の末なれば、夕闇に雪さへ(公38③=雪までも)
かきくれて(A動

14②→あたりを暗くして)降るのを、うちはらひつつ(内大臣が姫君の邸に)入

り給へれば、(姫君は)ただ昨夜(よべ)のままにてぞありける。「(あなたへの

私の思いが)おぼろげならず(C形動9→並み一通りでなく)分け入って来た

その道すがらも、目だたしからじ(目立つまい)とやつしつる(B動63→質素

な身なりをしてきた)狩衣(かりごろも)も、いたう濡れにけりや(濡れてしま

ったことよ「や」公49②間投助詞)。このような(恋の)迷ひは身にとりてお

ぼえぬことかな(我が身にとって初めてのことですよ)。」と言って、

かくばかりつもれる雪を踏み分けておぼろけにやは思ひ入りつる

(これほど積もった雪を踏み分けて並み一通りでいいかげんな気持ちであなたのもとに分け入ってきたことでしょうか、いや、そうではありません。)

→「やは」公31反語

と聞こえ給へば、(姫君の返歌は)

思ひわび消えなましかば白雪のしらでややまん深き心も

(私が思い嘆いて雪のように消えてしまっていたならば、白雪の白=
しらではないが、あなたの深い心を知らずに終わっていたことでしょうか。)

→B動65「わぶ」=嘆く/「なまし」=公5完了強意「ぬ」の未然+反実仮想の「まし」/公21右*「で」打消しの接続助詞/漢単D28息・已やム(四段)…終わる

〔中略〕

姫君のそばみたるさま(E他24→横を向いた様子が)なにごともらうたげに

(C形83→かわいらしい様子で)あはれなる人ざまなり。

ほどなく明けゆく気色なり(
求愛時の男性は夜明け前に女のもとを去るのが

当時の習慣
→古文背景№3)。この暮れには又姫君と逢えるとはお思いにな

るが、いかなるにか、心細く名残り惜しく御袖も涙で濡れゆくに、わが下に

着給へる白き御単衣(ひとへ)をこの暮れまでの形見にといって、姫君に着せ

奉り給ひて、(かわりに)姫君の御単衣(ひとへ)の袖のほころびてまとはれ出

でたるを内大臣はお取りになって、

小夜衣(さよごろも)昼間のほどのなぐさめに形見に袖をかへつつも見ん

C=小夜衣よ、昼間のあいだの(A名51ほど→時間・間)なぐさめに、形見としてこの小夜衣の袖を互いに取りかえつつ見ることにしましょう。

  姫君の返歌は、

頼むれど思ひのほかに隔たらばこれや形見の中の衣手(ころもで)

  D=あなたは(そうやって)私を
あてにさせるけれど、思いのほかに隔たってしまうことになったら、これが(本当にあなたの)形見の中の衣手となるのですね。

  (帰途についた内大臣は)御心しずめて、今朝は宮の御方(=正妻の一品

の宮のもと)へいそぎ渡り給ひて、二夜までの思ひのほかなりつる旅寝の

(イ)おこたりなどのたまひきこえ給ひて(ここはリード文にあるように、姫君の

もとに二夜続けて通った事実を、正妻の前では二夜の不本意な旅寝と取り

つくろったもの)、もろともに(=一緒に)うち臥し給ひぬる。




問1 (イ)おこたりなどのたまひきこえ給ひて」の解釈として適当なものを選べ。

 ① 離れていた間の耐え難さを申し上げなさって

 ② 二夜も訪れなかった事情をご理解いただきなさって

 ③ 外泊のお詫びなどを申し上げなさって

 ④ 外泊をおとがめになっているとお聞きになって

 直単A名9「おこたり」は「怠り」であり、〝本来やるべきことを怠った結果としての「過ち・失敗」〟と覚えます。その①「過ち・失敗」を自ら自己申告するのが「おこたり申す」という連語であり、〝
つまり私はこんな過ち・失敗をいたしました〟と自己申告するわけですから、それが②の「謝罪」の意となるわけです。

 ここでは内大臣が正妻の一品の宮に「おこたり申す」場面ですから、内大臣という立場上「おこたり
のたまふ」と敬語になっています。1学期の4月のスタート時から「おこたり申す」の意をあてられ続けてきた学生で、この問いをしくじった学生はまずいないと思います。

 さて、選択肢の中で謝罪のニュアンスを含んでいるものは一つしかありません。答はどれでしょうか?


○ 内大臣はさるべき(D連23②=それ相応な・適当な)場所をしつらひ出だし

て、姫君に案内すべき(A名2②=事情を申し上げるべき)ことどものたまひ

聞かせて遣はしつる人が、思ふよりもとく(C形56→早く)帰ってきて、「昨

夜の所には人も侍らず。とかく案内し侍りつれば、下仕へめかしき者のみ会

ひ侍りて、『そこにおはしましつる人は、この昼ほかへ渡り給ひぬるぞ』と

申し侍りつる時に、『いづくにて侍るぞ』と問ひ侍りつれば、『いかでか知り

奉らん』と申し侍りつる気色、あやしきさまに」など聞こゆるに、(それを

聞いた内大臣は)
(ウ)なにとか言はれ給はん。これも私の事ゆえであろうよ。

何の準備はなくても、ただ昨夜姫君をどこかへお移しすべきであった。なほ

日がらなど思ひけるくやしさよと思すに、御胸にあまる心地ぞする。

(姫君が)「これや形見の」と歌に詠んだ(Dの歌)、その面影やけはひを、ま

た(再び)は見るまじきと
やは思ひし(公31やは=反語→以前思っただろう

か、いや思いもしなかった)と
やらん方(かた)なし


問1 傍線部(ウ)なにとか言はれ給はん」の解釈として適当なものを選べ。

 ① どのように申し上げたらよいのだろうか。

 ② なんともおっしゃることはおできにならない。

 ③ なんとか言って下さらないものか。

 ④ 何にたとえることがおできになろうか。

 まず傍線部(ウ)「なにとか言はれ給はん」は、遣わした使者から姫君の失踪の事実を告げられた際の内大臣の反応ですから、まさに「驚きのあまり言葉もない」といった文脈が推察されますし、又、文法的にも「~れ給ふ」の「れ」は必ず尊敬ではなく、その他の自発か可能か受身のいずれかであり(公2下段の*印)、しかも「何とか~ん」で全体としては反語の文ですから、古文公式2の下段に書かれているように〝
中古では多く打消し・反語と共に用いられる〟のルールにしたがって、「れ」は可能ということになります。したがって「れ」の可能の意味を含み、かつ「言は→給ふ」で「言ふ」の尊敬表現となっているものが正解です。さて答はどれでしょうか?「なにとかきこえ給はん」ではない点に注意して下さい。(答は末尾。)


問5 傍線部やらん方(かた)なし」とあるが、ここには内大臣のどのような気持ちが込められているか。

 ① 姫君の侍女から聞いた姫君の出生にまつわる複雑な事情にまで配慮がいたらず、身を隠さざるを得なくなった姫君の心中を察すると、やはり自分のとった行動が軽率だったのではないかと、
心から悔やむ気持ち

 ② 姫君との別れ際、もう会えないのではないかという不安がよぎったのだが、本当に姫君が行方知れずになるとは思いもしなかったので、それが現実となるやいっそう慕わしい思いがつのってきて、
やるせなく思う気持ち

 ③ 姫君とは今宵また逢えると思って安心していたのに、当の姫君が行方知れずになったという使者の話を聞いて、自分の行動が原因とは思いつつも、姫君との逢瀬を思い出すと、なんとも
気の晴らしようがないという気持ち

 ④ 使いとして姫君のもとに遣わした者の不手際で姫君の行方がわからなくなってしまい、自分に行き先を知らせないまま立ち去ってしまった姫君を恨みに思いながらも、姫君の面影がまとわりついて
戸惑う気持ち

 木山方式で単語の訓練を受け続けてきた学生であれば、選択肢の③の末尾に「なんとも
気の晴らしようもない」とあるのを見て、「気を晴らす?『気晴らし』といえばA動25の『心(を)遣る』ではないか?つまり内大臣の気持ちとしては姫君の失踪の事実を知って〝遣らん方なし〟つまり「気を晴らす手段・方法もない」といった解釈の方向が可能なのではないか?」と発想しなかったでしょうか?
 実は直単の暗記が完成している木山方式の多くの学生が、このひらめきで問5の選択肢を正しく③で正答しています!

 ちなみに「心(を)遣る」の覚え方は〝たまには悩み多い自分の
心をどこかへ遣(や)ってパーッと気晴らし!!〟と覚えます。これができない状態を、現代語でも「あ~、やりきれない…」(つまり心を遣りきれない=いつまでも気が晴れない)というわけですから、今回の「やらん方(かた)なし」と用法としてはまったく同じです。

 「心(を)遣る」の意を「気を晴らす」や、現代慣用句の「やりきれない」との関連で
4月のスタート時から何十回も学生に直接当ててそらで答えてもらうといったやり方を、木山方式ではずっと続けてきました。このやり方は模試や本番入試の対策として無意味でしょうか?

 秋の第3回センター模試で4月以来の勉強の成果を発揮したいという、しごく当然な目的合理に対し、木山方式では少なくともこの問いに関して7点分の得点寄与をしています。

 他方、2013年度の1・2学期の「センター古文」夏期の「センター古文漢文」「センター国語」の計29題、また1・2学期の「国公立大古文」の24題
、また1・2学期の「早上古文」の24題、また同様に「古文読解」の24題、「ハイレベル古文」の24題、「東大古文」の24題、「京大古文」の24題の、合計
173題の大問中に、この重要単語「心(を)遣る」が一度でも本文中に出てくるかといえば、設問化されているか否かに関わらず、どこにも出てきません。(この〝どこにも出てこない〟という表現を木山はこのお便りシリーズの中で一体何度書いたことでしょうか!)

 4月から9月までの約5ヶ月間に、
古文の重要単語1単語についても間を置きながら、20回~35回程度の暗記のチェックをくり返すグループが一方にあり、その一方でテキストのみの単元的過去問演習をくり返す――ということは当該の単語を一度も見たことがない――グループがあるという状況では、模試での正答率に差が出るのは当然のことではないでしょうか。

 しかしながら、こうしたコストパフォーマンス(労力対効果)の視点を持って受験の数ヶ月間の全体を俯瞰(ふかん)するような意識は、特に中堅から下位の学生層において希薄です。

 そこでは受験のコストパフォーマンスといった戦略的要件よりも、単元的な入試問題のわかりやすさとか、教師への親しみやすさとか、自分たちにとって居心地のいい居場所であるかどうといった要件の方が、他の何よりも優越しているように見えます。

 それでは一体何のために模試対策をしているのか?目的合理性を失っているのではないか?当面の感覚や印象の純粋性を自己目的化する錯倒の論理ではないか?、といった批判はたしかに容易にできますが、批判したところでこの傾向が是正されるわけでもありません。

 ただし一つだけ言えることがあります。
もし木山方式にうまくはまることができれば、むしろ高偏差値の学生たちよりも中堅から下位の学生の方が、その享受するところが大きいという事実です

 以前にも書いたことですが、私が担当する学生は代ゼミ本科の場合、おおむねLW1組やLE1組といった私大トップのクラスではありません。それよりやや下のクラスで早大志望の学生を教える機会が多いのですが、毎年得点開示を待つまでもなく、早稲田の補欠合格者が複数名出ることからもぎりぎりの合格であったことがわかります。

 この春、早稲田に合格したそのうちの2名とは今年の4月に直接会って、彼らが合格した教育学部と商学部の古漢の問題を一緒に解いてみましたが、2名ともほぼ古文漢文については全問正答という結果でした。ぎりぎりの合格であったことから察するに、古漢の全問正答がなければ彼らの合格は難しかったのではないかと思います。
 この2名の学生は、昨年の1月の末まで90分授業と個別な15分チェックをしっかりとくり返し、私から見ても早大古漢についてはほぼ太鼓判を押した学生たちでした。

 さて、問いの解法に戻りますが、選択肢③の「姫君とは今宵また逢えると思って」の部分は、本文中の「この暮れこそとおぼすに~」と整合しますし、「使者の話を聞いて、自分の行動が原因とは思いつつも」の部分は「このことのゆゑならんかし」(補注10このこと…私の事)と整合します。したがって「気を晴らす」以外のポイントでもこの選択肢を正答と見る要素が多いと言えます。
 答は③。


問4 の和歌に関する説明として最も適当なものを選べ。

① Aは内大臣の歌で、姫君への愛情がどれほど深いかということを詠んでいる。Bは姫君の歌で、すぐに消えてしまう白雪のように我が身も消えてしまえばよかったのにという思いを詠んでいる。

② Aは内大臣の歌で、強引に訪れたことを詫びる気持ちを詠んでいる。Bは姫君の歌で、「白雪」の「しら」に「知らで」の意をかけ、あなたの一途なまでの愛は知らない方がよかったと詠んでいる。

③ Cは姫君の歌で、逢えない昼間の慰みに、小夜衣を交換したいと詠んでいる。Dは内大臣の歌で、自分を頼みにさせておきながら心変わりしないでくださいねと懇願する気持ちを詠んでいる。

④ Cは内大臣の歌で、夕暮れ時まで会わないでいることの辛さを詠んでいる。Dは姫君の歌で、あなたの心が離れてしまったら、小夜衣の袖が別れた人の形見となりますねと
皮肉を込めて詠んでいる

 選択肢①の「姫君への愛情がどれほど深いか」はAの歌の下句「おぼろけにやは思ひ入りつる」(並み一通りの思いで分け入ったことであろうか)と対応しますからよしとしても、Bの歌を「白雪のように我が身も消えてしまえばよかったのに」と解釈している点が×(バツ)です。「白雪のしらでややまん深き心も」(白雪の
しらではないがあなたの深い心を知らずに終わっていたことでしょうか)の訳出中に〝自ら消えてしまえばよかった〟という解釈が入り込む余地はありません。

 ちなみに「~たらよかったのに」という訳は、古文公式17にあるように「まし」の上に仮定条件や疑問詞・疑問の係助詞がなく、単独で「花ぞ咲か
まし」などと使ったときの用法ですから、仮にBの歌が「思ひわびて消えぞしなまし」などという形で言い切れていたら「私など消えてしまったらよかったのに」の訳出は可能です。しかし、上句はそうなっていません。

 選択肢②の「Aの歌は~強引に訪れたことを詫びる気持ちを詠んでいる」が誤りであることは明らかだと思います。(全文訳のAの歌を参照)

 選択肢③はCの歌を姫君の歌とし、Dの歌を内大臣の歌としている点が誤りです。文脈はすでに見えていますが、Dの歌の初句「頼むれど~」という表現からしても、Dの歌を男の側の歌と見ることはできません。
 その理由は次の選択肢④の解釈とも関わるのですが、まずは最初に私のホームページ上につねに公開している〝古文背景知識の№4〟「男女の和歌の贈答」の以下の文章を読んでみましょう。

 
基本的に求愛時の男の歌はストレートな愛情表現や嘆いたり愛を誓ったり、女の信頼を勝ち得ようとひたすら低姿勢で自分の愛情の深さを訴えます。これに対して女はすぐに返事をせず、無視したり代筆させたり、「私困るわ、こんな文をもらうなんて思いもよらないこと」みたいなポーズをつくることが多いのです。でも女の方にそれなりに気があれば、相手の男の詠んだ歌の揚げ足をとったりからかったり言い返したり皮肉を言ったり言葉じりをとらえたりして、男の愛の頼みがたさを訴えます。そういう場合の女の返しの歌は、婉曲な拒絶でもあり、またさらに男がどう切り返してくるかを期待しつつ、男の本心を探っていく態度ともとれます。

〔中略〕

 一般にこうした手ごたえのある歌のやり取りができるということが、当時としては教養やセンスのある「あらまほしき」行為と思われていたようです。ですから、ただただ男の言うままになってしまうような心優しい女では、男の方も手ごたえがなかったり、物語作者がそうした手ごたえのなさを地の文であきれたりすることもあります。
 たとえば、H13センター国語ⅠⅡ追試『浜松中納言物語』の問6の選択肢の⑥は「中納言に責められても恥らうばかりで何も言えない大弐の娘に対して、語り手は少し恨み返せばよいのにと評している」とあります。これも先に述べたような考え方が前提となっているわけです。



とあって、こうした求愛時の男女の和歌の一般的な特徴と照らし合わせてみれば、Dの歌の初句「頼むれど~」(直単B動38②→下二段/頼みに思わせる・あてにさせる)は、「あなたは私をそんなふうに
頼みに思わせるけれど~」といった意となり、いかにも女性の側からの皮肉を込めた切り返しのフレーズと見えてくるはずです。

 選択肢③のように「自分を頼みにさせておきながらどうか心変わりしないでくださいね」といじらしくすねたような歌を、男の側が女に詠みかけるといったことは、少なくとも正当な王朝物語の求愛時の男の歌としてはあり得ないと思います。
 したがって、正解は④です。

 毎年、古漢公式の暗記が一段落した2学期以降の授業では、古文背景知識の№1~№12の内容・ポイントを学生にあててそらで答えてもらっています。つねにチェックされ続けていた木山方式の学生さんで、この問いの
8点分を失点するように学生がいるとは到底思えません。


問2 傍線部の文法説明の組み合せとして正しいものを選べ。

 ○ いたう濡れ
けりや。

 ○ かくばかりつもれ
雪を踏み分けて

 ○ かくは聞こゆ
ど、

 ○ 姫宮一つに住ま
きこえさせ給ひしを

 aは公式42②「にき・にけり・にけむ・にたり」の四パターンの一つ。→完了の助動詞「ぬ」の連用形。

 bは公式6の「エ音+ら・り・る・れ」のルールに従って、完了存続の助動詞「り」の連体形。

 cは下二段動詞「聞こゆ」(公式57②謙譲の本動詞=申し上げる)の已然形の一部。

 dは直後の「きこえ」が公式54②の謙譲の補助動詞なので、古文公式1の「す・さす・しむ」が尊敬語に下接していないときは、尊敬ではなく使役であるのルールに従って、使役の助動詞「す」の連用形。

 文法問題はこれで5点。

 以上、9月末の第3回センター模試の古文の配点50点中、木山方式からの直接ダイレクトな出題は、

【50点中30点!】


となります。




【 漢文問題の分析 】

 出典は「五雑組(ござっそ)」による文章。適時書き下しつつ、設問の解法を紹介していきます。

○ 古(いにしへ)の相(漢単B36→宰相=天子を補佐して政治を行う官)たる

者は、権(力)を怙(たの)むを(A32→権力を自負して専横にふるまうことを)

憂(うれ)ひ、今の相たる者は権(力)無きを憂(うれ)ふ。その病ひは等しきな

り。然(しか)れども、
寧ろ権(力)をたのむ(=自負して専横にふるまうこ

と)を以て相を易(か)ふとも、相を抑(おさ)ふるを以て権(力)を廃(はい)す

ること無かれ


〔中略〕

不 仮 以 権、権 将 安 施 哉


問4 傍線部寧 以 権 而 易 相、無 相 而 廃一レ」の解釈として適当なものを選べ。

 ① 権力をたのむという理由で宰相を交代させても
よいが、宰相の専横を抑えるために権力を奪ってはならない。

② 権力をたのむ宰相を交代させることは容易だが、権力をなくして宰相の専横を抑えこむことは難しい。

③ いっそ権力を廃止して宰相の専横を抑えこんだとしても、安易に宰相を交代させてはならない。

④ いっそ宰相が頻繁に交代することになったとしても、宰相の特権を廃止してはならない。

 解法は極めて簡単です。木山方式では漢文公式16Bの比較・選択の句形を学生にあてる際には、いつも〝「寧(むし)ロ」で始まる比較・選択の句形をそらで言って下さい〟といっています。学生は〝
寧(むし)ロAストモ、Bスルコト無カレ〟と答えます。私が〝訳し方は?〟と問えば、学生は〝むしろAしてもよいが、Bだけはするな〟と答えます。

 「易 相」の「易(か)ふ」は漢単A12③の「
とり変える・とり交わす」の意であり、また「以テ~ヲ」は公式8①にあるように「~を手段・方法・材料・理由目的・条件にして~する」の意ですから、傍線部Bの全体の訳は『むしろ権力を自負して専横にふるまうことを理由にして宰相をとり変えることはしてもよいが、宰相を抑(おさ)えることを目的にして宰相の権力そのものを廃(はい)することだけはするな』となります。

 つまり、「権力を自負する専横な宰相ならばクビにして〝かわりの宰相にかえればいいが〟、しかし宰相の持つ権力そのものを廃(はい)するのはよくない」といった意味になります。

 こうして順を追って解説してすれば、答はいとも簡単ですが、直接あてられてそらで句形や訳し方を言ってもらう訓練を一切しないクラスでは、これほど簡単な問題でさえも失点する可能性は高いと思います。


問5 傍線部不 仮 以 権、権 将 安 施 哉」の返り点の付け方と書き下し文の組み合わせとして最も適当なものを選べ。

 まず木山の漢文公式8〝「以」の訓み方の①②③〟を順追って解説してみましょう。手元に漢文公式を持っている人は、そのページを開いてみて下さい



 まず、基本形は前置詞として「以 テ
―― ヲ 」(と下から上へ返読して)~を手段・方法・材料・理由・目的・条件として~するという具合に、下の用言を修飾します。つまり「以 テ ―― ヲ 」と一度返読して上へあがったら、次に修飾関係としては下へ下がるというのが基本です。

 つまり、『以 テ―― ヲ Vスル
』などのようになるわけで、決して『 Vスル 以 テ ―― ヲ 』などのように下から上への修飾関係にはなりません。

 ただし、「不
Vスルニ 以 テセ ―― ヲ 」(Vスルニ~ヲ以テセズ)のように否定詞に上がる例はありますが、それはあくまで否定であって、修飾関係の用言が「以」の上にくるわけではありません。(この句形については公8③でまた詳しく説明します。)

 とにかく、基本形では「以 テ
―― ヲ 一」と返読して上へあがったら、〝修飾関係としては次に下の用言にかかる〟という点を覚えていて下さい。

 次に公式8の②ですが、下から返読せずに単純に「~以 テ ~」とよんで、そのまま下へつないでいく用法です。この場合、上の文章を受けて①「そして・そこで」と接続詞のような働きをするか、または②副詞や助詞の下について語調を整える働きをするか、の二つの働きがあります。

 この用法は入試問題の設問化されない本文中にはよく出てきますが、いわば合の手(歌や踊りの調子に合わせて間に入れる掛け声)みたいなものですから、構文的なロジックを解法として示しづらく、入試の本番での白文問題に出題されることは比較的まれだと思います。

 さて、公式8③、この句形は重要です!たとえば、

【例】 勉 強 以 参 考 書 。

という白文があった場合、「以 テ
参 考 書 ヲ」と返読して「参考書を手段・方法として」の意となることはすぐにわかると思います。
しかし、「参考書を以て勉強す」のように、修飾関係の用言を「以」の上に返読してよんでしまっては、先ほどの〝
修飾関係としては下の用言にかかる〟というルールに反します。このような場合、どうするかというと、漢文公式8③には次のように書かれています。

 「以 テ
―― ヲ 」は修飾語で下の被修飾語にかかるが、下に被修飾語がない場合は「~スルニ 以 テス ―― ヲ 」と「以テ」自体をサ変動詞としてよむとあります。つまり、

【例】 勉 強 スルニ 以 テス 参 考 書 ヲ

とよむわけです。これは「以 テ
参 考 書 ヲ 勉 強 ス」といった本来のノーマルな文の倒置形として、用言の動詞が「以」の先に出てしまった形です。

「以 テ
―― ヲ 」と返読してみてもそこで文が終わっていたり、読点で区切られていたりした場合、下にかかるべき用言がないわけですから、その場合は倒置形として「以」の上に述部のVがあると考えて、その述部を必ず「連体形+ニ」でよむというのがこの句形のルールです。

 木山方式ではとにかく「以 テ
―― ヲ 」とあがっても下へ下げられない場合には、この暗記例文「勉 強 スルニ 以 テス 参 考 書 ヲ 」を思い出して、その句形に合わせてよめ!と教えています。

 また公式8③には、「以テス」の「ス」の内容は、
上の「~連体形+ニ」と同一であり、いわば述部が先に出る形とありますから、この例文でいえば、〝勉強するのに参考書を手段・方法として勉強する〟という文意になるわけです。構文が複雑化して、たとえば「Vスルニ――ヲ以テスルニ非ザルハ無シ」のような形になっても、落ち着いて「以テスル」の内容は、最初によんだ「Vスル」の意がそこに当たるのだと考えて下さい。

 さらに、公式8*「~スルニ~ヲ以テス」はひと続きであり、「~スルニ」とよんだらすぐに「~ヲ以テス」に続けることとあるように、「~スルニ」と「~ヲ以テス」の間に他の語句をはさみ込んでよむことはできません。

 ちなみに、「不
勉 強 スルニ 以 テセ 参 考 書 ヲ 」(勉強スルニ参考書ヲ以テセズ)のように、この構文の句形どおりに一度よんだうえで、その文の全体を否定詞で打ち消す場合には「以テ」から上の否定詞へあがりますが、先ほども言ったようにこれは否定であって、用言の修飾関係として上へあがっているわけではありませんから、「以」から上への修飾はないという話とは区別して下さい。



 さて、
H22の早稲田の人間科学部に次のような問題が出題されていました。

○ ある人が荘子(そうじ)を高位高官に就けようと招いた。しかし荘子は使者

に答えて次のようなたとえ話を語った。

「あなたはあのいけにえの子牛を見たことがあるか。いけにえにされるまで



衣 以 文 繍 、食 以 蒭 菽

しかし、その子牛が連れられていけにえとして殺される瞬間になって、身寄

りのないもとの子牛にもどろうとしても、いまさらそんなことができようか、

いや、できはしない。たとえ高位高官になったとしても、いけにえの子牛が

いけにえに処せられるまではちやほやされるのと同じく、一時的ではかない

ものにすぎないのだよ」

(注)文繍(ぶんしゅう)……文様を描いたり刺繍をした美しい布。
  蒭菽(すうばく)……上質な飼料。

傍線部の返り点の付け方として最も適当なものを選べ。

イ… 衣
文 繍、食 以蒭 菽

ロ… 衣 以
文 繍 、食 以 蒭 菽

ハ… 衣
以 文 繍 、食 以 蒭 菽

 白文中の読点の上の三文字を「以 テ
文 繍 ヲ 」と返読しても下が読点で区切れていますから、下の用言にかけることができません(読点をまたぐ修飾関係はありません)。
 この場合、例の暗記例文を思い出して「勉強スルニ参考書ヲ以テス」の形に合わせてよめばいいのですから、「
衣(ころも)スルニ文繍ヲ以テシ、食(しょく)スルニ蒭菽ヲ以テス」とよめるはずです。
 したがって、答はロです。
 選択肢イの「~ヲ以テ衣スル」のように「以」から上の用言への修飾関係はできませんから、すぐに誤りであることがわかります。



 さて、以上の知識を持って、第3回センターの解説にもどりましょう。

問5 傍線部不 仮 以 権、権 将 安 施 哉」の返り点の付け方と書き下し文の組み合わせとして最も適当なものを選べ。

① 不
仮 以 権 、権 将 安 施 哉 

 仮(か)して以て権ならざれば、権将(は)た安くんぞ施さんや

② 不
権、権 将 安 施 哉

  権を以て仮さざれば、権将た安くに施さんや

③ 不
権、権 将 安 施 哉

  権を以て仮さざれば、権将た安くんぞ施さんや

④ 不
仮 以 一レ 権、権 将 安 施 哉

 
仮すに権を以てせざれば、権将た安くに施さんや


 白文の最初の四文字を見ると、「以
権」→権(力)ヲ以テ→〝権力を手段・方法として〟とよめることはすぐにわかりますが、直後に読点があるので下への修飾ができず、かつ選択肢は二文字目の「仮」をすべて「仮(か)ス」と四段動詞によんでいる点からも、これは例の「勉 強 スルニ 以 テス 参 考 書 ヲ」の句形であるとピンとくるはずです。
 上の動詞を「連体形+ニ」でよんでいるものは一つしかないので、解答は瞬殺で決まります。

 さらにここでは「Vスルニ 以 テス
―― ヲ 」の句形を一度完成させたうえで、その文の全体を上の否定詞「不」で打ち消しており、「不」の仮定形は公式9にあるとおり「(ず)ンバ・(ざ)レバ」のどちらでもよいわけですから、構文的にも問題がありません。
 
 全体の文意は「
(宰相に)仮託するのに権力を手段・方法として仮託しなかったならば、権力というものは、はたまたどこに施(ほどこ)すべきであろうか→要するに宰相にこそ権力を施すべきだ」の意となります。
 さて、正解はどれでしょうか?。この問いがクリアできて
7点です。

 9月末の第3回センター模試までにこの句形の用法を教わったという学生さんがいたら、どうぞ私に教えて下さい。偶然に同じアイデアを保持する先生がいらっしゃるのかもしれません。
 実はこの句形はH16センター追試の白文問題に出題された際に、木山が定式化した句形です。私の漢文公式にはオリジナル句形がいくつかありますが、これもそのうちの一つです。


 その他に漢文単語の問題が三問出ました。

「耳」→漢文公式B17①限定・強調の知識からよみ方は「のみ」

「自」→漢文公式4⑥動作の起点の知識からよみ方は「より」

「易(か)ふ」→漢単A12③交換する・とれ交わすの意で熟語は「交易」や「貿易」の知識から、同じ意を含む熟語は「貿易」。

 以上、各4点3問で12点となり、先ほどの14点と合計して、漢文における
直接ダイレクトに得点寄与率は、

【50点中26点!】


となります。さらに古文と合計すれば、

【100点中56点!】


となります。これを過去4年間の9月末第3回センター模試模試得点寄与率と合計して平均値を出すと、

【100点中52.25点!】


となります。

 センター模試における5割以上の直接ダイレクトな得点寄与率を、数年間にわたって実証できる方法論が他にあるのならば教えて下さい。しかも古文漢文公式の内容はB4サイズに換算するとわずか9枚(裏表)にすぎず,じつにうすっぺらな資料です。





【 反証可能性と有意義性 】

 「コレがあなたにとって一番の方法である。あなたはまだわからないかもしれないが、じきにわかるだろう」という行為態度を、社会学では
パターナリズムというのだそうです。教育というものは多かれ少なかれ、先行世代による後続世代に対するパターナリズムによって支えられています。これは論理的必然なので教育からパターナリズムを取り除くことはできないと思います。

 問題はパターナリズムの有効性と選択性――いろいろありうること――についての高い度合いの
反証可能性ないし検証可能性が担保されているかどうかという点にあると思います。
 反論されにくい言明、何にでも妥当する仮説を好む人の話は、結果的にほとんど無内容です。反対に反論にひらかれた仮説、テストによって反駁される可能性の高い仮説ほど、より有意義であると言えます。

 したがって、そうした木山方式の有効性についての適切な批判は「
木山先生の言っていることは、これこれの場合には妥当するが、これこれの場合にはあてはまらない」という適応範囲を限定するものになるはずです。まっとうな学術的な批判はだいたい「あなたは適応できないところにまで自分の仮説をあてはめようとしている」という過剰適応をとがめるものです。仮説の局所性を指摘するのが科学的批判の骨法です。

 ですから、私の分析記事は、できるだけ反論しやすい形・検証されやすい形で書くことを自分に課しています。どうぞ私の書いた文章が正しいかどうか、検証してみて下さい。






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