= お便りシリーズ №51 
   
         春風だより =






【 プラグマティズム的行為に対する日本人の心的構え・
エートス(ethos)の問題 】


二十世紀前半のアメリカを代表する知識人ジョン・デューイ(John Dewy 1859~1952)は、初期の論文の中でこんなことを言っています。

「たとえ人間ならざる権威が我々に何かを言うとしても、言われたことが真であるかどうかがわかる唯一の方法は、それが我々の望むような結果を与えてくれるかどうかを調べてみることだ。(中略)その唯一の方法とは、提案されたものが信念であるかぎりにおいて『善いもの・有効なもの』と判明するかどうかを
功利主義的にためすことである。」

 また、現代のプラグマティストであったリチャード・ローティー(1931~2007)も、その著書「文化政治としての哲学」の中で、こんなことを言っています。
「真実であるというのは、物事や信念がうまくいき、採算がとれ、役に立つとわかり、そのために容認された社会的実践の中に組み込まれたとき、それらに対して我々がかける褒(ほ)め言葉であって、これらの実践が相争うとき、根源的な真理性がどちらの側に与(くみ)するか、と問うても無駄である。」といっています。

 デューイの認識論によれば、すべての観念は自然環境や社会に対する働きかけの実験的計画のようなものであり、それに基づく行動の有効性によってのみ、その真偽が検証されるというわけですから、それは伝統的なヨーロッパの哲学――たとえ現実がどうであれ、超越したすべてを支配する枠組みへの上昇という普遍主義的メタファーへの希求とは、まったく逆向きのベクトルといえるわけです。

 私はこれまで見聞してきたアメリカ文化の中に、そうしたプラグマティズム的な、観念の無謬性に固執しない自由さや、新たに正しいと認知したことに対しては
素朴といえるほど正直であり忠実であろうとする人々の態度を見いだしてハッとすることが度々ありました。

 ところで、何が理に適っているか、プラグマティズム的に見極め、それがわかれば素直にその理に適った仕方で振舞おうとする、こうした行為態度の背景にある社会的エートス(ethos)――ある社会集団に行き渡っている道徳的な習慣・行為の規範――とはどのようなものでしょうか?

 一つには以前にもふれたように、アメリカ社会の、特にアングロサクソン的クリスチャリティーの社会の中に、このプラグマティズム的精神が偏在していると思われる点。さらにもう一つはユダヤキリスト教的な心性といった、より長いスパンでの歴史的にもたらされたエートスの存在があるのではないかと思います。

 アメリカ社会におけるアングロサクソン的クリスチャリティーの社会精神と、日本的「空気に従う」社会との大きな違いは、自分自身を神の眼差しに照らして、再帰的位置から反省する営みの有無であるとする指摘があり、私もこれに賛成です。(小室直樹の世界 橋爪大三郎P153)

 前者の場合、自分たち人間の側がどんなに満足して、これでいいと思っていても「もしかしたら罪を犯しているのではないか。神の意志に背いているのではないか」と自己観察して、自らを軌道修正することは、むしろ模範的であり「あらまほしき」行為態度として映ります。

 一方、日本的「空気に従う」社会の場合、空気に乗っかって皆が満足してしまえば、わざわざその状況を変えるといった自己観察と軌道修正はかなり難しいというべきでしょう。というのも、日本的「空気による社会」には超越的神の存在がありません。その代わりに「空気」というものがあるわけですが、この「空気」というのは、いわば一人一人の安全保障のようなものであって、自分を守ることで空気が成り立っていますから、他者との同調、特にごく近距離の人との共通部分を探っていって、そこに相互の安定と均衡が成り立てばそれでいいことにする、つまり安全保障としての相互の均衡が保たれているかどうかが眼目ですから、一つの規範でありながら絶対的なものではなく、全体が動くのであれば倫理的座標軸の上を多少揺れ動いても構わないというのが、日本的「空気」の正体です。

 ですから、そのような日本的「空気」の中では、「現実を見よ」という行為も、もっぱらすぐ目前の契機だけが前面に出てきやすく、現実を通底するプラグマティズム的な分析や視座は無視される傾向になりがちです。

 言い換えれば、日本的「空気」の社会での「現実」とは、つまるところ既成事実という意味と等置です。プラグマティズムの精神がむしろ変革の契機となるのとは対照的に、日本で「現実的であれ」という言葉の意味は、既成の事実や習慣に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけとらえられるとき、それは容易に悪しき形式主義・権威主義・前例主義――以前からこのやり方を踏襲しており現在も多くがこのやり方に従っているのだから、このやり方を継続していこう――といった一種の諦観へと転化します。

 私は太平洋戦争の戦史を読むたびに、当時の日本の天皇制ファシズムを駆動ていた軍官僚たちの中に、この日本的「空気」に縛られた非合理の愚かさ、または「空気」に縛られた思考の硬直性、悪しき権威主義といったものを、嫌というほど感じます。




 また一方のあの当時のアメリカ軍の作戦・戦術運用の中に、理に適ったものは積極的に取り入れようとする思考の柔軟さ、または作戦指導者の側の実にプランク(frank)な(ザックバランで率直な)空気を感じます。

 この差は一体どこから生じてくるのか、というのが長年太平洋戦争の戦記を読み続けている私の変らぬ興味です。

 たとえばリンドバーグ(lind・bergh)といえば愛機「スピリット・オブ・セントルイス号」に乗り、ニューヨーク~パリ間の大西洋無着陸横断飛行に成功した空の英雄ですが、おもしろいことに彼は後の太平洋戦争の最中、陸軍の戦闘機P38ライトニングのプロペラピッチと過給器の調整により、航続距離を二割増しに伸長させるアイデアをもって、当時日米の激戦地であったソロモン諸島のアメリカ軍基地を巡回しています。

 時の米軍指導部はリンドバーグのこのアイデアに飛びつき、彼に大尉の肩書きを与えて便宜を図っています。一民間人でしかなかったリンドバーグであっても、それが理に適ったアイデアであれば一民間人としても軍を教導できたという事実は、当時のアメリカ軍の実に柔軟な体質を物語っています。

 そのちょうど同じ時期にガダルカナル島の日米の決戦が頂点に達したころ、ムカデ高地の前線指揮官であった河口少将は、側面からの迂回的攻撃を軍司令部に進言しただけで、総攻撃の30分前に軍司令部から突然解任されてしまいます。
 その理由は軍の必勝の信念に水をさし、全体の空気を乱したというものでした。正面攻撃に固執したこの時の第二師団の総攻撃は無残な失敗に終わります。

 この時期、米軍軍事情報部が発行していた戦訓広報誌「インテリジェンス・バレンティン(intelligence・bulletin)情報広報」に掲載された日本軍に関する解説記事には次のような一節があります。

「日本軍はひとたび戦闘に参加するや、一度決めた方針に固執して兵力を浪費する。奇襲攻撃一辺倒であり、理解に苦しむのは、何度やっても通用しない戦法を何ヶ月経ってもくり返し、決して新しい戦法を想像しないことである。」

 残念ながらこのような指摘は昭和17年当時の日本陸軍の評価としては、正しいと私も思います。
 話を戻しますが、どんな分析や検証があろうがなかろうが、日本人は皆が前提としていると皆が思っているような全体の空気には決してあらがえない、という心の習慣があって、したがって、頭では分かっていても動けないというか、動こうとしないという状況があるとすれば、そうした心性に支えられた日本人の民主主義とは、どのように機能するのでしょうか。

 私が民主主義とは制度上の問題ではなく、民のエートスの問題だと思うのは、いつも頭の中にあの観念の無謬性に固執しない自由さを備えた人たち、新たに正しいと認知したことに対しては素朴といえるほど正直であり誠実であろうとする人々の態度を見出して、ハッとした体験を思い出すからです。

 私が六年間を過ごしたカリフォルニア、パロアルトのスタンフォード大学の人々や、その周辺のコミュニティーの人々の意見は、健全にばらけており多彩であり、他者の意見に対して極めて率直でありながら、また実に柔軟でもありました。つまり自立しており、理に適った意見であれば、その意見を受け入れることに躊躇しない人たちでした。

 こうした自立した個人主義的エートスを内面化していくのでなければ、空気や組織への依存に支配される日本的民主主義とは、やはりどこかいびつなままであるのではないか、容易に動員される非理性的で非暗示的な大衆的ポピュリズムの土台を形作ることになってしまうのではないかと危惧します。
〝当面誰も否定しないのが今風〟などといった現代の若者気質にも、そうした意味での危うさを感じずにはいられません。



【H26センター古漢問題に対し、単元的大問形式の講座がどの程度得点寄与したかの検証】





 調べた対象講座は、代ゼミ1学期「センター古文」(12題)・2学期「センター古文」(12題)・冬期講習会「センター国語」(古文2・漢文1題)・「センターOVER180」(古文2・漢文1題)・「センター古文漢文」(古文2・漢文2題)の合計34題です。

 調査項目は以下の11項目としました。

古文において「なめげなり=無礼な様だ」を教える機会が、大問演習の中にあったか?
 *これは設問化されているか否かに関わらず、本文中に一回でも登場すればポイントとするという基準で以下の項目も同様です。
 →問1(ア)の解法に得点寄与する。

「心苦し=気の毒だ・かわいそう」を教える機会があったか?
 →問3の解法に得点寄与する。

「はかなし=ちょっとした・つまらない」を教える機会があったか?
 →ABCの会話の主体判定に得点寄与する。

「もてなす=ふるまう(態度)」を教える機会があったか?
 →ABCの会話の主体判定に得点寄与する。

「いざ、給へ=さぁ、いらっしゃい(おいでなさい)」を教える機会があったか?
 →問1(ウ)の解法に得点寄与する。

漢文においては、「Vスルニテス ――」の句形を教える機会があったか?
 →問2の解法に得点寄与する。

「尚(たっとブ)=尊ぶ」を教える機会があったか?
 →問1(2)の解法に得点寄与する。

否定詞の連用中止法を教える機会があったか?
 →問5の「 莫 キ 不 ルハ 貴 ハ 取 ラレ 賤 ハ 棄 テラレ 也 」の解法に得点寄与する。

「豈ニ(きっと確かに)――連体形耶」(「豈ニ」の疑問形 きっと確かに~ではありませんか……事実の確認)を教える機会があったか?
 →問7の解法に得点寄与する。

「以 ―― ――」の句形を教える機会があったか?
 →問7の解法に得点寄与する。

「所謂(いわゆる)」を教える機会があったか?
 →問7の解法に得点寄与する。

 結果は、古文については重要単語「心苦し=気の毒だ」が、1学期センター
古文P62・2学期センター古文P9・P34・P88と4回も本文中に出てきて
おり、設問化はされていませんが、充分に本番センターの7点分の得点化に寄与したといえます。

 漢文については、テキスト付録のS45に「所謂(いわゆる)」と紹介されて
いるので、テキスト付録までしっかり演習していれば、語釈の3点分に得点寄与したといえます。

 そのほかの項目については、
さきの全34題のテキスト中にはまったく見出
すことはできません
。これは該当項目が本文中に出てきているかどうかのチェックですから、恣意的要素は入り込む余地がなく、誰がやっても同じ結果になるはずです。

 ここで、文法問題の5点分の項目を設けなかった理由は、今回の文法問題については、木山方式であろうが、古文文法などの講座であろうが、基本的に大差はないと判断したからです。

したがって、木山方式と大問演習方式34題分を比較してみますと、木山方式のH26年センター古漢問題に対する得点寄与率は、文法の5点分を除いた

【100点中49点!】


となり、これに対する単元的な過去問演習の得点寄与率は、

【100点中10点】


となります。

両者のコストパフォーマンスの差は、約4.9倍です。

 大問形式の過去問や予想問題の演習のみの積上げ方式では、センターの形式に慣れるということ以上の利点が少なく、直接ダイレクトな解法上のヒットが非常に少なくなってしまうことが理解できると思います。

 しかも、センターの形式や時間に慣れるのが目的であれば、市販のセンター予想問題集(ほとんどどれも千円ぐらい)を買って演習すればよく、費用的にもそのほうが格段に安くすみます。





 センター対策として高校の現場などでよく用いられているZ会のセンター予想問題集も調べてみました。平成26年用センター試験実践模試④国語(Z会出版編集部編)

第一回 古文 『伊那の中路』 漢文 『潜書による』

第二回 古文 『中将姫本地』 漢文 『唐宋八家文読本』

第三回 古文 『しのびね』 漢文 『詩人玉屑』

第四回 古文 『岩屋の草子』 漢文 『棠陰比事』

第五回 古文 『御伽物語』 漢文 『鶴林玉露』

第六回 古文 『むぐら』 漢文 『春秋左氏伝』

 本文中にさきにあげた①~⑪のポイントが出現する割合を調べてみますと、結果は残念ながらゼロでした。つまりZ会の予想問題集全12題における直接ダイレクトな得点寄与率は、

【100点中0点】

です。

 Z会の予想問題集は、センター予想としてよく作られており、解説も丁寧であり、形式に慣れる目的で/いわば力試し的なチェックとして/時間感覚を養う目的として演習する/のであれば、充分にその目的に寄与すると思います。

 ただし、その場合でもそこで学び理解したことが、そのまま本番入試に得点化されるといったことは――わずか12題程度ではほとんどあり得ないという認識は必要だと思います。




【 分析を拒むエートス・カーニヴァル・ヤンキー気質 】

 代ゼミが大衆的人気を博して多くの受験生を集めていたのは、1990年代です。その時期には〝爆走――〟とか〝超速――〟とか〝光のコラール〟とか〝天(てん)〟とか〝キャンディー○×〟とか〝○×△最終奥儀〟などといったポエム的講座名が、知識や論理とは無関係に、その講座を希求する学生たちの集団化による強力な共感装置として機能し、北は札幌校から南は熊本校まで締め切り講座続出などという時代がありました。

 まさにポエムが受験生の気分を盛り上げ、気合をもたらし、自らの正当性を信じさせてくれる何ものかであったわけです。そうしたシンパシーが高じて、ときにはネット上で学生同士が互いに相手の講座を非難したり論争したりするという現象さえ起こりました。

 消費社会とは、ものを単に消費する社会というより、
消費がある種の〈物語性〉によって駆動されていく社会だとよく言われます。予備校の講座選びも、そうした消費社会の一現象だとすれば、その〈物語性〉とは、特定の消費と特定の所属意識を結びつける眩示的(げんじてき)な依存効果のようなものではなかったかと今にして思います。

 人も羨む、あの有名講師の講座を受けたという事実が、自分の受験生としての所属領域をワンランク上に見せる効果、いわば眩示的効果としての消費意識といったものが、あの時代のムーブメントの根底に確かにあったと私は思います。

 または人気講師の形作る集団――その講座を受講した学生集団と人気講師の一体感によって得られる承認欲求の満足といった側面もあったのかもしれません。
 セレブティーあふれるスター講師から「勉強できないのは決して君のせいできない。これまでの教え方が悪かったからだ」と諭されて、一気に自己肯定の回路を取り戻すメンヘラー系の女子など、あの時代にはたくさんいたような気がします。

 そうとでも考えなければ、たかだか90分5回の授業に対して、学生がなぜあれほど熱情的にこだわったか(H25年度のセンター34題分の得点寄与率がわずか100分の10点であったことを思い合わせて下さい。わずか5回の演習消費が本番入試に寄与する確率は極めて僅少です)、時にはそれぞれのシンパシーに心酔する学生同士がネット上でエキセントリックなまでの論争をくり広げたのか、そのことの意味がわからなくなってしまいます。

 
〈物語性〉消費社会から〈物語〉を除去すると、その消費行動は単に不可解なふるまいとして見えてしまうのが常です。こうした領域では何が合理的なのか、何か妥当なのかをどんなに議論しても意味を為しません。しかも資本の要求はともかくも消費の拡大ですから、学生をして〝由(よ)らしむべし〟(「論語」人民を為政者の方策に従わせて、依存させる状態にしておくということ)といった関係性は、営業的にも好都合であったわけです。

 「○×先生の講座を受けて、これまでの英語の勉強法が
すべて間違っていたことがわかりました。」と目からうろこ状態で言ってくれる学生の講座の消費量は必ず増えるからです。いかにこうした「由(よ)らしむる」関係性をさりげなく形作っていくか、それによって講座の受講者を増やし、消費を拡大させていくことができるかといった、教祖的なカリスマ性がもっとももてはやされたのがあの時代の特徴でした。

 こう書くと、いかにも搾取の構図ですが、しかしながら一方でこの傾向を強く後押ししたのは、他ならぬ学生の側の集団化同調傾向の強さでもありました。代ゼミの地方校舎のような地元の高校からかなりまとまって入ってくる、顔見知り集団がほとんど生じない本部校のような空間ですと、学生同士の横の連携がなく、みなバラバラに空洞化していきます。

 集団内の空気が空洞化すれば、よい意味での個人主義が進み、集団の空気から自由になるようにも見えますが、現実にはそうなりません。夏期や冬期の講習会では学生は自らの意志で講座選びをしなければならないのですが、こうした前提のもとで集団が空洞化したまま各自バラバラな状態で疑心暗鬼化すると、逆に学生は脅迫的といえるほどに集団化の流れに同調しようとします。

 締め切り講座が出るや否や、同一講座の増設の要求が教務にあふれかえり、クラスを増設すると、すぐまた締め切りになるといった現象がよくありました。脅迫的な後追い現象とでもいうべき現象であり、たとえていえば、個々ではバラバラで弱小であるがゆえに、逆に巨大な魚塊を形作って群れ動くイワシの大群のような行動パターンです。

 しかも学生はこのような一種カーニヴァル的な盛り上がりを、一面では楽しんでいるふうでもありました。
 社会学者の鈴木謙介は、今後起こる日本社会の分極化の中で、大衆が「瞬間的な盛り上がり」(共感感情)によってもたらされる「内的に幸福」な状態(=カーニヴァル)を持ちつつ、「客観的には搾取され、使い捨てられる」危険性を指摘していますが(『カーニヴァル化する社会』)、結局使い捨てられるかどうかは、今にして思えば学生の資質いかんであったように思います。

 あの時代にも多くの学生が難関大学に合格していていきましたし、瞬間的な他者との盛り上がりを介しつつも、同時にクールに冷静にそれをやり過ごすことができるほどタフでスマートな俊英たちは一定量存在しました。
 
 ところで、こうしたカーニヴァル現象――毎年くり返されるカリスマイズムへの強い傾倒・憧憬・強烈なシンパシー、教室の前列の席取り合戦、質問の長い行列、そして熱が冷める秋から冬にかけては、潮が引くようにぱったりと姿を消していく学生たちの極端な落差といった現象は、近年ではぱったり見かけなくなりました。

 一部では「気合とアゲアゲのノリさえあればまぁなんとかなるべ」的な、冷静な施策や分析よりも意気込みや姿勢を重視するヤンキースタイルはまだ残っていますが、総体としての代ゼミの空気はもう少し地味で学究的雰囲気に落ち着きつつあるように思います。

 この傾向は私にはたいへん好ましく感じられます。論理や実証を欠いた熱狂は、ただ受験の到達点を下げる効果かしかないからです。私が学生に期待するのは、論理的検証や実証によって正しいと認識したことへの素朴で正直な個人主義的な態度です。
 そのような視座を保持していれば、人生においても無益な熱狂主義(fanatic)に陥る心配はないと思います。

 私が民主主義とは制度上の問題ではなく、民のエートスの問題だと思うのは、いつも頭の中にあの観念の無謬性に固執しない自由さを備えた人たち、新たに正しいと認知したことに対しては素朴といえるほど正直であり誠実であろうとする人々の態度を見出して、ハッとした体験を思い出すからです。

 私が六年間を過ごしたカリフォルニア、パロアルトのスタンフォード大学の人々や、その周辺のコミュニティーの人々の意見は、健全にばらけており多彩であり、他者の意見に対して極めて率直でありながら、また実に柔軟でもありました。つまり自立しており、理に適った意見であれば、その意見を受け入れることに躊躇しない人たちでした。

 こうした自立した個人主義的エートスを内面化していくのでなければ、空気や組織への依存に支配される日本的民主主義とは、やはりどこかいびつなままであるのではないか、容易に動員される非理性的で非暗示的な大衆的ポピュリズムの土台を形作ることになってしまうのではないかと危惧します。
〝当面誰も否定しないのが今風〟などといった現代の若者気質にも、そうした意味での危うさを感じずにはいられません。



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