梅雨明けだより 


   お便りシリーズ№52



【 木山方式利用者の声/
          H26早稲田・文学部 古漢問題の分析 】


木山先生、こんにちは。
11月に古文・漢文公式をいただいた者です。その節は本当にありがとうございました。
私は第一志望だった早稲田大学・文化構想学部に合格しました。他にも早稲田大学・文学部/明治大学・文学部/東京女子大学・人間科学科と、受けた大学すべてに合格しました。
  資料を送っていただいたのが11月ということで、もう直前まで迫っている時期でしたので、もっと早く木山方式に出会いたかったと後悔しましたが、早稲田対策の資料の数々を目にして「絶対に今から間に合わせる!!」と、やる気に火がつきました。
  私は独学であったため(現役生ですが)、刺激が少なく、早稲田への思いもたぶん人より少なかったと思います。またノウハウもありませんでした。ですが、こうしてたくさんの対策資料・古文漢文テキストを何の関係もない私に送ってくださったことが、私の背中を押してくれたように思います。
  11月という時期も時期で、すべてを一からはできませんでしたが、それでも古漢公式・チェックリスト・文学史の覚え方のおかげで、抜けていた穴を確実に一つずつ探すことができました。
  それと、早稲田志望者に向けた過去問分析の記事(ホームページに載せられていたもの)も本当にためになりました。
  一度もお会いしたことはありませんが、本当に感謝しています。これからも生徒の夢を叶えてあげて下さい。益々のご発展をお祈りします。
 ありがとうございました。



 こうした合格報告のお便りを今年もたくさんいただきました。(報告してくれた皆さんありがとうございました。)

 ホームページの表紙上で紹介しているように、封書で資料請求をしてもらえば、どなたでも、その人の志望校に合わせた木山方式の各資料を郵送いたします。これからもぜひ利用して下さい。

 
とくに夏休みの間に集中的に古漢公式に習熟することをおすすめします。82円の切手代金プラス封書を投函する手間まで考えたコストパフォーマンスと、一般的な大手予備校の夏期講習会の講座、たとえば「早大古文」や「早大古典」などの受講に費やす1万数千円のコストパフォーマンスの差は、実に圧倒的なものがあります!




 以下、過去5年間、分析記事を書いた早稲田各学部の木山方式における得点寄与率を紹介しますので、詳しく検証したい方はそれぞれのお便り記事を読んでみて下さい。(テキストとの比較基準の細目もそれぞれの記事の中に詳しく載せられています。)

*№52 梅雨明けだより(この記事)
 H26 早稲田・文学部(古文・漢文)
 【 木山方式の得点寄与率は13問中10問 】 77%
  →〔比較〕H25年度1・2学期代ゼミ「早大上智大古文」「センター私大漢         文」全48題中、得点寄与したものは【 13問中3.5問 】 27%

*№48 初秋・秋風だより
 H25 早稲田・商学部(古文・漢文)
 【 木山方式の得点寄与率は14問中9問 】 64%
  →〔比較〕H24年度2学期代ゼミ「早大上智大古文」「センター私大漢文」        全24題中、得点寄与したものは【 14問中0問 】 0%

*№36 若草だより
 H24年 早稲田・法学部(古文・漢文)
 【 木山方式の得点寄与率は13問中8問 】 62%
  →〔比較〕H23年度1・2学期代ゼミ「早大古文」プラス冬期「早大予想問         題」全26題中、得点寄与したものは【 13問中4問 】 31%

*№32 つくつく法師だより
 H23 早稲田・文学部(古文・漢文)
 【 木山方式の得点寄与率は15問中12問 】 80%
  →〔比較〕H22年度1・2学期代ゼミ「早大古文」テキスト全24題中、得点        寄与したものは【 15問中5問 】 33%

*№18 サイパンだより
 H22年 早稲田・法学部
 【木山方式の得点寄与率は10問中7問】70%
  →H21年度の「早大古文」関連テキストとの比較は調べていません。




 分析記事を書いた当該学部における木山方式の得点寄与率の5年間の平均寄与率は
70.6%となります。少なくとも文学部と法学部においては恒常的
に高い値を示しているように思います。
(ただし、この割合がすべての早稲田の文系学部に適合するわけではありま
せん。他学部まで含めた平均値を求めれば、木山方式の得点寄与率は約5割弱程度だと思います。)

 つまり、この5割弱~7割強の直接ダイレクトな得点寄与率の可能性の対価が、82円の切手代金と封書投函の手間であるわけです。

 これに対し、各大手予備校の夏期講習会の「早大古文」や「早大古典」の内容は、おおむね過去問または予想問題5題~7題程度の演習解説形式となっています。

 年間を通したテキスト数冊分(全24題~48題)の本番での得点寄与率がこれだけ低いという現実があるわけですから、それに比べてわずか5日間で5題~7題程度の演習量が、翌年の本番入試に得点寄与する割合が、いかに低くなるか想像できると思います。

 もちろん、そのような講座でも、その年度の最新の早稲田の問題に触れる利点はあると思いますし、早大対策の入門として右も左もわからない学生ならば、それなりの指針を与えられる点で有益だとは言えます。

 しかしながら、すでに夏の時点で大手予備校の解答速報や、旺文社全国入試問題正解などが入手可能なわけですから、仮に高校の先生方が夏休みの補修授業などで解説されたとしても、解答集をチェックしているかぎり、解答・解法において大幅に逸脱するなどということは考えられず、実質的な内容としては、予備校の同種の講座と同等なのではないでしょうか。

 あえてそこに違いを感じるとすれば、予備校の講師の方がより切り口鮮やかな弁舌で、学生をしてアッと驚かせるような、大向こう受けするような知的パフォーマンスの術に長けているといった点はあると思いますが、プラグマティズム的実用主義の視点でいえば、本番入試の問題に直接ダイレクトに得点寄与する割合の多寡が問題なのですから、個別な授業の印象度合いなどは、どうでもよい要件というべきです。

 さらにいえば、そのテキスト中の5~7題の解説において、受講者を唸らせるような見事な解説を得たとしても、
そこで得た知識が次の年度の早稲田のある学部の古典問題に、直接ダイレクトにヒットする確率は数値化できないほど低くなってしまうことは、先ほどから述べているとおりです。
 つまり、汎用性が極めて低いわけです。

 それに対して木山方式では、出題される可能性のある知識の全網羅的な暗記を第一義として、それが成ればあとはおのずから学生が自立自助的に過去問を消化できるようになるというのが基本的な考え方です。

 たとえば、毎年1月からスタートする難関大向けの現役高3生のクラスでは、毎週2時間の授業量で、約5ヵ月間ぐらい、つまり1月中旬から6月の中旬ぐらいまでは古漢公式の暗記以外のことは一切やりません。(この話をすると、よく進学校の高校の先生から、『
えっ?5ヵ月間も暗記を続けるんですか?1』とびっくりされます。)

 それでいて、京大文学部志望の男子学生はすでにA判定を出していますし、東大志望の女子学生もB判定まで上がってきました。理由は簡単です。模試を受けたときの知識上のヒットの確率が大幅に向上するからです。
 この傾向はとくにセンタープレの古典100点分の得点獲得率において大きいと思います。



 ところで、私がテキストの得点寄与率を調べる基準は、恣意的判断の入りようのない、極めて客観的なものです。たとえば、本番入試において「
あさましともおろかなり」(=驚きあきれるという言葉では言い尽くせない/B形2/C形動10*「いへばおろかなり→~という言葉では言い尽くせない」の「いへば」が省略された形)という表現が問題化されていた場合、このような表現を教える契機となりうる類似表現が該当のテキスト中に出現するかどうか、――設問化されているかいないかに関わらず、付録資料まで含めてテキスト中のどこかに一度でも出てくるかどうかを得点寄与のポイントとしています。

 これは出現するかどうかの問題ですから、この過程に恣意的な判断はあり得ません。少なくとも同種の表現が演習されるテキスト中に出現しなければ、それを教える機会もあり得ないというのは、誰の目にも明らかなことであろうと思います。


 ですから、木山の分析など所詮、牽強付会(けんきょうふかい=自分の都合のよいように理屈をこじつけること)なものにすぎないといぶかる人も、そもそも解法のカギとなるべき単語や文法や句形そのものが、講座で用いられたテキスト中のどこにも出現しないという、否定しようのない事実には目を向けざるを得ないのではないでしょうか。




〔 H26年早稲田・文学部 古漢問題の分析 〕

 次の文章は『夜の寝覚め』の一節である。寝覚めの上をかいまみた帝が思いを巡らしている。これを読んであとの問いに答えよ。

○ 面影は身に添ひぬるやうに、
わりなう〈C形86〉おぼしめさるれば(=帝

は寝覚めの上の面影が身に添うように、
どうしようもなくお思いになるので)、

つくづくと端近う
ながめ〈B動47〉させたまひて(=つくづくと部屋の端近くで

思い
に沈んでいらっしゃって)、「故大臣の『他事は人にまさるともおぼえぬを

(=亡くなった大臣が『私は他の事は人に勝っているとも思われないのを)』、

この女君
〈B動58〉馴るる契り〈A名35〉なむ、人より殊に類なかりける(=

この女君・寝覚めの君と
男女として逢い馴れ親しんだ前世からの因縁は人

より格別に類ないことであった。そのような)我が身と思ひ知らるることと、こ

れを生ける世の思ひ出にてあり
ぬべし(=これを生きている世の思い出とし

きっと生きていこう 公5日の丸②)。官、位も用なし〈B形24〉(=官位や

位など
つまらないことだ))といっていると聞いた折には、『いかばかりの人

にてか、さはあらむ
。すぐるといふとも人はかぎりこそあれ(=どんなに優れ

ているとはいっても人には限度というものがある)。あまり
心ざし〈A名22〉に

まかせて、いたう言ふなり(=あまりに寝覚めの上を思う
男女の愛情にまか

せて、おおげさに言っているようだ)』と、おかしく聞いていた。(しかし)まこと

に、さ思ひ
つべう〈公式5日の丸マーク④〉こそありけれ(=自分も寝覚めの

上を垣間見た今となっては、まことにそのように
きっと思うにちがいないよう

なことであったよ)。』


問十六 傍線部1「いかばかりの人にてか、さはあらむ」の内容として最も適当なものを選べ。

イ どれほど幸運な男なら、そのようなすばらしい女性にめぐりあえるものだろうか。

ロ 男にそのようなことを言わせるというのは、よほどすばらしい女性なのだろう。

ハ どれほどすばらしい女性だからといって、それほどのことがあるものだろうか。

ニ どれほど女性に甘い男なら、そんなばかげたことが言えるものだろうか。

ホ 男からそのように言ってもらえる女性は、どれぐらいいるものだろうか。



 傍線部1の直後の文「すぐるといふとも人は限りこそあれ。あまり心ざしにまかせて、いたう言ふなり」の「心ざし」の意に着目すれば、要するに「男女の愛情に幻惑されて相手の女性の美しさをおおげさに言っているようだ、いかばかりの人にてか、それほどなことがあろうか、いや、あるはずがない」といった文意になるわけですから、解答はおのずから明らかなのではないでしょうか。




さて、続き。

○ 『
いみじう〈B形17+〉聞きおいつることは、はかなき〈C形62③〉こ

とも、必ず見劣りせぬことはなきを(=
素晴らしいと聞いていたことは、ちょ

っとした
ことでも、実際に見てみると必ず見劣りしないことはない)』と聞き

つるに、(それは)世の常の人の
をかしげなる〈C形87②〉にこそは、さ思ふ

にあらめ(=世間並みの
美しい様子の場合には、そのように思うのであろう)。

三十二相皆しも備ふことは、人のいと難かるべし(=人の場合たいそう難し

いにちがいない)。(三十二相のうち)二十八九、三十相の足らふを、かうは

 】にこそあらめ。さりとも、(残りの)二相はよに足らは【 】 と(今まで

)思ひつるにこそ、悪しかりけれ。この人(寝覚めの上)は二相のみにあらず

、それもなほ過ぎて、三十五六相をさへ備はりたるかな。 〔中略〕

 
〈A名41=筆跡〉うち書いたるさま、見る目に劣らざ【  】 。心や多く

あらむな。まだ女(むすめ)ながら、内の大臣に名たちけむよ。いと重くはあら

ぬにやあらむ。そはまた、いとわりなく、かばかりのさまを、兄姉(はらから)

のかたはらにありけむに、ほのかにも見聞いて、いかでか人のやすくもあら

む。 〔中略〕

 源氏の大臣(=寝覚の上の父君)ぞ、いと口惜しき心ありける人なか。かか

りける女を、
はかばかしき〈C形63②〉後ろ見〈D基3〉なしとて、我には得さ

せで、故大臣にとらせし
心ばへ〈A名24②〉よ(=これほど美しい娘を、しっ

かりした後見もないといって、我には与えないで故大臣に与えた源氏の大臣

の心遣いよ)。
いみじき〈B形17+〉一の人の女(むすめ)、春宮(とうぐう)の母

といふとも、この人を、我、【 
D 】思はましやは〈公31反語〉。世の誇り、人

の恨みも知らず、上なき位にはなしあげてまし
。 〔中略〕

 などて、我も、これをかの入道に、
せめて〈C副12①無理にも〉請ひ取ら

ずなりに【 
 】と、来し方の御心ののどけさ(=のんびりしていたこと)さへ

悔しう、片時の間に、よろずをかきくらしおぼしつづけて、あいなう、しほしほ

とうち濡らさせたまへるや。


問十七 空欄A・Dに入る最も適当な語を選べ。

A イ おとしむ  ロ さいなむ  ハ とがむ 

  ニ ののしる  ホ まどふ

D イ あはれなり  ロ つらし  ハ なのめなり

  ニ はかなし  ホ わびし

 まず空欄Aの前文を見てみると、女の美貌として三十二相ある中で、人であればそれをすべて完全に兼ね備えることは難しい、三十二相中二十八九、三十相満たしているような女を、このように空欄Aしているのであろう、といった文意です。したがって、イの「おとしむ」とかロの「さいなむ」といったネガティブな表現は入りません。

 直単はハの「とがむ」(B動43=気にかける・心にとめる)と、ニの「ののしる」(B動52①=大声で騒ぐ ②
世間で評判になる)の二つですが、この文脈で「とがむ=心にとめる」では表現として弱く、やはり「ののしる」を入れて〝そのような女をこのように世間では評判にしているのであろう〟とするのが適当です。

 ホの「まどふ」は「心乱れる・あれこれ思い悩む」の意であり、美しい女を恋い慕う心乱れともとれそうですが、恋の方向であれば、たとえば『かぐや姫を得てしがなと音に聞きて愛でてまどふ』の「愛づ」(B動60=ほめる・感心する)のようなポジィティブに表現が付くべきで、単独で「まどふ」と入れてしまうと、何に対して迷っているのか説明不足となりますから、やはり×(バツ)にすべき。

 空欄Dの前後の訳は「たとえどんなに素晴らしい一の人の娘で、春宮の母といわれる人であったとしても、(その高貴な女性に比べて)この寝覚の上を私が空欄のDと思ったりするだろうか、いや思うはずもない」といった感じになり、想定される定番の慣用表現としては「いい加減に思ったりするだろうか」「並み一通りに思ったりするだろうか」といった訳出が考えられますから、それだけでも答はハに決まります。
 つまり直単C形動21*「
なのめならず→並み一通りでない」の反語バージョンと考えればよいわけです。


問十八 空欄B・C・Fに入る最も適当な語を選べ。

 イ けむ  ロ じ  ハ べし  ニ めり  ホ らむ

 空欄Bは古文公式39下段の「よに/よも~じ」または直単C副19「よに」の知識から即決でロ。訳は『よもやまさか残りの二相が満足することはあるまい』。

 空欄Cは古文公式16の❤にあるように『~ざめり(~ないようだ)打消し「ず」の連体形補助活用[ざる]の撥音便無表記+めり』の形なので、これも即決でニに決まり。

 空欄Fは直上の「に」に着目する。前文の訳は「どうして私もこの寝覚の上をあの父の入道に無理にでも請うてもらい受けないようになってしまったのだろう」といった文脈になるのではないかと推察できるので、あとは古文公式42②の完了「ぬ」の連用形の4パターン「~にき・~にけり・~
にけむ・~にたり」の「にけむ」の形を思い出せば、解答は即決でイ。訳は「に」完了+「けむ」公式13過去推量で「~してしまったのだろう」となって、文脈にも整合します。

 すべてはパブロフの犬並みの条件反射(ベルを鳴らすとよだれが出るという実験で有名)で、何度も何度もくり返し当て続けた文法チェックリストの成果です。


問二十 本文の内容と合致するものを一つ選べ。

イ 『故大臣』は寝覚めの上の父親であり、美しい娘が何よりの生きがいであった。

ロ 評判の高いことが実際にはそれほどでもないのは、世間の普通の人々が話をおもしろおかしく誇張するためである。

ハ 寝覚めの上は娘のある身でありながら、内大臣との関係がうわさになった。

ニ 寝覚めの上の父である『源氏の大臣』は出家しており、しかるべき後見がないことを案じて、寝覚めの上を入内させなかった。

ホ 寝覚めの上と帝の子は皇太子になっている。

ヘ 帝は内大臣だけは何としても寝覚めの上から遠ざけなければならないと考えている。


 木山方式では、単語・文法・敬語・和歌修辞などの暗記が成ったクラスから順に(早いクラスでは7月上旬ごろから)、ホームページ上の古文背景知識のポイントチェックをくり返しています。
 その
古文背景知識№6『入内と後宮』には、次のように書かれています。

 
入内(じゅだい)とは簡単に言って、天皇の后(きさき)となるために後宮(帝のいらっしゃる清涼殿の北に広がる后たちの御殿のある場所)に入ることを意味します。

 王朝的な物語では、適齢期の娘を抱えた大臣や大納言クラスの父君が娘の行く末を案じてあれこれと悩むシーンがよく出てきますが、こんな時、父君の発想はたいてい階級的なランク付けがなされていて、まずはわが娘を帝に差し上げようか、などと考えるものです。

 それが思いはばかられてしまうという場合には、すでに有力な后が帝の寵愛を独占していて娘を入内させたとしてもそれほどのご寵愛は望めないのではないか、まだ帝が幼すぎるとか、しっかりとした後見(うしろみ=直単D基礎知識3①政治的な後ろだて)もなくては、娘を帝に差し上げても娘が後宮で苦労するのではないか、などといろいろな危惧が考えられます。


 高家の娘を后がねとして帝に差し上げる際の父君の躊躇として、主にどのような理由が考えられるのか、暗記チェックの際には学生に一人ずつ当てて、〝有力な后が寵愛を独占〟とか〝しっかりとした後見がないこと〟などとそらで答えてもらっています。

 くり返しになりますが、年間でテキストに載せられた大問演習をすべてこなしても、このような〝
後見の不在によって姫君の入内を躊躇する〟といった話がたまたま出てくる可能性は極めて低く、実際に昨年の代ゼミ1・2学期「早大上智大古文」の全24題中にも見出すことはできません。

 解答のための発想法を得るのが目的ならば、大問演習のくり返しより、古文背景知識№1~№12の要点をそらで暗記してチェックするやり方のほうが、よほど汎用性が高く、実用上の効果があります。

 ところで、選択肢のニの後半には「しかるべき後見がないことを案じて、寝覚の上を入内(D基26=帝の后として後宮に入れることを)させなかった」とあり、その内容の正しさは原文中の帝のモノローグ(独白)の中に「源氏の大臣ぞ、いと口惜しき心ありける人かな。かかりける女を、はかばかしき後ろ見なしとて、我には得させで、故大臣にとらせし心ばへよ」とあることによって、間接的に証明できます。

 また、さらにそのあとに「などて、我も、これをかの入道に、せめて請ひ取らずなりにけむ」と、帝が後悔するフレーズが続いており、そのフレーズ中の入道(=仏道に入って修行する人)とは、寝覚の上の父君である源氏の大臣のことを言っているのであろうと推察できるので、したがって正解はニとなります。

 
は「父親であり」がおかしく、の「おもしろおかしく誇張」は書かれておらず、の「娘のある身でありながら」は原文中の「まだ女(むすめ)ながら、内の大臣に名たちけむよ」を「まだ娘がありながら~」と誤読しており、の「寝覚の上と帝の子」は存在しません。の「帝は内大臣だけは何としても寝覚の上から遠ざけなければならないと考えている」に該当する箇所は、原文中の『心や多くあらむな。まだ女(むすめ)ながら内の大臣に名たちけむよ。いと重くはあらむにやあらむ。そはまた、いとわりなく、かばかりのさまを、兄姉のかたはらにありけむに、ほのかにも見聞いて、いかでか人のやすくもあらむ』の部分ですが、帝は内大臣との浮き名を――傍らにこんな人がいたらどうして人の心が安らかでいられようか――と、いた仕方ないことととらえており、何としても内大臣を遠ざけなければならないとは解釈できないので×(バツ)となります。

問三十一 『夜の寝覚』は『更級日記』と同じ作者の作品であるという説があり、両作品はほぼ同じころの成立と考えられている。『夜の寝覚』よりも前に成立した作品を三つ選べ。

イ 和泉式部日記  ロ 金塊和歌集  ハ 竹取物語

ニ 徒然草  ホ 大和物語  ヘ 梁塵秘抄

 答はイ・ハ・ホ。

 昨年、平成25年度から代ゼミの古文関連のテキストには新しい文学史年表が載せられるようになりました。以前よりも格段に作品成立の後先(あとさき)が見やすくなりました。
 したがって、1・2学期を通してテキスト付録の文学史年表に充分に目を通していれば、この設問に対しては正答できると思います。

 ただし、『更級日記』の作者が『夜の寝覚』『浜松中納言物語』の作者と目されている点や、『伊勢物語』の別称『在五中将日記』、『栄華物語』の別称『世継物語』など、昨年・今年の早稲田で出題された文学史問題に対応できるレベルにはいまだなっておらず、木山の古文公式を持っているのであれば、公式中の文学史年表の方がより細密で有効だと思います。








【 漢文問題の検証 】

次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。(設問部以外の本文はすべて書き下した状態で紹介します。)

○ 斉の桓公(かんこう)沢(さわ)に出で、紫衣を衣(き)て、大なること轂(こし

き=車輪)の如く、長きこと轅(ながえ)の如く、拱手して立つものを見る。還

帰して疾(しつ 漢単B28①=病気)に寝(い)ね、数月出でず。皇士なる者有

りて公に見(まみ)え、語りて曰(い)はく、
物 悪 能 傷 公

公自(みずか)ら傷(そこな)ふなり。此れ所謂(いわゆる A19)沢神の委蛇(=

神の名)なる者なり。唯(た)だ覇主(=天下の覇者)のみ乃(すなわ)ち之を見る

を得(う)と。是に於いて桓公欣然(きんぜん)として笑ひ、日を終(お)へずして

病癒(い)ゆ(A22*=病気がよくなる)。


問二十二 傍線部1「物 悪 能 傷 公 」の意味として最も適当なものを選べ。

イ ものの怪がどうしてあなたを傷つけることができましょう。

ロ ものの怪があなたを憎んで、あなたを傷つけようとしたのです。

ハ ものの怪が悪くても、あなたを傷つけることなどできせん。

ニ ものの怪が悪ければ、あなたを傷つけることができたでしょう。

ホ ものの怪がすさまじい能力によってあなたを傷つけたのです。

 「物」は「ものの怪」で決まり。二文字目の「悪」は漢単C41「にくム」か「
いづクンゾ」(疑問副詞=どうして)のいずれか。
「能」は「不能」(あたハず)ではないのでD37「よク(副詞)」と読め、「傷公」は他の箇所の同字の読みから「公ヲ傷(そこな)フ」と読める。

 直後の一文『公自身が自らの思い込みによって身を傷(そこな)っているのだ』の内容も勘案すれば、傍線部1の読み方は「
物 悪(いづ)クンゾ能(よ)ク公ヲ傷(そこな)ハン(ヤ)」(=ものの怪がどうしてよく公をそこなうことがありましょうか。漢文公式14C①→文末「ン(ヤ)」で反語)と推測できる。
 したがって答はイ。

 結局、「悪」の疑問副詞の読み方「いづクンゾ」を知っているか否かが正答の分かれ目です。




○ 〔中略〕酒を賜(たま)ふに、時に北壁の上に赤弩(ど=大弓)の懸くる有り。

盃(さかづき)に照り、其の形蛇の如し。宣(=人名)畏(おそ)れて之を悪(にく)

む。
然 不 敢 不 飲

問二十三 傍線部2「然 不 敢 不 飲」に返り点をつけよ。(送り仮名はつけないこと)

 ポイントは二つあります。一つは漢単25「然」(逆接を表わすときは)→しかレドモ・しかルニ→*白文の冒頭にあるときは逆接が多い!の知識を知っていること。

 二つめは漢文公式12B⑤『 不
敢 不 』の二重否定の場合、「不」から直接「不」に返るときには、間にラ変動詞の「アリ」を入れて「あへテ――ずンバアラず」と読むという知識です。この両方の知識を知らないと「あへテのマズンバアラザルヲしかリトなス」などと、二重否定から上の「然(しか)リ」に上げてしまうといったよみの可能性を排除できなくなってしまいます。

 公式15B⑤にも書かれているように「不 敢 不」の訳は「
すすんで~しないということはできない。~せざるを得ない(消極的)」ですから、全体の文意は「盃に照り映った赤弩の影が蛇の形に見えて酒を飲むのを忌み畏れたけれど、然(しか)れども、その盃を宣は飲まざるを得なかった」と考えるのが自然です。

答は「然 不
敢 不 飲 」


 以上、木山方式のH26年早稲田・文学部の古漢問題への直接ダイレクトな得点寄与率は、文学史の問題を1問と数えれば


【13問中10問!】 (77%)


となります。




【 2013年度 1・2学期「早大・上智大古文」「センター・私大漢文」全48題中に、H26早稲田・文学部古漢問題に得点寄与したポイントがどの程度あったか 】

 調べた項目は以下の11項目です。

① テキスト中に「
心ざし(男女の愛情)」を教えるチャンスが存在したか。

② テキスト中に「
ののしる(世間で評判になる)」を教えるチャンスが存在したか。

③ 同じく「
なのめならず」または「なのめに思はましやは」を教えるチャンスが存在したか。

④ 「
よに――じ」(決して~まい) を教えるチャンスが存在したか。

⑤ 「
ざめり」のような撥音便の形を教えるチャンスが存在したか。

⑥ 「
にけむ」(完了「ぬ」連用+過去推量) を教えるチャンスが存在したか。

⑦ 「
後見(うしろみ)」の不在により入内を躊躇するといった背景知識を教えるチャンスが存在したか。

⑧ 問二十一に対応できる
文学史年表は存在したか。

⑨ 漢文句形における「
」(いづクンゾ) を教えるチャンスが存在したか。

⑩ 白文冒頭の「
」が逆接であることが多いことを教えるチャンスが存在したか。

⑪ 「
不 敢 不 ――」の句形を教えるチャンスが存在したか。

 結果は、

*2013年度1学期「早大上智大古文」P61L11に「なのめならず」の表現が出ており、設問化はされていませんが、H26早稲田(文)の問十七Dに得点寄与するといえます。

*すべての古文テキスト大問中に「心ざし」「ののしる」「よに――じ」「ざめり」「にけむ」は出現しません。

*2013年度付録に載せられている「古文文学史」は、H26年早稲田(文)問二十一のレベルに充分得点寄与します。

*2013年度「センター・私大漢文」付録S20の上段8に「悪(いづ)クンゾ」とあり、反語の文末が「――ン(ヤ)」であることが例文によって示されているので、H26早稲田(文)問二十二に得点寄与します。

*「センター・私大漢文」付録S11上段に「不 敢 不 ――」の二重否定の読み方が示されており、かつ「然」(しかレドモ)の逆接は見出せないので、問二十三の得点化の半分に寄与します。

 以上、まとめますと、年間を通した大問演習方式での直接ダイレクトな得点寄与率は、(文学史を1問と考えれば)


【13問中3.5問】(27%)


となります。

 この値は、どの大手予備校であれ、大問形式の年間48題程度の演習量であれば、ほぼ同じくらいの数値となるのではないかと考えています。





 今年の夏は猛暑が続いています。小田急線の車両から赤くただれたような夏の夕陽を見ながら、この夏全国の受験業界に流れたであろう数百億円のお金のことを思ってみました。

 現在は相対的貧困者層が若者の間にも増えていると聞いています。82円の切手代でもまじめにコツコツとやってもらえば、その成果は、正式な講座代金を払う以上の効果があるわけです。

 なんとか、多くの講座をとれない相対的貧困者層の受験生や、受験環境格差の著しい地方の受験生のもとに、私の古漢公式資料を送れないものかと、車窓の夕陽を見ながら思ったことでした。





   
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