9月だより
お便りシリーズ№53
【 H26京都大学・文系 古文問題における木山方式の検証 】
【
三
】
次の文は『とはずがたり』の一節である。作者の二条は、幼時より後深草院の御所に仕え、成人して院の寵愛を受けるようになった。ところがある日、親族より、「自分の部屋をすっかり片付けて、御所から退出せよ」という手紙が届く。訳がわからない二条は、院に手紙を見せて尋ねるが、院は何も答えなかった。
以下は、それに続く場面である。これを読んで、あとの問いに答えよ。
〇 さればとて(そうかといって)、出でじといふべきにあらねば、出で
な
む
と
する(公式5日の丸③→今にも退出してしまおうとする)
したため
(A動32
→処理)をしていると、四つといひける長月のころより参り初めて(=四歳と
いう年の九月のころから宮中に参上しはじめて)、
(1)
時々の里居(さとゐ)
のほどだに心もとなくおぼえつる御所の内、今日や限りと思へば
、よろづの
草木も目にとどまらぬもなく、涙にくれてはべるに、
問一 傍線部(1)を現代語訳せよ。(解答欄=14センチ×2行)
まず、「里居(さとゐ)」の訳出を考えるにあたって、直単A名47「ふるさと(古里)」の意味を確認しますと、「①古いなじみの土地 ②旧都」とあります。
一般に入試問題での頻出度でいえば、①の意で用いることが圧倒的に多く、②の旧都の場合、正確には「昔都などがあって、
今は荒れ果てたところ
」というニュアンスですから、対象としては、近江(おうみ)の大津宮(おおつのみや)とか、大和(やまと)の飛鳥宮(あすかのみや)、難波京(なにわのきょう)、または南朝が置かれた吉野山などに限定されます。ですから、そうした特別な旧都をいうのでないかぎり、「ふるさと」とあれば〝
古いなじみの土地
〟と考えるのがふつうです。
ところで、木山方式の直単チェックの際、ここで必ず触れられるポイントが二つあります。一つは、大多数の貴族にとって京を離れた場所(地方)で、たとえば〝ふるさとの月を思ひて〟などとあった場合の、その「ふるさと」とは
都
のことを指すという点です。つまり多くの貴族にとって、古いなじみの土地とは京の都であるわけです。
〇【出題例】 北朝の後光厳天皇が美濃の国の小島(おじま)に滞在した際、関白二条良基が詠んだ歌。
ふるさと
に帰るみゆきの折からや紅葉(もみじ)の錦かついそぐらん
問四
問題文甲の傍線部「ふるさと」とはどこを指すか。それを示す最も適当な一語を問題文甲の本分中に見出し、答よ。
答→都 (H20早稲田・政経)
次に二つめのポイント。京都市中で、たとえば宮仕えの女房などが〝あからさまに(C形動1ついちょっと)古里にまかりて〟(まかる 公56ケ④=退出する)などとあった場合、その「古里」、つまり女房にとっての京都市中での古いなじみの土地とはどこを指すのでしょうか?またそれを何と表現したらよいのでしょうか?
この問いかけは直単チェックの際には必ずくり返していますし、ホームページの音声解説にも同様の説明があります。
答は「
実家
」です。また宮仕えの女房などが自分の実家に帰ることを「
里下り(さとさがり
)」といいます。
以上の知識から、傍線部(1)「時々の里居(さとゐ)のほどだに」の訳出は
→「
時々私が実家に里下がりをしているときでさえも
」(A名50ほど=時/公38②だに=~さえも)となります。重要単語の「心もとなし」はB形41①「待ち遠しい・じれったい ②気がかりだ・不安だ」の二つの意がありますが、この場合、慣れ親しんだ御所への名残惜しさ、思慕の情をいうと解して①をとりたいと思います。
ただし②の「気がかりだ」でも文意は通じますし、諸解答中には「気がかりに思う」としているものもあるようです。「限り」はA名13①の意で「最後」。
したがって、問一の解答は次のようになります。
答
=
時々私が実家に里下がりをしているときでさえも、早く戻りたいとじれったく(又は気ががりに)思われた御所のうちにも今日が最後だと思うと
〟
さて、本文の続きです。
〇 をりふし
(注1)
恨みの人参る音して、「
(注2)
下のほどか」と言はるるもあ
はれに悲しければ、ちとさし出でたるに、泣き濡らしたる袖の色もよそに(よ
そ目にも)
しるかり
けるにや(C形49→はっきりとしていたのであろうか)、
「いかなることぞ」など尋ねらるるも、「
(注3)
問ふにつらさ」とかやおぼえ
て、
(2)
物も言はれねば
、今朝の文取り出でて、「これが心細くて」とばかり
にて、こなたへ(こちらの私の局へ)入れて泣き居たるに、「されば、何とした
ることぞ」と、誰も心得ず。
注1
恨みの人=西園寺実兼(さいおんじさねかね)のこと。もともと二条と親しい仲だが、このころ行き違いがあって、二条を憎んでいた。
注2
下のほどか=自分の部屋に下がっておられますか。
注3
問ふにつらさ=「
忘れてもあるべきものをなかなかに問ふにつらさを思ひ出でつる
」(『続古今和歌集』)、「
吹く風も問ふにつらさのまさるかななぐさめかぬる秋の山里
」(同)などの和歌に由来し、慣用句のように用いられた表現。
問二
傍線部(2)における二条の心情を説明せよ。(解答欄=14センチ×3行)
傍線部(2)の直訳は、「物を言うこともできないので」(「言はれ」の「れ」は可能の助動詞「る」の未然形)
つまり設問の主旨は、二条はなぜ実兼(さねかね)の問いかけに対して〝何も言うことができない〟のか?、その心情を説明せよというわけです。一見、この『とはずがたり』の固有の状況から導かれる心情説明のようにも見えますが、しかし、そう見てしまいますと、出題者の意図する解答の核心を書き落としてしまう危険性があります。
この問いにはパターンがあり、それは『
引き歌の趣意を解答に反映させる
』というパターンです。ここで直単E歌13の「引き歌」の定義を見てみましょう。
*
引き歌
…有名な古歌の一部を引用し遠回しに自分の意をほのめかす技巧
(引用されたフレーズ以外の部分に含意あり)
たとえば、H13センター追試『浜松中納言物語』の一節には、主人公の中納言が大宰府で一夜をともにした大弐(だいに)の娘のことが忘れられず、上京後娘に手紙を出すのですが、すでに意に反して衛門の督(かみ)と結婚させられてしまった大弐の娘は、その苦しい胸の内を次のような文面で返します。
〇
契りしを心ひとつに忘れねど、いかがはすべき
しずのをだまき
、あらぬ世
ぞうきと、をかしげに書いたるを見るもあはれにて、
〈あなたと男女の約束を交わしたことを私の心ひとつに忘れてはいませんけれど、いかがはすべき(D連5)→どうしようもないのです、しずのをだまきなのですから。思いもよらない男女の仲がつらいと、美しい様に書いてあるのを見るのも(中納言にとっては)しみじみと物悲しくて〉
ここで一箇所意味不明なのが「
しずのをだまき
」という七音のフレーズですが、実はこの部分が引き歌です。センターの補注にはもと歌が「いにしへの
しずのをだまき
くりかへし昔を今になすよしもがな」と載せられています。
さて、引き歌の趣意、つまりその言わんとする意をもどすにあたって注意してほしいことは、〝
遠回しに自分の意をほのめかす
〟のが引き歌の眼目ですから、
【直接的に引用された語句には言わんとすることの趣意はなく、それ以外の、つまりもと歌の引用されたフレーズ以外の部分に言わんとする意が遠回しに隠されている】
という点
です。
この引き歌の場合、「しずのをだまき」が何であるかは仮に分からないとしても、文脈との整合性から――すでに衛門の督の妻となってしまった今となっては、たとえ中納言への想いはあったとしても、立場上自分はどうすることもできない…という背景からも、その言わんとする趣意が「しずのをだまき」を含む上句にあるのではなく、引用されなかった下句の「
くりかへし昔を今になすよしもがな
」にあることは明白だと思います。
ここで木山方式でくり返し文法チェックリストを当てられている学生さんなら、この
「もがな」(公37⑤)
の用法が
実現不可能な願望
として裏側から読めるということを知っているはずです。つまり、〝昔を今にもどすことができたらなぁ〟という表現は、裏側から読めば〝
もう昔を今にもどすことはできません
〟と同義であるわけです。
したがって、大弐の娘が引き歌を用いて遠回しに中納言に伝えようとしたメッセージは、〝もう以前の二人にはもどれません〟ということになります。
もう一つ近年の九州大学の引き歌の出題例を見てみましょう。
〇(ある貴族が一夜をともにした若い女と朝別れる場面で)さすがに見捨てん
こと口惜しうて、
こまやかに後世(ごせ)の山を頼めて
、出でたまひなんとす。
問
傍線部は「かにかくに人は言ふとも若狭道の後世の山の後(のち)も逢はむ君」(万葉集)という和歌をふまえた表現である。「頼め」とあることにも留意してその意味するところを説明せよ。
この場合、引き歌は「
後世(ごせ)の山
」であり、その引き歌を引き合いにしながら、男が女を慰めている場面と見ることができます。なぜ慰めるという表現を使ったかというと、男女の暁(あかつき)の別れにおいて、
男が女を頼みに思わせる/あてにさせる/期待させる(B動39②)
といった行為とは、具体的には、女の不安を払拭するために「大丈夫だよ、また逢いにくるからね。決して君を見捨てたりしないからね。私の愛はいつまでも変らない」といった変らぬ愛の誓いとなるのがつねであるからです。
さて、この場合も〝引き歌もどし〟のテクニックにしたがえば、引用された部分以外に意が隠されているわけですから、もと歌の「若狭道の後世の山」という固有名詞の部分を除いて、残った前後をつないでみますと、『
かにかくに人は言ふとも/後(のち)も逢はむ君
』となり、つまりこれが引き歌によって婉曲にほのめかされる趣意であるわけです。しかも暁の別れにおいて男性の側が女性に語るフレーズとしても内容的にしっくりきます。
したがって、答は次のとおり。
答
→中納言が女に対して、たとえ人がどう言ったとしても必ず後の逢瀬を遂げようと期待させた(あてにさせた)ということ。
さらにもう一題。H26早稲田・法学部の引き歌の出題例を紹介します。
〇 萱津(かやつ)の東宿の前を過ぐれば、そこらの人集まりて、里も響くばか
りにののしりあへり。「今日は市の日になん当たりたる」とぞいふなる。往還
のたぐひ、手ごとに空しからぬ家づとも、かの「
4見てのみや人に語らむ
」と
詠める花の形見には様かはりて覚ゆ。
花ならぬ色香も知らぬ市人のいたづらならでかへる家づと
(『東関紀行』より)
問一ノ七
傍線部4「見てのみや人に語らむ」は素性の歌「
見てのみや人に語らむ桜花手ごとに折りて家づとにせむ
」の一節である。傍線部4の解釈として最も適切なものを次の中から一つえらび、マークせよ。
ア…見て話すだけにしておこう。
イ…見て話すだけでは不充分だろう。
ウ…見るだけにして話すのはやめておこう。
エ…見るのはやめて話すだけにしておこう。
オ…見て話すだけで想像してもらえるだろう。
『東関紀行』とは文字通り紀行文ですが、筆者は萱津(かやつ)の東宿の市の日の賑わいに行きあった際に、人々が手ごとに持つ家づと(Eその他27
つと→みやげ
)を見て、かの素性法師が歌に詠んだ「見てのみや人に語らむ」の歌の趣とはずいぶん「様変わりて覚ゆ(様子が違って思われる)とつぶやいているわけです。
では、素性法師の歌における「つと=みやげ」と」は何であったのかといえば、例の〝引き歌もどし〟のテクニックにしたがえば、引用されたところ以外に趣意が込められているわけですから、それはもと歌の「見てのみや人に語らむ」以外の部分、つまり「
桜花手ごとに折りて家づとにせむ」(桜の花を手ごとに折って家のみやげにしよう)
、この部分に着眼せよということになります。
これは要するに桜の花を枝ごと手折って手土産にして帰るという、いかにも風流人らしい行為を表しているわけです。
そうであれば、初句と二句の「見てのみや人に語らむ」を「見るだけで人に語ることにしよう」と解釈してしまっては、以下の花を手折って手土産にするという歌意と整合しませんから、結果的に「見てのみや」の「
や
」を
反語の係助詞
と考えて、「見るだけで人に語ることなどできようか、いや、できはしない、それでは不充分だ」→だから桜の花を手ごとに折って家のみやげにしよう、と解釈するしかありません。
これが解法のプロセスです。
筆者の目には風流人の桜の手土産に比べて、おそらく市場の実用品や生活の道具を手ごとに持って家へのみやげとしている人々の有様が、随分様子が異なって見えたのでしょう。
直後の歌の上句「花ならぬ色香も知らぬ市人の」という表現にも、風流や風情に縁遠い、実用一点張りの卑俗な庶民といったニュアンスが込められています。
さて、それではさきほどの選択肢のうちどれが正解となるのでしょうか?
(答→イ)
H26京都大学の問題にもどります。
設問の主旨は、二条はなぜ実兼(さねかね)の問いかけに対し〝
何も言うことができないのか
〟です。傍線(2)の直前には『「問ふにつらさ」とかやおぼえて』とあり、「
問ふにつらさ
」の部分が
引き歌
となります。その上で注3で見たように二首のもと歌が紹介されていますが、この二首のもと歌から引用された「問ふにつらさ」をのぞいた部分、さらに固有名詞を省いた心情のみの部分を抜き出して並べてみますと、→「
忘れてもあるべきものをなかなかに(C形動20=かえって)/思ひ出でつる/(問ふにつらさの)まさるかな/なぐさめかぬる(A動21=できない)
」となります。
さらにこの場面は、幼時から仕えてきた後深草院の御所を退出せよという知らせを受けた当座のショックを述べる場面ですから、もと歌の「忘れてもあるべきものを/思ひ出でつる」は、この場面との意味上の重なりがなく、これも排除できると思います。
したがって、
引き歌が言わんとする核心部分
は、「
なかなかに/(問ふにつらさの)/まさるかな/なぐさめかぬる
」ということになります。これらをそのまま解答に反映させれば、
「なかなかに/(問ふにつらさの)/まさるかな」→実兼(さねかね)に事情を問われても、かえってつらい気持ちがまさってきて
、「なぐさめかぬる」→
何も答えることができないほどの悲痛な心情
。
ただし、このままでは文字数が51文字となり、14センチ×3行の平均的文字数75文字にやや不足します。そこで作者の置かれた状況を補足的に補って字数調整をすれば、答は次のようになります。
答
→
突然退出させられることになって理由もわからず、実兼に事情を問われてもかえってつらい気持ちがまさってきて、何も答えることができないほどの悲痛な心情。
(75字)
さて、本文のつづき。
〇 おとなしき女房たちなども
とぶらひ
(B動46①→お見舞い…病気や災難に
ある人を訪れて慰めること、またはその言葉)仰せらるれども、知りたりける
ことがなきままには、ただ泣くよりほかのことなくて、暮れゆけば、
(3)御所
ざまの御気色なればこそかかるらめ
に、また(後深草院の御前に)さし出でむ
も恐れある心地すれども、今より後はいかにしてかと思へば、今は限りの御
面影も今一度見まゐらせむと思ふばかりに、迷ひ出でて御前に参りたれば、
御前には公卿(くぎょう)二三人ばかりして、何となき御物語のほどなり。
問三
傍線部(3)「
御所ざまの御気色なればこそかかるらめ
」を、文意が明らかになるように言葉を補って現代語訳せよ。
これは直単の暗記がそのままぴったりと当てはまる設問です。適訳を知っていれば時間をかけずにすらりと解けてしまいます。H25年度の4月から翌年の1月までの約十ヵ月間、A名19「
気色(けしき)
」の訳は、「
①様子(機嫌) ②趣・風情 ③意向
」の三つの意味をくり返しそらで言ってもらう訓練を反復してきました。その反復の回数は、間を置きながら、大体十ヵ月間で20回~35回程度になります。
(お便り№44の最後にモデル数値あり。)
この三つの訳が試験場の本番で条件反射的にパッと脳裏に浮かぶためには、その程度のくり返しが絶対に必要です。
しかもそのくり返しの回数を担保するためには、
授業中の口頭試問
(質問応答によって考査する方法)によるのでなければ、現実的な達成の方法はないというのが木山方式の大事な方法論であり、また了解事項なのですが、この点がなかなか巷(ちまた)には理解されにくく、木山方式に賛同される高校の先生方でさえも、直単の暗記を小テスト形式で実施している旨の連絡をいただく場合があります。その場合、やってもらうだけでもありがたいのですが、一面では多少残念な気持ちも生じるのです。
というのも、
直単のA面からE面だけでも450項目
あり、
文法のチェックリストが126項目
、
漢単A面からD面が200項目
、
漢文句形チェックリストが122項目
と、最低この4領域だけでもチェックすべき項目は全部で約
900項目
にものぼります。(これに和歌修辞・敬語法・文学史などを加えれば、おそらく1000項目以上)
これを小テスト形式で毎回チェックしつつ、教師がその採点をして返すというやり方で、一体十ヵ月間のうちに一項目について何回のチェックをくり返せるでしょうか。よくて1回ではないでしょうか。下手をすれば全体を均一に1回網羅することでさえもあやしいのではないかというのが私の考えです。
つまりここで私が強調したのは、
【授業中に瞬時に当てて口頭試問の応答形式で処理していくスピード感と分量感でなければ(このやり方ですと30~40分でも100単語以上のチェックが可能です)、入試の十ヵ月間に一項目について25回~35回程度の暗記チェックのくり返しを実施することは、現実的には不可能】
だということです。
口頭試問の応答形式で完全に言えるかどうか、教師も学生も半端に妥協することなく、4ヵ月~5ヵ月間チェックをくり返せば、どんな学生でも900項目から1000項目の暗記を正確に答えるようになります。
「本当にそんなことができるのか?」といぶかしむむきには、現在私が教えております300人弱の学生の実際の状況を見て下さいと答えるしかありません。毎年、秋の半ば以降の木山方式の学生は、ほぼ暗記を完成させます。彼らはごく普通にそのレベルをこなしています。
話をもどしましょう。
とにかく、「気色」の訳出パターンをそらで正確に三つ示せる人ならば、この「御所ざまの御気色」の「気色」において要請される適訳が③の「
意向
」であることは瞬時に発想できると思います。「御所ざま」はもちろん「後深草院」のことであり、つまり前半部は「後深草院のご意向であるからこそ~」となります。
さらに後半部の「かかるらめ」(このようであるのだろう)は、現在、作者二条が置かれている事態・状況(=つまり御所を退出しなければならなくなった事態・状況)を指すことは明らかですから、したがって、答は次のようになります。
答
→
後深草院のご意向であるからこそ私が御所から退出しなければならない事態になっているのだろう。
〇 練薄物(ねりうすもの)の生絹(すずし)の衣に、薄(すすき)の葛(つづら)を
青き糸にて縫ひ物にしたるに、赤色の唐衣(からぎぬ)を着たりしに、(後深草
院は私を)きとご覧じおこせて、「今宵はいかに、御出でか(ご退出か)」と仰せ
言あり。何と申す言の葉なくてさぶらふに、「くる山人の便りには訪れむとに
や。青葛こそうれしくもなけれ」とばかり御口ずさみつつ、女院の御方へ(D
基40 女院のいらっしゃる御所へ)なりぬるにや、立たせおはしましぬるは、
(5)いかでか御恨めしくも思ひまゐらせざらむ
。
〔注〕練薄物の生絹=絹糸で縫った薄い衣
葛=蔓(つる)を伸ばして生長する植物
くる=「来る」と、「葛」の縁語である「繰る」との掛詞
問三
傍線部(5)を、文意が明らかになるように、ことばを補って現代語訳せよ。
本文の内容は容易だと思います。ただ一ヶ所、院が口ずさむ「くる山人の便りには訪れむとにや。青葛こそうれしくもなけれ」とは、どのような意を込めた発言なのでしょうか?
問題文の補注にもあり、また古文公式64丸21で代表掛詞としても載せられている「
来る・繰る
」の掛詞の用法はしばしば入試問題として出題されることがあります。単純に字づらで覚えていても、そもそもこの掛詞が適用される具体的な状況が見えていなければ、正しく解答することができない場合がありますので、今回しっかり解説しておきたいと思います。
そもそも「繰る」の意は、細い糸状のものを手元に引き寄せる、つまり「
たぐる
」とか「
たぐりよせる
」の意であり、和歌中で用いられる場合、端的に糸を対象にするのでなければ、
つる草の総称である「葛(かずら)」を対象とするものがほとんど
です。(真葛=さねかずら/木綿葛=ゆふかずら/葛の葉=くずのは などとからみます。)
ではなぜ、つる性植物を「たぐる」といった行為が生活実感として、古人(いにしへびと)に定着していたかと言いますと、葛(くず)は食用になりますし、葛(かずら)は生活の具材として利用されていたからです。
私は九州山地の阿蘇山麓で育ちましたが、父と二人で山に入るときは、よく木に巻きついた葛(かずら)をナタで切ってたぐり寄せ、曲げて肩に担いで山を下りたりしていました。母方の祖父にあたる人は、その葛(かずら)を器用に籠に編んだり、家普請の具材の一部として用いたりしていました。昭和40年ころのことです。
「葛(かずら)」を「繰る(くる=たぐる)」という生活実感を実際に持って教えている古文教師など、もはや少ないだろうなぁと思います。
ところで、作者の二条は薄(すすき)に葛(かずら)の模様を青糸で刺繍した衣を着て院の御前に参上するのですが、後深草院はその
葛(かずら)
を「
繰る
」の発想に「
来る
」の意を掛けて〝再び宮中に来る「たより」(=つて A名34)でもあれば、再び訪れようとでも思っているのか、ふん、青葛などうれしくもない〟と意地悪を言っているわけです。
その薄情で冷淡な院の態度に対し、作者二条は「いかでか御恨めしくも思ひまゐらせざらむ」と慨嘆せざるをえません。
木山方式の文法チェックリストでは、
公式32「いかで/いかでか」
の訳出三つのうち、傍線部化された場合、どの用法を最初に考えるべきかを問い続けています。答は③の反語です。(
どうして~だろうか、いや、~ない
)
また公式54②の
謙譲の補助動詞の四つの形
をそらで答えてもらっています。「~申し上げる」と訳す謙譲の補助動詞は「
~奉る/~聞こゆ/~聞こえさす/~まゐらす」の4語
です。
したがって、答は次のようになります。
答→
どうして院を恨めしく思い申し上げないことがあろうか、いや何とも恨めしく思い申し上げた。
以上、H26年度京大文系古文問題における木山方式の得点寄与率は、
【5問中4問!】
となります。
過去5年間の京大文系古文問題に対する木山方式の得点寄与率を並べてみますと、
*H26 5問中4問
(お便り№53)
*H25 6問中6問
(お便り№46)
*H24 5問中3問
(お便り№37)
*H23 5問中1問
(ただしこの年度は分析記事を書いていません)
*H22 5問中4問
(お便り№20)
となります。
【 2013年度・H25年度1・2学期・夏期・冬期 京大古文テキスト中の全31題が本番入試にどの程度得点寄与したか 】
調査の項目は次の5項目にしました。
①
31題の大問中に「里居(さとゐ)」または「古里(ふるさと)」を、実家・里下がりとの関連で教える機会が存在したか。
②
「心もとなし」の二種の訳語を教える機会がテキスト中に存在したか。
③
引き歌の趣意を書かせるような同形式の設問が存在したか。
④
「気色(けしき)」の訳出を「意向」と教える機会が存在したか。
⑤
「いかでか」を反語で訳出させるパターンを教える機会が存在したか。
結果は次のとおりです。
まず①の「里居」と③の「引き歌」については、全31題中のまったくどこにも登場しません。
④の「気色」については、夏期『京大古文』P8L11「いかで気色に出ださじ」、冬期『京大予想』P5L1「暮れゆく空の気色」の二ヶ所に登場しますが、いずれも「様子」または「顔色・表情」の訳であり、「意向」の訳ではなく、またともに設問化されておらず、こうした傍系的文脈の解釈をわざわざ中断してまで「意向」の用法を教師が唐突に教えることなど、まず考えられず、得点寄与はないと判断しました。
②の「心もとなし」については、夏期『京大古文』P7L2「心もとなければ」とあり、設問化もされており、問一の得点の半分に寄与するといえます。
⑤の「いかでか」の反語の用法については、夏期『京大古文』P10L7「いかでかたがえ奉らん」とあり、明らかに反語かつ設問化されており、問三(5)の傍線部解釈に得点寄与するといえます。
以上、昨年一年間の大問形式全31題の内容がH26京大文系古文の本番入試に直接ダイレクトに得点寄与する割合は、
【5問中1.5問】
となります。(もちろんこの比較には木山方式のような一項目につき25~35回といったリピテーションの要素は含まれません。)
京大の過去問または予想問題を年間で30題程度演習するのみの対策法の限界が、ここにも現れているといえるのではないでしょうか。
どの大手予備校でもごく普通に行われている京大対策と銘打たれたシステムが、京大の問題形式に慣れるということ以上の大きな効果を持たないという事実に、学生も教師もいい加減に気付くべきだと思います。
京大古文は講師による答案の添削指導を受けなければ絶対にダメだといったステレオタイプの言説も、そもそもテキスト中に本番にヒットするものが極めて少ないのであれば、それも無意味なことではないでしょうか。
【H26京都大学理系 古文問題における木山方式の検証】
出典は、甲『百人一首聞書』の一節と乙 小倉無隣『牛の涎(よだれ)』第八のほぼ全文。猿丸太夫の歌「奥山に/紅葉踏み分け/鳴く鹿の/声聞く時ぞ/秋は悲しき」をめぐって二句目の「紅葉踏み分け」の主体を鹿と解釈する甲に対し、乙は「踏み分け」の主体をこの歌の詠み手自身として解釈する。その主体のとらえ方の違いを問う設問がありました。
木山方式によって効果ありと認められる設問はなく、得点寄与率は、残念ながら
【3問中〇問】
でした。
京大理系合格者の複数の得点開示の結果を見ても、おおむね二次の国語の得点はふるわず、一例を挙げれば次のような結果でした。
*外国語 189(144)
*数 学 167.5(61.5)
*理 科 116(172.5)
*国 語 67.5(103.5)
括弧内はH25年度現役受験不合格時の点数。
この得点開示は今年京大の理学部に合格した学生のものですが、むしろこの学生の場合、木山方式の効果が顕著であったのはセンター国語の得点においてであり、理系としては充分に高い得点を得ていました。(お便り№50には古漢公式からの直接ダイレクトな得点寄与が100点中54点分あったことが分析記事として載せられています。)
ちなみに過去5年間の木山方式の京大理系古文への得点寄与率は次のとおりです。
*H26 3問中0問
*H25 3問中0問
*H24 3問中2問
(お便り№37に解説あり)
*H23 3問中1問
*H22 5問中3問
(お便り№20に解説あり)
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