お便りシリーズ№56 

H27・2015年 東京大学古典だより


  


【 据物斬り(すえものぎり) 】


 据物斬り(すえものぎり)とは、日本刀の斬れ味を試すために、武士が罪人の死体などを斬ることを言います。土壇(どたん)などに荒縄でしっかりと固定された死体は微動だにしませんから、確実に斬り捨てることができますし、実戦上の斬りあいなどと違い、それによって斬り手が傷つくということもありません。

 しかもその斬れ味をもって〝さすが北辰一刀流の凄腕〟などとまわりから誉めそやされ、自身も悦(えつ)にいるといったこともあるのかもしれません。

 転じて、「据物斬り」とは、実際上の困難を視野に入れず、安易なレベルで物事が思い通りにいったと安堵・得心してしまうようなむきに対し、その皮相な満足を諫める言葉としても比喩的に用いられることがあります。「そもそもそんな据物斬りでいいのか?」とか「現実はとても据物斬りのようにはいかぬものだ」といった具合です。

 私は入試古典問題の事後的な解法・解説というのは、この「据物斬り」に近いのだと思います。教師が年間の受験対策で用いた教材・教授法、その内容たる各教授資料のうち、何がどのような割合で本番入試の問題に直接ダイレクトに得点寄与したのか? あるいはしなかったのか? したとすればその割合はいかほどなのか? といった検証抜きに、単に所与の古典資料――すでに歴史的に積上げられ権威付けられた資料――に依拠しながら、解法・解説を書くことは実に〝安心な行為〟であるからです。

 
そこでは教師が入試問題を前にして青ざめるということがありません。
 私は少なくとも過去3年間(H25~H27)の京大理系古文を見るとき、確実に青ざめてしまいます。一体自分は何をしてきたのか、といった舌打ちをしたくなるような思いにとらわれます。

 なぜなら、その年度ごとに私なりに熟慮し、くり返しくり返し詳しく対策法を教授した、その内容が1問1点もかすりもしなかったからです。つまり過去3年間の京大理系古文における木山方式の効果はゼロであり、残念ながらこれは認めざるを得ません。

 過去6年間にさかのぼってみても、全設問数20問に対し、直接の得点寄与を認めるのは6設問にすぎず、割合としては30%ぐらいにしかなりません。(お便りシリーズ№53参照)

 一方の、京大文系古文の過去6年間の結果が、全設問数31問に対し、直接ダイレクトな得点寄与を認めるものが22設問71%もあるのとは対照的な数字です。
 京大理系古文はもともと設問の数が少なく、その中で対策化したことの効果的な的中という現象はなかなか起きにくいのです。

 こうした教師の予想を裏切り続ける入試問題というのは、他教科においても一定の割合で存在するものと思います。予想がまったく裏切られたとき、あるいは自らが教えた対策法が何ほどもこれっぽっちも効果を示さなかったと思い知らされるとき、教師は内心ではひどく動揺しています。

 もちろん私は京大理系古文について、設問形式や出典の傾向について概略を説明することはできます。そういうレベルでの予想を外すことはありません。また古典ジャンル別の読解法などは、私の〝
古文背景知識№1~№12〟などを通して教えることができます。

 
しかし、それらはあくまで事後的な過去問分析を通して、その分析に必要とされる要件を事後的に解説していく中で出てくるポイントであって、次にやってくる未来の本番入試に対し得点寄与を狙っているわけではありません。


 きっぱりと現実を言ってしまえば、おおむね過去問分析が直後の本番入試に具体的に得点寄与する確率は極めて低いと思います。入試の出題者も近年の出題内容を十分にふまえた上で作問しているわけですから、たとえ出題形式の類似性ということあっても、内容的に近年の問題がそのままくり返して出されることはまずありません。
 つまり過去問分析とは、その大学・学部の設問形式に慣れるという効果はもちろんありますが、それ以上のものではないのです。


  


 戦史マニアである私が、あえて奇妙なたとえを言えば、当たらない高射砲みたいなものです。高射砲とは敵の飛行機の未来位置を算定し、そこに砲弾を撃ち込み炸裂させることで敵機を撃破する兵器ですが、その未来位置を算定する追尾能力が不足すれば、すでに敵機が過ぎてしまった空域にやや遅れた形で砲弾は炸裂することになります。

 高射砲の兵器としての有効性が、敵機を確実にヒットすることにあるとすれば、つねに敵機の後ろを追いかけるように炸裂する高射砲というのは、ただの花火に過ぎません。昭和19年以降の日本軍の野戦高射砲の状況は、だいたいそのようなものであったと言われています。(注――これは八八式七高についての感想です。)

 しかし、こうした認識――つまり高射砲というものはなかなか当たらないものだという認識――が、広く一般に共有されているかといえば、そうではありません

 受験産業、特に受験出版業界においては、高射砲が当たるか当たらないかという点については、かなり無頓着であるように見えます。少なくとも私は問題集・過去問集・参考書などのある教材・教授法が提示されたそのあとで、それがその後の本番入試にどの程度有効であったかを詳しく検証した記事を、自分の書くもの以外で一度も見たことがありません。

(注――ここで私が言うのは実証的な検証ということであって、好評か不評かといった感覚印象のレベルではない点に注意して下さい。お便り№55では2016年のセンターに出題された謙譲の「給ふ」の敬意の方向について、市販の参考書17冊がどの程度有効にあらかじめ備えていたか検証しました。結果は17冊中、有効性が認められたのはわずか2冊でした。)

 
また、それを利用する学生の方も、同じく砲弾の行方について無頓着であるように見えます。むしろキビキビと高射砲を指揮操作して、虚空の過去の一点を旋回指向して、見事な射撃体勢を披露してみせる指揮官の技(=教師の技)の方に目を奪われ感動したりしています。

 そういう意味では、学生を感動させたりアッと言わせる授業の方が、本番入試での得点寄与率を上げる授業よりもたやすいわけです。

 今、これを書いている私の書斎の本棚に『2015年度用○○○○会東大古典問題集2005―2014〔10年分〕』という重々しい箱入りの問題集が見えていますが、その帯に書かれたキャッチコピーを並べてみますと、次のようになります。
東大への圧倒的な合格率!東大受験指導の名門○○○○会が東大古典入試を徹底的に分析!類書を陵駕した東大過去問集の決定版!――東大入試古典の出題形式/出典傾向/設問形式の分類/東大古文出典別分類/作品ジャンル別読解法!』といった具合です。

 さきほど私がここ3年間の京大理系古文に直接的なヒットがなく、せいぜいできることといえば「出典の傾向」「設問形式」「作品ジャンル別の読解法」を教えることぐらいしかなかったと書いたことを思い合わせてみて下さい。私が忸怩(じくじ)たる思いで言い並べた文言がここでは手放しで称揚され、あたかもそれ自体が最大のセールスポイントであるかのごとくです。

 問題形式や出典の傾向を事後的にこまごまと分類解説することに、どれほどの格別な意義があるか――特に東大入試の本番に確実に得点寄与・ヒットするという意味での意義があるのか――私には非常に疑問です。

 少しでも実証的な精神の持ち主であれば、2005~2014年の東大古文10題、東大漢文10題の全20題の演習が、次年度の2015年度(=2016年)――つまりこれから解説しようとする2016年東大古典問題に対し、どれほど直接ダイレクトな得点寄与があったのか調べてみようとするでしょう。ぜひそれをやってみて下さい。

 私はこの記事の後半にYサピックスの年間演習量(古文35題、漢文28題、合計63題、ほとんどは東大の過去問)が、今年の2016年東大古典にどの程度直接ダイレクトな得点寄与をしたかについて分析するつもりですが、少なくとも言えることは、過去問20題の得点寄与率は、過去問63題の得点寄与率よりかなり低くなるはずです。
 漢文の抑揚句形にあわせていえば、『
過去問63題すらかつB、況(いは)んや過去問20題をや・・・』といった極めて低調な結果になることと思います。

 据物斬りにのみに熱中する態度や、据物斬りこそが受験古典の本道であるといった思い込み――たとえばどの予備校でも東大古文といえば年間で30~40題程度の過去問または予想問題の演習形式に終始するのがつねですが、そのようなやり方で東大古文対策が完成するといった思い込みは、もういい加減にやめたらどうでしょうか。






【H27 東大古文問題の分析 】


  


○ 次の文章は、平安後期の物語『夜の寝覚』の一節である。女君は、不本意にも男君(大納言)と一夜の契りを結んで懐妊したが、男君は女君の素性を誤解したまま、女君の姉と結婚してしまった。その後、女君は出産し、妹が夫の子を生んだことを知った姉との間に深刻な溝が生じてしまう。いたたまれなくなった女君は、広沢の池(平安京の西で、嵐山にも近い)に隠棲(いんせい)する父入道のもとに身を寄せ、何とか連絡を取ろうとする男君をかたくなに拒絶し、ひっそりと暮らしている。以下を読んで、後の設問に答えよ。


 さすが姥捨山(をばすてやま)の月は、夜更くるままに澄みまさるを、めづら

しく、つくづく見いだしたまひて、ながめいりたまふ。

ありしにもあらずうき世にすむ月の影こそ見しにかはらざれけれ

 そのまま手ふれたまはざりける筝(さう)の琴(こと)ひきよせたまひて、かき

鳴らしたまふに、所からあはれまさり、松風もいと吹きあはせたるに、そその

かされて、ものあはれに思さるるままに、聞く人あらじと思せば心やすく、手

のかぎり弾きたまひたるに、入道殿の、仏の御前におはしけるに、聞きたま

ひて、「あはれに、言ふにもあまる御琴の音(ね)かな」と、うつくしきに、聞き

あまりに、
行ひさしてわたりたまひたれば、弾きやみたまひぬるを、「なほ

あそばせ。念仏しはべるに、『極楽の迎へちかきか』と、心ときめきせられて、

たづねまうで来つるぞや」とて、少将に和琴(わごん)たまはせ、琴かき合わ

せなどしたまひて遊びたまふほどに、はかなく夜もあけぬ。かやうに心なぐさめ

つつ、あかし暮らしたまふ。

 つねより時雨(しぐれ)あかしたるつとめて、大納言より、

つらけれど思ひやるかな山里の夜半(よは)のしぐれの音(おと)はいかにと

 雪かき暮らしたる日、思ひでなきふるさとの空さへ、とぢたる心地して、さす

がに心ぼそければ、端(はし)ちかくゐざりいてで、白き御衣(ぞ)どもあまた、

なかなかいろいろならむよりもをかしく、なつかしげに着なしたまひて、な

がめ暮らしたまふ。ひととせ、かやうなりしに、大納言の上と端ちかくて、雪

山つくらせて見しほどなど、思しいづるに、つねよりも落つる涙を、らうたげ

に拭(のご)ひかくして、

「思ひいではあらしの山になぐさまで
雪ふるさとはなほぞこひしき

我をば、かくも思しいでじかし」と、推しはかりごとにさへ止(とど)めがたきを、

対(たい)の君
いと心ぐるしく見たてまつりて、「くるしく、いままでながめ

させたまふかな。御前に人々参りたまへ」など、
よろづ思ひいれず顔にも

てなし
、なぐさめたてまつる。


[注]○姥捨山――俗世を離れた広沢の池を、月の名所である長野県の姥捨山にたとえた表現。「我が心なぐさめかねつ更級(さらしな)や姥捨山に照る月を見て」

   ○そのままに――久しく、そのままで

   ○少将――女君の乳母の娘

   ○対の君――女君の母親代わりの女性

〈 全 文 訳 〉

 そうはいってもやはり、姥捨山のような(俗世を離れたこの地の)月は、夜が更けるままにますます澄んでいくのを、(女君は)めずらしく、つくづくと外をご覧になって、物思いに沈んでいらっしゃる。

 ありしにも……=「ありしにもあらず」つらいこの世に
住む私であるが、澄んでいる月の光こそ以前に見たのと変らないことであるなぁ。

 そのまま手をお触れにならなかった筝の琴を引き寄せなさって、かき鳴らしなさると、場所柄からかいっそう趣深く、松風もたいそう琴の音に合わせて聞こえるので、それに誘われてしみじみと趣深くお思いになるままに、聞く人もいないだろうとお思いになると気楽で、曲の限りを尽くしてお弾きになったところ、父の入道殿が仏の御前に(勤行して)いらっしゃったが、(琴の音を)お聞きになって、
「あぁしみじみと言い表せないほどの琴の音色だ」
と美しい音色にじっと聞いていられなくなり、「行ひさして」(女君のところへ)いらっしゃったところ、(女君は)弾くのをおやめになったのを、「なおそのままお弾きなさい。念仏をしていましたが、(見事な琴の音色に)『極楽の迎えが近いのか』と自然と心ときめかれて(音色を)たずねて参上したのですよ。」と言って、乳母の娘の少将にも和琴をお与えになり、(ご自分も)琴を合奏などなさって、遊んでいらっしゃるうちに、夜も明けてしまった。このように心を慰めつつ日々を明かし暮らしなさっている。

いつもよりも夜明けまで時雨が降り続いた朝、大納言殿より、(手紙が来た)。

 つらけれど……=「つらけれど思ひやるかな」あなたの住む山里の夜の時雨の音がどんなであろうかと。

 雪があたりを暗くして降る日、(何の楽しい)思い出もない京の邸(の方角)の空までもが、雪で閉ざされてしまった心地がして、(女君は)さすがに心細いので、端近に膝をついて進み出て、白いお召し物を何枚も重ね着していらっしゃる、そのお姿が「なかなかいろいろならむよりはをかしく」、親しみやすい様子に着こなしなさって、物思いにふけりながら日を過ごしていらっしゃる。

 先年、このような雪の日に、大納言の上と端近に出て、雪山を作らせて見たときのことなど思い出すにつけても、いつもよりもこぼれ落ちる涙を、可愛らしい様子に手で拭い隠して、

 「思ひいでは……=(楽しい)思い出も
あるまい(公64⑥あらじ・嵐)と思う(京の邸ですが)、この嵐山では心も慰められず、雪の降る京の邸がなおも恋しいことよ。

(大納言の上は)私のことをこのようにもお思い出しにはならないだろうよ」と、推し量ることでさえも涙をとどめがたいのを、(女君の母親代わりである)対の君は、「いと心ぐるしく見たてまつりて」、「つらいことに今まで物思いにふけっていらっしゃったのですね。女君の御前に皆さんおいで下さい」などと、「よろづ思ひいれず顔にもてなし」、お慰め申し上げる。



設問(一) 傍線部ア「ありしにもあらず」、イ「行ひさして」、カ「いと心ぐるしく見たてまつりて」を現代語訳せよ。


 ここで設問の解説に入る前に、ちょっと次の問題を考えてみて下さい。

    


○ 次の文章は江戸幕府の五代将軍綱吉(つなよし)に側用人(そばようにん)として仕えた柳沢吉保(やなぎさわよしやす)の側室・正規町町子(おおぎまちまちこ)が書いた『松陰(まつかげ)日記』の一節です。筆者と同じく吉保の側室である染子は、二十日以上もの間、病に伏していましたが、小康を得たのち急逝してしまいました。


 泣く泣く葬(はうぶ)りのこと、とかく扱ひ騒ぐ程、またいみじうかなしきこ

と多かり。龍興寺(りゅうこうじ)にぞ率(ゐ)て行くめる。何くれといかめしう

いみじきもこと果てて、ただはかなき御名(戒名のこと)のみきらきらとして残

れるを見るに、目くれ惑ひてかなしう、送りせし人々も、やがて、おぼほれ臥

してたり。「霊樹院殿(れいじゅいんでん)」とぞ言ふめる。御所よりも、香典

など銀(しろがね)あまた賜はらせ給ふ。やがて御寺に納め給ふ。何ごともやる

かたなき御心にまかせて、なほいかでと、いみじきことをのみしつくし給ふ。

四十路(よそぢ)に今一つ足り給はず。さるたぐひなき栄えを(ウ)
目(ま)の当た

りに見さして
、消え給ひぬるが、いみじうあたらしきこと。誰も誰もあしたの露

にことならぬ世を、今さらにおどろかされて、涙のみつきせず。

(ウ)目の当たりに見さして

 ① はっきりと見させてもらって

 ② まざまざと見せられて

 ③ しかと見納めないで

 ④ しっかり見なさって

 ⑤ じっくりと見続けて

 さて、傍線部の解釈として最も適当なものはどれでしょうか?しばし考えてみて下さい。
 正答であればあなたの勝ちです。誤答であれば、以下の私の説明に耳を傾けて下さい。

(・・・しばし閑)



 「目の当たりに見さして」の「見さして」とは、上一段動詞「見る」の連用形の「見」に「~さす」という補助動詞の連用形が付いて、さらにそれに接続助詞の「て」が付いた形です。

 木山の直単Eその他19には「~さす」は
〝上の動詞について動作を途中で止める意を表す〟とあります。つまり急逝してしまった側室の染子は、夫である柳沢吉保の「たぐひなき栄え」(比べようもないほどの栄華)を目の当たりに見ることを途中で止めてはかなく消えておしまいになった、という文意になります。それはつまり夫の栄華を途中までは見たけれど、最後までは見届けなかったということですから、したがって答は③の「しかと見納めないで」となるわけです。

 実は直単の意味をしっかり覚えている学生であっても、この「~さす」が文中にさりげなく使われて設問化されている場合には、それと気付かないことが多いのです。

 どのような対策法があるのかといえば、結局、教師が直単チェックをする際に、手を変え品を変えて様々な文脈の中に入れ込んで質問してみて、学生がそれに気付くがどうか試すといったやり方をくり返す以外に方法はありません。

 たとえば「御格子(みこうし)など上げさして→この文に含まれる解釈上のポイントは何か?」などと尋ねると、慣れないうちは学生は「使役の『さす』」などと答えますが、使役の「さす」であれば、「御格子など上げ
させて」ですから、違います。こうした質問をくり返していけばやがて学も自力で気付くようになります。

 私が主張したいのは、こうした知識の網羅と反復の訓練は、怪しげな読解力の涵養(かんよう)などという方法論より確実に得点化につながるということです。また、東大過去問及び予想問題を年間で30~40題演習する方式であれば、この重要単語「~さす」が本文中に出てくる確率は極めて低くなってしまうという事実です。実際、昨年のYサピックス東大古文、年間35題中のどこにも出てきません。したがって、Yサピックスにおいても、与えられたテキスト通りに単元的大問演習の積上げ方式のみを続けた場合、翌年の本番入試に得点寄与する確率がかなり低くなるというリスクがあります。


 ですから、たとえどんなに〝鮮やかな一場の据物斬り〟を披露して学生を魅了したとしても、プラグマティズム的な結果の有効性を実証できなければ無価値であるという私の主張も、ここまで書けば、少しは実感をもって受け止めてもらえるのではないでしょうか。




 さて、H27東大古文に戻りましょう。設問(一)の解答はそれぞれ次のようになります。

(ア) ありしにもあらず→(D連4ありし=以前の)→以前のようでもなく

(イ)
行ひさして→(A名10おこなひ=仏道修行・勤行/Eその他19~さす=動作を途中でやめる)
勤行(ごんぎょう)を途中でやめて/仏道修行を途中でやめて

(カ)
いと心ぐるしく見たてまつりて→(B形38心ぐるし=相手が気の毒だ/公54②~たてまつる=~申し上げる)
たいそう気の毒なことと見申し上げて

 結局、すべて木山の直単に載せられている単語が問われています。もちろん一般の単語集にも載せられているレベルですが、本番入試で確実に得点化できるかどうかは、単語の反復練習や効果的な口頭試問などの教師の指導力に左右されます。「単語は自分でやっておきなさい」などというスタンスでは、たとえ一般の単語集に「~さす」の項目があったとしても、特に理系の学生などはまず気づかないと私は思います。

 ところで東大は理科の学生もおおむね文科と同じ問題を解きますが、理系学生が陥りやすい誤答の例として、たとえば
(ア)=以前のようでもなかった。(これは「あらず」の「ず」を終止形と見た例です。/正しくは連用形で、述部の「うき世にすむ=つらいこの世に住む」に掛かります。)
(カ)=たいそう気の毒なこととご覧になって。(これは「たてまつる」を謙譲の補助動詞ではなく尊敬の補助動詞に取り違えた例です。)

 プリント資料№2の文法チェックリスト敬語の2には「謙譲の補助動詞をすべてあげてみよう!」とあり、学生は「
~奉る/~聞こゆ/~聞こえさす/~参らす」とそらで答えるのが木山方式のやり方ですが、その際、教師が〝では「~見奉るほどに」とあった場合、どう訳すか?〟などと質問すると、学生は「見申し上げたときに」などと答えます。

 こうしたいかにも泥臭い、一見過剰とも見える学生へのかかわり方は、しかしながら、たとえそれが東大進学率日本一の筑波大附属駒場高校の学生であっても、なお私には有効だと思われます。謙譲の補助動詞を正しく訳出できなかった東大志望の筑駒(つっこま)の学生を私は何人も知っています。

 むしろ教師の側が東大入試ということで気分高揚して、あまりに高踏的な――高踏的とは、世俗を超越し俗物を見下す態度を言いますが、ここでは低次元の解法を自明のこととして無視してしまう態度の意で言っています。――そうした高踏的な解説に終始する場合、このような基礎レベルの失点をフォローする機会を失うことにもなりかねません。

 ともかく昨年一年間、木山方式に習熟した東大志望の学生(文系・理系を問わず)で、この三問について部分的にしろミスした学生がいるとは私には到底思われません。

 学生の声を二例紹介します。


東大入試の二次試験のとき、国語が最初の科目でしたが、古文漢文で木山方式でやった単語・句法などがたくさん出てきて、それを見て心を落ち着かせることができました!合格できたのは先生のお蔭です。本当にありがとうございました。
                               〔文科二類 合格〕 

記憶力に自信があり、古典では基礎知識を重視していた私にとって、木山方式には絶対の信頼がありました。模試だけなく入試の本番でも複数の的中があり、二次試験が近付くにつれて逆に自信が深まりました。
                                〔文科三類 合格〕

〈前者の学生の場合、センターの得点率が82.8%とふるわず(河合塾のデータで東大合格ライン・センター87%以上)、圧縮されるとはいえ、東大に合格するには二次においてかなりの高得点が求められた点で、一点もゆるがせに出来ない状況でした。精神的にも苦しかったのではないかと察しますが、見事に挽回して合格を勝ち得たのは本当に良かったと思うと同時に、二次では相当の高得点をとったのではないかと推察しています。〉


設問(二)つらけれど思ひやるかな」(傍線部ウ)を、必要な言葉を補って現代語訳せよ。

 直前の詞書きには、「つねよりも時雨(しぐれ)あかしたるつとめて(A名38①→翌朝)、
大納言殿より」とありますから、「思いやっている」主体はもちろん大納言です。下句の「山里の夜半のしぐれの音はいかにと」まで意をふまえれば、〝そちらの山里の夜の時雨の音はどんなであろうかと、あなたのことを(=女君のことを)私は遠くから思いやっていますよ〟の意となります。

 歌の初句が「つらけれど」と逆接で以下につながっている点がミソです。どう解釈すれば、  X  だけれども(それでも私は)あなたのことを遠くから思いやっています、といった逆接的な文意がうまく無理なく整合するか、その空欄Xにあたる意を考えさせるのが出題の狙いです。

 実はこの「つらけれど」の解釈にヒントを与えるのが、リード文の〝(女君は)なんとか連絡を取ろうとする男君を
頑なに拒絶している〟という部分なのですが、先走って直単的な意味を言ってしまえば、2015年度版直単E31には次のように載せられています。

*つらし = ①(相手が)薄情だ・②(自分が)つらい

 一般に入試の傍線部解釈で「つらし」の意がわざわざ問われた場合、文字どおり「つらい」という場合もないわけではありませんが、傾向としてはやはり①のことが多いと思います。残念ながら2014年度版の直単には載せていません。ここ数年来、毎年のように直単に入れるか入れまいか最後まで迷っていた単語でした。授業中に出てくれば直単の枠外にその意を書き込ませるなどの処置をしていましたが、とにかく実証できる形で2014年度版直単にはなかったわけですから、木山方式のポイントにはなりません。

 以上の説明によって、設問(二)の解答は次のようになります。

あなたは私に薄情だけれど、それでも私はあなたのことを思いやっていることよ。

設問(三)
なかなかいろいろならむよりもをかしく」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

 直前の「(女君は)端ちかくゐざりいでて(膝をついたまま前に進むしぐさ)、白き御衣(おんぞ)どもあまた(C副1→たくさん・多く)」とあって、女君が白いお召し物を何枚も重ね着していらっしゃることがわかります。それが「なかなかいろいろならむよりもをかしく」見えるというわけです。
「なかなか」はC形動21→かえって、「をかし」はC形87→①趣深い、の意ですから、答は次のようになります。

答=かえって色とりどりの衣装よりも白一色の重ね着の方が趣深いということ。




 さて、次の設問に進む前に、ここでまたちょっと遊んでみましょう。以下の問題を考えてみて下さい。

○ (姫君が)少将の文見たまへば、

「いかが。日の重なるままに、いみじくなむ。

君が上思ひやりつつ嘆くとはぬるる袖こそまづは知りけれ

いかにすべき世にかあらむ」とあり。

 女、いとあはれと思ふこと限りなし。

「思しやるだに、さあんなり。

嘆くことひまなく落つる涙川うき身ながらもあるぞ悲しき

と(少将への返歌を)書きつ。

 A・Bの和歌に関する説明として最も適当なものを選べ。

① Aは少将の歌で、自分が姫君を思う気持ちは姫君が自分を思う以上のもので、それをわかってくれない姫君のために涙が止まらないと詠んでいる。
 Bは姫君の歌で、嘆かわしいことが絶えることなく、涙の川に浮くつらい身の上のままで生き続けるのは苦しいと訴えている。

② Aは少将の歌で、自分はいつでも姫君の身の上を思っているので、そのことは自分の袖の涙によって知ることができると詠んでいる。
 Bは姫君の歌で、苦悩も涙も止まることがなく、つらい身の上のまま生きながらえているのが悲しいと嘆いている。

 さて、どちらの選択肢が正解だと思いますか?

(しばし閑・・・)

 では解説しましょう。
 まず歌Aの初句「君が上思ひやりつつ」の「君が上」に着目します。木山の
直単A名5に載せられている「」の意は「①帝 ②北の方(正妻) ③身の上」の三つですから、うまく整合する意を当てはめてみれば、「君が上思ひやりつつ」の意は「あなたの身の上を思いやりながら~」となるはずで、決して「私はあなた以上にあなたを思いやって」といった文意にはなり得ません。したがって、実はそれだけで答は②に決まるのです。

 慣れた人には当然の解釈であっても、単語の正確な知識を持たない学生であれば、このレベルでさえも簡単に引っかかってしまうのが実情です。偏差値70台の国立医学部志望者であっても、単語の訓練をする前であれば、同じように引っかかってしまいます。




 ところで、東大古文の
設問(四)

設問(四)雪ふるさとはなほぞこひしき」(傍線部オ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
という要求でした。答を先に出してしまえば、次のようになります。

答=雪を見ると、雪の日に京の邸で姉と楽しく過ごした日々が偲ばれるから。

 (えっ?姉と楽しく過ごすという表現は、どこから出てくるのですか?といぶかしむ人は単語の習得をしっかりやることです!)

 これは姫君の詠んだ歌「思ひいではあらしの山になぐさまで雪ふるさとはなほぞこひしき」の直前の
ひととせ、かやうなりしに、大納言の上と端ちかくて、雪山つくらせて見しほどなど、思しいづるに、つねよりも落つる涙を、らうたげに拭(のご)ひかくして」とある詞書的文章をそのまま要約的に受けた解答です。「大納言の上」とは、ここでは「大納言の北の方(正妻)」の意ですから、リード文の説明によれば、それは「姫君の姉」ということなります。

 つまり解答の方向性は、
雪によって触発された/かつての姉との思い出/姉への思慕/姉に対する悔恨の情が滲んだ懐かしさ/といった方向になるはずです。この悔恨の情をより強く強調しようとすれば、雪に触発されたという部分を削って、

別解=「姉との間に深刻な溝が生じてしまった今でも姉を大切に思い続けているから」
などと書くこともできましょう。

 おおむね諸解答はこの方向ですが、河合塾のネット上に発表された解答のみ

河合塾の解答=「雪によって京との繋がりも絶たれたように感じて心細くなったから」
となっており、これは誤答の可能性が極めて高いと私は思います。

 たしかに降り込められた雪によって京との繋がりも絶たれてしまったように感じられたというのはその通りですが、それはいわば歌の感慨に至る前景としての状況や気分を説明するものであって、傍線部オの「雪ふるさとはなほぞこひしき」の「恋しさ」の焦点にあるものではありません。

 歌の直前には、姉との思い出が語られており、歌の直後には「我をば、かくも思しいでじかし(=姉は私のことをこのようにもお思い出しにはならないだろうよ)」と、女君の独白もあることからも、傍線部オの「こひしき」の焦点は「漠然とした都恋しさ」にあるのではなく、「
雪によって触発された姉との思い出/姉への思慕/悔恨の情が滲んだ姉への懐かしさ」にあることは明らかです。
 つまり「
ふるさと」(A名47)の解釈は、漠然と「京の都」とするのではなく、京都市中の姫君の実家=姉との思い出のある京都市中の邸と解釈すべきです。

 河合塾の解答は、その焦点を微妙にずらしてしまった点で誤答の可能性が極めて高いと思います。

設問(五)よろづ思ひいれず顔にもてなし」(傍線部キ)とは対の君のどのような態度か、説明せよ。

 「
~顔」とは、いかにもそのような表情や様子をしている意を表します。もちろん対の君は万事承知の上で、あえて女君の悲しみを深めまいと、深刻な様子を見せないようふるまっているわけです。(「もてなす」の意はB動60①ふるまう/態度)したがって、答は次のようになります。

答=あれこれ気にかけない様子で努めてさり気なくふるまう態度。








【2014年度 Yサピックス 東大古文35題中に、今回の東大古文に得点寄与するポイントがどれほどあったか?】

 調査の方法は、次の6項目としました。

(1)連体詞の「ありし」が設問化されるか否かを問わず、文中に一度でも出てきて、その意味・用法を教えるチャンスがあったか?

(2)「~さす」が→以下同文。

(3)「つらし」(相手が薄情だ)の用法が→以下同文。

(4)「上」(北の方=正妻)の用法が→以下同文。

(5)「心ぐるし」が→以下同文。

(6)「もてなす」(ふるまう)の用法が→
以下同文。

〈注〉…「なかなか」と「をかし」については、どの単語集にも載せられせており、特に点差のつくポイントとは考えられないので割愛しました。

 結果は(1)・(2)・(3)・(4)についてはどこにも出現せず、(5)・(6)がそれぞれ(5)→0学期第8講2010年京大理系古文・問三/(6)→2学期14講2008年京大文系古文に、それぞれ設問化されています。
 したがって、昨年度のYサピックスにおける年間35題の大問演習の得点寄与率は、

【7設問中2問!】

となります。

 一方、木山方式の得点寄与率は、以上の説明により、

【7設問中5問!】


となります。

 この両者の比較には、単語の反復チェックの効果といった要素は含まれておらず、あくまでYサピックスにおいては0学期と2学期のある日の一回の演習内容を、入試本番までしっかりと覚えていれば2設問に得点寄与の可能性があるということです。

〈Yサピの年間スケジュールは前年1月から翌年1月まで約1年間に及びますが、現役高3生対象ということもあり、どんなに出席率のよい学生であっても、数回の欠席はどうしても避けられません。たまたま先の二回の演習に欠席した場合、平成27年東大古文への得点寄与率はゼロということになります。〉

 したがって同程度の学力の持ち主であれば、毎週、単語・文法・句法等の暗記チェックを、問題の有る無しに関わらず、全網羅的にくり返す木山方式の方が、テキストの大問のみを演習する学生に比して、相対的に有利になるとというのが私の変らぬ結論です。








【 H27 東大漢文問題の分析 】

○ 次の文章は、清代の文人書画家、高鳳翰についての逸話である。これを詠んで、後の設問に答えよ。

〔要旨〕
 高西園は夢で司馬相如に会い、後日、偶然にその玉印を手に入れ、つね

に身に帯びて離さず、よほど親しい者でないかぎり見せなかった。徳州の蘆

丈(ろじょう)がこの司馬相如の玉印のことを耳にし、宴席で西園に会ったとき

、玉印を見せてほしいと求めた。西園は膝まづき、真面目な顔で「私は生涯

の交際において持っているものはすべて友人と共にすることができますが、

共にすることができないのはただ二つ。この玉印と愚妻のみです。」と申し上

げた。

 蘆丈は笑って西園を去らせ、言ったことには

、何セン」。

設問(四)、何セン
」(傍線部d)を主語を補ってわかりやすく現代語訳せよ。

 木山方式では、漢単C40「
」の四つの意味・用法
①なんぢ ②のみ ③しか(指示代名詞) ④しかり(ラ変)〟を必ずそらで正確に言えるようにくり返しチェックします。特に指示代名詞の②「しか」(=そのように)は、近年の東大にも出題されており、要注意であることを、間(ま)を置きながら何度もくり返し確認しました。
 また「
」の字義は、古文の直単Eその他22痴(し)れ者」との漢字の共通性から同義と考えて「愚か者・ばか者」。

 したがって、傍線部dは「
たれかなんじのものをうばうものぞ、なんのちかすなわちしかせんや」と読み、直訳は「一体誰があなたの物を奪うことがあろうか、どんな愚か者がそのようなことをするだろうか」となり、これに司馬相如の玉印という具体を書き添えれば、答は次のようになります。

答=誰があなたの玉印を奪うことがあろうか、どんな愚か者がそんなことをするだろうか。

 おおむね諸解答はこの方向ですが、2016年全国入試問題正解(旺文社)の解答のみ文末の「爾(しか)センヤ」を「爾(なんぢ)センヤ」とよみ、解答を次のように載せています。

(旺文社の答)=誰があなたの玉印を奪う者があろうか。どんな愚か者があなたのように玉印に執心するだろうか。

 この別解について私なりにコメントしてみたいと思います。

 まず、結論を先に言えば、どうも正とも誤とも確定的に判断することができません
。「爾」の一般的な動詞化は「(しか)ス=サ変動詞化=そのようにする」、「(しか)リ=しか・あり=ラ変動詞化=そのようである」の二つですが、それは私が寡聞にして知らないだけで、どこかには、人称代名詞の「なんぢ」をそのまま動詞化して読む「(なんぢ)ス」という読み方を実証する用例があるのかもしれません。しかし私は見たことがありません。

 代ゼミで長年漢文模試の作成に携わる者にも尋ねてみましたが、彼もまたそのような用例を知りません。

 結局、古文漢文の解釈上の正当性というのは、〝純粋理念〟で決まるものではなく、実際にそのような用例が使われていたかどうかという用例主義に拠ります。論理的には想定されるものの、結局その時代にはそのような用例は出現しなかったという類いの例はままあります。

 一方、指示代名詞の「爾(しか)」、またその動詞化としての「爾(しか)リ」「爾
(しか)ス」の用例については、漢和辞書などの例文にも数多く載せられており、受験的用例主義に則(のっと)ってみても、2004年度東大の「君 何 ヲ 以 テカ 能 ク 爾 ルト」などを近年の例として、これもまた数多く実例を示すことができます。

 ですから、「爾(なんぢ)ス」という解釈は、用例主義的にははやや怪しく感じられるのですが、しかしそれは単に私が無知であるだけなのかもしれません。
 もしこれを読んでいらっしゃる漢文の専門の方で、「爾(なんぢ)ス」の用例を客観的に実証できる確かな典拠をご存じの方がいらっしゃれば、私に教えていただけないでしょうか?(連絡先はホームページ表紙の古文漢文公式の入手方法の欄に書いてあります。)

 ところで用例主義とは別の見方をしてみましょう。

 旺文社の解答は、東大漢文設問上の盲点をつくという意味では一種の問題提起としての意義はあると私は思います。というのも、受験生は用例主義に則(のっと)って問題を解くのではなく、あくまで試験上の思念に基づいて、つまり純粋理念によって解くわけですから、たとえそのような用例が実在しなくても、論理上瑕疵(かし)がなければ正解にせざるを得ないという理屈は成り立つと思います。

 つまり旺文社の別解は
〝もし学生がこのような解答を書いた場合、東大はどのように採点するおつもりなのですか?〟といった問題提起として、あえて他と異なった解釈を載せているのかもしれません。


 その他の漢文問題は比較的平易であったので割愛します。(漢文は5設問でした。)

 以上、木山方式のH27東大古文漢文問題への直接ダイレクトな得点寄与率は、

【12問中6問!】

となります。




【 結語 】


 わずかB4サイズ・9枚(裏表)の古漢資料が、東大古典の5割の得点化に直接ダイレクトに寄与するという事実は、世間にもっと知られてよい事実ではないかと私は思います。それはつまらない自己顕示欲から言うのではなく、東京大学で学びたいと志す真摯(しんし)な若者が世の中には数多くいることを知っているからです。




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