お便りシリーズ№64

【H30  2018年

センター試験古典問題(古文漢文)】








【古文問題における木山方式の直接ダイレ

クトな得点寄与は100点中の46点】


今回の古文の出典は、本居宣長の歌論『石上私淑言』でした。私はこの本文にどこか既視感があり、調べてみますと、平成10年度の大阪市立大学の問題と本文は完全に重なっています。既出の出典範囲は慎重に避けるのがセンターの不文律だと思い込んでいた私には、少し違和感を感じたものの、設問自体は別物であり、特に問題があるという訳ではありません。

 さて、大学入試センターの中間集計によれば、今回のセンター国語の平均点は106.9点と、昨年度より2.4点ダウンしました(最終集計ではさらに下がって104.68点、昨年比4.4点のダウン)。

 現代文のみの平均得点率が61%なのに対し、国語全体の平均得点率は53%ということですから、古文漢文で得点率を下げたと言えそうです。また、国語の標準偏差は36.21もありますから、ある得点領域に得点が集中したのではなく、広範囲に点差が広がったことがわかります。

 木山方式の直接ダイレクトな得点寄与率は、古文が
50点中の23点、漢文が50点中の23点合計で100点中の46点。これは過去数年間の50%強の得点寄与率に比べると、やや下がった数値です。

 以下、その内容について具体的に解説していきますが、まず最初に、私から直接指導を受けた学生さんたちで、センター後に結果報告をしてくれた人の得点内容をいくつか挙げておきます。


  現代文 古 文 漢 文 合 計 全教科(得点率)
85 40 38 163 91.1%
83 40 50 173 90.8%
57 45 23 125 80.7%
60 27 36 123 76.8%
77 40 38 155 88.9%
66 30 46 142 86.2%
83 45 38 166 86.0%
79 50 50 179 90.8%
88 50 44 182 90.5%
82 45 45 172 85.0%
61 32 43 136 79.6%
66 45 14 125 78.8%
80 35 15 130 76.5%
64 39 32 135 74.2%
53 37 44 134 87.2%
P 73 42 42 172 92.1%

A→順天堂大学 医学部 合格(センター利用)
B→山梨大学 医学部 合格      C→群馬大学 医学部 合格
E→山梨大学 医学部 合格      J→防衛医大学 医学部 合格
O→東京大学 理科2類 合格




結果報告分の古文の平均点は40.2点、漢文は36.5点でした。



木山のホームページ


[古文・本居宣長『石上私淑言(いそのかみのささめごと)の全文訳] 


 質問して言うことには、恋の歌が実に多いのはなぜか。

 答えて言うことには、まず『古事記』『日本書紀』に見えているたいそう古代の歌を初めとして、代々の歌集などにも、恋の歌ばかりが特に多い中にも、『万葉集』には相聞(そうもん)と(部立てに)あるのが恋の歌であって、(万葉集は)すべての歌を雑歌(ぞうか)、相聞、挽歌(ばんか)と三つに分かち、八の巻、十の巻では、四季の雑歌、四季の相聞と分けている。

 このように、相聞(=恋の歌)以外の和歌をすべて「雑歌」と(一括りに)言っていることからも、歌というものは恋の歌を第一とすることを知ることができよう。

 そもそもどうしてこのようであるのかというと、恋というのはさまざまのしみじみとした情緒にもまさって、深く人の心に染み込んで、たいそう堪え難い事柄だからである。だから、すぐれてしみじみと情趣あふれる事柄は常に恋の歌に多いのである。

 質問して言うことには、一般的に世間の人々が常に心に深く願い忍ぶことは、恋愛を思うことよりも、我身の栄達を願い、財宝を求める心などこそ、ひたすら一途でどうしようもなく見えるようなのに、どうしてそのような様(さま)は歌に詠まないのか。

 答えて言うことには、「情」と「欲」とのわきまえ(=区別)がある。まず、すべての人の心にさまざまに思う思いは、みな「情」である。その思いの中でも、こうも有りたい、ああも有りたいと求める思いは「欲」というものである。

 そうであれば、この「情」と「欲」の二つはあい離れぬ一体のものであり、つまり区別できないものであって、一般的には「欲」も「情」の中の一種であるが、また特に取り分けて区別していえば、人をいとおしいと思ったり、かわいいと思ったり、あるいはつらく切ないとも(相手が)薄情だとも思うような類(たぐい)の気持ちを「情」というのである。

 そうはいっても、その「情」から出た気持ちが「欲」にも変わり、また「欲」から出た気持ちが「情」にも変わり、一様ではなくさまざまなのであるが、とにかくどのようであっても、歌は「情」の方から出てくるものである。

 そもそも、「情」の方面の思いは物にも感じやすく、しみじみとした趣深さがこの上なく深いからである。「欲」の方面の思いはひたすら願い求める心だけであって、それほど身に染みるほど細やかな情感ではないからであろうか、ちょっとした花や鳥の色つやの美しさや鳴き声にも涙がこぼれる程には(欲の思いというものは)深くないのである。

 あの財宝をむさぼるような思いは、この「欲」というものであって、しみじみとした趣深さとは疎遠なものであるが故に(=関係ないが故に)歌は出てこないのであろう。恋を思うことも本来は「欲」から出たのだけれども、(しかし)特に「情」の方面に深く関わる思いであって、生きているものはすべてこの思いから免れられないものである。

 まして人というものは、すぐれて物事の情趣を知るものであるので、特に深く心に染みて、感に耐えないのはこの思いである。その他にも、とかくしみじみと趣深いことにつけて、歌は出来てくるものと知るべきである。

 そうではあるが、「情」の方面は前にも言ったように、心弱いことを恥ずかしく思う後の時代の習慣で包み隠して我慢することが多いが故に、かえって「欲」よりも浅く見えるのであろう。

 しかし、この歌だけは古代の心を失わず、人の心の真実の様(さま)をありのままに詠んで、女々しく心弱い方面も決して恥じることはないので、後の時代になって優美に歌を詠もうとするときには、ますます物事の情趣ばかりを第一として、あの「欲」の方面はひたすら忌み嫌って、歌に詠もうとも思わないのである。

 まれにあの『万葉集』の三の巻にある「酒を誉めたる歌」の類(たぐい)がそうだが、漢詩には(欲を読むことは)よくあることで、このような類(たぐい)が多いけれど、和歌では(欲というのは)たいそう気に入らず憎くらしいとまでも思われて、まったく心ひかれない。何の見どころもないものであるよ。

 これは、「欲」というのは汚れた思いであって、しみじみとした情趣がないからである。それなのに、人の国(=外国→中国)では、しみじみとした情趣を恥ずかしく思って隠して、汚らわしい「欲」をすばらしいものだと言い合っているのは、いかなることであろうか。





【古文において、木山方式独自の得点寄与

と言えるのは問6の8点分のみ!】



 『
漢意(からごころ)』とは、漢籍を学んで中国の国風に心酔、感化された心のことです。近世の国学者はよくこの漢意(からごころ)批判を展開しました。

 それは単に国学者の側からの漢学批判という意味合いだけでなく、漢字文化を継受した日本語そのものの宿命に立ち向かおうとするーーある意味で壮大な、またある意味で途方もないーー原理的な取り組みでもありました。

 というのも、日本は漢字を輸入したがゆえに、日本語の中枢部のかなりの領域を、否応なくこの漢意(からごころ)によって占有されてしまうという特殊な事情があるからです。われわれの思考が、どの程度漢意(からごころ)の影響を受けているのか、それを精密に計測し、排除する可能性を真剣に考えたのが、今回の出典作者の本居宣長です。

 漢字文化を代表とするような外来思想が日本に流入してくる以前の、日本固有の精神世界とはどのようなものであったのか、宣長はもっぱら古語の実証的研究を通してそれらを明らかにしようとしました。

 その手法は、おおむね『古事記』や『万葉集』などの注釈の形を採りますが、しかし無思想の注釈家というのではなく、それによって
神代・上代の日本固有の精神世界を、外来思想としての儒教や仏教に対立拮抗させようとする強固な思想性がありました。

 宣長の文章を読んでいると、純粋な注釈を語っているように見えながら、ともすれば極端なまでの儒仏批判に傾く傾向があり、このアンチ儒仏の心的構えは宣長にあっては実に強固であると、長年宣長を教えていながら、繰り返しそのことを感じます。

 たとえば、宣長の「
もののあはれ論」は和歌と物語に共通する感受性の論として有名ですが、それは「源氏物語」をも一貫して歌書として扱ってきた中世以来の伝統を受け継ぐものであって、宣長のみに独自というわけではありません。中世の歌論においても「あはれ」「もののあはれ」はつねに意識され説かれていました。

 では、宣長の独自性はどこにあるのかといえば、やはり、先に書いたような儒教・仏教に対抗しようとする強い思想的構えがあって、儒仏の規範や曲解から和歌や物語を解放し、さらに、それによって文芸それ自体の価値を「もののあはれ」という感受性を通して押し立てた点にあるのではないかと、私などは思います。

 
「もののあはれ論」はアンチ(anti)の説であって、何に対するアンチ(anti)なのかを意識しなければ、それ自体では変哲なさすぎて内容がよく分からなくなってしまう、というのは私が学生たちによく注意する弁です。

 公式資料の中に『
古文背景知識No1~12』というプリント資料があり、定期的に一問一答形式の内容チェックを繰り返していますが、「国学者のイデオロギーは何に対するアンチであるか?」という問いに学生が窮すると、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い!」とか「儒学者憎けりゃ漢字まで憎い!」と私は叫びますが、一見ふざけているようで、実は大事な受験対策であると私は思っています。
以下に、その古文背景知識No.11『近世国学思想』の抜粋を紹介します。







《 古文の背景知識 № 11 》

近世の国学者の文章をどう読んだらいいんですか?

 そもそも国学(こくがく)とか何かというと、江戸時代に入ってそれまでの花鳥風月的な趣味性の強い古典研究から、もっと
実証的な古典研究の機運が高まったのですが、そのような学問研究の総称を国学とよびます。

 江戸の初期には、『
万葉代匠記』(まんようだいしょうき)を著した契沖(けいちゅぅ)、中期には『歌意考』(うたいこう)の賀茂真淵(かものまぶち)、後期には賀茂真淵の弟子であった本居宣長(もとおりのりなが)などが代表的な国学者です。
 
 彼らは一様に上代の万葉集の研究からスタートしたわけですが、万葉ぶりという言葉によっても知られているように、万葉集の理念は
人間性あふれる純粋素朴な「まこと」という理念に表わされます。

 ところで、江戸時代は徳川封建体制のもとで、儒教、中でも朱子学が重んじられた時代です。また、中世以来の仏教的因果応報思想や無常観が色濃く時代の空気として残っていた時代です。

 そんな中で江戸期の国学者たちは、日
本に仏教や儒教が伝来する以前の上代のおおらかさ・純粋さを、日本固有の精神として、驚きとともに再発見したわけです。というのも、その時代には万葉集や古事記などの上代作品は読めなくなっており、彼らの研究により少しずつ明らかにされていったのでした。(ディスカバー上代!)

 そのような経緯で発展してきた江戸の国学思想は、必然的に江戸期の支配的思想であった儒教を中心とした漢学的規範や仏教に対して厳しく対立することになります。

 一言でまとめれば、江戸の国学者に共通して見られるイデオロギーは
儒教や仏教の抑圧から人間性の真実を解放し、上代のまことの心に帰れ!というものです。その意味で江戸国学思想は、日本におけるルネッサンス的古典回帰運動だととらえれば、(受験対策上の便宜としては)わかりやすいと思いますし、そのことはまた同時に、中国や天竺(インド)の儒教や仏教などの外来思想に対して、それらを排斥し日本固有の精神に立ち戻れといった点で、国粋主義的な傾向が強いイデオロギーであるともいえます。
 
 また、国学者の文章では、「
からごころ」(漢意を「からごころ」と読む)と「やまとごころ」の対比がよく語られますが、この「からごころ」とは漢籍を学んで中国の国風に心酔・感化された心のことで、それに対する「やまとごころ」とは、日本人の持つ優しくやわらいだ心を言います。そうした「やまとごころ」のやわらいだ情緒性がことさら賞賛される反面、一方の「からごころ」は論理をもてあそぶさかしら心の偽りとしてひたすら批判的に書かれるのが常です。

 中でも国学の大成者である本居宣長などは、徹頭徹尾この主張で一貫しますから、
宣長=からごころ批判(アンチanti漢学アンチanti儒学)と覚えておくと内容がつかみやすくなると思います。この論調は宣長の師であった賀茂真淵などの歌論などにも同様にあらわれてきます。

 (中略)

 この上代の理念を賀茂真淵は「まこと」という言葉で表わし、さらにその理念を発展させた本居宣長は
源氏物語の文学的価値を、仏教理念や儒教道徳による曲解から解放し、『源氏物語』は人間の揺れ動く心理を描いたところに価値があるのであって、社会的な道徳の書として読むべきではない、と唱えたのですが、これが有名な「もののあはれ論」です。

 「もののあはれ」とは、折りにふれて感じるしみじみとした感情の意で、これを感受性豊かに感じられることが、人間的に優れた人の条件であり、その理想像が光源氏だというわけです。

 『源氏物語』や『和歌』に恋愛が主として扱われているのは、
人間が「もののあはれ」を最も強く感じるのは恋をしている時であるから、「もののあはれ」を描くためには恋愛が素材として適しているからであり、善悪の判断を超えた「感ずる心」としての「もののあはれ」の自律的な展開こそが文芸の本質である、というのが「もののあはれ」論の骨子です。

 一概に宣長の文体はくどいほど同じ論をくり返しますから、受験生にとっては論旨を把握する上では助かります。江戸国学者のイデオロギー的方向性は、どこを切っても金太郎飴みたいに同じですから、古文を読むときの背景知識としては、かなり有効だと思いますよ。
 
〈以上、『近世国学思想』からの抜粋〉







 本居宣長の "
ひたすら徹頭徹尾アンチantii " な『からごころ批判』のスタンス、さらに、物語や和歌に共通する『もののあはれ論』の骨子と、それが漢文学の『からごころ』と対立拮抗されるものであること、これらの知識は今回のセンター問6の設問に対し、かなり有力な視点を提供すると私は思います。

 ポイントは2つあります。一つは
「もののあはれ」がいかなるものであるかという定義上の知識、もう一つは、宣長の説である以上、「からごころ」と「やまとごころ」は対立するものであり、和歌と漢詩が同列のものと扱われたり、又漢詩までもが『もののあはれ』を基底とするというような説明はありえないという視点です。仮に本文の内容を知らなくても、宣長の説として、どの選択肢が「あり」えて、どの選択肢が「ありえない」かは見えてくるのではないでしょうか?

以上の視点で問6の設問を読み直してみて下さい。


問6  和歌や漢詩は「物のあはれ」とどのように関わっているのか。本文での説明として最も適当なものを、一つ選べ。

① 和歌は「物のあはれ」を動機として詠まれ、漢詩は「欲」を動機として詠まれる。しかし、何を「あはれ」の対象とし、何を「欲」の対象とするかは国によって異なるので、
和歌と漢詩が同じ対象を詠むこともあり得る。

② 上代から今に至るまで、人は優美な和歌を詠もうとするときに「物のあはれ」を重視してきたが、一方で、
漢詩の影響を受けるあまり、「欲」を断ち切れずに和歌を詠むこともあった。

③ 和歌は「物のあはれ」に関する気持ちしか表すことができない。そこで、
一途に願い求める気持ちを表すときは、和歌に代わって漢詩が詠まれるようになった。

④ 「情」は生きている物すべてが有するものだが、とりわけ人は「物のあはれ」を知る存在である。
和歌は「物のあはれ」から生まれるものであって、「欲」を重視する漢詩とは大きな隔たりがある。

⑤ 和歌も
漢詩も「物のあはれ」を知ることから詠まれるが、漢詩では、「物のあはれ」が直接表現されることを恥じて避ける傾向があるため、簡単には「物のあはれ」を感受できない。

(注・選択肢上の「歌」「詩」はそれぞれ補注に合わせて「和歌」「漢詩」としました)


 正解の選択肢は④です。

 和歌は「もののあはれ」を基底として生ずるとする説明は一般的な宣長の説と整合しますし、また、漢詩が和歌の情趣性から大きく乖離するという説も宣長の説としてうなずけます。

 ①は「和歌と漢詩が同じ対象を詠む」が、両者を同列にあつかっている点でおかしく、②は「和歌が漢詩の影響を受ける=つまりからごころの影響のもとに和歌が詠まれることもある」とする点で、宣長の説として採るにはかなり躊躇される内容です。(近世の漢意の流入が古代の和歌の純粋性を損なったという批判の文章なら、宣長の文においてもあるのかもしれませんが・・・)

 ③の「一途な思いのもとでは和歌に代わって漢詩が詠まれるようになった」では、からごころ批判に全くならず、⑤の「和歌も漢詩ももののあはれを基底とする」という解釈は、両者を同列に扱う点で宣長の説とは認められません。したがって積極的に認め得る選択肢は④のみということになります。

 もちろん、正しい読解の作法としては本文の内容から論証していくのが筋ですが、ポイントとなる背景知識を知っていれば正解の方向性を見定めやすくなるというのは、確かに現実的な効果としてあります。
報告のあった木山方式の履修者の古漢の平均得点率は76.7%であり、これは中間発表の古漢の得点率45%を31点以上も上回っています。(中間発表/現61%古漢45%/全体53%)

 私が担当する学生の多くが、東大・京大・国立医学部志望であり比較的高偏差値の学生さんが多いという事情はありますが、それでも問6の8点分については、学生の聞き取りからも、木山方式の独自の効果があったと考えています。

《本来であれば、同じ東大・京大・国立医学部志望者の他方式のグループと古漢の得点率比較ができればベストなのですが、私にはデータがありません。読者の中にデータをお持ちの方がいれば比較してみて下さい。》

 昨年度、この『古文背景知識No.1~12』の内容チェックを同一クラスで何回実施したか、授業記録を調べてみました。

*国立医学部クラスでは4月~翌年1月までの31回中 に5回実施。
*Yサピックスでは1月~翌年1月までの44回中6回実施。
*東大添削通信の一例では6月~1月までの32回中6回実施
しています。

 大問演習を消化しながら、その一方で、どうして全網羅的な知識のチェックを幾重にも施せるのかというと、その秘訣は、私の独特な授業スタイルにあります。
私は授業中ほとんど板書をしません。直単チェックや漢単チェック、文法・句形、さらに『古文背景知識』のチェックに至るまで、すべて口頭試問の形式で、問いと答えのやりとりを、私と学生との間で非常に素早く行っています。

 このやり方ですと40~60分間でも一気に160~240単語をカバーできます。口頭試問でも工夫すれば様々な実際の入試問題の場面をーー背景知識のような概念上の領域までも含めてーー上手く再現することができます。

 又、このペースでチェックを繰り返しますと、Yサピックスの場合、年間45回(120分)の授業で一単語についても間を置きながら平均で15~25回程度、そらで言えているのかどうか暗記の確認ができます。
(古文漢文背景知識についてはその他の暗記を優先する関係で毎年5~6回のチェックが限界です)

 Yサピックスの私のクラスでは、
前半の40~60分で上記のような暗記チェックを繰り返し、後半の60~80分で各人の志望校志望学部に合わせた問題を制限時間内で解いてもらうという形式を採っています。それで時間がくれば私の解答と手書きの解説書き込みコピーを見てもらい、質疑応答、最後に学生の答案を点数化し、それを記録して授業は終りです。

 つまり、どこの予備校・塾でもふつうに行われている、特定の問題の解説を板書を通して行うという講義調スタイルを私はとりません。とらない理由は、それでは時間的に、全網羅的な木山方式の暗記チェックの反復練習が出来なくなるからです。結果として、入試本番での得点寄与のヒット率が極めて低くなってしまいます。

 仮に年間を通して40~50題程度の問題演習を消化しても、それが入試の本番に得点寄与する割合は極めて低いものでしかありません。
 例えば、今回出題された、物語や和歌の情趣性と漢心(からごころ)との対立の構図を、宣長の「もののあはれ論」を通して説明できるチャンスが、昨年の私の古典問題演習中に存在したかと言えば全くありません。
(約10ヶ月間でYサピックスで53題、医学部予備校の場合52題)

 大問演習の積み上げとは形式に慣れる為のものであって、知識の網羅としては実に疎なるものでしかありません。背景知識の充足は、大問演習とは別メニューでやる必要があります。
(大問演習の積み上げ方式の効果がいかに低いものであるかは、過去の東大・センター・早稲田等の分析記事を参照下さい)

 限られた時間内にいかに全網羅的な暗記チェックの回数を多くし、本番での確実な得点寄与に繋げられるか、それでいて、実戦的な問題演習量を充分確保できる方法はないかと突き詰めた結果、このような独自なスタイルになりました。

 「もののあはれ論の提唱者は誰か?」「もののあはれとは何か?」「その提唱者の思想は何に対するアンチテーゼであったか?」などの質問を、間を置きながら年間5~6回繰り返せたのは、このような独自な授業スタイルによったからです。

問6以外の得点寄与については、

問1(ア) あながちにわりなく=①ひたむきで抑えがたく 5点
*直単C形動4②「あながちなり」→ひたむきだ・一途だ/C形87「わりなし」→どうしようもない

問1(ウ) さらになつかしからず全く心ひかれない 5点
*公式38「さらに〜打消し」→全く〜ない/直単C形57「なつかし」→親しみやすい・心ひかれる

問2「細やかにはあらねばにや」=③仮定条件を表す接続助詞「ば」が一度用いられている。(文法的な説明として適当でないものとしての正解) 5点
*公式5*〜なば(完了ぬの未然形+ば)の形が仮定条件

 以上の15点ですが、これらの単語・文法的については市販の参考書にも当然載せられているものであり、特に木山方式のポイントと言えるものではありません。古文の得点寄与率はこれに問6の8点を加えて23点です。







【漢文の全文訳】  

 嘉祐(かいう)は(北宋の著名な文人であった)禹偁(うしょう)の子である。嘉祐はつねひごろは愚か者のようであったが、独り(北宋の著名な政治家である)寇準(こうじゅん)だけは、嘉祐が決して愚かな人物ではないことを知っていた。

 寇準(こうじゅん)が開封府の知事を勤めていた、ある日、寇準が嘉祐(かいう)に尋ねて言ったことには、「世間では私のことをどのように評しているか」と。

 嘉祐が答えていわく、「世間の人はみなあなた様がすぐにも朝廷に入って役職に就き、(君主である天子・皇帝を補佐して政治を行う)宰相になるだろうと言っております」と。
(そこで)寇準が言ったことには、「あなた自身はこの事についてどう思うか」と。
嘉祐が答えて言うことには、「私がこの事を思いますに、あなた様はまだ宰相にならないほうがよいでしょう。もし宰相となったならば、あなた様の名声は損なわれるでしょう」と。
寇準いわく、「どういう訳だ」と。

 嘉祐いわく、「いにしえの昔から賢い宰相がよく功績をあげて人々に恩沢をほどこすことができる理由は、君臣の関係(君主である天子・皇帝と臣下の関係)が水と魚のように極めて良好であったからです。それによって賢い宰相の提言が君主に聴かれ、提言に従って(政策が実行されるので)、宰相としての功績も名声もともに立派なものとなるのです。

 今あなた様が天下の人々の重い期待を背負って宰相になるとすれば、内なる人も外なる人もみな天下を太平にすることを求めるでしょう。(その政策を実行するにあたって)あなた様と皇帝(天子)との関係においては、よく水と魚のように極めて良好な関係と言えるでしょうか。(皇帝との関係が極めて良好な状態にならなければ、天下太平の政策も実行できず、結果として人々の期待は失われてしまいます)
このことが、私があなた様の名声が損なわれることを恐れる理由です」と。

 寇準はこれを聞いて喜び、立ち上がり嘉祐の手をとって言ったことには、「あなたの父である禹偁(うしょう)は、文章は天下で最も優れたものであったが、見識や深謀遠慮に於いては、ほとんど子であるあなたに勝ることはできない」と。





○ (冦準=こうじゅん=人名・北宋の著名な政治家)
開封府

一日、問
ヒテ 嘉祐(人名)

問2 破線部Ⅱ「知 開封府 」の解釈として最も適当なものを選べ。

① 開封府の長官の知遇を得た

② 開封府には知人が多くいた

③ 開封府の知事を務めていた

④ 開封府から通知を受けた

⑤ 開封府で王嘉祐と知りあ合った
(注) 開封府―――現在の河南省開封市。北宋の都であった。

答えは③です。(6点)

 古文公式・
直単A動32『知る』には、「領有する・治める」の意があり、仮にこの白文を「開封府(かいほうふ)ニ知(ち)タリシトキ」と読めば、文意は「(冦準が)開封府において治める立場にあった時」となり、それはとりもなおさず開封府の知事であったことを意味します。「知る=領有する・治める」は年間を通して絶えず繰り返しチェックする単語です。

 このように、古単の知識が漢文領域までカバーすることはよくある現象です。結局、木山方式の履修者は直単・漢単の両方を暗記しますから、どちらかに載せられている場合、重複して二重に載せることはありません。

 さて、問3の白文書き下し・解釈問題に移りましょう。この手の設問の常として、書き下し文の読み方を間違えてしまうと、それと連動して解釈の方も間違えてしまいます。つまり、10点分(5点+5点)の得点を得るか、失点するかで点差が開きやすい問題です。

○ (冦準がやがて朝廷に入り、君主を補佐して政治を行う宰相になるだろうという世間の評判をどう思うか、と冦準自身が嘉祐に尋ねた際の、嘉祐の返答として)

嘉祐 曰
ハク 、「以 愚(愚かな私) ルニ 丈 人 不 若

未 為 相。 為 相 則 誉 望 損 矣
。」

問3 傍線部A「丈 人 不 若 未 為 相。為 相 則 誉 望 損 矣」について(Ⅰ)書き下し文・(Ⅱ)その解釈として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。

(ⅰ)書き下し

① 丈人に若(し)かずんば未だ相と為(な)らず。相と為れば則ち誉望損なわれんと

② 丈人未だ相の為(ため)にせざるに若かず。相の為にすれば則ち誉望損なわれんと

③ 丈人若(なんぢ)の未だ相と為らずんば不(あら)ず。相と為れば則ち誉望損なわれんと

④ 丈人未だ相と為らざるに若かず。相と為れば則ち誉望損なわれんと

⑤ 丈人に若かずんば未だ相の為にせず。相の為にすれば則ち誉望損なわれんと

(ⅱ)解釈

① 誰もあなたに及ばないとしたら宰相を補佐する人はいません。ただ、もし補佐する人が現れたら、あなたの名声は損なわれるでしょう。

② あなたは宰相を補佐しないほうがよろしいでしょう。もし、あなたが宰相を補佐すれば、あなたの名声は損なわれるでしょう。

③ あなたはまだ宰相とならないほうがよろしいでしょう。もし、あなたが宰相となれば、あなたの名声は損なわれるでしょう。

④ あなたは今や宰相とならないわけにはいきません。ただ、あなたが宰相となれば、あなたの名声は損なわれるでしょう。

⑤ 誰もあなたに及ばないとしたら宰相となる人はいません。ただ、もし宰相となる人が現れたら、あなたの名声は損なわれるでしょう。

木山方式の暗記
資料「漢文公式チェックリスト一問一答」の62プラスには、

*「若 不 ○ ○ 」の形と「不 若 ○ ○ 」の形との読み方の違いを示せ。

という項目があります。どうでしょうか?これを読む読者は一瞬で答えられるでしょうか?昨年度の私のクラスでは、年間で間を置きながら12回〜15回程度漢文公式チェックリストの一問一答を繰り返しました。慣れれば条件反射的に答えられるようになります。
前者は
「若(も)シ ○ ○ 不(ず)ンバ」の仮定形、後者は「○ ○ ニ若(し)カ 不(ず)」の比較形です。〈漢文公式6・13C・16A① 参照〉

 比較形の「不 若 ○ ○→ ○ ○ ニ若(し)カズ」の場合、補語の「○ ○ ニ」は下の語句からの返読となります。従って、(ⅰ)書き下し文の選択肢① ⑤ の前半部「丈人に若(し)かずんば」は、補語にあたる「丈人」が「不若」の上にある点で、本来このようには読めない文構造であることがわかります。

 選択肢③の「丈人若(なんぢ)の未だ相と為らずんば不(あら)ず」を積極的に採ろうとする学生さんはほとんどいないでしょう。「丈人」という年長者への敬称の呼びかけを用いていながら、重ねて「若(なんぢ)=あなた・お前」と続けるのはチグハグですし、「不(ず)」を「不(あら)ズ」と読む用法としては(かつ過去に出題例のあるものとしては)、漢文公式12A②に載せられている『不ニ 是 ○ ○ - 』→〈是(こ)レ○ ○ニ 不(あら)ズ〉の句形がありますが、「是(こ)レ」がない形で「不(あら)ズ」と読むのはためらわれます。

 論理的に読めそうなものは② と ④ ですが、②の「丈人未だ相の為(ため)にせざるに若(し)かず」では、〟あなた様はいまだ宰相の為に(何かを)しないほうがよいでしょう=冦準が宰相の為に補佐したり、支援したりしないほうがよい〟の意となり、冦準自身が宰相となることの是非を論じる前後の文脈と矛盾します。
従って、(ⅰ)の答えは④です。

 「
〜に若(し)かず」の訳出は、「〜に及ばない/〜の方がましだ/〜するにこしたことはない/〜する方がよい(公式16A①)」ですから、『〜する方がよい』を採れば「あなた様(=冦準)は、いまだ宰相とならない方がよいでしょう。宰相となれば、あなたの誉望は損なわれてしまうでしょう」の意となりますから、(ⅱ)の解釈の答えも③で決まりです。(以上5点×2=10点)

 平易な問題であるにも関わらず、古漢の平均点が45%と半分以下というデータからは、こうした基本句形すら覚えていないか、または覚え方があまりに付け焼き刃に過ぎて本番での応用が効かない学生の層がかなり存在することをうかがわせます。

 さて、問4の設問に移る前に、やや長くなりますが、私の【漢文背景知識№1儒教・天命・諫言】の一節を紹介しましょう。漢文読解の対策シフトとして
は、非常に汎用性の高い、従って得点化に結びつきやすい背景知識です。


【漢文背景知識№1 儒教・天命・諫言】の抜粋

〈古代の聖天子尭(ぎょう)舜(しゅん)が能力主義の禅譲で王位を譲ったのち〉国の王朝は
世襲制となりました。
つまり、儒教は禅譲を理想としつつも、現実には君主(王や皇帝)の位は世襲されるのがよいとする考えです。

 血縁の近さという取替可能性が乏しい基準によって王位継承される方が、つねに能力主義で勝負するよりも相対的に王権は安定しますから、統治の安定性といった観点からは、世襲の方が望ましいのでしょう。

 しかし、世襲の場合、世襲した王が必ずしも有能であるとは限りません。おバカな王が現れれば治世は乱れてしまいます。
 ではどうすればよいか?というと、君主の手足となって働く行政官僚が、主君と一体となって、つまり、トップリーダーとブレーンが一体となって有能ならばそれで良しとするのが儒教の考えです。
そして、その
有能な行政官僚を養成するのが儒教の役割というわけです。

 この行政官僚には官僚のトップとしての
宰相(さいしょう=漢単B32=天子を補佐して政治を行う人)も含まれます。宰相は君主からある程度の権能を移譲されて具体的政務を行う重臣ですが、臣下であることには変わりなく、基本的には天子・皇帝・地方国家の君主などに政策提言する立場の有能な『士』の範疇に入ります。

 そう考えれば、例えば
漢単B20『士』の定義が〝(儒教などの)徳学を修めた立派な男子〟となっていることや、『士君子の賢なる者、或いは四方より来たり、或いは境内に居らば、宜しく礼待を加へて、以て吾が仁(じん)を輔(たす)けしむべし。』〈朱逢吉「牧民心鑑〉というように、君主が賢なる士を礼遇し臣下に加え、自身の仁政を補佐させるといった話の背景がよく理解できると思います。

 ただし、仁政を行う主体はあくまで君主です。士君子は基本的にそれを補佐する立場ですから、士の登用の決定権は君主にあります。ここから、有能な士を登用して用いることが、即ち賢明な君主のあるべき姿とする考え方が生じました。

 「苟(いやし)くも其の人の才徳学識、人に過ぐる者あらば、当(まさ)に挙げて之を上(しょう=天子)に薦めて、以て国家の用と為すべし。(これ)尤も至公の論なり。而して人も亦た我の(=天子自身の)賢を称(=賞賛)せん。」〈牧民心鑑〉というわけです。

 士を迎える言葉に『一沐(いちもく)に三たび髪を握り、一飯に三たび哺(ほ)を吐く』というのがあります。これは、周の文王の子である周公が、一回の洗髪の途中3回も中止して髪を握ったまま賢者である士を出迎え、一回の食事の途中3回も中止して口中の食物を吐き出して士を出迎えたという故事からきています。

 ところで、儒教の大事な概念に『
忠(ちゅう)』と『孝(こう)』の二つがあります。
『忠』とは、簡単に言えば、
君主への忠誠と献身を意味する言葉です。『孝』は狭義には父母を敬い、よく仕えることですが、広義には親族内の年長者への服従・先祖崇拝も含まれます。

 ですから、士もまた儒教的『忠』の概念に従えば、君主の思惑どおりに忠実に動いていれば問題は無さそうですが、実はそうではありません。受験漢文でおなじみの〝
諫言(かんげん)もの〟をいくらかでも解いたことのある人ならすぐに理解できるはずです。

 
漢単A14に載せられている『諫言(かんげん)』とは、臣下が主君に対して忠告し、いさめることです。『直諫(ちょっかん)』とは臣下が主君に対して遠慮なくその非を挙げて忠告し、いさめること、『諷諫(ふうかん)』は遠回しにほのめかすように忠告し、いさめることですが、こうした用語が使われる背景には、天子(=皇帝)や地方国家の君主の逆鱗に触れることを恐れず、率直に実直に国家のことを思って君主に抗言できる臣下こそが、真の忠臣であるとする考え方があります。

 これを、社稷の臣(=しゃしょくのしん=国家の存亡を一身に受けて事に当たる重臣)という言葉で言い換えたのがH26東大漢文でした。この逆が、
諛臣(ゆしん=君主におもねったり、へつらったりする臣下)です。

 先ほど、中国の統治権力は血縁の正当性によって世襲されていくと書きましたが、儒教はその一方で、基底にあるローカルな農民血縁集団から政府の官僚機構によじ登るパイプを用意していました。農民のうちの上昇志向の強い有能な人間を官僚に加える制度が、あの有名な『
科挙』の制度です。

 つまり、血縁主義と能力主義を二元的に上手く組み合わせるのが儒教の統治戦略ですから、君主に登用された士はいわばエリート農民の代表として王の施政にコミットメントすることがもとより求められていたと言うこともできます。

 ところで、なぜ忠臣による諫言が王権の維持のためにそれほど重要なのかと言えば、儒教は
易姓革命(えきせいかくめい)を認めるからです。易姓革命とは、天子は天命(てんめい)を受けて天下を治めるが、もしその王朝の家(姓)に不徳のものが現れ出れば、別の有徳者が天命を受けて新たな王朝を開くことができるという考え方です。

 中国の天子(皇帝)にあたるのは、日本では天皇ですが、不徳な天皇が現れれば天皇制を廃して別な王朝を立てよといった発想は日本の歴史には一度も現れたことがありません。

 この点において中国の人々はまったく容赦がないように見えます。中国の歴史はいわば王朝の交代の歴史、革命の歴史です。このような革命を儒教は承認すると『
孟子』という本にはっきりと書かれています。

 ですから、国家安泰の根本は有能な士を人材として得ることにあり、それが出来なければ王権が滅びるという考えが徹底しているわけです。

 しかもその評価は、
諫言を為す臣下の側にも、それを受け入れる君主の側にも、相互的な評価として描かれるのが常です。つまり、直諫を為す臣下を真の忠臣として称揚すると同時に、臣下が遠慮することなく実直に諫言できる状態を許し、そのような真の忠臣を抱え持っていること自体が、賢明な君主であることの証であるといった具合に評されます。





 例えば、H26の東大漢文には次のような問題が出題されました。

○ 上(しょう=唐の太宗)嘗て朝(朝廷)より罷(か)へり、怒りて曰く、「会(か

なら)ず須らく此の田舎翁を殺すべし」。后誰と為すかを問ふ。上曰く、「魏徴

(ぎちょう=臣下の名)毎廷我を辱(はずかし)むと」。后退きて、朝服を具(そな

)へて庭に立つ。

上驚きて其の故を問ふ。后曰く、「妾聞くならく主明(賢明)なれば臣直(実直)

なりと。今魏徴の直なるは陛下の明なるに由(よ)るなり。
妾 敢 不 賀」。上

乃ち悦(よろこ)ぶ。


(問) 后はどのようなことについて「 妾 敢 不 賀 」と言ったのか、簡潔に説明せよ。『縦13.5㎝×横0.9㎝の枠 1.5行』

 「
賀(が)」は〝喜びを述べて祝すこと〟の意であり、動詞化すれば「賀ス」です。白文の読みは『妾(しょう)敢えて賀せざらんや』→(私は自ら進んで喜びを述べて祝さないということができましょうか、いや、祝さないわけにはいきません)。
 つまり、設問の主旨は「どのようなことについて后は太宗に喜びを述べ祝しているのか」ということになります。これまでの説明で解答の方向性はもうお分かりですね。

答え→魏徴が太宗に直諫できるのは、それを受ける太宗が賢明な君主であることの証であるということ。





 以上が漢文背景知識の抜粋ですが、ここで触れた君臣のあるべき関係性は、そのまま今回の問4の設問に応用できます。

○ 嘉祐いわく、「いにしえの昔から賢い宰相がよく功績をあげて人々に恩沢をほどこすことができる理由は、君臣の関係(君主である天子・皇帝と臣下の関係)が水と魚のように極めて良好であったからです。

言 聴 カレ 計 従 ハレ 、而 シテ 功 名 倶(とも) ナリ

問4 傍線部B「言 聴 計 従」とあるが、(ⅰ)誰の「言」「計」が、(ⅱ)誰によって「聴かれ」「従はれ」るのか。最も適当な組み合わせを一つ選べ。

① (ⅰ) 丈人 (ⅱ) 相

② (ⅰ) 君 (ⅱ) 生民

③ (ⅰ) 賢相 (ⅱ) 君

④ (ⅰ) 明主 (ⅱ) 賢相

⑤ (ⅰ) 生民 (ⅱ) 明主

「丈人」は補注に〝
あなた。年長者への敬称〟とあるように、嘉祐が冦準のことを丈人と呼びかけたもの。つまり、丈人は冦準のこと。
」は宰相、「賢相」は賢明な宰相。「」は君主(=皇帝・天子・地方国家の君主)、「明主」は賢明な君主 。「生民」は漢単D3『百姓(ひゃくせい)=人民・民衆』と同義語です。

 さて、漢文背景知識№1の考え方によれば、誰の政策提言や計案が、誰によって聴かれるのでしょうか?言い方を替えれば、誰が誰に対して政策提言をし、実際に政策が実行されるのでしょうか?

簡単ですよね。(^。^)

 漢文背景知識の常識から言っても、また選択肢に示された用語の範囲から言っても、相(宰相)から君(君主)への提言という解釈以外考えられません。
従って、もちろん、答えは③です。(7点)

〈ここで「賢相」=宰相の賢明さが強調されるのは、前後の文脈で特に宰相の立場が称揚されているからです〉

①では「丈人」は冦準のことを指しており、その冦準自身が「相」になるべきかどうかという話なのですから、これでは、冦準の計案が冦準自身によって聴かれるといったおかしなことになってしまいます。

また、②のように、君主からの提言が直接生民によって聴かれて政治が動くなどということは、少なくとも古代の中国ではあり得ません。

④では君主の提言が宰相によって聴かれ、従われるということになり、提言の方向が逆ですし、又、それでは、直後の賢明な宰相を称揚するといった文脈にもそぐわなくなります。

⑤のような生民から君主への直接の政策提言などあり得ません。そもそも古代中国の生民は政治的には完全にパッシブな存在ですから、生民が君主に政治主張をすることはありません。(生民が政治主張するのは易姓革命などで反乱農民軍などとなり、革命を起こす時です)

以上、木山方式の直接ダイレクトな得点寄与の割合は、


古文【50点中23点】


漢文【50点中23点】



合計で

古典【100点中46点】


という結果になります。





過去7年間の木山方式のセンター古漢に対する得点寄与率の推移は以下の通りです。

*H23年度→60点(お便り速報H23センターに詳解)

*H24年度→47点(お便り№43に詳解)

*H25年度→54点(お便り№50に詳解)

*H26年度→69点(お便り№55に詳解)

*H27年度→極めて平易であり、古文・漢文ともに得点寄与率を出していません(お便りH28センター古典に関連記事)

*H28年度→漢文のみ50点中24点/古文は平易・分析記事なし(お便り№60に詳解)

*H29年度→46点(お便り№64)

H27年度を除く得点寄与率を平均化しますと、木山方式のセンター古典に対する得点寄与率は全体得点の約54%となります。



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