お便りシリーズNo.65


= H30年・2018年早稲田・文学部古典(古文漢文)だより =



 


(三) 次の文章と和歌を詠んで、あとの問いに答えよ。これは、平安末から鎌倉初期にかけて活躍した歌人である藤原俊成が、最愛の妻(美福門院加賀)と死別した後に詠み重ねた一連の和歌を、自ら記録したものである。なお、途中に省略した部分がある。

  建久四年二月一三日、年ごろの伴(とも=子ども
 の母)隠れてのち、月日はかなく過ぎ行きて、
 ( 1 )つごもりがたにもなりにけりと、夕暮れの
 空もことに、むかしのこと独り思ひ続けて、も
 のに書きつく

くやしくぞひさしく人になれにける分かれも深く悲しかりけり〔A〕

{悔やまれることだ、久しくあの人(=最愛の妻)に慣れ親しんでしまったことよ。(その分)死に別れも深く悲しいことだなぁ}

さきの世にいかに契りし契りにてかくしも深く悲しかるらむ〔B〕

{前世でどのように約束した夫婦の約束というわけで、まさにこのように(妻の死が)深く悲しいのだろうか}

おのづからしばし忘るる夢もあれば驚かれてぞさらに悲しき〔C〕

{自然としばしの間(妻の死を)忘れる夢を見ることもあるので、その夢からふと目覚めた時には(妻の死を現実のものとして受け入れざるを得ず)さらにいっそう悲しい}

山の末いかなる空の果てぞとも通ひて告ぐるまぼろしもがな〔D〕

{山の奥やどのような空の果てであっても、(亡き妻に)通って言葉を告げられるまぼろし(=幻術士:補注あり)がいてくれればなぁ}

嘆きつつ春より夏も暮れぬれど別れは今日のここちこそすれ〔E〕

{(妻の死を)嘆きつつ春が過ぎて夏も暮れてしまうけれど、亡き妻との別れはまるで今日のことのような気持ちがする}

いつまでかこの世の空を眺めつつ夕べの雲をあはれともみむ〔F〕

{いつまでこの世の空を物思いにふけって眺めつつ、夕暮れの雲をしみじみと物悲しく見ることだろうか}*火葬の煙を夕べの雲と見るの心か。


  また、法性寺( 2 )所にて

思ひかね草の原とて分け来ても心をくだく苔の下かな〔G〕

{(悲しみの)思いに耐えかねて草の原を分入って来ても、心をくだいて痛む苔の下(=E他18墓の下)だなぁ} *墓の下の妻のことを思えば心が痛むの意か。

草の原分くる涙はくだくれど苔の下には答へざりけり〔H〕

{草の原をかき分けて涙はくだけて落ちるけれど、苔の下(墓の下の妻)は何も答えてくれないことだなぁ}

苔の下とどまるたまもありといふ 3 行きけむ方はそこと教へよ〔I〕

{墓の下にとどまる魂(たま=魂/公式64・58)もあるという。亡き妻の魂が行った行方はそこだと教えておくれ}

これらを、思ひがけず前斎宮(さきのさいぐう)の御所に、人の伝へ御覧ぜさせたりければ(前斎宮より届けられた弔問の歌)

身にしみて音に聞くだに露けきは別れのにはをはらふ秋風〔J〕

{身にしみて(最愛の妻を亡くされたと)うわさに聞くのでさえ(私までも)涙がちになるのは、死に別れの庭を払う秋風(のせいでしょうか?)}

  御返しに

4 色ふかきことの葉送る秋風に蓬(よもぎ)のにはの露ぞ散り添ふ〔K〕

{色深き紅葉の葉を吹き送る秋風ではないが、深いお言葉を送っていただいて、荒れ果てた我が家の庭の涙の露も秋風に散り添うことです} *心のこもった弔問のお言葉に涙したの意。

  七月九日、秋風あらく吹き、雨そそきける日、左
  少将まうで来て、帰るとて、書き置きける

たまゆらの露も涙もとどまらずなき人恋ふる宿の秋風〔L〕

{たまゆらの露も涙もほんのしばらくの間もとどまることがない。亡き母上を恋しく思う宿の秋風(のために)} *左少将は問二十三にあるように俊成の子。従って「亡き人」は「亡き母上」となる。
『たまゆら』は「ほんのしばらくの間/ちょっとの間」を意味する副詞。

  返し

秋になり風の音すずしく変はるにも涙の露ぞしのに散りける〔M〕

{秋になり風が涼しく変わっても(妻を亡くした悲しみの)涙の露がしきりにこぼれ散ることだ} *「しのに」は「しきりに・しげく」の意を表す副詞。

  またの年、二月一三日、忌日に法性寺にとまりた
  るに、松の嵐激しきを聞きて

かりそめの夜半も悲しき松風を絶えずや苔の下に聞くらむ〔N〕

{かりそめにほんのひと時(聞こえてきても)夜半の松風の音は物悲しいのに、今頃(妻は)絶えず墓の下で(その松風の音を)聴いているのだろうか}

思ひきや千代と契りし我がなかを松の嵐にゆづるべしとは〔O〕

{このようなことになると以前思ったことだろうか、いや、思いもしなかった。千代も続くと夫婦の約束をした私たちの仲を、松の嵐に譲ることになろうとは}

  次の日、( 2 )所にて

いつまでか来てもしのばむ我もまたかくこそ苔の下に朽ちなめ〔P〕

{いつまで(妻の墓に)来て亡き妻を偲ぶことができるだろうか。私もまた(いずれは)このように墓の下にきっと朽ちてしまうことだろう}

しのぶとて恋ふとてこの世甲斐ぞ無き永くて果てぬ苔の行方に〔Q〕

{(亡き妻を)偲んだとしても、恋しく思ったとしても、この世ははかなく甲斐がないものだ。永くていつまでも朽ち果てない墓の行方に(比べれば人の世の営みはむなしい)} *人生の短さに対比される墓の永続性。

  その年の秋、ふるさとにて独り月を見て、暁がた
  までありしに、おぼえける

かくしもは姨捨(おばすて)山も無かりけむひとり月見るふるさとの秋〔R〕

{姨捨山に照る月を見て我が心慰めかねつと詠んだ人も、これほどまでに(慰め難くは)なかっただろう。住み慣れた元の住居で一人月を見る秋であるよ} *姨捨山の補注に「我が心慰めかねつ」とあることに依る。

  建久九年二月十三日、忌日により法性寺に向か
  ひ、また( 2 )所に詣でて、心中思ふところを
  詠ず

別れては六(む)とせ経にけり六つの道いづ方とだになどか知らせぬ〔S〕

{(妻と)死に別れて6年が過ぎてしまったなぁ。せめて(妻が)六道輪廻のいずれの世界に輪廻転生したかということだけでも、どうして知らせてくれないのか}

                      (『俊成家集』による)


まぼろし…幻術士。『源氏物語』桐壺巻で、桐壺更衣と死別した帝が詠む「尋ね行くまぼろしもがなつてにても魂(たま)のありかをそこと知るべく」に拠る語。なおこの帝の歌は、白居易の「長恨歌」を踏まえる。

前斎院…後白河法皇の皇女、式子内親王のこと。
姥捨山…信濃国(今の長野県)の歌枕。『古今和歌集』の「わが心慰めかねつ更科や姥捨山に照る月を見て」を踏まえる。





問十八 空欄( 1 )に入る最も適切な月を次の中から一つ選べ。
イ 二月    ロ 三月    ハ 四月     二 五月
ホ 六月    へ 七月

答え→ホ 六月

〔E〕の和歌の上句の「嘆きつつ春より夏も暮れぬれど」が、空所を含む詞書の『月日もはかなく過ぎ行きて、( 1 )つごもりがたにもなりにけり』と対応していると考えられるので、従って、空所には夏の暮れ=夏の終わりの月が入ることになります。旧暦では一〜三月が春、四〜六月が夏です。旧暦の夏の呼称は、卯月(うづき=四月)・皐月(さつき)・水無月(みなづき)。一方「つごもり」は直単E他34にあるように「月末」の意ですから、「水無月のつごもり」と言えばまさに夏の暮れということになります。(この場合の '' 暮れ ''は季節が終わるの意)

早稲田はこのような旧暦呼称に絡めた設問をよく出題します。近年の例を2題紹介しましょう。


【類題1】早稲田文学部は2015年(H27年)にも、「日数を経たる」桜の花びらが水際(みぎわ)に浮かぶ情景から、この時節を陰暦で示せばどれが適当か、といった問いを出題しています。桜の花びらが散る時節から、さらに日数が過ぎた頃となると陰暦の時節としてはいつ頃というべきでしょうか?練習のつもりで解いてみて下さい。

イ 正月中旬    ロ 二月上旬    ハ 三月下旬
二 四月中旬    ホ 五月上旬

《ヒント=大まかに言えば、旧暦に1ヶ月と10日位足すと現在の暦になります》答えは末尾に。

【類題2】2015年(H27年)早稲田教育学部の出題。本文冒頭の波全部「弥生」「睦月」は陰暦の月の呼称である。睦月と弥生の間に位置する月の陰暦の呼称(漢字二字)を、記せ。《今、何も見ずに書けるかどうか試してみてください。答えは末尾に》

こうした古文常識の対策法について、以前No.57に書いた記事をもう一度ここに載せます。考え方は今も全く同じです。
 

教師にとって常識であることと、学生が得点化できるかどうかは、まったく次元の違う問題です。私の経験では学生は一度旧暦の呼称を覚えても、時間を空けてしまうとすぐにまた忘れてしまいます。何度も暗記チェックをしなければ正確には覚えてくれません。

 木山方式では公式に載せられた旧暦の表が、掛詞と同ページにあることから、通常、掛詞をチェックする際にそのまま旧暦チェックもしています。チェックの回数は昨年度の進度ノートに記された掛詞チェックの項目を数えてみますと、大体年間で7~8回程度になります。

 実は公式冊子が常に学生の手元にあることの最大のメリットは、こうした暗記の回数と時間の確保を、十分かつ計画的にやれるという点です。

 単元的過去問演習を年間で40~50題消化するやり方で、かつ教師が黒板に板書しながら説明し、学生がそれを書き写していくようなやり方で、旧暦呼称のチェックを抜かりなく計画的に、年7~8回程度施行することができるかどうか、虚心に想像してみて下さい。

 過去問演習のみの積上げ方式は、問題内容の偶然性に左右される点で、あくまで場当たり的なものでしかありません。守備範囲のシフトとしてはどうしても疎(そ)なるものになりがちです。



問十九 和歌〔A〕〔F〕の中に、他とは句切れが異なるものが一首だけある。それはどれか。最も適切なものを次の中から一つ選べ。
イ〔A〕    ロ〔B〕    ハ〔C〕    二〔D〕
ホ〔E〕    へ〔F〕


直単B面・左外に載せられている『和歌の句切れの要件について』は、
終止形で文が終わっている箇所。
命令形で文が終わっている箇所。
終助詞で文が終わっている箇所。
係り結びの結びの箇所。(ただし、公式33「こそ〜已然形、」の逆接強調が和歌中で用いられていると判断される場合は句切れではない)
倒置形のさかい目の箇所。(公式27*思ひきや〜/思いかけきや〜などの形は必ず倒置形なので注意)
逆接は句切れではない。の6項目です。


〔A〕は『くやしくひさしく人になれにける』の「ける」が係助詞「ぞ」の結びとして連体形になっており、文意の上でも「久しく人に慣れてしまったなぁ。」と一旦文意が切れると判断できますから、三句切れです。〔B〕〜〔F〕についてはすべて上句から下句まで歌意が一貫しており、句切れはありません。
〔D〕の「いかなる空のはてぞとも」の「ぞ」は係り結びになっておらず、疑問語とともに用いて問いただす意を表す用法。

答え→イ〔A〕


問二十 和歌〔C〕に一語だけ用いられている助動詞の意味として最も適切なものを一つ選べ。
イ 受身    ロ 過去    ハ 可能    二 自発
ホ 推量    へ 尊敬


〔C〕の「しばし忘るる夢もあれば驚かてぞ」の「驚か(驚く)」は、直前の「夢」からわかるように『眼を覚ます』の意です(直単A動28) 。人が眼を覚ますのは無意識的・自然発生的行為であるので、「れ」は自発の助動詞「る」の連用形と判断できます。訳せば『ふと/自然と目覚めては』。一般に言われている '' 心情動詞に付けば自発 " という考え方は、必ずしも自発とならないケースもあるので、木山方式の自発の定義は『無意識的・自然発生的な感情や行動』(公式2)としています。

答え→ニ 自発


問二十一 空欄( 2 )[三箇所ある]に入る最も適切な漢字一字を、和歌〔G〕〔H〕〔I〕に共通する語句の意味から考えて記せ。


〔G〕〔H〕〔I〕に共通する語句が「苔の下」であることは明白ですが、ここから '' 法性寺の( 2 )所 " の( 2 )にどのような漢字一字を入れればよいのか、時間をかけずに上手く発想できるでしょうか?
究極の対策法があるとすれば、このような語句が狙われることをあらかじめ予想し、正しい意味・用法を繰り返しチェックしておくことです。
直単E他18には『苔の下墓の下/草葉の陰』と載せられており、木山方式受講者は年間でこの一単語についても15回から25回くらいのチェックを受けています。
個別な入試問題の事後的な解説の分かりやすさとか、授業展開の妙味といった皮相な印象評価よりも、年間で対策シフトした内容が、どの程度、その後の本番入試に直接ダイレクトにヒットするか(得点寄与するか)否かを、評価の基準とすべきです。予備校講師歴がそれなりの年数あれば、事後的な解説授業が、わかりやすくなるのは当たり前のことであって、そうしたレベルに講師も学生も安住してしまうと、結局、本番入試にはあまり役立たない安易な '' おさらい会 " を繰り返すことになります。
苔の下』の正しい意味を知って入れば、( 2 )に入る漢字一字は、法性寺の墓所→つまり「」であることは簡単に自信を持って解答できます。

答え→墓


問二十二 傍線部3・4が意味する内容として最も適切なものを次の中からそれぞれ一つ選べ。

3  イ 加賀が帰依していた寺院
  ロ 俊成がやって来た法性寺
  ハ 加賀の亡魂が赴いた場所
  二 俊成問妻が暮らした旧宅
  ホ 加賀が居る西方極楽浄土
  へ 俊成と妻だけが知る約束


〔I〕の歌「苔の下とどまるたまもありといふ3行きけむ方はそこと教へよ」の二句目の『たま』は、公式64代表掛詞・58 に載せられているように『魂(たま)=たましい』の意。しかも、通常「磨けるたま(玉/魂)の行くへ知らなむ」のフレーズで学生に当てていましたから、木山方式受講者にとっては発想しやすかったと思います。
つまり、「行きけむ方」は " 亡き妻加賀の魂の行ったであろう方角・場所 '' の意となり、ハの「加賀の亡魂が赴いた場所 " が正解です。知識さえあれば「たま魂」→「加賀の亡魂」の関連で即決です。
しかし、正確な知識を知らなければ、歌全体のニュアンスから選択肢のホ「加賀が居る西方極楽浄土」にも迷ったかもしれません。なぜ ホ がダメかといえば、まず亡き妻加賀が極楽往生したという記述が本文のどこにも出て来ません。また、〔S〕の歌には亡き妻が六道による輪廻転生をしていると解せられる表現があり、従って、極楽往生は想定されていないことがわかります。
(単に死ぬこと=極楽往生ではないこと、又、六道輪廻している限り極楽往生はあり得ないといった知識については、このホームページ上にも載せられている古文背景知識No.1〜2を参照して下さい)

答え→ハ


4  イ 赤く染まった紅葉の葉
  ロ 生い茂った常緑樹の森
  ハ 供養の為に読む法華経
  二 心がこもったお見舞い
  ホ この現世に残した執着
  へ 亡き妻への哀切な思い

 和歌〔K〕は、前斎宮(さきのさいぐう)式子内親王の弔問の和歌〔J〕に対する返歌として詠まれています。
式子内親王の歌の上句「身にしみて音に聞くだに露けきは」は、" 身にしみてうわさ(公式57*音=噂)に聞くのでさえ涙がち(露=涙の暗示)であるのは '' の意であり、式子内親王が妻を亡くした俊成に同情の涙を流すといった趣旨です。
その哀悼の言葉を受けて、俊成の返歌〔K〕の冒頭「色ふかきことの葉」とあるわけですが、ここでも公式64代表掛詞の知識が役立ちます。公式64(46)には、「ことのは」が『言葉』と『』の掛詞になり得ることが示されており、ここでは '' 赤く色づいた葉=紅葉 '' の意と、'' (式子内親王の)深きお言葉 " の両義として用いられています。
選択肢の中に、「お言葉」を含むものはありませんが、意味的に選択肢ニの「心がこもったお見舞い」が、弔問のお言葉の意として適当であることは明白でしょう。

答え→ニ 心がこもったお見舞い


問二十三 和歌〔L〕は俊成の子「左少将」の詠だが、この歌は後に、その「左少将」が選者のひとりとなった勅撰集『新古今和歌集』に入集する。この「左少将の著作を次の中から二つ選べ。

イ『今鏡』     ロ『近代秀歌』     ハ『とりかへばや』
二『山家集』   ホ『松浦宮物語』   へ『無名抄』


 Yサピックスのクラスに早稲田志望者が在籍する場合には、必ず定期的に文学史のチェックをしています。学生は公式中の『必ず出る文学史』の年表を元に、ホームページ音声ダウンロード解説を聴き、さらに '' 空で言えるか試してみよう!" の一問一答を練習して来ます。その上で、授業中の口頭試問形式により、様々な角度からの質問に答えてもらうといったチェックを繰り返しています。
俊成の子で『新古今和歌集』編者の一人といえば、藤原定家(ふじわらのていか)であることは常識です。定家の歌論書には「毎月抄」「近代秀歌」がありますから、選択肢のロはすぐに決まります。

「山家集」は西行の個人和歌集、「無名抄」は鴨長明の歌論書、「とりかへばや」は作者も成立時期も共に不詳であることは音声ダウンロードの解説でも言っていますし、歴史物語「今鏡」も作者については不詳です。従って、消去法の可能性としては ホの「松浦宮物語」を選ぶしかありません。
残念ながら、2017年度の『必ず出る文学史』には『松浦宮物語(まつらのみやものがたり)』を載せていませんでしたが、木山方式受講者であれば、仮に『松浦宮物語=定家作』を知らなくても、以上のような消去法により完答できたのではないかと推察します。(2018年度の公式改訂版には載せています)

答え→ロ・ホ


問二十四 和歌〔O〕の説明として最も適切なものを次の中から一つ選べ。

松に待つを掛けて、故人を待っても甲斐無き現実を、松の嵐で象徴している。
松風の音が愛妻を失った心に悲しく響き渡ることを、素直に歌おうとしている。
永遠の愛を誓った妻が泉下の人となり、誓いも空しくなったことを悲嘆している。
今は自然の中で安らかに眠る亡妻を思い、悲しみの中にも心を慰めようとしている。
君が代の古歌を想起し、千代に千代にと歌われる松も永遠ではないと諦観している。
千代が松と縁語となっており、妻の忌日を一日千秋の思いで迎えた心情を強調している。


和歌〔O〕は亡き妻の一周忌に俊成が法性寺で詠んだもの。「思ひきや」の「や」は公式27*にあるように反語の係助詞で、" かつてこのようなことを思っただろうか、いや、思いもしなかった '' の意。予期しなかった驚きを表す常套表現であり、初句切れとなり、二句以下とは倒置された形になります。

つまり、全体の歌意は『千代もと契り(=夫婦の約束をし)た私たちの仲を松の嵐に譲ることになろうとは/思いもしなかった』というわけです。「松の嵐にゆづる」とは、松風が妻の墓所に絶えず訪れることを、妻との関係を松風に譲ったと表現したものでしょう。

正解の選択肢は ハ ですが、ここで決め手となるのが、やはり直単の知識です。E他46には『黄泉路(よみぢ)=あの世への道』とあり、黄泉(よみ)とは '' あの世・死後の世界 " を意味します。
この知識があれば、選択肢 ハ の「永遠の愛を誓った妻が泉下の人となり」の「泉下(せんか)」が「黄泉(よみ)」と同様に '' あの世・死後の世界 " を表すことは容易に推察出来ます。他の選択肢はいずれもこの死後の世界に旅立った妻という核心を説明しておらず、又、「思ひきや」のニュアンスも正しく反映されていません。

答え→ハ




問二十五 和歌〔S〕がこのように詠まれた背景には、ある仏教的思想が存在する。直接強く影響していると考えられる最も適切なものを一つ選べ。

イ 愛別離苦    ロ 一期一会    ハ 盛者必衰
二 諸行無常    ホ 女人往生    へ 輪廻転生

 「六つの道」とは、衆生が生前の行いの報いによって死後に赴く六つの世界、すなわち、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の六道のことで、この六道を生まれ変わり死に変わりして迷いの生を続けることが『輪廻転生』(りんねてんしょう)です。
古文背景知識No.1〜No.12の中からこの『六道輪廻』に関する箇所を抜粋して紹介しておきます。Yサピックスの私のクラスでは、だいたい年間6〜7回内容を正確に覚えているか、口頭試問形式でチェックを繰り返しています。

仏教には六道輪廻(ろくどうりんね)という生死観があって、極楽往生して自ら仏にならないかぎり、人間は永久に生まれ変わり生き変わりしつつ、この苦しみの世界から逃れられないという認識があります。
つまり、極楽往生というのはそのような六道輪廻の苦から離れて極楽に生まれ変わり、自ら一切の煩悩を離れた仏となることをいいます。《古文背景知識No.2より》

宿世(すくせ)とは、簡単に言って前世から決まっている宿命的な運命の意です。伝統的な仏教の生死観では、人間は得度(とくど)して自ら仏に生まれ変わらないかぎり、天道・人道・修羅道(しゅらどう)・餓鬼道(がきどう)・畜生道・地獄道の六つの世界を永遠に輪廻転生(りんねてんしょう)するという認識があります。

つまり、我々はこの現世に生きる前に前世があったわけで、来世で仏に生まれ変わらないかぎりは、六道のうちのいずれかの世界に生まれ変わるわけです。(ここで、天道=天国、なんて考えないようにね。天人の五衰(ごすい)といわれるように、たとえ天人に生まれ変わっても死の苦しみは存在するのです。)《古文背景知識No.7より》

答え→へ 輪廻転生

【市販の単語集 ・参考書において『苔の下』『たま(=魂)』『ことのは(=言葉)』『黄泉(よみ)/泉下(せんか)』を載せているものはどの程度存在するか】

チェック項目は以下の通りです。

→『苔の下=墓の下・草葉の陰』を説明する項目を載せているか。
→『たま=たましい・魂』を説明する項目を載せているか。
→『ことのは=言の葉(ことば)/葉』の掛詞を紹介する項目を載せているか。《「こと=言葉」のみ載せていて、言の葉(ことば)との掛詞の指摘がないものは、ポイント0.5としました》
→『黄泉(よみ)・泉下(せんか)』を説明する項目を載せているか。


 調査の対象は以下の19冊とし、効果の高い方から低い方に順に並べて図表化してみました。

(1) 解法 古文単語 350 西村雪野 数研出版 820円

(2) GROUP30で覚える古文単語 600 山村由美子 語学春秋社 1000円

(3) 覚えやすく忘れにくい精選古文単語 300PLUS 共著 三省堂 860円

(4) 古文単語ゴルゴ 板野博行 スタディーカンパニー 900円

(5) 古文単語ゴルゴ プレミアム 板野博行 スタディーカンパニー 1000円

(6) オールインワン古文単語540 板野博行 スタディーカンパニー 900円

(7) 新版完全征服 必修古文単語400 島田欣一 桐原書店 860円

(8) 古文単語マスター333 西村雪野 数研出版 743円

(9) 望月光の古文単語333 望月光 旺文社 900円

(10) 大学入試 まめまめ古文単語300 仲光雄 文英堂 800円

(11) 大学入試古文単語 速読マスター500 共著 学研 1000円

(12) 現代文の例文で覚える古文単語250 仲光雄 文英堂 840円

(13) 入試古文単語 速習コンパス400 共著 桐原書店 820円

(14) 荻野文子のマドンナ古文単語230 パワーアップ版 900円

(15) 読んで見て覚える重要古文単語315 桐原書店 820円

(16) 二刀流 古文単語634 和田純一 旺文社 900円

(17) 大学入試を徹底分析 9割とける古文単語 笹森善通 KADOKAWA 1300円

(18) 新版完全征服 合格古文単語380 河合塾講師編 桐原書店 800円

(19) 古文単語フォーミュラ600 CD対応 富井健二 東進ブックス 952円


              C      得点寄与の
  ポイント
 木山の直単・公式             〇        4.0
 古文単語集(1)    ×    ×     
 注1 P80
       1.5
 古文単語集(2)    ×    ×          P279    ×     0.5
 古文単語集(3)    ×    ×          P157    ×     0.5
 古文単語集(4)    ×    ×          P119    ×     0.5
 古文単語集(5)    ×              P140    ×      0.5
 古文単語集(6)    ×    ×
         P206    ×     0.5
 古文単語集(7)    ×              P128    ×      0.5
 古文単語集(8)    ×    ×          P66    ×     0.5
 古文単語集(9)    ×    ×
     ×    ×      0
 古文単語集(10)    ×    ×      ×    ×      0   
 古文単語集(11)    ×    ×      ×    ×      0
 古文単語集(12)    ×    ×      ×    ×      0
 古文単語集(13)    ×    ×      ×
   ×      0
 古文単語集(14)    ×    ×      ×    ×      0
 古文単語集(15)    ×    ×      ×    ×      0
 古文単語集(16)    ×    ×      ×    ×      0
 古文単語集(17)    ×    ×      ×    ×      0
 古文単語集(18)    ×    ×      ×    ×      0
 古文単語集(19)   不明   不明     不明   不明  注2 不明


注1……「ことのは」が「言葉」と「葉」の掛詞になり得ることを示しておらず、単に「こと=言(言葉)」の意味だけ説明しているものについては、0.5ポイントとしました。

注2……『古文単語フォーミュラ600CD対応』には索引がなく、かつ、単語の並びも五十音順になっていませんでしたので、どこに当該の語句が載せられているのか分からず、不明としました。

 受験対策資料の有効性は、常に個別な問題との関係性において、その得点寄与率の割合に応じて決められるべきです。「早稲田ならこの参考書がお勧め!」といった一概な言説はほとんど意味をなしません。○○年度の○○学部の問題において効果があり、しかも、その対策法が事後的な後付けの解説などではなく、予前に行われていたかどうかといった視点だけが有効性を担保するというべきです。

 そうした観点から言えば、今年の早稲田文学部の古文に関する限り、市販の単語集はあまり効果がありません。多くの受験生が、適切な対策シフトとしての資料を持ってさえいれば、確実に得点化できる箇所を、みすみす見逃しているという事実に注目すべきです。
 受験生に受け入れやすいものが売れ筋となり、多くの人に支持されるものが評価として定着するという、一見まっとうな評価の基準が、一方では弊害となることもあります。
 というのも、多くの受験生にとって単語集の選択の基準は覚えやすいかどうかです。しかし、いかに楽しく覚えられたとしても、そこにセレクトされた単語が本番の入試問題に出るかどうかについては無頓着というのでは、まさに本末顛倒。しかし、本末顛倒ではあっても、そういうものの方が売れるという厳然たる事実があることも確かです。

 戦後の日本の著名な経営者であった松下幸之助の言葉に『客の好むものを得るな。客の役に立つものを売れ。』というのがあるそうですが、そこに含意された商業モラルも、結局、売れなければ一顧だにされないという厳しい現実もあり、たかが古文単語集の話しのようですが、私には現代の商業主義社会の縮図を見る思いがします。

 ともかく、ここで、早稲田受験に関する木山方式の実践の一例を紹介しましょう。

【木山方式の実践例・都内中高一貫女子校の古文クラスの場合】

 私は過去5年間、都内の中高一貫女子校で古典クラスを教えてきました。年間で11回〜13回程度で、回数は少ないのですが、25名程度の受講者は全員、木山方式の公式資料をフルセットで持ちます。
 文系の早稲田志望者が多いためか、又は女子学生特有の従順な生真面目さからか、とにかく暗記課題については少ない回数の割には非常によくやってくれます。


 2017年度の受講者25名の合格者の内訳は、

早稲田合格者10名(法・商・政経・文構・教〉
慶應合格者3名(法・商・経)
上智合格者3名(法・文・外)
GMARCH合格者3名(法政・立教・明治)
東大合格者1名(理科2類)
北大合格者1名(総合文系)
横浜国立大合格者1名(学部不明)

という結果でした。

この数字はいわゆる『実合格者』の数です。(=例えば、1人の学生が早稲田の複数学部に合格している場合でも1人と数える数え方) 述べ合格者の積算では早稲田合格者は3倍の30名近くになるはずです。この高校全体の昨年度の早稲田実合格者は13名(週刊朝日).、延べ合格者は37名(サンデー毎日)でした。
 合格者の中に早稲田文学部を受けた学生はおりませんが、もし受験者がいたとしたら、かなり木山方式の暗記が役立ったであろうと推測しています。










(四)次の文章を読んで、あとの問に答えよ。
《漢文問題の問二十六・二十九に関わる部分のみ書き下しの形で本文を示します》

同母(どうぼ)の子にして、長者(ちょうじゃ=年長の子供)は或いは父母の憎む所(ところ)と為(な)り、幼者は或いは父母の愛する所と為る。此の理(ことわり)殆(ほとん)ど暁(さと)るべからず。
竊(ひそ)かに嘗(かつ)て其の由(よし)を細思(さいし)するに、蓋(けだ)し人生れて一二歳(いちにさい)、挙動笑語、自(おのずか)ら人の憐むを得(う)。

他人( A ) 愛 之、 況 父 母 乎。

  【中略】

 人の子たる者は、当(まさ)に父母の愛の存(あ)る所を知るべし。長者(ちょうじゃ=年長の子供)は宜(よろ)しく少しく譲るべく、幼者は宜(よろ)しく自(みずか)ら抑(おさ)ふべし。父母たる者は、又須(すべか)らく覚悟し、稍稍(やや)回転〔注…心を入れかえること)すべし。

 不 可 任 意 而 行、 使 長 者 懐 怨 而 幼 者 欲、 以 致 破 家 也。

問二十六 空欄( A ) の中に入る最も適切な一字を選べ。

イ 猶  ロ 何  ハ 不  二 凡  ホ 使  ヘ 初

答え→イ

 漢文公式15B(抑揚形)『A スラ 猶(な)ホ B、況(いわ)ンヤ Cヲ乎(や)』の句形です。'' 他人でさえ之(こ)れ〔一二歳の幼児〕を愛するのだから、まして、実の父母ならなおさらだ " の意。
 多くの参考書にも載っている代表的な句形です。木山方式特有のポイントではありません。


問二十九 下線部「」とほぼ同じ意味になる語を次の中から一つ選べ。

イ 愛  ロ 恣  ハ 損  ニ 訓  ホ 抑  ヘ 覚

答え→ロ

 漢単D8 縦・恣…… ほしいママ 思うまま。勝手気まま。 〔動詞〕ほしいママニス

 この2文字については、年間で15〜25回程度、直接学生に当てながらチェックを繰り返しています。木山方式受講者にとっては、まさに瞬殺の設問です。
 ところで、市販の漢文参考書の中に '' 縦・恣 = ほしいままニス '' を併記しているものがどの程度あるのかと思い、調べてみました。
成城の三省堂、横浜の紀伊国屋書店ですべての漢文参考書に当たりましたが、驚いたことに、二文字を併記して載せているものが一冊もありません。
漢文参考書はどれも句形中心で、漢文語彙は付録のような扱いで、入試の本番に直接ヒットするには遠いものばかりでした。
世間一般の学生は、充分な対策シフトとしての資料を持たない状態で、過去問演習中心の、言わば'' 出たとこ勝負の演習 "〔年間40〜50題の過去問演習を消化しても、そこに運良く「縦・恣」の用法を共に確認できる問題が出て来る確率はかなり低いと私は思いますが、ともかくもそうした演習を〕を繰り返しているのだなぁ、と改めて感じました。


【類題1】の答え→ハ 三月下旬
 《現在の暦になおせば四月下旬から五月初頭の時期にあたります》

【類題2】の答え→如月(きさらぎ)
 《旧暦の春の3ヶ月の呼称は、一月=睦月(むつき)・2月=如月(きさらぎ)・3月=弥生(やよい)です。











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