寺と神社が現在のように別物扱いとなったのは、明治初期に神社から仏教を排除した廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)以後のことです。
それ以前においては、神と仏の関係はより渾然として緊密なものでした。特に、本地垂迹(ほんちすいじゃく)説が流行した中世には、神と仏の関係は、本地としての仏が仮の姿として現世に現れたのが神である、と考えられていました。
今回、東大に出題された『春日権現記(かすがごんげんき)』は、春日明神の霊験を綴った絵巻物ですが、二部構成の後半部は神社縁起であるにもかかわらず、興福寺の僧を中心とした説話集といった体裁になっており、興福寺と春日大社との関係が非常に緊密であったことをうかがわせます。
ところで、この『春日権現記』には、巫女(みこ)が神がかりして託宣(たくせん)する話がたくさん出てきます。
巫女とは、現代では、神前で舞ったり、神職の補佐的役割を行う若い女性をイメージする人が多いと思いますが(白衣に緋色の袴をはき黒髪を後ろで水引や檀紙で束ねる清楚な巫女姿にサブカル的な萌えを感じる人も多く、コスプレや美少女漫画においても、巫女キャラといった一領域を形作っているそうです)、私が図鑑で見た『春日権現記』の巫女はほとんど老女の姿であり、かなり異形です。
頭はハゲ上がり、もはや男女の性別不詳といった巫女が、鼓を手にして大きな口をあけて何かを語っているといった絵巻の一場面を覚えています。
まさに、今年の東大設問(一)で問われた『けしかる巫(かんなぎ=巫女の別称)』の姿です。この巫女自身、東大問題文の託宣の最後には「春日山の老骨」と言っていますから、やはり老女なのでしょう。
なぜ、巫女が鼓を持っているのかというと、もともと春日大社は民間の芸能民との縁が大変深く、現在でも『おん祭』という祭礼で、こうした芸能者由来のさまざまな芸能が奉納されています。
したがって、おそらく巫女というのは、こうした芸能民と同じ職能民であって、神を憑依させ、神の言葉を託宣することを稼業した女性たちであろうと言われています。
「歌占(うたうら)」とは、巫女が神慮を和歌で告げること、または、その歌による吉凶判断のことですが、その際に、今回の東大の問題のように、有名な古歌が引用されることがあります。しかし、その引用の仕方というのは、かなり皮相なレベルです。
もと歌の持つ本来の情趣や、場面性といったものを全く無視した、表面的な字面(じずら)の接点のみで都合のいいこじつけとなっているものが多く見られます。
《大和物語 40段・後撰集 夏 209》
桂の皇子(みこ)のほたるをとらへてといひ侍りければ、女童(わらは)のかざみの袖につつみて、
つつめどもかくれぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり
ある時、蛍を捕らえよという皇子の仰せにたいし、女童は汗衫(かざみ)の袖に捕らえ「つつめども」と、その漏れる光を皇子に対する自らの隠せない恋心にたとえて歌を詠みかけました。
一般に女歌は、男が詠みかけた歌に対し、女性が切り返しの発想で詠み返すものであり、その発想の基底には否定的な契機が、相手を言い負かそうとする反発の気分がかもし出されるのことが多いのですが、この少女の歌は、女の側からの真っ直ぐな恋の告白となっており、多少の技巧はあっても決して技巧に凝った感じはなく、真っ直ぐに相手を見つめる感じが、いかにも初恋の少女の歌という趣きです。
それが『春日権現記』に引用されると、たちまち詰問調の春日明神の御託宣となり、「これ、壹和(いちわ)よ、お前の心根など、とうにお見通しじゃ! つつめどもかくれぬものは夏虫の身よりあまれる思いじゃぞよ! ブハハハハ‼︎ 」となるわけです。もと歌の持つ、あの震えるような透明な恋情もどこへやら。
神社縁起に限らず、和歌を引用する仏教説話などにも、こうした無理筋の、もと歌の情趣を知っている者にとっては多いに不自然さ漂う和歌の引用の例は数多くあります。
仏教と和歌とは、その本質からしてかなり異なるものであり、たとえば「不邪淫戒」を説くために、道ならぬ恋を平然と詠う和歌を引用することは元来無理なことですし、あるいは「不飲酒戒」「不偸盗戒」を示すために、そもそも飲酒や窃盗を主題とする和歌などあり得ないのに、わずかばかりの接点のみで、あたかもそれが飲酒や窃盗の諌めの歌として機能しているかのごとくに引くのは馬鹿げています。
にも関わらず、そうした無理を犯してまで、なぜ神社縁起や教訓的な仏教説話が和歌をかくも大量に引用するのかと言えば、結局、聞き手(読み手)の信仰心に訴えることが第一義であって、あまり知的に高い水準の解釈は要求されていないからではないかと、考えたりもします。
または、「狂言綺語(きょうげんきご)の誤りをもって、翻(ひるが)して当来讃仏乗の因、転法輪の縁とせむ」といった倒錯の論理が、和歌の論理的整合性や情趣性をすべて骨抜きにする宗教的ロジックとして機能していたからなのかも知れないと、思ったりもします。
第ニ問(古文)
次の文章は、春日明神の霊験に関する話を集めた『春日権現験記』の一節である。これを読んで、後の設問に答えよ。
興福寺の壹和(いちわ)僧都は、修学相兼ねて、才智たぐひなかりき。後には世
を遁(のが)れて、外山(とやま)といふ山里にすみわたりけり。
そのかみ、維摩
の講師を望み申しけるに、思ひの外に祥延といふ人に越されにけり。なにごと
も前世の宿業にこそ、とは
ア 思ひのどむれども、
その恨みしのびがたくおぼえければ、ながく本寺論談の交はりを辞して、抖擻
(とそう)修行の身とならんと思ひて、弟子どもにもかくとも知らせず、本尊・
持経ばかり竹の笈に入れて、ひそかに三面の僧坊をいでて四所の霊社にまうで
て、泣く泣く今は限りの法施を奉りけん心の中、ただ思ひやるべし。
さすがに住みこし寺も離れまうく、馴れぬる友も捨てがたけれども、思ひたち
ぬることなれば、行く先いづくとだに定めず、なにとなくあづまのかたに赴く
ほどに、尾張(おはり)の鳴海潟(なるみがた)に着きぬ。
潮干(しほひ)のひまをうかがひて、熱田の社に参りて、しばしば法施をたむく
るほどに、
イ けしかる巫女(かんなぎ)来て、壹和をさして言ふやう、
「汝(なんぢ)、怨み
をふくむことありて本寺を離れてまどへり。
ウ 人の習ひ、恨みには堪へぬものなれば、
ことわりなれども、心にかなわぬはこの世の友なり。陸奥(むつ)えびすが城へ
と思ふとも、
エ それもまたつらき人あらば、さていづちか赴かん。
いそぎ本寺に帰りて、日ごろの望みを遂ぐべし」と仰せらるれば、
壹和頭(かうべ)をたれて、「思ひもよらぬ仰せかな。かかる乞食(こつじき)修
行者になにの恨みか侍るべき。
オ あるべくもなきことなり、いかにかくは」
と申すとき、巫女大いにあざけりて、
カ つつめども隠れぬものは夏虫の身より余れる思ひなりけり
といふ歌占(うたうら)をいだして、「汝、心幼くも我を疑ひ思ふかは。いざさ
らば言ひて聞かせん。
汝、維摩の講匠を祥延に越えられて恨みをなすにあらずや。
かの講匠と言ふはよな、帝釈宮の金札に記すなり。そのついで、すなはち祥
延・壹和・喜操・観理とあるなり。帝釈の札に記すも、これ昔のしるべなるべ
し。我がしわざにあらず。とくとく愁へを休めて本寺に帰るべきなり。
和光同塵は結縁の始め、八相成道は利物(りもつ)の終りなれば、神といひ仏と
いふその名は変はれども、同じく衆生を哀れぶこと、悲母の愛子のごとし。
我は汝を捨てずして、かくしも慕ひ示すなり。春日山の老骨、既に疲れぬ」と
て、上がらせ給ひにければ、壹和、かたじけなさ、たふとさ、ひとかたなら
ず、渇仰の涙を添へていそぎ帰り上りぬ。その後、次の年の講師を遂げて、四
人の次第、
キ あたかも神託に違はざりけりとなん。
[現代語訳]
興福寺の壹和(いちわ)僧都は、修行も学識も兼ね備えて、才智が並ぶものがなかった。後(のち)には遁世(とんせ)して、外山(とやま)という山里に住み続けた。
さて、その当時のこと(=いまだ興福寺の僧都であった当時のこと)、維摩(ゆいま)の講師(注…興福寺の法会である維摩会で講義を行う高僧)を望み申し上げたが、思いの外に、祥延(しょうえん)という僧に先を越されてしまった。
「何ごとも前世からの宿業で決まっていることだから(仕方がない)」、とは
ア 思ひのどむれど
*のどむ(下二段)…落ち着かせる・鎮める/静める
*思ひのどむ(下二段)…心を落ち着かせる
その恨みの気持ちはこらえがたく思われたので、長く興福寺で論談を交わしてきた生活を辞し、斗藪(とそう)修行の身(注…仏道修行のために諸国を歩く身)になろうと思って、弟子たちにも、こうだとも知らせず、本尊や持経だけを竹の笈(おい)に入れて、ひそかに三面の僧坊を出て、四所の霊社(注…春日大社)に詣でて、泣きながら、今は最後の法施を捧げ申し上げた壹和(いちわ)の心中を、ただ思いやるがよい。
そうはいってもやはり、住み続けた寺を離れることがつらく、[離れまうく⇒離れまく憂くの転⇒離れようとすることがつらく。「まくほし」が「まほし」に転ずる例と同じ]慣れ親しんだ友も捨て難いけれども、決心したことなので、行く先もどことさえ定めず、なんとなく東国の方に赴くうちに、尾張の国の鳴海潟(なるみがた)に着いた。
潮の引くひまをうかがいつつ、熱田神宮に参詣して、何度も法施を行ううちに、
イ けしかる巫女(かんなぎ)来て、壹和(いちわ)をさして言ふやう、
「お前は恨みを含むことがあって、本寺を離れてさまよっている。
ウ 人の習ひ、恨みには堪へぬものなれば、
(それも)もっともなことだけれど、心に思い通りにならないのは、この世の友というものだ。
[制御できない自身の心を「この世の友」と言ったものか。又は、思い通りにならない他者の存在を言ったものか。]
陸奥(むつ)の国のえびすの城へ(逃れよう)と思うとしても、そこにもまた薄情な人[E他37①つらし=(相手が)薄情だ]がいたら、さて、どこへ行くことが出来ようか、(もはやそれ以上はどこへも行けまい)。
急ぎ本寺に帰って、常日頃の望みを叶えるがよい。」とおっしゃるので、壹和(いちわ)は頭を垂れて、
「思いもよらぬ仰ごとであるなぁ。このような乞食(こつじき)修行者に何の恨みがあるはずがありましょうか。」
オ あるべくもなきことなり、いかにかくは。
と申し上げるとき、巫女は大いにあざけって、
カ つつめども隠れぬものは夏虫の身より余れる思ひなりけり
という歌占(うたうら…巫女の示す歌によって吉凶を判じる占い)を出して、
「お前は、心幼くも我が託宣を疑い思うのか。
[文末の「かは」は反語ではなく、詠嘆的疑問]
さぁ、それならば言って聞かせよう。お前は維摩の講師を祥延に先を越されて、恨みに思っているではないか。
あの講匠(=講師)というのは、帝釈宮(注…たいしゃくぐう=仏の守護神である帝釈天の住む宮殿)に書かれてあるのだ。そのついで(=順番)はすなわち、祥延⇒壹和⇒喜撰⇒観理の順と書かれているのだ。帝釈天の礼に記しているのも、これは昔からの導きであるに違いない。(しるべ=道しるべ・導き) 我のすることではない。
はやくはやく、憂いの思いを休めて、本寺に帰るがよい。
和光同塵(注…仏が衆生を救うため仮の姿として俗世に現れること)は結縁の初め、八相成道(注…釈迦が衆生を救うために起こした八つの大事)は利物(注…衆生に恵みを与えること)の終わり[究極の意か?]であるので、神ともいい、仏ともいう、その呼び名は変わっても、同じく衆生を憐れむことは、母が子を愛おしむかのようなものである。お前は情けなくも私を捨てるというが、
[壹和が春日大社に別れを告げたことを指す]
私はお前を捨てないで、このように慕うのである。春日山の老骨がこんな所まで来て、すでに疲れた。」
と言って、天に上がりなさったので、壹和は畏れ多さ、尊さは並々でなく、渇仰の涙(=心から仰ぎ慕う感激の涙)を抑えて、急いで興福寺に戻った。
その後、(壹和は)次の年の講師になるという望みを遂げて、(選ばれた)四人の(講師の)順番も
キ あたかも神託に違はざりけりとなん。
(「春日権現験記」より )
(設問)
(一) 傍線部イ「けしかる巫女(かんなぎ)来て、壹和をさして言ふやう」・ウ「人の習ひ、恨みには堪えぬものなれば」・エ「それもまたつらき人あらば、さていづちか赴かん」を現代語訳せよ。
イの「けしかる」は形容詞「異(け)し…変だ・奇妙だ」【直単D連12中の書き込み】の連体形補助活用。補助活用の連体形が体言に接続する形は、例えば「花多(おほ)かる野辺に」など、形容詞の「多し」に見られます。
「壹和をさして」の「さす」を【直単E他23】の『~さす=動詞について、動作を途中でやめる意を表す』と誤解しないように。この場合、動詞の連用形に上接していませんから、「さして」は単に '' 壹和を指し示して言うことには " の意です。
仮に『壹和を止めて言うことには/壱和の法施を制止して言うことには』と答案に書いた場合、かならず減点されます。
以下、今年の添削通信の2名の方の再現答案を紹介しつつ答を解説します。【お二人とも東大は惜しくも不合格となりましたが、文 Ⅲ 志望の方は早稲田・国際教養学部に、理 Ⅰ 志望の方は早稲田・先進理工と後期試験で北海道大学・工学部に合格されています】
答 →奇妙な様子の巫女が来て、壹和に向かって言うことには
Aさん→悪そうな巫女がやって来て、壹和を止めて言うには(不正解)
Bさん→怪しがる巫女がやって来て、壹和をさして言うことには(部分点か)
「けしかる」は「〜かる」の形から、形容詞の連体形補助活用と考えるべきです。そうであれば『けし』という形容詞が想起されますが、プリント資料No.1 直単D12「異(け)しうはあらず」の枠内には、『異(け)し…変だ・奇妙だ』と書かれてあり、この訳が正解となります。
「壹和をさして」の「さす」は、単に対象を指し示す意であり、直単E他23『〜さす=動詞について動作を途中でやめる意を表す』とは違います。この単語の出題歴は、2015年(H27)の東大古文に、'' 行ひさして=仏道修行を途中でやめて ''という形で出ています。
昨年度の33回の添削通信中、直単チェックは11回実施しました。その際には「上の動詞について〜」と常に条件を確認していたのですが、Aさんの答案において、この点で誤解があったことは残念です。
90分の講義テープを一方的に聞いてもらう現在のやり方では、こうした暗記の漏れや誤解は正せないのではないか、やはり、双方向のネットライブ授業のように、学生の反応を直(じか)にチェックしながら修正ができるシステムの方が良いのではないかと、思うようになりました。
Bさんの答案は「けしかる」の〜「かる」を、'' 強がる " などの接尾語と間違えたものです。
「異(け)し」と「異(け)しからず」・「異(け)しうはあらず」・「異(け)しかる」の関係
「異・怪(け)し」は「ふつうとは違っていて変だ/奇妙だ」の意味です。この「異(け)し」の打ち消しが、「異(け)しうはあらず」で、直訳すれば '' 変ではない " となりますが、慣用句としては直単D連12に載せられているように『そう悪くはない』と訳すのがふつうです。
一方、「異(け)しからず」は一見「異(け)し」の打ち消しのように見えますから '' 変ではない/奇妙ではない '' とプラス評価のようにも感じられますが、現代語の『けしからん』の意味は「道理に外れて甚だよくない/不届きだ」の意ですから、明らかにマイナス表現となり、どうも解釈上ちぐはぐな感じがしてしまいます。
実は、古語の「異(け)しからず」の意味も「甚だよくない/異常だ」です。つまり、現代語の「けしからん」とほぼ同義です。
では、なぜ、「異(け)し」を打ち消しているにもかかわらず、「異(け)しからず」が「異(け)し」と同じ意味になるのでしょうか?
これについては、古来、色々な説が取りざたされましたが、現在では、「異(け)しドコロデハナイ」の意を表そうとして「異(け)しからず」と表現しているという説が大勢です。つまり、'' 異常でよくないドコロデハナイ⇒甚だ異常ですごくよくない " といった風に、「異(け)し」の強めとして機能しているという訳です。それが時代とともに「異(け)しからぬ」に転じて、現代語の「けんからん」に繋がります。
この「異(け)しからず」という表現は、中世以後に認める用法ですが、同様に中世以後に出てくるのが、「異(け)し」の体言修飾の「異(け)しかる」です。
ここでも素朴な疑問が生じます。
「異(け)し」が体言にかかる時、なぜ、連体形の本活用の「異(け)しき」ではなく、「異(け)しかる」という連体形補助活用が使われるのでしょうか?
今回の東大の文脈に当ててみれば、なぜ、『けしき巫女』ではなく、『けしかる巫女』となるのか?
一般に、形容詞の補助活用は下に助動詞が続くときに用いられ、そうではない場合は本活用を用いるのが文法上のルールです。例えば形容詞の「をかし」が助動詞の「けり」に続くときは『をかしかりけり』と補助活用を用い、体言(=名詞)に続くときは『をかしき人』などと本活用の連体形を用います。
それなのに、東大の文脈では「異(け)し」は名詞の「巫女」に続くのに、なぜ『異(け)しき巫女』ではなく、『異(け)しかる巫女』と表現されるのでしょうか?
「異(け)し」の連体形本活用の用例は、万葉集三五八八「しかれどもけしき心を我(あ)が思(も)はなくに」など極めて少ない用例として出てきますが、中古には見えず、中世以後に「異(け)しかる」の形で登場します。
実は、私にも明確な答えがあるわけではありません。ただ、先に見た「異(け)しからず」の不安定な成立事情が、同時代(中世以後)に現れる「異(け)しかる」という同じ補助活用の表現と複雑に関係しているのではないかと感じています。
突きつめれば、よく由来のわからない語句が、東大入試に問われているという現象は面白いですね。
ちなみに、市販のほとんどの古文単語集に『異(け)し』は載せらています。ただ、それを知っていても、『けしかる』が『けし』の連体形補助活用と気付かないか、または、「けし」であればこの場合「けしき」となるはずではないか?と、戸惑った学生さんも一定数はいただろうと思います。
*「多し」は、「多くある」と数量的存在の意識が働くため、補助活用の「多かる」の形で体言に接続することはよく知られていますが、「異(け)し」は数量的把握には適さない形容ですから、この説を「異(け)し」に当てるのは無理があると思います。
ウの『習(なら)ひ』は「習慣・習性」の意。
答 →人の習性として、怨みには堪えられないものであるので/恨みは耐え難いものなので
Aさん→人の習性として恨みは堪え難いものであるので(正解)
Bさん→人の習性では恨みには耐えられないものなので(正解)
エの「つらき人あらば」の『つらし』は【直単E他37①(相手が)薄情だ】の知識がそのまま活かせます。この単語の意味は、H27東大古文・設問(二)fo「つらけれど思ひやるかな」の現代語訳(=あなたは薄情だけれども、それでも私はあなたを思いやっていますよ)としても問われており、これで2回目の出題となります。もちろん、意訳としてそれに近い表現であれば、正答になります。
答 →そこにもまた薄情な人がいたら、そこからどこへ行けようか
Aさん→そこにもまた薄情な人がいたとしたら、それからどこへ赴くことができようか(正解)
Bさん→それでもまた薄情な人がいたならば、さてどこへ行ったらよいでしょうか(正解)
(二) 「思ひのどむれども」(傍線部ア)とあるが、何をどのようにしたのか、説明せよ。
答 →維摩の講師になれなかったのは宿縁と考え、恨みの心を鎮めようとした。
Aさん→祥延に先を越されたことも含めて、何事も前世からの因縁であるとした。(一部減点)
Bさん→祥延に先を越されたのは前世からの因縁だと思って恨みを鎮めた。(正解)
*Aさんの答案、「のどむれども=心を落ち着かせる/鎮める」の訳出が抜けています。
(三) 「あるべくもなきことなり、いかにかくは」(傍線部オ)とあるが、これは壹和の巫女に対するどのような主張であるか、説明せよ。
答 →自分は恨みなど持つはずがなく、巫女の指摘は的外れだという主張。
Aさん→早く本寺に帰るべきだと言われるのは、あまりに酷いという主張。 (不正解)
Bさん→(理科にこの設問なし)
(四) 歌占「つつめども隠れぬものは夏虫の身より余れる思ひなりけり」(傍線部カ)に示されているのはどのようなことか、説明せよ。
「つつむ/つつまし」(B形41)の意は、①遠慮・気おくれする②隠す。ここは「いくら本心を包み隠しても」の文意ですから②の意味。
答 →いくら隠しても壹和の恨みの心を隠し通すことはできないということ。(別解)いくら隠しても壹和が恨みに思っていることを神はお見通しだということ。
Aさん→いくら感情を隠そうとしても、実際は身から余り出てしまうということ。(やや減点)
Bさん→(理科にこの設問なし)
*Aさんの答案、'' 壹和の恨みの心 '' に言及がなく、この点で減点されます。
(五) 「あたかも神託に違はざりけりとなん」(傍線部キ)とあるが、神託の内容を簡潔に説明せよ。
答 →維摩の講師は祥延・壹和・喜操・観理の順番で努めることになるいう内容。
Aさん→祥延・壹和・喜操・観理が帝釈宮の金札に記されているということ。(減点の上部分点か)
Bさん→壹和僧都が神仏に見捨てられることなく、維摩の講師になれるという内容。(不正解)
*Aさんの答案には「四人の次第=四人の順番」というポイントが抜けています。次のように書けば完答となったでしょう。⇒〔参考〕帝釈宮の金礼には祥延・壹和・喜操・観理と記されており、次は壹和の番である。
第三問
次の文章を読んで、後の設問に答えよ。《設問に関わる傍線部以外は書き下しの形で載せています》
[書き下し文]
于公(うこう)は県の獄吏、郡の決曹たり。(注…共に裁判をつかさどる役人)
a 決 スルコト レ 獄ヲ 平ラカニシテ、
文法(注…法律)に羅(かか)る者も、于公の決する所は皆恨みず。
東海に孝婦(こうふ)有り、少(わか)くして寡(か)となり、子亡(な)し。姑(しう
とめ)を養ふこと甚だ謹(つつし)む。
b 姑 欲 レ嫁 レ之、 終 不 レ肯 。
姑(しうとめ)隣人に謂(い)ひて曰く、「孝婦
c 事 レ 我
勤苦(きんく)す。其(そ)の子を亡(な)くして寡(か)を守るを哀れむ。我老い
て、久しく丁壮(注…若者)に累(わずら)はす。奈何(いかん)せんと。」
其(そ)の後、姑自(みずか)ら経(くび)れて死す。
姑の女(むすめ)吏(り)に告ぐるに、「婦 我が母を殺すと。」吏 孝婦を捕らふ。
孝婦姑を殺さずと辞す。
吏(り)験治(注…取り調べる)するに、孝婦自(みずか)ら誣(し)ひて服す。具獄
(注…裁判にかかわる文書一式)府(注…郡の役所)に上(たてまつ)らる。
于公以為(おも)へらく、此の婦 姑を養ふこと十余年、
d 以 レ孝 聞、
必ず殺さざるなりと。太守聴かず。
e 于 公 争フモ レ 之ヲ 、 弗 レ 能ハ レ 得ル 。
乃(すなは)ち其の具獄を抱き、府上に哭(こく)し、因(よ)りて疾(しつ)と辞
して去る。太守竟(つひ)に論じて孝婦を殺す。
郡中枯旱(こかん 注…ひでり)すること三年。後の太守至り、其の故を卜筮(ぼ
くぜい)す。于公曰く、「孝婦死に当たらざるに、前(さき)の太守彊(し)ひて之
を断ず。咎(とが)党(も)しくは是に在るかと。」
是(ここ)に於いて太守牛を殺し、自(みずか)ら孝婦の冢(つか)を祭り、因(よ)
りて其の墓に表す(注…墓標を立てる)。
天(てん)立(たちどころ)に大いに雨ふり、歳孰(じゅく)す。
f 郡 中 以テ レ 此ヲ 大イ二 敬-二-重ス 于 公ヲ一
【全文訳】
于公(うこう)は県の獄吏(注…裁判を司る役人)であり、郡の決曹(注…裁判を司る役人)である。
a 決スルコト レ 獄ヲ 平ラカニシテ、
[直単E他32…平(たひら)かなり→無事だ・穏やかだ]
文法(注…法律)に引っかかって(罪を犯した)者も、于公の判決に対しては、皆恨むことがなかった。
東海に孝婦(=親孝行な婦人)があり、年は若くして寡婦(かふ=未亡人)となり、子供はなかった。
b 姑 欲 レ嫁 レ之、 終 不 レ肯 。
[漢単C30…終→つひニ/A46…肯→がへんズ 承知する。納得する]
姑(しゅうとめ)が隣人に言ったことには、「孝婦は
c 事 レ 我
[C28…事→つかフ 仕える]
苦しんで勤(つと)めている。その孝婦が(私の亡くなった息子との間に)子供がなく、寡婦(=未亡人)の立場を守り続けていることを哀れんでいる。
私は年老いて、久しく若い人(=孝婦)をわずらわせているのは、どうしたらよいだろうか」と。
その後、姑は自(みずか)ら首をくくって死んでしまった。姑の実の娘が、後に告げて言ったことには、「婦(=孝婦)が私の母を殺した」と。
役人が孝婦を捕らえた。孝婦は姑を殺していないといって(容疑を)拒絶した。
[B22…辞ス→断る・拒絶する]
役人が験治(注…取り調べを)するに、孝婦は自(みずか)ら事実を偽って罪に服した。具獄(注…裁判の文書一式)は府(注…群の役所)に差し上げられた。
于公が思ったことには、「この婦人は姑を養うこと十余年、
d 以 レ孝 聞、
[漢文背景No.1…孝→父母をうやまいよく仕えること/漢公式8①以→~を理由として/古公式57①聞こゆ→評判になる]
必ず姑を殺してはいないのだ」と。
(しかし)太守(注…群の長官)は聞き入れず、
e 于 公 争フモ レ 之ヲ 、 弗 レ 能ハ レ得ル 。
[漢公式12A①弗…ず/漢単D35能…あたフ~できる]
そこで、(于公は)その裁判の文書一式を抱いて郡の役所で声をあげて泣いた。(哭す=声をあげて泣く)
そのことを理由として(于公は)病気と言って職を辞して去った。[漢単B25①疾…病気]太守はついに(罪状を)論じて孝婦を殺してしまった。
その郡の中で枯旱(注…こかん→日照り)すること三年。後任の太守が来て、その日照りの理由を占った。[公式改定…卜(ぼく)ス→占う]
(そのとき)于公が言うことには、「孝婦は死罪に当たらないのに、前の太守が強引にこの人を断じて処刑した。日照りの咎(とが)
[直単E軍7…罪]の原因は、もしかしたら、ここにあるのではないか」と。
[漢文背景No1…不徳な為政者への天の諌めとしての天災]
こういうわけで、(新しい)太守は牛を殺し、自(みずか)ら孝婦の墓(冢つか=墓)を祀り、その墓に墓標を立てた。(すると)天より立ちどころに大いに雨が降って、その歳(とし)は(作物が)熟して豊作となった。
f 郡 中 以テ レ此ヲ 大イ二 敬-二-重ス 于 公ヲ一
(設問)
(一)傍線部 a・c・d を現代語訳せよ。
a
答 →裁判の判決が穏当であり(別解)穏当で公平な判決を下し
Aさん→裁判の判決は公平で(正解)
Bさん→平等に獄に送るか決めて(不正解)
*形容動詞『平(たひら)かなり』の原義は「無事だ・穏やかだ」(直単E32)ですから、'' 于公の裁判の判決が穏やかで穏当なものであって " という文意です。その穏当さを、例えば、「公平」「公正」などの語句に置き換えても正解となります。
c
答 →私に仕えて/私の世話をして
Aさん→私を師事して(不正解)
Bさん→私の世話をし(正解)
*Aさんの答案「私を師事して」は日本語として不自然ですが、実はAさんは長く英語圏在住の帰国子女であり、日本語の微妙な表現に関してはややハンディのある方でした。
d
答 →孝行という評判であり
Aさん→孝行の精神を理由として聞くとしたら(不正解)
Bさん→孝行の心で聞き(不正解)
*お二人共、「聞」=「聞こゆ…噂・評判になる」公式57①の発想ができなかったのは残念です!古文の文法チェックリストの一問一答では必ず答えていたはずなんですが、漢文に応用できなかったということでしょうか。
(二)「姑 欲 レ嫁 レ之、 終 不 レ肯 」(傍線部b)を、人物関係がわかるように平易な現代語に訳せ。
答 →姑は亡き息子の嫁を嫁がせようとしたが、嫁は最後まで承知しなかった。
Aさん→姑はこれを嫁にしたいと思ったが、とうとう孝婦は承認しなかった。(不正解)
Bさん→姑は孝婦に嫁に行って欲しかったが、孝婦はついに同意しなかった。(正解)
(三)「于 公 争 レ之 、 弗 レ 能 レ 得」(傍線部e)とはどういうことか、分かりやすく説明せよ。
答 →宇公は太守に孝婦の無実を訴えたが、聞き入れさせることが出来なかったこと。
Aさん→宇公は孝婦の無実を主張したが、孝婦を無実にすることは出来なかったということ。(正解)
Bさん→(理科にこの設問なし)
(四)「郡 中 以 レ此 大 敬-二-重 于 公一 」(傍線部f)において、于公はなぜ尊敬されたのか、簡潔に説明せよ。
答 →ひでりの原因は孝婦を冤罪で死刑にしたことに対する天の諌めだと説き、後任の太守に孝婦を祭らせ雨を降らせたから。
Aさん→罪のない孝婦を有罪とした前の太守に罪があることを示したから。(不正解)
Bさん→後任の太守に孝婦は冤罪であったと言い、孝婦の冢を祭らせたから。(部分点か)
*漢文背景知識No.1…不徳な為政者への天の諌めとしての天災、という考え方が土台にあります。必ずしも「天の諌め」という語句を答案に用いる必要はありませんが、答案の発想の方向性としては必要な知識です。
単に、孝婦の冤罪を訴えたという指摘だけでは、この話の本質に届かないでしょう。
于公は、不徳な為政者の過ちを天の諌めを通して訴えたのであり、そうであればこそ、その正しい行為に対し、天が日照りを治めて雨を降らせてくれたのだ、と解釈することができます。
(結語)
2020年東大古文漢文の13設問中、木山方式の暗記資料からの直接ダイレクトな得点寄与率は、『異(け)し…変だ・奇妙だ』『つらし…(相手が)薄情だ』『つつむ…隠す』『終(つひ)ニ・肯(がへん)ズ』『平(たひら)カナリ』『事(つか)フ』『聞(きこ)ユ…噂・評判になる』『不徳な為政者への天の諌め』の8設問に関わるという結果になりました。
【8設問/13設問中】
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