お便りシリーズNo.74

【令和4年・2022年
共通テスト試験古典(古文漢文)】




木山のホームページ   


《今回の共通テスト古典100点中、直接

ダイレクトな木山方式の得点寄与率は53

点=53%》



ー斎宮の「聖」と「性」ー

斎宮(さいぐう)とは、伊勢神宮に奉仕した未婚の皇女のことで、その性格からしても最高の清浄性が求められました。いわば神の斎垣(いがき)に、たいせつに閉じ込められた皇女であり、神域に隔離された高貴性を持った女性であったがゆえに、任期を終えて伊勢から帰京した斎宮が、帝の好色な好奇心の対象になるということもあったようです。今回出題された「とはずがたり」においても、後深草院は前斎宮(さきのさいぐう)への好奇心を抑えきれません。

 実際、任期を終えて都にもどったあと、入内(じゅだい)して帝の女御となった人も実在します。これを斎宮女御といいますが、源氏物語に登場する秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)は、この実在の斎宮女御をモデルとしたものです。ですから、斎宮を退いてからも、ずっと恋愛が禁止されていた、という訳ではありません。

 しかし、多くの場合は、斎宮を退いて都に戻ってからも恋愛とは縁遠い深窓の皇女として、静かに余生を送る人が多かったようです。これは、そもそも女性皇族の結婚が極めて難しいという、現代にも共通する事情もありました。

 帝や上皇を除いては、斎宮や前斎宮にとっての男性とは、ほとんどは臣下であり、御簾(みす)の奥深くからすかし見る男性は、みな平伏する形で現れては下がってゆく面影として見るのが常でした。たとえ、ある慕わしい気持ちが皇女の側にきざそうと、男性の側からは永久に見ぬ人への憧れであって、それ以上の近しさなどあり得ないのが現実でした。

 「伊勢物語」第69段には、在原業平に擬せられた「男」が勅使として伊勢の斎宮を訪ね、人が寝静まった時、2人きりの時間を過ごしたと記されています。実際には、斎宮の住まいや神館において、男女が2人きりで語り合うことなどあり得ない情景なのですが、「伊勢物語」では夢か現(うつつ)かわからない、かすかな幻という含みで語られています。もし、これが実話だとすれば、業平は畏れ多くも斎宮の清浄性を汚したことになり、貴族社会の全体から眉をひそめられたに違いありません。

 斎宮と並び称される制度に賀茂神社の斎院(さいいん)があります。同様に皇女から選ばれ、こちらは京都近郊の賀茂の社(やしろ)に仕える清浄の身として、紫野(むらさきの)の斎院御所で日々を過ごしました。

 古典和歌の愛好者なら、後白河院の皇女の式子(しょくし)内親王が斎院であったことを思い浮かべる人も多いでしょう。

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

 百人一首にもとられた彼女の歌はあまりにも有名です。しかし、私は個人的には、こうした忍ぶ恋の絶唱よりも、彼女の歌の持つ独特な静謐な繊細さの方に惹かれます。

山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水

 春の歌ですが、そこには、じっとものを見つめる人の静かさ、心の哀しさや寂しさをひそめる人の、繊細でふるえるような喜びが詠まれていて、じつに繊細鋭敏です。しかも、王朝独特の「華麗」な雰囲気を失わず、透きとおるような美しさと、加えてその底に孤独の影のようなものを感じます。

 斎宮や斎院に持つイメージとは、私にとって、いつもこうした一人の自分にかえってゆく、孤独の影を帯びた繊細な皇女のイメージです。

 ところが、今回の「とはずがたり」に描かれた後深草院と斎宮と、その取り持ち役をになった二条の言動には、密やかな雰囲気や憂愁や繊細さや哀しさといった要素が微塵もありません。後深草院はひたすら軽薄であり、知的なところの足りない前斎宮はひたすら眠たがり、二条は共犯者的に嬉々としています。

 院と前斎宮との密事としての秘められた恋、高貴さゆえの拒絶と懊悩、それを乗り越えようとするひたむきな男の恋情の激しさ、手引きをさせられる二条の女としてのつらさ、そのようなものが書かれていれば、読む者の心を打つのかもしれません。しかし、そのような雰囲気は感じられません。

 前斎宮は院のお手紙も見ようともせず、よほど眠たかったのか、ご返事も託さずにさっさと寝てしまいますし、その態度を見た二条の「心やましければ=不快で面白くないので」というあけすけな発言も、私の耳にはタメ口で『こんな場面で寝るかよ、ふつう、もう〜』と言ってるように聞こえで、思わず吹いてしまいました。
全体に軽薄というより、ノンキにカラッと乾いた感じでお話が進みます。

 二条との間にも男女関係がありながら、前斎宮との取り持ちを催促すること自体が、二条の立場の曖昧さを物語っているわけですから、女としての苦悩を語ってもよい場面なのに、そうした言動もよみとれません。
 この場面のすぐ前まで、政治的事情と個人的事情で各々出家を望んでいたはずの後深草院と二条にしては、方向転換の素早さもいささか度が過ぎているのではなかろうか、という感じさえします。

 結局、院のたわむれの恋の結末は、終わりに前斎宮を「枝もろく折りやすき花」にたとえる所感に残酷に表されるのですが、それに対して二条が「院に対してもっと抵抗して身を許さなければ、どんなにおもしろかったろう」とつぶやく件(くだ)りなど、なかなかのものです。

これも鎌倉期宮廷の退廃現象の一つと見るべきなのでしょうか。




第3問〔古文〕

次の【 文章Ⅰ 】は、鎌倉時代の歴史を描いた『増鏡』の一節、【 文章Ⅱ 】は、後深草(ごふかくさ)院に親しく仕える二条という女性が書いた『とはずがたり』の一節である。どちらの文章も、後深草院《本文では「院」》が異母妹である前斎宮(さいぐう)《本文では「斎宮」》に恋慕する場面を描いたものであり、【 文章Ⅰ 】の内容は、【 文章Ⅱ 】の6行目以降を踏まえて書かれている。

【 文章Ⅰ 】

院も我が御方にかへりて、うちやすませ給(たま)へれど、

(ア) まどろまれ給はず。

ありつる御面影、心にかかりておぼえ給ふぞいとわりなき。

「さしはへて 《…わざわざ》 聞こえむも、人聞きよろしかるまじ。いかが

はせむ」と思(おぼ)し乱る。

御はらからといへど、年月よそにて生ひたち給へれば、うとうとしくならひ給

へるままに、

A つつましき御思ひも薄くやありけむ、なほひたぶるにいぶせくてやみなむ

は、あかず口惜しと思す。


けしからぬ御本性(ほんじゃう)なりや。

なにがしの大納言の女(むすめ)《…二条を指す》、御身近く召し使ふ人、

かの斎宮《…伊勢神宮に奉仕する未婚の皇族女性》にも、さるべきゆかり

ありて睦(むつ)ましく参りなるるを召し寄せて、

「なれなれしきまでは思ひ寄らず。ただ少しけ近き程にて、思ふ心の片端を聞

こえむ。かく折よき事もいと難かるべし」と

B せちにまめだちてのたまへば、

いかがたばかりけむ、夢うつつともなく近づき聞こえ給へれば、いと心憂しと

思せど、あえかに消えまどひなどはし給はず。

【 文章Ⅱ 】

斎宮は二十に余り給ふ。

(イ) ねびととのひたる

御さま、神もなごりを慕ひ給ひけるも《…斎宮を退きながらも、帰京せず

しばし伊勢にとどまたっことを指す
》ことわりに、花といはば、桜にたとへて

も、よそ目はいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬる《 …美しい桜の花を霞が

隠すように、美しい顔を袖でお隠しになる
》ひまもいかにせましと思ひぬべき

御ありさまなれば、ましてくまなき御心《…院の好色な心のこと》の内は、

いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひ

し。

御物語ありて、神路(かみぢ)の山の御物語《…伊勢神宮奉仕時の思い出

など、絶え絶え聞こえ給ひて、

「今宵はいたう更け侍(はべ)りぬ。のどかに、明日は嵐の山の禿(かぶろ)なる

梢(こずゑ)ども《…嵐山の落葉した木々の梢》も御覧じて、御帰りあれ」

など仰せあり。

思ひつることよと、をかしくてあれば、

「幼くより参りし《…二条が幼時から院のそば近くにいたことを指す》しる

しに、このことかなへたらむは、まめやかに心ざしありと思はむ」

など仰せありて、やがて御使(つかひ)に参る。ただ、

(ウ) おほかたなるやうに、

「御対面うれしく、御旅寝すさまじくや」などにて、忍びつつ文あり。氷襲(こ

ほりがさね)の薄様(うすやう)《…表も裏も白の紙》にや。

知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけりとは

更けぬれば、御前なる人もみな寄り臥(ふ)したる。御主も小几帳(こぎちゃ

う)引き寄せて、御殿籠(おほとのごも)りたるなりけり。

近く参りて、事のやう奏すれば、御顔うち赤めて、いと物ものたまはず。文も

見るとしもなくて、うち置き給ひぬ。

「何とか申すべき」

と申せば、

「思ひ寄らぬ御言の葉は、何と申すべき方もなくて」

とばかりにて、また寝給ひぬるも心やましければ、帰り参りて、このよしを申

す。

「ただ、寝たまはむ所へ導け、導け」

と責めさせ給ふもむつかしければ、御共に参らむことはやすくこそ、しるべし

て参る。甘の御衣(かんのおんぞ)《…上皇の平服としての直衣(のうし)

などはことごとしければ、御大口(おほぐち)《…表袴の下にはく裾口の広い

下袴
》ばかりにて、忍びつつ入らせ給ふ。

 まず先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて御殿籠りた

る。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小(ちひ)さらかに《

体を小さくして
》這(は)入らせ給ひぬる後、いかなる御事どもかありけむ。

現代語訳

【 文章Ⅰ 】

 院もご自分のお部屋に帰ってお休みになったけれど、

(ア) まどろまれ給はず。

先ほどの(斎宮の)面影が、お心にかかって思われなさるのが、たいそうどうしようもない。
「わざわざ手紙を差し上げるのも、人聞きがよろしくないだろう。どうしたらよかろうか」と思い乱れなさる。

 ご兄弟(異母妹)とはいっても、長い年月他所でお育ちになったので、疎遠な状態に慣れていらっしゃるままに、

A つつましき御思ひも薄くやありけむ、なほひたぶるにいぶせくてやみなむは、あかず口押しと思す。

甚だよくない(院の)御性格であるよ。

 某(なにがし)の大納言の娘で、院の御身近くに召し使う人《…二条を指す》が、その斎宮にもしかるべきご縁があって、親しく参り慣れているのをお呼び寄せになって、

「馴れ馴れしく深い仲になろうとは思ってもいない。ただ、少し近い所で、思う心の一端をも申し上げたい。このような折良き機会もたいそう得難いことであろう」と、

せちにまめだちてのたまへば、

(二条は)どのように工夫したのだろうか、(院は闇の中を)夢ともうつつともなく(斎宮に)近づき申し上げなさったので、(斎宮は)たいそうつらいとと思いになるけれど、弱々しく消え惑うようなことはなさらない。

【 文章Ⅱ 】

 斎宮は二十歳を超えていらっしゃる。

(イ) ねびととのひたる

ご様子は、(伊勢の)神も名残を惜しんで慕いなさったのももっともなことで《…斎宮を退いてもすぐに帰京せず伊勢に留まったことを指す》、花でいったら桜に例えても傍目にはどうであろうかと見まちがわれ、

(桜ならば霞が立ち隠すのだが)霞ならぬ袖を重ねて、お顔をお隠しになる間も《…顔を袖で隠すことを指す》、どうしたものかと(誰もが)思うに違いないご様子なので、
まして、隅々まで行き届く(好色な院の)お心の内は、早くもどんな物思いの種になっておられるのかと、よそながら(斎宮のことが)気の毒に思われた。《受け身尊敬…直訳は「斎宮様が私から気の毒なものに思われなさった」

 (院と)お話などあって、(斎宮は)伊勢神宮に奉仕していた頃の思い出話などを、途絶えがちに申し上げなさって、

(院が)『今宵はたいそう更けてしまいました。のんびりと明日は嵐山の葉の落ちた梢などをご覧になって、お帰り下さい」

などと申し上げなさって、(院は)ご自分のお部屋にお戻りになって、早くも、

「どうしたらよかろうか、どうしたらよかろうか」と、仰せになる。(私=二条は)思っていたことよ、とおかしく思っていると、

「お前が幼い時から私のそば近くに仕えてきたかしるしに、このこと(=斎宮との逢瀬)を叶えてくれたら、誠実な心ざしがあると思おう」 など仰せがあったので、(私は)すぐに院の御使いとして(斎宮のもとへ)参る(ことになった)

(その時の院の口上[こうじょう]としては)ただ、

(ウ) おほかたなるやうに、

「ご対面できて嬉しく思います。旅寝も殺風景ではありませんか」などといったもので、(それとは別に)こっそりとお手紙がある。

氷襲(こおりがさね)の薄様の紙であったかに、(このように書かれていた)

「《歌》あなたはお知りにはなりますまいね、たった今お逢いしたあなたの面影が、そのまますぐに私の心にかかってしまったとは

(さて私が御使いとして斎宮のもとに参ってみると)
夜も更けたので、斎宮の御前の人もみな物に寄り伏して寝ていた。斎宮ご自分も小几帳を引き寄せてお休みになっているのであった。
近くへ参上して、院の仰せを奏上すると、斎宮はお顔をうち赤めて、とくに何もおっしゃらない。院からの手紙も見るというわけでもなく、うち置きなさった。

「(院へは)何とご返事申し上げたらよいでしょうか」と(私が)申し上げると、

「思いも寄らぬお言葉は、何と申し上げようもなくて」
とおっしゃっただけで、また(斎宮は)寝てしまわれたのもおもしろくないので、帰り参って、このことを(院に)申し上げる。

「ただもう、斎宮の寝ておられる所へ我を導け、導け」と、

(院が私を)お責めになるのもわずらわしいので、お供に参ることなら容易いことで、私は院をご案内して参る。甘の御衣(かんのおんぞ)などは仰々しいので、表袴の下にはく大口袴(おおぐちばかま)だけで、こっそりと院は斎宮の居所にお入りになる。

 まず、私が先に参って、御障子(=襖)をそっと空けると、斎宮は先ほどのままでお休みになっている。御前にお仕えする人も寝入ってしまったのであろうか、音(=声)を立てる人もなく、院は体を縮めて小さくして中にお入りになった。その後は、どのようなことがおありになったのだろう。
木山注…もちろん作者はこの後の展開を承知していて、婉曲に言っているのである


問1 傍線部(ア)〜(ウ)の解釈として最も適当なものを選べ。

(ア) まどろまれ給はず

① 酔いが回らずにいらっしゃる
② お眠りになることができない
③ ぼんやりなさっている場合ではない
④ お心が安まらずにいらっしゃる
⑤ 一息つこうともなさらない

*公式2…「る・らる」可能の用法は多く打ち消し/反語と共に用いられる、とあるように、打ち消し/反語を伴わない「る・らる」の単独の用法は極めて稀です。つまり、多くの場合『〜できない』の意で可能となります。
「まどろむ」は ” うとうとと眠ること "


答→

(イ)ねびととのひたる

① 将来が楽しみな
② 成熟した
③ 着飾った
④ 場に調和した
⑤ 年相応の

*直単B動50「ねぶ」…大人っぽくなる・成長する。直訳すれば『大人っぽく成長して整っている』の意。
⑤の「年相応」も意訳としては許容されるのでは?と感じるかもしれませんが、年相応とは “ 年齢に釣り合っている/年齢にふさわしいさま ” ですから、この文脈の「斎宮が成熟していらっしゃる」の文意とは必ずしも重なりません。当時の女性の年齢感覚では「二十に余る」はとうに盛りを過ぎた年齢ですから、それに対して年相応といえば、『年相応に老けて見える』といったニュアンスになってしまいます。


答→


(ウ)おほかたなるやうに

① 特別な感じで
② 落ち着き払って
③ ありふれた挨拶で
④ 親切心を装って
⑤ 大人らしい態度で

*直単C副5「おほかた」…だいたい・一般的に。つまり、院から斎宮への口上(こうじょう)としては、いきなり色めいた告白を伝えるのではなく、まずはごく一般的な(又はありきたりな)旅迎えの口上として二条が取り次いだという文意です。

答→


問2 傍線部つつましき御思ひも薄くやありけむ、なほひたぶるにいぶせくてやみなむは、あかず口惜しと思す」の語句や表現に関する説明として最も適当なものを、一つ選べ。

① 「つつましき御思ひ」は、兄である院と久しぶりに対面して、気恥ずかしく思っている斎宮の気持ちを表している。

② 「ありけむ」の「けむ」は過去推量の意味で、対面したときの斎宮の心中を院が想像していることを表している。

③ 「いぶせくて」は、院が斎宮への思いをとげることができずに、悶々(もんもん)とした気持ちを抱えていることを表している。

④ 「やみなむ」の「む」は意志の意味で、院が言い寄ってくるのをかわいそうという斎宮の気持ちを表している。

⑤ 「あかず口惜し」は、不満で残念だという意味で、院が斎宮の態度を物足りなく思っていることを表している。

*傍線部Aの直後の「けしからぬ御本性なりや」は、院の好色さに呆れる筆者の草子地(D基29)と読めますから、その点からも “ けしからぬ御本性 ” の主体は院であると判断できます。従って、斎宮を主体とする①④はすぐに落とせます。
B動42「つつまし…遠慮する」・B形13「いぶせし…憂うつだ」・漢単D22「やむ…終わる」・D連1「あかず…不満だ」・B形34「くちをし…残念だ」などの重要単語を組み合わせた直訳は、『遠慮する思いも薄かったのだろうか、やはりひたすら憂うつなままで終わってしまうのは、不満で残念なので
何に対する遠慮かと言えば、傍線部の直前に『御はらからといへど、年つきよそにて生いたち給へれば、うとうとしくならひ給へる=ご兄妹とはいっても、長年別な場所でお育ちなさったので、疎遠な関係に慣れていらっしゃる』とあるように、異母妹の斎宮とは兄妹とはいえ別々に生い立った関係で、かつ、疎遠でもあったが故に、斎宮への恋愛感情も遠慮する気持ちが薄いのであろうか〜といった文脈です。
①「つつましき御思ひ」の主体は院。斎宮ではありません。
②文法チェックリストの一問一答で何度もチェックしたように、相手の心中推量となるのは公式13「らむ」(現在推量)の働きであり、過去推量の「けむ」ではありません。
④「やみなむ」の訳は、公式5日の丸マーク⑴きっと〜だろう、か⑶今にも〜してしまう、のいずれかとなり、どちらの場合でも「む」の意味は推量です。意志ではありません。
⑤何に対して「あかず口惜し」なのか、といえば、斎宮の態度に対してではなく、斎宮との恋愛に進展を望めない状況そのものに対する不満と言うべきです。
結局、重要単語の『いぶせし』の意味を “ 憂うつな気持ち ” と正確に理解していれば、他がどうであれ、③を選べたのではないでしょうか。


答→


問3 傍線部せちにまめだちてのたまへば」とあるが、このときの院の言動についての説明として最も適当なものを、一つ選べ。

① 二条と斎宮を親しくさせてでも、斎宮を手に入れようと企(たくら)んでいるところに、院の必死さが表れている。

② 恋心を手紙で伝えることをはばかる言葉に、斎宮の身分と立場を気遣う院の思慮深さが表れている。

③ 自分の気持ちを斎宮に伝えてほしいだけだという言葉に、斎宮に対する院の誠実さが表れている。

④ この機会を逃してはなるまいと、一気に事を進めようとしているところに、院の性急さが表れている。

⑤ 自分と親密な関係になることが斎宮の利益にもなるのだと力説するところに、院の傲慢さが表れている。

*これも、結局、単語の勝負です。C形動16「せちなり…切実だ」・C形70*「まめなり…真面目だ」直訳すれば『院は切実に真面目におっしゃっるので』
「切実」の意味は “ 我が身に直接差し迫っていること ” ですから、その切実な切迫感を表す①「必死さ」と④「性急さ」の二つに絞られます。その他の「思慮深さ」「誠実さ」「傲慢さ」は目に入った時点で瞬殺。
①の「二条と斎宮を親しくさせてでも」は【文章 Ⅰ 】の『さるべきゆかりありて睦(むつ)ましく参りなるる=しかるべきご縁があって親しく参り慣れている』の記述と矛盾します。元来、ご縁があって親しくしていた二人なのですから、“ 院が二人を親しくさせてでも ” という発想は出てこないはずです。
④の「この機会を逃してはなるまい」は、【文章 Ⅰ 】中の「かく折よき事もいと難かるべし」と整合します。


答→


問4《省略》





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第4問(漢文)

清の学者・政治家阮元(げんげん)は、都にいたとき屋敷を借りて住んでいた。その屋敷には小さいながらも花木の生い茂る庭園があり、門外の喧騒(けんそう)から隔てられた別天地となっていた。以下は、阮元がこの庭園での出来事について、嘉慶(かけい)十八年(1813)に詠じた【詩】とその【序文】である。

【序文】

 余(よ)旧(もと)より董思翁《とうしをう…明代の文人》の自ら詩を書せし扇を

蔵(ぞう)するに、「名園」「蝶夢(ちょうむ)」の句有り。

辛未《しんぴ…年号・嘉慶十六年》の秋、異蝶の

園中に来たる有り。識者(しきしゃ)知りて

太 常 仙 蝶(だいじょうせんちょう)

と為(な)し、之を呼べば扇に落(お)つ。

(ア)

之(これ)を瓜爾佳氏《くわじかし…満洲族名家の姓》

の園中に見る。

 客 有 呼 之 入 匣 奉 帰 余 園 者、

園に至(いた)りて之を啓(ひら)くに、則(すなは)ち

空匣(くうかふ)なり。

壬申《じんしん…年号・嘉慶十七年》の春、蝶

ふたたび余(よ)の園の台上に見(あらは)る。

画者(がしゃ)祝(いの)りて曰(いは)く、

 苟 近 我、 当  之。

蝶其(そ)の袖に落ちて

(イ)

視(み)ること良(やや)久しくして、其(そ)の形色を

(ウ)得、

乃ち従容《しょうよう…ゆったりと》として、

翅(はね)を鼓(う)ちて去る。

園故(もと)名無し。是(ここ)に於いて始めて

思翁の詩及び蝶の意を以て之(これ)に名づく。

秋半ばにして、余(よ)使(つか)ひを奉(ほう)じて、

都を出で、是(こ)の園も又他人に属す。

芳叢(はうそう)を回憶(かいおく)すれば、真に夢のごとし。

【詩】

春城(しゅんじょう)花事(かじ)小園多く

幾度(いくたひ)か花を看(み)て幾度か[ X ]

花は我が為に開きて我を留(とど)め往(とど)め

人は春に随(した)がひて去り

  春 何

思翁(しをう)夢は好(よ)くして書扇を遺(のこ)し

Ⅱ 仙 蝶(せんちょう)

図(ず)成りて袖羅(しゅうら)を染む

他日(たじつ)誰(た)が家か還(ま)た竹を種(う)ゑ

輿(こし)に座して子猷(しゆう)の過(よぎ)るを許すべき

       (阮元『揅経室集』による)



現代語訳

 私は旧(もと)薫思翁(とうしをう…明代の文人)が自(みずか)ら詩を書した扇(おうぎ)を所蔵していたのだが、 (その扇の面には)「名園」「蝶夢」の句が書かれてあった。
辛未(しんぴ…清・嘉慶十六年)の秋、ふつうとは異なってすぐれて美しい蝶が、私の庭園にやってくることがあった(=飛んで来た)。
識者(=知識ある者)が、(その蝶を)

太 常 仙 蝶(だいじょうせんちょう)

と判断し、蝶を呼ぶと、ひらりと扇に落ちてとまった。
 それから、ふたたび(この蝶を)瓜爾佳氏(くわじかし…満洲族名家の姓)の庭園に見た(=現れた)。

 客 有 呼 之 入 匣 奉 帰 余 園 者、

私の庭園に至って、この匣(=箱)を開くと、空の箱であった(=蝶の姿が消えていた)。

壬申(清・嘉慶十七年)の年の春、蝶はふたたび私の庭園の高台(こうだい)の上に現れた。
画家が祈って言うことには、

 苟 近 我、 当  之。

蝶はその画家の袖にひらりと落ちてとまり、(画家は)

(イ)

観察することやや久しくして、その蝶の形色を手に入れて(描くことができ
た)、すると、蝶はゆったりと羽ばたいて飛び去った。

私の庭園には、もともと名前がなかった。
そこではじめて、薫思翁(とうしをう)の詩と蝶の思いによって、これを名づけた。
秋の半ばになって、私は使者(としての使命を)奉じて都を出て、この庭園も他の人に属することとなった。芳(かん)ばしい草むら(叢…草むら)を思いめぐらせば、まことに夢のようである。


ー万物斉同(ばんぶつせいどう)・胡蝶の夢ー

 不思議な文章だなぁ、というのが最初の読後感です。魅惑的な蝶は変幻自在に現れては消えます。呼べば扇にフワリと落ちてとまる蝶は、他家の園中に現れたかと思えば幻のようにかき消え、数年後には、ふたたび阮元の園に現れます。扇に書かれた「蝶夢」という語句自体が、荘子の有名な ” 胡蝶の夢 " を思わせて暗示的です。この蝶の実存は、まるで現実と幻の境を変幻に揺れ動いているようです。
 そもそも、この文章は単なる備忘録に漢詩を付したものに過ぎないのか。それとも、はかなく消えてしまう蝶の話には、荘子の “ 胡蝶の夢 “を思わせる老荘思想的寓意が込められているのか。全体に恬淡(てんたん…あっさりとして執着がないこと)な筆致なので、どう受け取るかは、結局、読み手次第なのでしょうが、とにかく、印象深く心に残る詩文です。

 荘子の哲学を簡単にまとめますと、「人が考えだした様々な束縛を忘れて、世界の姿をありのままに受け入れよう」という考え方です。「是と非、生と死、大と小、美と醜、無と有」などの現実に相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した人為的な結果であり、荘子はそれを「ただの見せかけに過ぎない」とします。認識や分別といった人為的な「知」こそが相対を生み出しているのであって、人為をなくせば全ては同一である、というわけです。これを万物斉同(ばんぶつせいどう)と言います。

 二つの対立する要素が無いのですから、物事は全て一つであり「無為」の状態になることが必要であると荘子は説きます。何事も人為にとらわれず、世界をそのままに、あるがままに受け入れて生きよという、あのいわゆる「無為自然」の生き方になるわけです。
さらに、荘子にとっては、「無と有」という対極でさえ「人為」ではないかと考えます。有ることと無いことが同一であるという言説は、ひどく我々の思考の土台を揺るがして、深遠すぎて訳がわからない感じになりますが、荘子に言わせれば、有ると考えるのも人間の側の人為的な概念に過ぎず、無いと考えるのもまた然りであって、「無為」の視点からは全ては一つである、という解釈になるようです。
 一見、荒唐無稽な考えにも見えますが、現代物理学の先端でも『シュレーディンガーの猫』という、物理学的実存をめぐる有名な思考実験があって、観測者が箱を開けるまでは、猫の生死は決定しておらず、生きている猫と死んだ猫の状態が重なり合って存在している、と解釈されるそうですから、荘子の哲学も意外な先端性を示しているのかもしれません。

 今回の詩文に即して言えば、魅惑的な蝶は果たして存在したのか、それとも、最初から非存在の幻であったのか、そのような問いかけ自体が人為のなせるわざであり、本質において蝶の「有」も「無」も変わりがないという究極の達観主義をさりげなく寓意化したお話のようにも見えます。しかし、それが私の深読みに過ぎず、これが単なる備忘録であるのなら、捕まえた蝶はただ箱の隙間から逃げたということになるのでしょう(笑)。

 少なくとも、阮元(げんげん)は清朝末期の政治家でしたから、政務に疲れた身を、一時的にでも脱俗の境地に遊ばせることで精神的保養を図ろうとしたとは言えるのかもしれません。
リード文にある「小さいながらも花木の生い茂る庭園があり、門外の喧騒から隔てられた別天地となっていた」は、人為を離れ、原始的で小規模な農村生活を理想とした老荘思想の理想郷と重なります。荘子のいう ” 逍遥遊 " の世界に遊ぶといった境地であったのでしょう。

 漢詩の第三句「人は春に随ひて去り、春を如何(いかん)せん」という表現も、日本の古典和歌の「過ぎゆく春」というモチーフであれば、どことなく憂愁のかげを帯びるものですが、ここでは、もう少し乾いた達観、何事にもとらわれない心を言っているように感じます。

これを読む皆さんは、この恬淡な味わいの阮元の詩文に何を思われるのでしょう?
私には、『心はいかにして自由になれるのか』という問いに対する中国哲学の達した頂点を、さりげなく示しているようにも感じますが、私の深読みが過ぎるのかもしれません。


問1 波線部(ア)「復」・(イ)「審」・(ウ)「得」のここでの意味として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。

(ア)「復」 
① なお
② ふと
③ じっと
④ ふたたび
⑤ まだ

*漢単D12「復…まタ→ふたたび
答→

(イ)「審」 
① 正しく
② 詳しく
③ 急いで
④ 謹んで
⑤ 静かに

*漢単C32「審…つまびラカ→詳しく
答→

(ウ)「得」 
① 気がつく
② 手にする
③ 映しだす
④ 把握する
⑤ 捕獲する

*漢単A37①「得…(動詞の場合)手に入れる
つまり、直訳的に言えば “ その蝶の色や形を画家が手に入れて自分のものとした “ ということですが、そのことは意訳としては、選択肢④のように『色や形を把握した』と言い換えることも出来ます。
おそらく、作問者の考えでは「得」の本動詞の意味「手に入れる」はあまりに自明であるので、そもそも ” 色や形を手に入れるとはどういうことか?適切な意訳を探せ “ というつもりで作問したのでしょう。
また、選択肢②の「手にする」は何かある行為をするために自分の手で持つ・受け取る、といった即物的ニュアンスが強いのに対し、「手に入れる=自分のものとする」は観念的対象にも用いる、といった違いもあります。つまり ” 色や形を画家が手に入れて自分のものとした “ であれば全く正しいのですが、それを「手にする」と即物的に表現してしまうと若干ニュアンスがズレる、と作問者は考えているのかもしれません。従って、意訳の上で難点のない④が正解となります。


答→


問2 傍線分客 有 呼 之 入 匣 奉 帰 余 園 者」について、返り点の付け方と書き下し文との組み合わせとして最も適当なものを一つ一選べ。

① 客 有 之 入 匣 奉 余 園

客に之を呼び匣(はこ)に奉じ入るること有りて余の園に帰る者あり

② 客 有 之 入 匣 奉 帰 余 園 者

客に之を呼び匣にいれ奉じて帰さんとする余の園の者有り

③ 客 有 呼 之 入一レ 匣 奉 帰 余 園

客に之を匣に入れ呼び奉じて余の園に帰る者有り

④ 客 有 呼 之 入 匣 奉 帰 余 園

客に之を呼びて匣に入れ奉じて余の園に帰さんとする者有り

⑤ 客 有 呼 之 入 匣 奉 帰 余 園 者

客に之を呼ぶこと有りて匣に入れ余の園の者に帰すを奉ず

*客ニの「〜ニ」は漢文公式24③⇒これから述べようとする事柄を先に提示する働きであり、このような場合、主なる文の前に提示されます。また、公式12B*「有〜者/莫〜者」は『〜する者有り/〜する者莫し』と返読し、中間部分は者にかかる修飾語となります。つまり、『客ニ〜〜〜スル者有リ』というのが大きな文構造となるわけです。
 この観点から①と⑤が落ちます。①は末尾を「〜者あり」としていますが、漢字の「有」に返読しておらず、送りとして「アリ」を付けた形ですから正しくありません。
選択肢②では招かれた客の一人が「余の園の者」ということになりますが、自分の庭園の人=庭師のような人物が賓客として招かれるというのも考えにくく、前後に登場しない人物が唐突にそこにだけ書かれるというのも不自然です。
 ③は「之を呼び」の形になっていない点で落とせます。傍線Aの直前の『之を呼べば扇に落つ』を受けて、傍線部中の「呼 之」も「之を呼び(て)」となるはずですし、そもそも『匣に入れ呼び奉じて』と繋いでしまっては何を呼んだのかもわからず、意味不明な文章になってしまいます。
ちなみに、「奉ず」は「高貴な人に差し上げる」意の本動詞であり、「〜奉る」などの謙譲の補助動詞ではありません。

答→


問3 傍線部B苟 近 我、我 当  」の解釈として最も適当なものを一つ選べ。

① どうか私に近づいてきて、私がおまえの絵を
 描けるようにしてほしい。

② ようやく私に近づいてきたのだから、私はお
 まえの絵を描くべきだろう。

③ ようやく私に近づいてきたのだが、どうして
 おまえを絵に描けるだろうか。

④ もし私に近づいてくれたとしても、どうして
 おまえを絵に描けただろうか。

⑤ もし私に近づいてくれたならば、必ずおまえ
 を絵に描いてやろう。

*漢文公式18②『苟クモ…いやしくも⇒もしも/かりにも〜なら』。この知識で選択肢④と⑤に絞れます。さらに、再読文字の「当(まさ)ニ〜ベシ」(公式7②)に反語の意味はなく、全体として『もしも〜ならば、当然〜しよう/するにちがいない』となりますから、⑤が正解です。
ちなみに、漢語の「苟(いやし)クモ」には『まことに』の意味もありますが、これまで大学入試に出題された例を見たことがなく、共通テストの正答として出されるとは考えられません。仮にその線で①を考えてみても、文末が「〜してほしい」では再読文字『当』の意を正しく反映しているとは言えません。


答→


問4 空欄【X】に入る漢字と【詩】に関する説明として最も適当なものを一つ選べ。

①「座」が入り、起承転結で構成された七言絶句。

②「舞」が入り、形式の制約が少ない七言古詩。

③「歌」が入り、頷聯(がんれん)と頸聯(けいれん)がそれぞれ対句になった七
 言律詩。

④「少」が入り、第一句の「多」字と対になる七言絶句。

⑤「香」が入り、第一句末と偶数句末に押韻する七言律詩。

*詩の形式から七言律詩であることは明らか。
①の「七言絶句」②の「七言古詩」④の「七言絶句」などは落ちます。残った選択肢③と⑤で絞ってみましょう。七言律詩の押印は第一句末と偶数句末が基本であり、この詩も「多…ta」「何…ka」「羅…ra」「過…ka」と韻を踏んでいます。母音のa音で韻が揃うと考えると選択肢③の「歌…ka」が該当します。選択肢⑤の「香」の音読みはコウ又はキョウとなりa音にはなりません。「香」を例えば『色香=いろか』などのように「カ」と読むのは「かおり/かおる/かんばし」などと同じく訓読みとなります。
又、直前の「花ヲ看テ」の主体は作者であって、花ではありません。接続助詞の「テ」で繋ぐとき主体は変わらないのが普通ですから、【X】に「香」を入れてしまうと作者自身が香っているという変なことになってしまいます。
こういう訳で選択肢⑤は落とせます。
選択肢③の頷聯(がんれん)は律詩の3・4句目、頸聯(けいれん)は5・6句目のことで、公式25にもあるように、ここで対句となるのが律詩の基本です。対句の認定は①文法的構造が同じであること、②相対して対になるものが意味上も等質であること(公25B)によります。「花ハ」に対して「人ハ」、「思翁」に対して「仙蝶」と相対しており、返点のつき方も全く同じですから対句と認定できます。


答→


問5 傍線部 春 何」の読み方として最も適当なものを一つ選べ。

① はるもいかん
② はるにいづれぞ
③ はるにいくばくぞ
④ はるをなんぞせん
⑤ はるをいかんせん

*簡単です。漢文公式14C⑥のチェックで、一問一答を何度も繰り返したように、如何・若何・奈何(=いかんセン)が目的語をとるときは2文字の間に入る、というルールを問うた設問です。目的語の送りは「〜ヲ」ですから、『春ヲ奈何(いかん)セン』となります。

答→


問6《省略》
問7《省略》

《結語》
 令和4年・2022年共通テスト古典における木山方式の直接ダイレクトな得点寄与率は、古文が問1(ア)(イ)(ウ)・問2・問3の29点。
漢文が問1(ア)(イ)(ウ)・問3・問6の24点。
合計で100点中の53点(53%)という結果になりました。
ここ数年来のセンター・共通テストの得点寄与率に比べるとほんの少し高い数値です。

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