お便りシリーズNo.76
= 令和4年・2022年早稲田・教育学部古典(古文漢文)だより =
知識だけで5割の得点率が可能となる方策
はあるか?》実際に解かせてみた検証。
ー平安版『花王愛の劇場』・苦悩する姉妹ー
1969年から2009年までの、平日の13:00〜13:30にTBS系列で放送された昼メロ《主婦層向けのメロドラマ》に「花王愛の劇場」というのがありました。女性の不倫・浮気・道ならぬ恋をモチーフとした過激な愛憎劇が人気を呼び、いわゆる「よろめきドラマ」の系列をさらにドロドロにしたような「女の絶叫」的演出に引き込まれる主婦層も多かったと聞きます。
今回取り上げる「夜の寝覚め」は、いわば平安版『花王愛の劇場』といった趣きです。
少しあらすじを紹介しましょう。
時の関白左大臣の息子の権中納言(⇒後に大納言)は、太政大臣の長女大君(おおぎみ)との婚約が整っていましたが、乳母(めのと)の病を見舞った夜に、隣家から聞こえてくる琴の音色にひかれて、大君の妹、中の君を垣間見てしまいます。
中の君の「望月のさやかなる光」を見るような美しさに心奪われた中納言は、婚約者の妹とは知らずに中の君と一夜の契りを結んでしまい、中の君は懐妊します。
その後、中納言は姉の大君と結婚しますが、中の君との一夜を忘れられません。中の君も、あの夜の相手が姉の大君の夫であることを知り驚愕します。
中の君は病気平癒祈願にことよせて石山寺に隠れ、密かに輝くばかりの女子を出産します。中の君思慕に堪えかねた大納言(以前の中納言)が石山に忍び、生死の境にある中の君と再会する感動的な場面もありました。
石山の姫君は密かに大納言の手に引き取られ、初孫を喜ぶ父(大納言の父)関白邸で愛育されます。夫の大納言が子を迎えたという噂はたちまち北の方(姉の大君)の耳にも入り、大君は他の女性の存在を知り不信に苦しみます。《←この場面が今回の早稲田教育学部の本文となっています》しかし、やがてさらに恐ろしい事実、その子の母が自分の妹の中の君であることを悟らねばなりませんでした。
病癒えて本邸(太政大臣邸)にあった中の君は、姉夫婦の危機と周囲の我が身への憎悪を一つ家の中で受け止めることとなります。
大納言はこれ程までの危機にも、中君への想いがやまず、人目を避けて同じ邸に住まう中の君に便りを届けさせたりしますが、姉への呵責の念に苦しむ中の君は決して返事をしません。しかし、中の君の心には、大納言に対して新たな男女の深い情愛も芽生え始めてきます。
かくて、あやにくなる縁(えにし)はもつれにもつれ、事態はいよいよ深刻になりまさりつつ、さて、その後の三人の運命やいかに・・・
といった内容が巻一・巻二のあらすじです。
私が今回「文脈が分からない状態でどの程度問題が解けるのか?」と問題を提起したのは、上記のような背景が充分に伝えられない状況で早稲田の問題が作られているように感じるからです。
2 夫の大納言が子を迎えた事実を知り、妻の大君は不信に苦しみ、それに対して大納言が弁明するいきさつ。
3 この問題文の時点で、中の君は大納言夫婦と同じ邸に住んでおり、大納言は同じ邸内の中の君に文を送っているということなど。
こうした背景説明が、リード文や補註によってある程度補われなければ、設問自体は解けたとしても、正攻法の読解は無理なのではないか、と私は感じてしまいます。
例えば、傍線3の直後の『〜ときこえても、あなたうち見やられて、』の「あなた=あちら=中の君の部屋の方に自然に目がいって」などは、大納言夫婦の部屋から中の君の部屋が間近に見えている、つまり同じ邸内に住んでいることが前提とならなければ、論理的には出てこない訳出ですし、「かの石山にて、あるかなきかなりし火影(ほかげ)に、いとよく似たりかし」という大納言の独白も、石山での中の君との再会が前提となった表現ですが、補註などの説明がありません。
一般に早稲田の古文問題の背景説明は充分に尽くされていないことが多く、状況設定がよく分からないまま、いきなり原文を読まされる感があります。
作問者自身には研究対象としてすでに自明の作品背景であっても、受験生の立場に立てば多くは作品背景を知らない、いわば原初状態ですから、彼らの手持ちの知識だけで文脈の把握につながるかどうか、作問者は常に心を配る必要があります。つまり、本気で文脈を読ませようとするならば、それに見合うだけの説明・補註を付けるのが常道ですが、その点で早稲田の作問は極めて不充分と言えます。
しかし、そうした傾向が早稲田の問題の伝統のようになっている現状もあり、受験生としては《文脈が理解できない状態でも、前後関係や知識だけで何とか設問自体には答えられる方策》を探っていくしかないわけです。
そこで、本文の内容が読み取れない状態で、どの程度得点出来るのか、実際の受験生を使って確かめてみることにしました。被験者は早稲田教育学部志望の既卒生(男子Aさん)であり、2022年4月から2023年1月まで一回100分の私のオンライン個人指導を40回受講された方です。現役時は理系志望であったため、古文の知識はほぼこの40回の授業を通して初めて得たということでした。
木山方式の暗記には熱心に取り組んでくれた学生さんであり、この調査の時点では、すでに古文単語・文法・和歌修辞・文学史などの暗記は充分に達成されていました。調査は2022年1月24日の授業時に、古文漢文合わせて30分の制限時間で実施しました。演習後の感想では、こちらの予想通り “ 文脈内容についてはかなり分からなかった " とのこと。ちなみに、この男子学生さんは2023年度の早稲田教育学部入試において合格されています。
以下の問題解説によって、前後関係と知識だけで解けるのではないか?と、私が考えた設問について被験者のAさんが正答を得ているかどうかを検証していきます。
[三] 次の文章は、『夜の寝覚』の一場面である。男主人公の大納言と、彼の妻であり、女主人公の寝覚の君(中君)の姉である「かの御方」(大君)との夫婦の会話から始まっている。これを読んで、あとの問いに答えよ。
大殿[注…大納言の父関白邸]には、ことごとなく、この御かしづきを
明け暮れしたまふ。御五十日の日を数へて、世の営み、響きを、かの御方には
聞きたまひて、「かかる人出で来る所もありけるを、知らざりけるよ」と、
いとなべて世の中恨めしく、【 A 】おぼしたるを見aたまひて、大納言は、
「ひとりはべりしほど、ときどきうち忍びつつ通ひし所に、かかることのあり
けるも、しらざりけるほどに、殿に、聞きたまひて、迎え取りたまへりける
にぞ、見はべる。にくからぬさまのしたれば、いかでか、ひとりも思ひ捨て
はべらむ。さるべからむついでに、いかでか見せbたてまつらむ。同じ御心に
①おぼせよ」と申したまへど、うち赤みて、年ごろも、
②おぼしのどめたる上べばかりをさりげなくて、世には、もの嘆かしげに、
静心なげなる御気色とは見つれど、
1 さしてそのこととなきには、おのずから深くも咎(とが)められたまはぬに、
姫君迎へられたまひて後、身の宿世つらくおぼし知られて、やすげなき御気色
を、「 2 わりなしや。生まれたるほどを③おぼせ。我が後(のち)かと。
たとひさるにても、男はさのみこそはべれ。されど、あやしく実法にて、
埋もれ木などやうになりはべりにし身なれば、
3 人の心を折りて、おぼし咎(とが)むばかりの振舞は、よもしはべらじ」
ときこえても、あなたうち見やられて、まづものぞあはれなる。
かくのみやすげなく、④おぼし恨みたる気色なれど、「などかく
⑤おぼすべき。あまたかかづらひ通ふは、世のつねの男の性(さが)、
4 なほなほしき際こそ、かかる筋をかく思ふなれ。ふさはしからず」
などおぼせば、姫君はた、一日の隔て、昼間のほども恋しくおぼつか
なければ、大殿がちにのみなりたまひつつ、枝さしめぐるほどに
通ひたまへるを、
5 尋ねうかがはせたまへど、
げに、「そこに、その人をおぼす」とも聞かねば、いみじく嘆かしく、
弁の乳母[注…大君の乳母]の、心焦(い)られ鎮(しづ)めもあへず思ひ言う
を、こなたには、聞くにも、いとどわづらはしきままに、御返りなども、
いとど絶えてなし。おぼつかなく、
6 いぶせくて過ぎゆく慰めには、姫君を、ただ空けくれ飽き見たてまつらせ
たまふ。
宰相の君[注…姫君の乳母]といふ人の、乳あゆる、御乳母に召したり。
御五十日、百日など過ぎて、この君、目もあやに、日に添へて光を添へ
おはするさま、あまりゆゆしきを、いとあはれと見つつ、
鼠鳴きしかけたまへば、物語をいと高くしかけて、高々とうち笑ひうち笑ひし
たまふにほひ、「かの石山にて、あるかなきかなりし火影(ほかげ)に、
いとよく似たりかし」と、まもりたまふに、いと悲しければ、見あまりたまひ
て、うつるばかり赤き紙に、撫子を折りて包みて、
7 よそへつつあはれとも見よ見るままににほひにまさるなでしこの花
ただ今御覧ぜさせばや」などばかり、例のやうに言葉がちにもあらず、優に
書きたまへるを、これにも、御前の壺なる、童べ下ろして、
草ひきつくろはせて見cたまふほどなりければ、例ならず目とどめられたまふ
に、対の君[注…大君、中君の従姉妹で中君の世話役]なども、
「いとあはれに思ひやらるる御程 8 なるを、このたびは」と、そそのかしき
こゆれど、「いかでか」と、【 B 】、きこえたまはず。
『夜の寝覚』