お便りシリーズNo.77
【令和5年・2023年度
共通テスト試験古典(古文漢文)】
言語遊戯でありながら風雅を競う
試問として挑まれもする
平安短連歌(たんれんが)の世界
平安時代に主として流行した
短(たん)連歌
とは、五七五の前句に別の作者が七七の句を付けるか、或いは七七の前句に五七五の句を付けて完結させるものです。鎌倉期以降に流行した長(ちょう)連歌と区別して短連歌と呼ばれます。平安時代の連歌の用例は、ほとんどがこの短連歌でした。
短連歌は、当事者間で互いの風雅の心得を競う言語遊戯としてしばしば行なわれました。前句を贈られて挑まれた側は、受けて立って返さねばならず、その際、
付句は適度に調和を保ちつつも、同時に新たな要素を読み込んで切り返す展開を図ることが求められました。
しかも、すばやく返さねばならず、連歌を挑まれた側としては、かなり心的負担を強いられることになります。逆に、みごとに返すことができれば自己の才覚を見せつける絶好の機会ともなるわけです。
平安時代の短連歌の実践は、このように
付句の当意即妙性を測る形
で相手を挑発するものでもあり、時として、唐突に相手の風雅を試す試問としての側面がありました。今回のお話でも、付句に苦しんで船上の貴族たちが築島を何周もしてしまうのは、何とかして当意即妙な句を付けようとして遂に機を逸してしまったということでしょう。
連歌の面白さは、展開であり、変化の面白さです。
その変調の面白さを伝える古い入試問題を紹介しましょう。
○《次の文章は、筆者が難波江を通り過ぎる際に、釣りする翁(おきな)と、思いがけず連歌の付合をする場面である》
かしこここの浦に寄りて、釣りするを見侍りしかば、何となく、
A
難波人(なにわびと)いかなる江にか朽ちはてむ
と(私が)うちすさみ侍るを、《中略》 釣りする翁の、ことのほかに年たけたるが、とりあへず、
B
あふことなみに身をつくしつつ
と付けたるに、(私は)めづらかに覚えて、舟にかしこくしひて乗り侍りて、かかる覚えぬことを聞きぬるうれしさよと思ふこと、たとへむ方なし。
「撰集抄より」
問 傍線部Aの句「難波人いかなる江にか朽ちはてむ」は、海人の姿を見ての感慨を述べたものであるが、傍線部Bの句「あふことなみに身をつくしつつ」を付けることにより、海人の姿に他のどのような人物のイメージが重ねられることになるか。
① 恋人に会えなくて恋しさに身をこがす人物のイメージ。
②別れ別れになった肉親を必死にさがす人物のイメージ。
③ 時勢に逆らい意地をはって老い朽ちた人物のイメージ。
④ 仏にすがって一心不乱に往生を願う人物のイメージ。
⑤ 時の流れに身をゆだねて心静かに生きる人物のイメージ。
[共通一次 昭和63年]
答えは①です。Aが難波江の漁民のはかない暮らしぶりに世の無常を観じて詠まれたのに対して、Bの付句では、『いとしいあの人に逢うことも無いので、(私は)身をつくして(恋しく想っています)』と、前句の無常観を恋歌のイメージに転じています。百人一首88番「
難波江の蘆(あし)の刈り根の一夜ゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき
」が土台となった付句です。
ところで、平安時代の短連歌を見ると、余り優美とは言えない作品も多くみうけます。今回の問4( Ⅰ )の
釣り針
の例〔
うつばり⇒針
〕を見てもわかるように、多くは駄洒落に類するものです 。「なぞなぞ」が連歌本来の問答的性格に合致したためか、
連歌の付合には多かれ少なかれ謎解き的要素が見られ
、多くは前句の下句(七七)に、上句(五七五)を付けさせることによって謎解きを求めるようなパターンが多く見られます。
今回の問4( Ⅰ )の答えなどは、そのような謎解き連歌の典型であり、本来は笑点で座布団一枚もらえるか貰えないか程度の低レベルの駄洒落ですが、そうした親父ギャグの解を、全国51万人の受験性が必死に考えたというのも、何か可笑しい感じです。
昭和の親父ギャグも100年も経てば古典となり、入試問題に問われる日が来るのでしょうか。
[問]
文中の登場人物が食後に発した「あぁ、うまかった、うまかった、うしまけた!」には、どのような言葉の機智が込められているかわかりやすく説明せよ。
[答]
食事が美味しかったの意の「うまかった」に「馬勝った」の意を掛け、馬と対比される牛を挙げて、馬が勝ったのだから牛が負けたと洒落てみせた言葉の機智が込められている。
くだらないとお思いでしょうが、これと、今回の問題、「うつばり」(針⇒釣り針)の影が水底に見えているから魚が住まないという理屈づけは同じようなレベルの駄洒落にすぎません。
女子校御三家(東京)の女子学生が、「私、釣り針の発想は思い付きませんでした・・」と悔しそうに唇を噛んでいた時、私は心の中で、「あんなものわかんなくてもいいんだよ」とつぶやいていました。高田純次風のオヤジ的洒落が分かっても、特に自慢にはならないのではないでしょうか。
そもそも、親父ギャグというものは、思春期の娘にとっては憎悪の対象でさえあるのに、それを発想しろ、という方が無理な話なのです。
しかし、ああいう面白おかしい、或いはばかばかしいとも言えるような作品が、連歌の社会的地位が高まると消えてしまい、全てが優美とか幽玄とか、和歌で推奨される境地を目指した句ばかりになってしまう。それはそれで残念だ、ということで、歴史の振り返しがあり、こうしたばかばかしい滑稽味を持った俳諧性が、時に底流化しながら、やがて
貞徳(ていとく)の俳諧連歌
や、近世の俳諧の発展につながることを思えば、親父ギャグも突き詰めれば文学に昇華するという、一つの証左でもあるのでしょう。
第3問(古文)
次の文章は源俊頼(としより)が著した『俊頼髄脳(としよりずいのう)』の一節で、殿上人たちが、皇后寛子のために、寛子の父・藤原頼通の邸内で舟遊びをしようとするところから始まる。
宮司(みやづかさ)《
注
…皇后に仕える役人
》ども集まりて、船をばいかがす
べき、紅葉(もみぢ)を多くとりにやりて、船の屋形にして、船(ふな)さし
《
注
…船を操作する人
》は侍(さぶらひ)の
a
若からむ
をさしたりければ、俄(にはか)に狩袴(かりばかま)染めなどして
《
注
…袴を催しにふさわしいように染めて
》きらめきけり。
その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。「御船はまうけたりや」と尋ねられ
ければ、「皆まうけて侍り」と申して、その期(ご)になりて、島がくれ
《
注
…庭の池の築島に隠れていた
》より漕ぎ出でたるを見れば、なにとなく、
ひた照(て)りなる船を二つ、装束(さうぞ)き出でたるけしき、いとをかしかり
けり。
人々、皆乗り分かれて、管弦の具ども、御前より申し出だして
《
注
…皇后寛子からお借りして
》、そのことする人々、前におきて、
(ア)
やうやうさしまはす程に、
南の普賢堂に、宇治の僧正《
注
…寛子の兄。寛子のために祈祷をしていた
》、
僧都の君と申しける時、御修法(みずほふ)しておはしけるに、かかることあり
とて、もろもろの僧たち、大人、若き、集まりて、庭にゐなみたり。
童部(わらはべ)、供(とも)法師にいたるまで、繡花(しうくわ)《
注
…花模様の
刺繍
》装束きて、さし退(の)きつつ群がれゐたり。
その中に、良暹(りょうぜん)といへる歌よみのありけるを、殿上人、見知りて
あれば、「良暹がさぶらふか」と問ひければ、良暹、目もなく笑みて
《
注
…目を細めて笑って
》、平(ひら)がりてさぶらひければ、かたはらに若き
僧の侍りけるが知り、
「
b
さに侍り
」
と申しければ、「あれ、船に召して乗せて連歌(れんが)などせさせむは、いか
があるべき」と、いま一つの船の人々に申しあはせければ、「いかが。あるべ
からず。後の人や、さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ」などあり
ければ、さもあることにて、乗せずして、たださながら連歌などはせさせてむ
など定めて、近う漕ぎよせて、「良暹、さりぬべからむ連歌などして参らせ
よ」と、人々申されければ、さる者にて、もしさやうのこともやあるとて
c
まうけたりけるにや、
聞きけるままに程もなくかたはらの僧にものを言ひければ、その僧、
(イ)
ことごとくしく歩みよりて、
「
もみぢ葉のこがれて見ゆる御船(みふね)かな
と申し侍るなり」と申しかけて帰りぬ。
人々、これを聞きて、船々に聞かせて、付けむとしけるが遅かりければ、船を
漕ぐともなくて、やうやう築島(つくじま)をめぐりて、一めぐりの程に、付け
て言はむとしけるに、え付けざりければ、むなしく過ぎにけり。
「いかに」「遅し」と、たがひに船々あらそひて、二(ふた)めぐりになりにけ
り。なほ、え付けざりければ、船を漕がで、島のかくれにて、
「
(ウ)
かへすがへすも
わろきことなり、これを
d
今まで付けぬは。
日はみな暮れぬ。いかがせむずる」と、今は、付けむの心はなくて、付けでや
みなむことを嘆く程に、何事も
e
覚えずなりぬ。
ことごとしく管弦の物の具申しおろして船に乗せたりけるも、いささか、かき
ならす人もなくてやみにけり。
かく言ひ沙汰する程に、普賢堂の前にそこばく
多かりつる人、皆立ちにけり。人々、船よりおりて、御前にて遊ばむなど思ひ
けれど、このことにたがひて、皆逃げておのおの失(う)せにけり。宮司、まう
けしたりけれど、いたづらにてやみにけり。
現代語訳
宮司《
注
…(みやづかさ)
皇后に仕える役人
》たちは集まって、(舟遊びの)船をどうしたら良いか(と相談して)、紅葉をたくさん取りにやって、それを船の屋根にして、船さし《
注
…(ふなさし)
竿をさして船を操る人
》には侍(さぶらひ)の
a
若からむ
をさしたりければ、急いで狩袴(かりばかま)を催しにふさわしいように染めたりなどして、華やかに準備していた。
さてその当日になって、人々が皆参上して集まった。「御船は準備したのか」と尋ねられたので、(宮司は)「みな準備しております」と申し上げて、 その(船遊びの始まる)時となって、庭の池の島陰より漕ぎだしてきた舟を見ると、何から何までひたすら照り輝いている船を二艘、飾り立てて出てきた様子は、たいそう趣き深かった。
人々はみなそれぞれ二艘の船に分乗して、管弦の楽器などは、御前より申し出だして《
注
…皇后寛子からお借りして
》その管弦をする人を船の前方に置いて、
(ア)
やうやうさしまはす程に、
南側の普賢堂(ふげんどう)に、宇治の僧正《
注
…寛子の兄。寛子のために祈祷をしていた
》がまだ僧都の君と申していた頃で、(妹の寛子のために)ご祈祷をしていらっしゃったが、このような催しがあると聞いて、諸々の僧たちが年配の僧も若い僧も集まって、庭に並び座っていた。
その中に、良遷(りょうぜん)といった歌詠みの僧がいたのを、殿上人は見知っているので、「良遷がいるのか」と問うたところ、良遷は目もなく笑みて《
注
…目を細めて笑って
》、ただ平伏していたので、傍にいた若い僧が気づいて、
「
b
さに侍り
」
と申し上げたところ、「あの良遷を船に呼んで乗せて連歌などさせようと思うのは、どうであろうか」と、もう一艘の船の人々に申し合わせたところ、 「どうだろうか。あってよいことではない。後々の人がそうではなくても(=良遷を船にのせなくても)あるにふさわしく十分に風流を尽くせたはずであったことだなぁとか言うだろう」などと言ったので、(元の船の人々は)いかにもそういう(非難)もあり得ることとして、船には乗せずに、ただそのままの場所で連歌などさせようとなどと決めて、良遷のいる近くに漕ぎ寄せて、
「良遷よ。きっとこの場にふさわしいような連歌など、読みかけてみよ」と、船の人々が言われたところ、良遷もそれ相応な者であって、もしかしたらそのような事もあろうかと、
c
まうけたりけるにや、
(その言葉を)聞くままに(良遷は)間を置かず傍の僧に何か言ったので、その僧は、
(イ)
ことごとくしく歩みよりて、
「
もみぢ葉のこがれて見ゆる御船(みふね)かな
と申しております。」と話しかけて(もとの場所に)戻った。
人々は、これを聞いて、二艘の船の人々に聞かせ知らせて、良遷の句に連歌を付けようとしたが(上手い句を思いつくのが)遅かったので、船を漕ぐともなく、しだいに池の築島をめぐって一巡りする間に付けて詠もうとしたが、それでも付けることが出来なかったので、むなしく過ぎてしまった。
「どうしたことか」
「返しが遅いことだ」
と、二艘の船の人々が互いに言い争って、(ついに)二周も築島を巡ってしまった。
それでもやはり、付けることが出来なかったので、船を漕がずに流して築島の陰に隠れて、
(ウ)
かへすがへすも
悪い "ことの成り行き"である。
d
今まで付けぬは。
日はすっかり暮れてしまった。どうしたらよいだろうか」と、今はもう句をつけようとする心もなくて、付けずに終わってしまったことを嘆いているうちに、何事も
e
覚えずなりぬ。
仰々しく管弦の楽器をお貸し願って船に乗せてあったのも、少しも掻き鳴らす人もなく終わってしまった。このように(船の中で)あれこれ処置を相談しているうちに、普賢堂の前にたくさん多くいた人たちもみな立ち去ってしまった。
(船に乗っていた殿上人の)人々は、船から下りて、皇后の御前で詩歌管絃の遊びをしようなどと思っていたけれども、ことの成り行きが食い違って、みな逃げるようにしてそれぞれ居なくなってしまった。
宮司(皇后に仕える役人たち)も、宴会の準備はしていたけれど、無駄になって終わってしまった。
問1傍線部(ア)(イ)の解釈として最も適当なものを一つづつ選べ。
(ア)
やうやうさしまはす程に
① さりげなく池を見回すと
② あれこれ準備するうちに
③ 徐々に船を動かすうちに
④ 次第に船の方に集まると
⑤ 段々と演奏が始まるころ
答→
③
*「
棹(さお)をさす
」の「棹」とは、水底に突っぱって舟を進ませる長い棒のこと。棹をさして舟を進めたことのない人にはちょっと分かりにくい表現です。福岡県に柳川という町があり、水路で結ばれた川下りを船頭さんが棹をさしながら案内してくれます。高校生が習う「土佐日記」の一節にも、賈島の漢詩の『棹はうがつ波の上の月を』を踏まえた表現が出てきますが、その ”うがつ=穿つ " の意味合いも棹を水面にさす行為から出たものです。 『やうやう…だんだんと・次第に』C副17。 直訳は「
だんだんとしだいに棹さして舟を進めているうちに
」です。
(イ)
ことごとしく歩みよりて
① たちまち僧侶たちの方に向かっていって
② 焦った様子で殿上人のもとに寄っていって
③ 卑屈な態度で良暹のそばに来て
④ もったいぶって船の方に近づいていって
⑤ すべてを聞いて良暹のところに行って
答→
④
*『
ことごとし…大げさだ・仰々しい
』B形40。訳語の「仰々しい」は、物事を必要以上に誇張したり、さも立派であるかの様に振る舞ったり、大げさに振る舞う様子を言う形容詞。基本的にはネガティブな意味合いですから、この文脈では “
本来そこまでする必要はないのに、ことさら誇張して、さも立派であるかのように舟のへ歩み寄って
” といった文意になります。 一方、「もったいぶる」は ” 必要以上に重々しく気取った態度をとること “ ですから、必要以上の誇張という点で『ことごとし』の訳出と意味が重なります。
問2傍線部a〜eについて、語句と表現に関する説明として最も適当なものを一つ選べ。
① a「若からむ」は、「らむ」が現在推量の助動詞であり、断定的に記述することを避けた表現になっている。
② b「さに侍り」は、「侍り」が丁寧語であり、「若き僧」から読み手への敬意を込めた表現になっている。
③ c「まうけたりけるにや」は、「や」が疑問の係助詞であり、文中に作者の想像を挟み込んだ表現となっている。
④ d「今まで付けぬは」は、「ぬ」が強意の助動詞であり、「人々」の驚きを強調した表現になっている。
⑤ e「覚えずなりぬ」は、「なり」が推定の助動詞であり、今後の成り行きを読み手に予想させる表現になっている。
答→
③
*①の「らむ」は上の母音がアー音ですから、現在推量ではなく、「む」の上で切れて「若から+む」。《
公式の44③
》現在推量の「らむ」は上の母音がウー音になります。
②の「さに侍り」は会話文なので、敬意の方向は ” 読み手 " ではなく、この場合 “ 聞き手 " である殿上人への敬意。《
公式58②
》
③の「まうけたりけるにや、」の「に」は断定の助動詞『なり』の連用形、「や」は疑問の係助詞。《
公式7黒傘
》というわけで適当。
④ 「ぬ」が強意になる形は『つべし・ぬべし・てむ・なむ・つらむ・ぬらむ・なまし・てまし・なむず・てむず』の10例。《
公式5
》「今まで付けぬは」の「ぬ」は打ち消し「ず」の連体形。《
公式20
》
⑤
「〜ずなり」の形の『なり』は動詞!
《4段動詞成るの連用形》と一問一答で繰り返し覚えたように、推定の助動詞の「なり」ではありません。
問4次に示すのは、授業で本文を読んだ後の、話し合いの様子である。これを読んで、後の( ⅰ )( ⅱ )の問いに答えよ。
〔参考資料〕
人々あまた八幡(やはた)の御神楽(みかぐら)に参りたりけるに、こと果てて又の日、別当(べつたう)法印光清(くわうせい)が堂の釣殿(つりどの)に人々ゐなみて遊びけるに、「光清、連歌作ることなむ得たることとおぼゆる。ただいま連歌付けばや」など申しゐたりけるに、かたのごとくとて申したりける。
釣殿の下には魚(いを)やすまざらむ
俊重(とししげ)《
注
…源俊頼の子
》
光清しきりに案じけれども、え付けでやみにしことなど、帰りて語りしかば、試みにとて、
うつばり
《
注
…屋根の重みを支える梁(はり)
》
の影そこに見えつつ
俊頼
「散木奇歌集」源俊頼より
現代語訳
人々がたくさん八幡(やわた)の御神楽(みかぐら)の催しに参上していたときに、その催しが終わって次の日のこと、岩清水八幡宮の別当法印の光清(こうせい)のお堂の池の釣殿〔=寝殿造りで池に臨んで作られた建物、納涼・月見などに用いられる〕で、人々が並んで座って管弦のあそびをしていたところ、「この(私)光清は、連歌を作ることを習得したように思われる。ただ今すぐに連歌を付けてみたいものだ」などと申して座っていたので、型通りに、と言って(俊重=とししげ)が申し上げた句、
釣殿の下には魚やすまざらむ
《五七五上句》
〔
釣殿の下には魚は住まないのだろうか
〕俊重
光清はしきりに思案したけれども、下句《七七》を付けることができずに終わってしまったことなどを、(俊重が)家に帰って私俊頼(としより)に語ったので、私俊頼が試みに付けた句、
うつばりの影そこにみえつつ
《七七下句》 〔屋根の重みを支える梁である「うつばり」の影が底に見えているので/
うつばり⇒針(釣り針)の影が水底に見えているので魚も住まないのでしょう
〕俊頼
教師――この文章は人々が集まる場所で、連歌をしたいと光清が言い出すところから始まります。
生徒A――俊重が「釣殿」の句を読んだけれど、光清はそれに句をつけることが出来なかったんだね。
生徒B――そのことを聞いた父親の俊頼が俊重の句に「うつばりの」の句を付けてみせたんだ。
生徒Cーそうすると、俊頼の句はどういう意味になるのかな?
生徒A――二つの句のつながりはどうなっているんだろう……。
教師――前に授業で取り上げた「掛詞」に注目してみると良いですよ。
生徒B――掛詞は一つの言葉に二つ以上の意味を持たせる技法だよね。そうか!この二つの句のつながりは
【 X 】
ということじゃないかな。
教師――そうですね。それでは本文の『俊頼髄脳』の中の良暹が読んだ「もみぢ葉の」の句について考えてみましょう。
生徒A――この句の意味は
【 Y 】
ということではないでしょうか。その上で、連歌だから、この句に別の人が、七・七の句を付けることが求められていたんだ。 生徒B――なるほど。そう考えると、殿上人たちが良暹の句にすぐに句を付けることができず、時間が経っても池の周りを廻るばかりで、この場の雰囲気をしらけさせてしまった状況が、よくわかるね。
( ⅰ )空欄
【 X 】
に入る発言として最も適当なものを一つ選べ。
① 俊重が、皆が釣りすぎたせいで釣殿から魚の姿が消えてしまったと読んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「底」を掛けて、水底(みなそこ)にはそこかしこ釣針が落ちていて、昔の面影をとどめているよ、と付けている。
② 俊重が、釣殿の下にいる魚は心を休めることもできないだろうかと読んだのに対して、俊頼は、「うつばり」に「鬱」をかけて、梁の影にあたるような場所だと、魚の気持ちも沈んでしまうよね、と付けている。
③ 俊重が、「すむ」に「澄む」を掛けて、水は澄みきっているのに魚の姿は見えないと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「あなた」という意味を掛けて、そこにあなたの姿が見えたからだよ、と付けている。
④ 俊重が、釣殿の下には魚が住んでいないのだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、釣殿の「うつばり」に「針」の意味を掛けて、池の水底には釣殿の梁ならぬ釣針が映って見えるからね、と付けている。
答→
④
*①の「其(そ)こ」と「底」[
公式64(40)
]、③の「住む」と「澄む」[
公式64(12)
]などは、掛詞としてあり得る用語ですが、なぜ釣殿の下に魚が住まないのか?という謎かけに対する答えとして機能していません。また、和歌は伝統的に大和言葉で詠まれるものですから、②のように「鬱」という漢語の音読みが掛かるとは通常は考えにくい。 結局、謎かけの答えとして機能するのは④の解釈しかあり得ません。
( ⅱ )空欄
【 Y 】
に入る発言として最も適当なものを一つ選べ。
① 舟遊びの場にふさわしい句を求められて詠んだ句であり、「こがれて」には、葉が色づくという意味の「焦がれて」と船が漕がれるという意味の「漕がれて」が掛けられていて、紅葉に飾られた船が池を廻(めぐ)っていく様子を表している。
② 寛子への恋心を伝えるために詠んだ句であり、「こがれて」には恋い焦がれるという意味が込められ、「御船」には出家した身でありながら、あてもなく海に漂う船のように恋の道に迷い込んでしまった良暹自身がたとえられている。
③ 頼通や寛子を讃美するために詠んだ句であり、「もみぢ葉」は寛子の美しさを、敬語の用いられた「御船」は栄華を極めた頼通たち藤原氏を表し、順風満帆に船が出発するように、一族の将来も明るく希望に満ちていると讃(たた)えている。
④ 祈祷を受けていた寛子のために詠んだ句であり、「もみぢ葉」「見ゆる」「御船」というマ行の音で始まる言葉を重ねることによって音の響きを柔らかなものに整え、寛子やこの催しの参加者の心を癒したいという思いを込めている。
答→
➀
*
公式64(18)「焦がる」と「漕がる」
とあるように代表的掛詞の一つ。また、「焦がる」には “ 思い焦がる/恋ひ焦がる " の用法だけでなく、” もみぢ葉の焦がれ " のように、『
日光にさらされて変色する
』意もあることは、常に授業中のチェックで強調しました。 『掛詞』とは、同じ音で意味の異なる語を用いて、二様の意味を含ませる技法です。比喩とは異なります。 とにかく、この「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船かな」という発句の眼目は「こがれ」の二重性にある訳ですから、その点に触れない②③④はすぐに落とせます。
第4問(漢文)
唐の白居易は、皇帝自らが行う官吏登用試験に備えて一年間受験勉強に取り組んだ。その際、自分で予想問題を作り、それに対する模擬答案を準備した。次の文章は、その【予想問題】と【模擬答案】の一部である。
現代語訳
【予想問題】
質問する、古(いにしえ)より以来、
A
君
タル
者
無
ク
レ
不
ルハ
レ
思
ハ
レ
求
ムルヲ
二
其
ノ
賢
ヲ
一
、
賢
ナル
者
罔
シ
レ
不
ルハ
レ
思
ハ
レ
効
(いた)
スヲ
二
其
ノ
用
ヲ
一
。
《君タル者 其ノ賢ヲ思ハザルハ無ク、賢ナル者 其ノ用ヲ効(いた)スヲ思ハザ
ルハ罔(な)シ》
然(しか)れども、その両者が巡り合わないというのは、その理由は何であろうか。
今、(私は)賢者を求めようと欲しているのだが、(両者がうまく巡り合うための)術はどこにあるのだろうか。
【模擬答案】
私は聞いております、君主たる者で賢者を求めることを思わない者は無く、臣下(=賢者)たる者で君主の役に立つことを思わない者は無い、と。
そういうわけで、君主は賢者を求めようとして得られず、臣下(=賢者)は役に立とうとして
(ア)
無
レ
由
のは、
B
豈 不 以 貴 賎 相 懸、 朝 野 相 隔、 堂 遠 於 千
里、 門 深 於 九 重
。
《
注
…朝野→朝廷と民間/堂→君主が執務する場所/門→王城の門
》
私が
(イ)
以
為
に、賢者を求めるには術があり、(また)賢者を
(ウ)
弁
にも方法があります。その方法と術というのは各々の、(賢人としての)同類の者をくわしく調べて、その賢人集団に(賢者を)推薦させるというものです。
卑近な例で諸(これ)を喩(たと)えに取れば、
C
其
レ キ
猶
ホ
二
線
(いと)ト
与
ノ
一レ
矢 也
。
《其(そ)れ猶(な)ほ線(いと)と矢のごときなり》
線(=糸)は針によって(布に)入り、矢は(弓の)弦によって発射します。
線(=糸)や矢があるとはいっても、もし針や(弓の)弦がなければ、それ自体でことを致すことを求めても、致すことができません。
《=
有用な賢者は一人では世に出てくることができず、賢者集団の推挙があってはじめて世に出る事が出来るという喩え
》
そもそも必ず同類の(賢者集団)によって(推挙)するというのは、(私が)思うに、人材の賢愚は一貫するところがあり、善悪についても同類のものがあるので、もし、同様であることを条件として求めれば、
D
【 X】
以 類 至
。
これはまた、水が湿ったところに流れ、火が乾燥したところにつくような
もので、
E
自 然 之 理 也
。
(白居易『白氏文集』による)
問1傍線部(ア)「無レ由」(イ)「以為」(ウ)「弁」のここでの意味として最も適当なものを一つづつ選べ。
(ア)
「無
レ
由」
① 方法がない
② 伝承がない
③ 原因がない
④ 意味がない
⑤ 信用がない
答→
➀
*「由」⇒直単A名52③…
手段・方法
。
(イ)
「以 為」
① 考えるに
② 同情するに
③ 行うに
④ 目撃するに
⑤ 命ずるに
答→
➀
*漢単A26「以 為」…おもヘラク⇒
思うことには
。
(ウ)
「弁」
① 弁償するには
② 弁護するには
③ 弁解するには
④ 弁論するには
⑤ 弁別するには
答→
⑤
*漢単D7「弁」…べんズ⇒
(物事を区別して)わきまえる・判断する
。『弁別』…区別して物事の違いをはっきりと見分けること。
問3傍線部
B
「
豈 不 以 貴 賎 相 懸、 朝 野 相 隔、 堂 遠 於 千 里、 門 深 於 九 重
」の返り点の付け方と書き下し文との組み合わせあとして最も適当なものを、一つ選べ。
①
豈 不
レ
以
二
貴 賎 相 懸
一
、朝 野 相 隔、堂 遠
二
於 千 里
一
、門 深
二
於 九 重
一
豈に貴賤 相懸(あひへだ)たるを以てならずして、朝野相隔たり、堂は千里よりも遠く、門は九重よりも深きや
➁
豈 不
レ
以
二
貴 賎 相 懸、朝 野 相 隔
一
、堂 遠
二
於 千 里
一
、門 深
二
於 九 重
一
豈に貴賤 相懸たり、朝野隔たるを以てならずして、堂は千里よりも遠く、門は九重よりも深きや
③
豈 不
レ
以
三
貴 賎 相 懸、朝 野 相 隔、堂 遠
二
於 千 里
一
、門 深
二
於 九 重
一
豈に貴賤 相懸たり、朝野相隔たり、堂は千里よりも遠きを以てならずして、門は九重よりも深きや
④
豈 不
下
以
三
貴 賎 相 懸、朝 野 相 隔、堂 遠
二
於 千 里
一
、門 深
中
於 九 重
上
豈に貴賤 相懸たり、朝野 相隔たり、堂は千里よりも遠きを以て、門は九重よりも深からずや
⑤
豈 不
レ
以
下
貴 賎 相 懸、朝 野 相 隔、堂 遠
二
於 千 里
一
、門 深
中
於 九 重
上
豈に貴賤相懸たり、朝野相隔たり、堂は千里よりも遠く、門は九重よりも深き以てならずや
答
→
⑤
*まず、白文の全体が
詠嘆の句形
であることを見抜くこと。豈(あ)ニ〜〜不ヤ《公式22②…訳は「なんと〜ではないか」》さらに、
〜ヲ以テ《公式8①… 訳は「〜を理由として」と組み合わせると、“ 君主が賢い臣下を人民の中からリクルート出来ない理由はどこにあるのか?“ という問いかけに対する答えとして《それは、なんと〜〜〜を理由としてではないか。》と言っていることになります。その〜〜〜の部分に、対句としての四つの理由付けが入ってくる訳です。
「賎(せん)」漢単C左外…
卑しい・身分が低い
。
「朝(ちょう)」漢単C23…
朝廷
。
「野」漢単B15…
民間
。
「遠シ」「深シ」が形容詞であるので「於」は公式10①C比較の用法…下の補語の送りに「
〜ヨリモ
」と付ける。
全体の訳は、
『
なんと貴人と賤しい人とが相隔たり(=互いに距離があり)、朝廷と民間とが相隔たり(=互いに距離があり)、君主が執務する場所は(民の人々から)千里よりも遠く、(君主のいる)王城の門は九重よりも深いということを理由としてではないか。
』《→王城の門が九重よりも厚く外界から隔てられているの意か》
賢臣をリクルート出来ない理由は、貴賤朝野が互いに隔たっているからだ、という主旨の方向ですから、①②の『貴賤相懸(あいへだ)たるを以てならずして』は逆の意味になるので落とせます。
また、理由付けとしての四つの対句を全部読み切った上で、〜そのことを理由として、と「以テ」に上がるはずですから、対句の途中で「以テ」に読み上げている③④も落とせます。
《結語》
令和5年・2023年共通テスト古典における木山方式の直接ダイレクトな得点寄与率は、古文が問1(ア)(イ)・問2・問4(ⅱ)の
24点
。
漢文が問1(ア)(イ)(ウ)・問3の
19点
。
合計で100点中43点(43%)
という結果になりました。ここ数年来の平均に比べて10%ほど低いパーセントとなりました。
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