お便りシリーズNo.80
= 令和6年・2024年
東京大学古典だより(古文漢文) =
第二問(古文)
次の文章は『讃岐典侍日記(さぬきのすけにき)』の一節である。堀川天皇は病のため崩御し、看病にあたった作者も家で裳に服している。そこへ、女官の弁の三位(べんのさんみ)を通じて堀川天皇の父白河上皇(院)から仰せがあった。新天皇は、幼い鳥羽天皇(堀川天皇の子)である。これを読んで、後の設問に答えよ。
かくいふほどに、十月になりぬ。「弁の三位殿より、御文」といへば、
取り入れて見れば、
「ア 年ごろ、宮づかへせさせたまふ御心のありがたさ
など、よく聞きおかせたまひたりしかばにや、院よりこそ、この内にさやう
なる人の大切(たいせち)なり。登時参るべきよし、おほせごとあれば、
さる心地せさせたまへ」とある、見るのにぞ、あさましく、ひがめかと
思ふまで、あきれられける。
おはしまししをりより、かくは聞こえしかど、いかにも御いらへのなかりし
には、さらでもとおぼしめすにや、それを、
イ いつしかといひ顔に参らんこと、あさましき。
周防(すはう)の内侍(ないし)、後冷泉院(ごれいぜいいん)におくれまゐらせ
て、後三条院より、七月七日参るべきよし、おほせられたりけるに、
天の川おなじ流れと聞きながらわたらんことはなほぞかなしき
とよみけんこそ、げにとおぼゆれ。
「故院の御かたみには
ウ ゆかしく思ひまゐらすれど、
さし出(い)でんこと、なほあるべきことならず。そのかみ立ち出でしだに、
はればれしさは思ひあつかひしかど、親たち、三位殿などしてせられんこと
をとなん思ひて、いふべきことならざらしかば、心のうちばかりにこそ、
海(あま)の刈(か)る藻(も)に思ひみだれしか。
げに、これも、わが心にはまかせずともいひつべきことなれど、また、
世を思ひすてつと聞かせたまはば、さまで大切にもおぼしめさじ」と
思ひみだれて、いますこし月ごろよりももの思ひ添ひぬる心地して、
「エ いかなるついでを取りいでん。
さすがに、われと削(そ)ぎすてんも、昔物語にも、かやうにしたる人をば、
人も『うとましの心や』などこそいふめれ、わが心にも、げにさおぼゆる
ことなれば、さすがにまめやかにも思ひたたず。
オ かやうにて、心づから弱りゆけかし。
さらば、ことつけても」と思ひ続けられて、日ごろ経(ふ)るに、
「御乳母(めのと)たち、まだ六位にて、五位にならぬかぎりは、もの参らせぬ
ことなり。この二十三日、六日、八日ぞよき日。とく、とく」とある文、
たびたび見ゆれど、思ひたつべき心地もせず。
「過ぎにし年月だに、わたくし
のもの思ひののちは、人などにたちまじるべき有様にもなく、見苦しく
やせおとろへにしかば、いかにせましとのみ、思ひあつかはれしかど、御心の
なつかしさに、人たちなどの御心も、三位のさてものしたまへば、その御心に
たがはじとかや、はかなきことにつけても、用意せられてのみ過ぎしに、
いまさらに立ち出て、見し世のやうにあらんこともかたし。
君はいはけなくおはします。さてならひにしものぞとおぼしめすことも
あらじ。さらんままには、昔のみこひしくて、
カ うち見ん人は、よしとやはあらん」
など思ひつづくるに、袖のひまなくぬるれば、
キ 乾くまもなき墨染めの袂(たもと)かなあはれ昔のかたみと思ふに