《 古文の背景知識  9 》


歌論対策について教えてくださ〜い!(近世編)

  
 江戸期の歌論は、実は概念的にとらえておくと結構読みの方向性が見えて便利です。ごく簡単に言えば、江戸期の和歌を巡る考え方には三つの流派があります。

 一つは京都のお公家さんたちが守り続けた、伝統的な勅撰集の流れに連なる流派で、これを
堂上派(どうじょうは)といいます。
 堂上派の歌人たちは
題詠(ある一つのお題に対して歌を創作するやり方)を重視しますから、たとえば、「梅に吹く風を題しとて」とか「あたえられた題に対して忠実であれ」といった論調ならば堂上派的歌論とみてまちがいないと思います。

 また、この流派は歌に用いる用語についても
伝統的な雅語(がご)を重視しますから、日常卑近な用語を用いる考えには反対する立場です。

 たとえば、「初心の間、古歌古語を用ゐて詠みいだし候ふべし」などといった表現があれば、伝統的な勅撰集などに用いられた雅びな言葉用いて歌の修養をせよといった論調になるでしよぅ。

 これに対して、
小沢蘆庵(おざわろあん)や香川香樹(かがわかげき)、またその弟子の内山真弓(うちやままゆみ)などが興した流派を桂園派(けいえんは)といいますが、この流派の基本的な考えは、和歌は伝統的な詠題にこだわることなく、日常卑近なものの中から沸き起こる感情がそのまま歌となり自然な調べとなるのだ、という考え方です。

 ですから、桂園派の考えでは、
古典的秀歌の模倣や、歌を論理的に創作しようとする作為性を厳しく非難する論調が目立ちます。入試問題の歌論を読む時に、堂上派的であるか、桂園派的であるかを意識して読むのは、結構使える方法論です。
 どちらの方向であるかがわかれば、
おのずと結論も見えてくるわけですから。歌論の選択肢もこの二つの対立概念になっていることが多く、出題者の発想もこれ以上はひねりようがないのだと思います。



 どちら的であるかということですから、たとえ公家の書いた歌論であっても、桂園派的なものもありますし、その逆も成り立ちます。
 また、こうした歌論上の対立(=日常卑近な用語を用いて心の感ずるままに歌を詠むVS伝統的な雅語を用いて古典的秀歌の模倣を土台として歌を詠む)が、そのまま平安後期や鎌倉初期の歌論の中に登場してしまうこともあります。

 それだけ、この二つの考え方の対立は和歌史上不変的だということもいえます。ですから、あくまで歌論の内容そのもので判断して下さい。

 ただし、リード文や本文末に香川香樹とか『桂園遺文』(けいえんいぶん)とか、内山真弓の『歌学提要』(かがくていよう)(香川香樹の論をまとめたもの)と出ていれば、論の方向性は間違いなく桂園派的論調ですから、時間がなければ本文を詳しく読まなくても、ある程度の解答の方向性は見えてくるはずです。

 つまり、それが桂園派の文章であれば、歌の作為性を排し、日常語を用いた自然な調べをよしとする、といった論調になるはずです。

 また、桂園派的な歌論によく出てくるのが「天地自然の調べ」とか「歌の真心」といった考え方です。
 
真実に心から露吐された言葉は、たとえ未熟な内容であっても自然と美しい調べを伴っているものだといった考え方で、一般にそのような論調は、堂上派の持つ復古調や作為性を非難する文脈で展開されます。

 歌は「心」なのか、「言葉」なのか、といった対立項や、またその言葉を巡っても、古典的雅語か日常卑近な言葉かといった対立項は、さまざまな歌論の中に非常によく見出される論点なので注意して下さい。

 たとえば、平成14年センター国語TU本試『松しま日記』の問5の選択肢の@には「歌を詠むにあたっては、言葉の続き方や言葉遣いにこだわらず、感動をこめることが肝要である」とあって、この選択肢などは、桂園派的発想ですよね。
 一方、選択肢のBには「歌を詠むにあたっては、なによりも言葉の続き方や言葉遣いに留意することが肝要である」とあって、これは堂上派的な論調です。
 この問題の場合には、本文の内容が堂上派的でしたから、選択肢のBが正解でした。

 ところで、江戸期のもう一つの流派は、江戸を中心とした
国学者たちの万葉ぶりの重視などがそれです。(賀茂真淵かものまぶち村田春海
むらたはるみなど)。
 彼らは万葉集研究の国学者であったことから、ことさらに
上代の用語を用いた万葉ぶり歌(素朴な感情を込めたものが多いのですが)を詠みます。本居宣長などもこの流れといえるでしょう。

 この流派は、アンチ堂上派という点では桂園派と同じですから、古今集などの技巧性や作為性を非難しますが、
とくに上代の「ひたふるに直き心」を理想とする万葉回帰の論調が強い点や、上代語を和歌の用語として用いる点、また中国や天竺(インド)の儒教や仏教といった外来思想の流入が日本の和歌の純粋性を損なったのだ、といった国粋的な論調の強い点が桂園派との大きな違いです。

 そうした万葉ぶりに対して桂園派が、人の心の真とは言いながら、わざわざ上代の用語を用いるのこそがわざとらしい作為ではないのか、≠ニ、かみついたことから、この二流派の間で和歌史上に残る大変な論争に発展したことは有名で、近世の歌論というと、この桂園派VS江戸国学派の論争の中から生まれ出たものが相当な数になります。

 江戸国学派の人々が和歌用語として上代の万葉語にそれほどまでにこだわった理由は、国粋主義的な言葉の純粋性としての問題でした。これは背景知識11でも詳しく触れますが、外来思想としての儒教や仏教などの影響を排した日本固有の精神は、上代の万葉語のみに宿るとする考え方によるものです。

 



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