古文公式45
「なり」の識別の解説
古文公式の7・8または45「なり」の識別を横に見ながら読んで下さい。
まず、一番めは、公7または公45①断定の助動詞の「なり」です。(公7の下の方に断定「なり」の活用表を載せています。)
【例1】 兄なる人抱きて、ゐて行きたり。
(兄である人が抱いて、その女を連れて行ってしまった。)
「体言(名詞)+なり」「連体形+なり」は断定の助動詞です。たとえば、「我は帝(みかど)なり」だったら「私は帝である」。マンガ『キテレツ大百科』に出てくるコロスケというロボット忍者の口ぐせ「~するなり!」も断定です。(「する」はサ変の連体形ですから。)よって、【例1】は断定の助動詞「なり」の連体形。
【例2】 青海原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも
(青海原をはるかに見渡すと月がのぼっているが、あれはふるさとの春日にある三笠山に出ていた月と同じなのだなぁ)
春日は奈良県の春日大社付近の地名で名詞(つまり体言)だから、「体言+なり」で断定でよさそうですけど、訳すときは「春日である月」ではおかしくなります。公7にもあるように、上に場所や地名がきたときには意味は「存在」です。「~にある・~にいる」で訳します。よって、【例2】は存在の助動詞「なり」の連体形。(ただし、問題の選択肢に断定しかない場合は、「存在は断定に含まれる」と考えて、断定にマルをつけるしかない場合もあります。)
二番めは公8または公45③の伝聞推定の助動詞の「なり」です。(伝聞推定の「なり」の詳しい内容や注意点は公8に載せられています。)
【例3】 また聞けば、侍従(じじゅう)大納言のむすめ、なくなりたまひぬなり。
(また聞くところによれば、侍従の大納言の娘がお亡くなりになったそうだ)
〝終止形(ラ変には連体形)+「なり」〟の形は伝聞・推定の「なり」です。伝聞は「~そうだ」「~ということだ」、推定は「~ようだ」と訳します。公7の断定の「なり」との識別は基本的に「なり」の上が連体形だったら断定、「なり」の上が終止形なら伝聞・推定です。
この【例3】の場合、「なくなりたまひぬなり」だから「ぬ」は何かと考えますが、「お亡くなりになってしまった」という文脈ですから完了の「ぬ」の終止形と考えられます。(公5の下の方に「ぬ」の活用表あり)つまり「なり」の上が終止形だから、この「なり」は伝聞・推定のいずれかということになります。(もし「なり」が断定だったら。この場合「~たまひぬるなり」となるはずです。)
では、伝聞と推定のどちらでしょうか?これは文脈はシチュエーション(状況)で考えます。噂などで人づてに聞く場合は「伝聞」です。(世間一般に流布しているような噂・評判の場合もこれにあたります。)これに対して、人を介さず直接音や声を聞いて何かを判断する〝聴覚判断〟の場合には「推定」と考えます。
この【例3】は「また聞けば」(また聞いたところによれば)で始まっていますから、大納言の娘の死を人づてに聞いたというシチュエーションです。よって【例3】は伝聞の助動詞「なり」の終止形です。
【例4】 秋の野に人まつ虫の声すなりわれかと行きていざとぶらはむ
(秋の野に人を待つ松虫の声がするようだ。待つ人とは私のことかと出かけていって、さぁ訪ねてみよう)
この【例4】の場合、「声すなり」ですから、「す」は何かと考えます。松虫の声がするという文意だから、当然サ変の「す」であり、「せ/し/す/する/すれ/せよ」の活用から、〝終止形+「なり」〟とみることができて、少なくとも伝聞か推定のいずれかとなります。あとはシチュエーション(状況)です。秋の野に松虫がチンチロリ……と鳴いているのを直接耳で聞いて「あっ、松虫が鳴いているようだ」というわけですから推定です。よって【例4】は推定の助動詞「なり」の終止形。
ところで、次のような例文だったらどうでしょう?
【例5】 吉野なる夏美(なつみ)の河(かわ)の川よどに鴨(かも)ぞ鳴くなる山陰(やまかげ)にして
この場合、「なる」の上は四段活用の「鳴く」ですから「か/き/く/く/
け/け」となって、終止形と連体形が同形になります。もし終止形とみたら「な
る」は伝聞・推定だし、連体形とみたら「なる」は断定です。(文法的にはお
手上げ状態!)
でも、入試で見かけるのは、じつはこんな形が多いのです。「なり」の上が終止形なのか連体形なのかわからない場合は文脈のシチュエーション(状況)で考える!
もし「なる」を断定にみたら「鴨が鳴いているのだ」ってことになるし、伝聞だったら「鴨が鳴いているそうだ」、推定だったら「鴨が鳴いているようだ」となります。
ところで、この鴨は「山陰」で鳴いているのだから、鴨の姿は作者の目に見えていません。姿は見えないけれども、鳴き声だけが山陰のむこうから聞こえてくる、だったらそういうシチュエーションは聴覚判断といえますよね。直接音や声を聞いて判断するといった聴覚判断の場合は推定です。よって【例5】は推定の助動詞「なり」の連体形。
【例6】 なでふことあるべきと思ひあなずりて、平家の人どもが、さやうのしれごとをいふにこそあんなれ。
(何事があろうかと思いあなどって、平家の者どもがそのようなばかげたことを言っているのであるようだ)
公8の上の点線枠の中の黒いハートマークにもあるように、〝撥音便+「なり」〟の形は必ず伝聞・推定です。その形は「~あ(ん)なり」「~か(ん)なり」「~ざ(ん)なり」「~た(ん)なり」「~な(ん)なり」の5パターンで、覚えるときは「ア・カ・ザ・タ・ナ」と覚えます。(撥音便とは「ん」とつまる音。本来は「~あるなり」「~かるなり」「~ざるなり」「~たるなり」「~なるなり」となります。)ここはしっかり暗記して下さい。
ところで、人が何か話しているのを、たまたま近くで耳にして「あっ、オレのことをばかにして何か話しているな」と気づいたとしたら、このシチュエーションは「伝聞」にあたると思いますか?それとも「推定」にあたると思いますか?人づてに伝え聞くというのは、直接相手から伝えられるということですから、たまたま近くを通りかかって人の話し声がたまたま耳に入ってきたときは「推定」のシチュエーションです。
よって、例6は推定の助動詞「なり」の已然形。ちなみに、上の「あん」はラ変動詞「あり」の連体形の撥音便です。
【例7】 隅田川といふ川の侍るなるはいづくぞ。
(墨田川という川がごづいますそうですが、それはどこか。)
公8伝聞推定の「なり」の右に、破線と*印で「上に四段(終・体)やラ変(体)がきて判断がつかないとき、文脈上わざわざ断定をつける必然性がない場合は伝推!」と書かれてありますが、その意味するところを上の例文で説明します。
公8の一番上に(終止形・連体形)とあるように、伝聞推定の「なり」は、上にラ変型活用がくると連体形接続に変わります。上の例文の場合も、「なる」の上は「侍る」(ラ変・連体形)ですから、本来の連体形接続である公7の断定の「なり」とも、公8の伝聞推定の「なり」とも、どちらとも考えられるわけです。
そこで、かりに「なる」を断定と考えて訳をあててみると、「隅田川という川がございますのであるのはどこか」と、ややくどい表現となってしまい、断定の「~である」という意味を付加する必然性がどうも感じられません。断定的に言い切りたいのであれば、むしろ「隅田川といふ川の侍るはいづくぞ」(隅田川という川がございますのはどこですか?)と言い切ったほうがよほどすっきりします。
そのようにも文脈上、断定の「なり」を付ける必然性が感じられないときは、その「なり」は断定の意ではなく、文脈上そこに伝聞・推定のいずれかの意味を加味したいがためにあるのではないかと考えるべきです。
さらに「隅田川がございます」という表現が聴覚判断によるとは考えられないので、例7は伝聞の助動詞「なり」の連体形となります。(注=たとえ川音を聴いたとしても、それが隅田川であるようだと、ずばり当てられる人がいるとは考えられません。)
三番めは公式45④四段動詞「なる(成る)」の連用形の「なり」です。
【例8】 大納言になり給ひにけり。(大納言におなりになってしまった。)
のように、四段動詞の連用形の形で本文中に入ってきて、「~になる」の意味になる点がポイントです。「大学生になりて」とか「頭がよくなりて」など、文意上、「~になる」と読めるものは、みな四段動詞「なる」の連用形の「なり」と判断できます。
【例9】 男住まずなりにけり。(男は女のもとに通わなくなってしまった。)
上のような「~ずなり」の形は必ず動詞になります。これは「~ずなり」の形は必ず動詞になると暗記してもらって結構です。(公45④の下の方に書いてあります。)
ちなみに、伝聞・推定の「なり」の上に打消しの「ず」がくるときは、先に説明したように「あ・か・ざ・た・な」の「ざ」=「ざる(ん)なり」となりますから、「ざんなり」の形が伝聞・推定である以上、「~ずなり」の「なり」は伝聞・推定の「なり」ではないことは明らかですから、「~ずなり」の「なり」は四段動詞「なる」の連用形となるわけです。
四番めは公45⑤形容動詞の活用語尾の「なり」です。
ナリ活用 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
|
なら |
なり |
なり |
なる |
なれ |
なれ |
|
○ |
に |
○ |
○ |
○ |
○ |
まず直単Cの形容動詞に載せられているような代表的な頻出形容動詞は覚えておくこと。(木山の直単C形容動詞1~23)
しかし、はじめて見るような形容動詞が問題に問われてくる場合もありますから、その場合はまず、形容動詞は物の状態や性質を表すという点を判断の根拠とします。また、形容動詞は「いと」(たいそう~)といった強めの副詞を上に自然に付けて読むことができます。たとえば、「ほのかなり」の場合、ほのかな状態を表しており、かつ上に「いとほのかなり」と自然に「いと」を付けて読むことができますから形容動詞と判断することができます。
たとえば、「博士なり」のような名詞+断定の「なり」り場合には「いと博士なり」と読むことは不自然ですから、形容動詞とは認められません。また「ほのかなり」の語幹にあたる「ほのか」が名詞ではないかと疑った場合には、名詞はどんなものであれ文の主語になるというルールにあてはめて考えて下さい。形容動詞の語幹の「ほのか」の場合「ほのか(は)~」とか「ほのか(が)~」といった文の述部を作ることは不可能です。つまり語幹が主語にならないということは名詞ではないということですから、形容動詞だと判断できます。
最後に形容詞の語幹に「~げなり・がちなり・やかなり」の接尾語がつくと全体で一語の形容動詞になる場合がありますから注意して下さい。たとえば、「をかし」は形容詞ですが、「げなり」がつきますと「をかしげなり」となって一語の形容動詞となります。(公45⑤の左枠外に書いてあります。)
以上のことが、公式45①~⑤にまとめてあります。
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